太陽チャレンジ①
「よろしくお願いしますッ!」
「声が小ァァァさいッッ!!」
「よ〝 ろ〝 し〝 く〝 お〝 願〝 い〝 し〝 ま〝 す〝 ッ 〝 !!」
挨拶をやり直しさせられること都合10回。喉が痛くなった頃にようやく合格を貰って、聖たちはトレーニング施設と宿舎を兼ねている建物の中に入ることを許された。ここまでの大声を出したのは生まれて初めてかもしれないと大袈裟ではなく本気で思いながら、聖は荷物を詰め込んだラケットバックを背負って割り当てられた部屋に向かう。
<いいねェ、なンつーか昭和魂ってヤツを感じるよ>
無関係だからと高見の見物を決め込むアドの物言いに、聖は渋い顔を浮かべる。あのテンションにこれから1週間付き合うのだと思うと、帰りたいという気持ちの芽がすくすくと育っていくのを嫌でも感じてしまう。だが、せっかくATCの篝コーチが特別に手配してくれた機会だ。全国から有望なジュニアが集うこの『太陽チャレンジ』で、聖は自身の更なるレベルアップを計る為、萎えかけた気持ちを奮い立たせた。
『太陽チャレンジ』は、元プロテニス選手である空知太陽が引退後に主軸となって始まったジュニア育成プロジェクトだ。年に3度、1週間前後のプログラムが組まれ、全国から有望なジュニア選手を選抜し、技術指導だけではなく世界で戦うプロを目指すのに必要な物事を学ばせる短期合宿である。空知太陽を育成した名コーチ、ボブ・ブレッドも以前は参加しており、プロの世界で活躍することを夢見る選手たちの指導に力を注いでいた。ブレッド氏の亡きあとも新たにヘッドコーチを迎え入れ、現在でも継続して実施されている。
今回、『太陽チャレンジ』に集まった選手は合計で18名。U16、U14、U12のカテゴリーからそれぞれ6名ずつの選手がそれぞれ全国から呼び集められた。本来ならばジュニア時代に実績のない聖が参加するのは難しいのだが、ATCの篝コーチの推薦で特別に参加が許された。
★
「5階の10号室、ここだな」
部屋に入ると、嗅ぎ慣れない薄いルームフレグランスが鼻をついた。室内は当然ながら清潔で、しかしそのきれい過ぎる内装は住み慣れた自宅と比べるとどうも落ち着かない。いわゆる生活感というものが抜け落ちているせいだろう。とはいえ、今日から1週間はこの宿泊施設で初対面の者を含む同世代の選手達6人と寝食を共にする。そのうち慣れるだろうと思いながら、聖は手近なベッドを自分の場所に選んだ。
聖のほかには同じATC所属の能条蓮司と、地方からやってきた同世代らしい4人だ。先ほど顔を合わせたばかりでまだお互いに自己紹介すらしていない。聖たちはまず荷物を置き、速やかにテニスウェアへ着替えて、集合場所に向かった。
<むさ苦しいなァ~! 女子と一緒に練習してェ〜!>
コートに向かう道すがら、不満そうにアドが漏らす。
(ホント、頼むから変なチャチャ入れて邪魔しないでよ)
先ほどのやり取りから察するに、色々と厳しい合宿になるだろうと予想している聖は、余裕の無いときにアドが頭の中でやかましく煽ってきたりすることを懸念して釘を刺す。普段の練習の時ですら隙を見せると口悪く野次を飛ばしてくるので、最近ではすっかり聞き流す術を身に付けたように思える。
<オスガキがのたうち回る姿ばっか見てられっか! こっちから願い下げだ!>
(はいはい、それでよろしく)
★
「よし次!!」
「ハイッ! 大阪から来ました! 靭テニスアカデミー所属、平疾風ですッ! 夢はグランドスラム優勝ッ! よろしくお願いしますッ!」
コートについた選手達は横一列に並び、順番に自己紹介をしていく。別段、大きな声でやれとは言われていなかったが、最初の挨拶で大声を繰り返したせいか全員が無駄に声を張り上げている。その様子を、空知太陽を中心としたコーチ陣が正面で無言のまま見据えており、その威圧感たるや相当なものだ。両親とも、学校の先生とも違う、学生である聖はなかなか触れ合う機会の少ない、大人の男たち。それも全員が一流の元アスリートで、背も高く中には外国人も含まれている。彼等のかもし出す雰囲気は緊張感に満ち溢れ、聖は内心で軍隊みたいだなと思いながら自分の番を待った。
「次!」
そして、聖の番が回ってきた。すかさず大声で返事をし、一歩前に出る。短く息を吸って吐くと、一気に叫んだ。
「千葉県から来ました! アリアミス・テニス・センター所属、若槻聖ですッ! 目標は素襖春菜選手のペアになることですッ!」
言い切った聖は、すっと元の位置に戻る。隣で普段見せないような驚きの表情を浮かべた蓮司の視線を頬で感じる。他の選手はもちろん、コーチ勢も無表情を装ってはいるが微かな驚きがその表情に浮かんでいるのが分かった。当然の反応だろうとは思いながらも、聖は笑うなら笑えと開き直る。むしろ最初からそう言うと決めていたから、周りの反応よりも自分の声が上ずらなかったことに安堵していたくらいだ。
「君が徹磨を倒したという選手かッ!」
これまで選手がどんな大きな夢を口にしようと、まるで反応しなかった空知太陽が鋭く言った。聖に向けられたその瞳は、テレビで見る彼の印象とはかけ離れた恐ろしく鋭い眼差しだ。事実とはいえ、まさかハルナのことではなく徹磨の件について言及されると思っていなかった聖は、まるで嘘がバレたときのように緊張する。自分が今、どんな表情を顔に浮かべているのかも分からない。聖がなにか言うべきかどうか迷っていると、何秒かの沈黙のあと、空知太陽は無表情のまま次、と言った。
<こえ~! オイ、もっとファンキーなヤツだと思ってたけど随分ちげェ~なァ?>
アドの感想には聖も同感だ。空知太陽が口を挟んだのはその時だけで、他の選手の自己紹介のときはこれまでと同じように何も発言しなかった。果たして、自分は彼からどういう目で見られているのか?そのことが気になってしまった聖は少しの間、自分のあとに続く選手の自己紹介がろくすっぽ頭に入ってこなかった。
「IMG所属、弖虎・モノストーン」
そんな聖の意識を引き戻したのは、自己紹介する選手たちのなかで唯一、大声を出さずにボソっと所属と名前だけを口にした選手の声だった。場の空気を一切読まないような、有り体に言えばひどく反抗的な態度を隠そうともしない彼の振る舞いは、緊張感とは異なる別の殺伐とした空気を持ち込んだ。
気になった聖は、モノストーンと名乗った選手を横目でそっと盗み見た。海外姓を名乗ったが顔付きは日本人に近いのでハーフなのだろう。色白で柔らかそうな黒い長髪をかったるそうにかき上げ、どこか苛立たしげな表情を浮かべている。どことなく出会った当初の蓮司を思い浮かべたが、身長は彼の方が高い。あまりスポーツマンらしさの無い髑髏のワンポイントが入ったダークグレーのウェアに、耳には小さなピアスをつけている。
<根暗とⅤ系足して2で割ったようなヤツだな>
(あ、わかる)
アドの表現に胸中で手を打つ聖。およそテニス選手らしくない雰囲気を持つモノストーンという少年。集まった選手の中でも特に異彩を放つ彼のことが、どうにも気になって仕方がなかった。
★
「はい止まらない止まらない! 動いて動いて! 止まってる時間なんて無いよ! 姿勢戻してすぐ! 動いて構えて打つ! 動いて構えて打つ! リズム崩すなリズム! 単調にならない! 常に動いて! バランス取って!」
普段の練習もかなりキツイとは思っているが、短期集中型の合宿ということもあってか練習は想像以上に激しかった。だが、ATCでは基本的に練習の意図や目的を自分で考え自主性を重んじるのに対して、『太陽チャレンジ』では練習の最中にコートについたコーチ達が選手たちへの具体的なアドバイスを細かくしてくれる。空知太陽はもちろんのこと、他のコーチも熱心に指導してくれた。
当然と言えば当然のことだが、参加している選手たちの士気も高い。練習内容は確かに厳しいが、ほどよい緊張感と集中力がコートの上で横溢していて自分が研ぎ澄まされていくのを聖は感じた。
<つーか、おめェに英会話の心得があったとはな>
(ペラペラってワケじゃないけどね。学校の勉強とは別物だし)
<つまンねーな、英語の指導でオタつくとこが見られると思ったのによォ>
内心勝ち誇る聖だが、参加している選手たちの殆どは自分以上に英語を使い熟している様子だった。少し意外だったのは、蓮司が英語でコーチと話すとき、普段より明るい印象で会話していたことだ。
「外国語だからかな。ニュアンスを補足するのに顔も使うっていうか、そもそも、コーチに失礼があったらって思うとさ」
「誰が相手でもそういうの大事にすればいいのに」
「オマエ、意外と口うるさいのな」
練習の合間の休憩でそんな会話をする聖と蓮司。知り合った当初は露骨に敵意を向けられていた聖だったが、いつの間にか軽口を言い合える程度には蓮司と打ち解けることができるようになっていた。
「蓮司センパイ、聖センパイ、お久しぶりっす」
聖と蓮司が話していると、人懐こそうな笑みを浮かべた大柄な少年が話しかけてきた。5月の連休に参加した団体戦の決勝で当たったチームメンバーの1人、東雲挑夢だった。
「よぅ、結局来れたんだなオマエ」
「お陰様で! あの後出た大会で優勝したんで推薦もらいました!」
挑夢は元々ATC所属だったらしいが、訳あって今は榎歌というフリーのテニスコーチの元で指導を受けている。『太陽チャレンジ』は基本的に実績を元に参加者を選出する。どうやら挑夢もその機会を得ることができたようだった。
「マサキさんとかデカリョウさんとかはいないんすか?」
「あいつら前に出てるから。今回は初参加の選手ばっかのはずだぜ」
「あれ、蓮司センパイ初ッスか? 中学んときは?」
「怪我してたからな。出ても良かったけど、自重してたんだよ。ところで」
蓮司は少し声を落とし、目線をコートの片隅で不機嫌そうに座っている少年に向けてから言った。
「あいつ、誰。モノストーンっての。まさか、もしかするワケ?」
「そっす。元プロ選手モノストーンの子供です」
聖は誰のことだろうと2人の会話に聞き入る。どうやら、モノストーンという少年は名の知れたプロ選手の息子らしい。リュシー・モノストーンという選手の名前を、聖は聞いたことがなかった。
「強い選手だったの?」
「んまァな。グランドスラムのタイトルこそなかったけど、ATPランクはトップ10入りしてたから、強かったのは確か。だけど、名前が知れ渡ったのは強さが理由じゃない」
少し複雑そうな表情を浮かべた蓮司がその理由を口にしようとしたタイミングで、空知太陽の「集合!」という鋭い声がコートに響いた。会話を中断して兵隊のような機敏さで集まる選手たち。ただ一人、モノストーンだけが相変わらずかったるそうに歩いて輪に加わっていた。
★
練習を終え、選手たちは大浴場で汗を流し夕食を済ませると、今度はミーティングルームに集められて座学が始まった。世界で戦うプロになる為に必要な心構えであったり、現在のプロテニス界隈の常識であったり、空知太陽が戦ってきた頃と今の違いなど、話は多岐に及んだ。また、コーチ陣も含めた参加メンバー同士の交流を深めるためにお題を決めて英語で自分の話をするなど、聖は高校の授業とはまた異なる新鮮なプログラムを体験した。途中からかなり脱線し、ただの交流会になったが、どうやらそれはそれで目的の1つでもあったらしい。
「尊睦、英語なのにちょっと関西訛り出てるぞ」
「ホンマですか〜? めっちゃ綺麗に発音してますよ〜。マイネームイズ阿賀野~↓」
「ホラ、イントネーションが関西弁だよ」
「なんでそんな器用やねん。英語の成績1やのに」
「オイ能代バラすなや」
「コイツ国語も2やで」
「矢矧オマエ覚えとけよ~」
「自分で覚えとけや鳥頭」
「あとでしばいたるからな酒匂」
「もうお前ら4人、プロテニス選手じゃなくて漫才師になれ!」
「ほな太陽さんコネで事務所紹介してくださいよ~Mー1目指しますわ」
「よし今の英語で言ってみろ」
「え、あ~、ぷ、プリ~ズギブミーコネ~?↓」
「ほらやっぱり関西訛り入っとるがな」
ATCのノリで多少慣れていたせいか、それとも普段接しない関西弁がやけに面白かったせいか、聖も蓮司も普段以上に笑顔を見せ、遠慮なく口を挟みながら交流していた。しかし、その場にモノストーンの姿はなかった。
★
「あ〜しんど〜。初日からこないしんどい思わんかったわ~」
聖と同室のメンバーである阿賀野尊睦が、こてこての関西弁で言った。聖は関西弁にあまり馴染みがないせいで、彼の一言一言が全て冗談に聞こえてしまい、どうにもおかしくて笑いのツボに入り易い。
「まだ23時やんけ〜。ペイチャンネル見ようや。誰かカード買うてきてや」
「ついでにビールとつまみもな〜。なんなら隣行って女子連れてきて~」
「いいからもう寝ろよお前ら」
関西勢に遠慮なく言い放つ蓮司。聖と蓮司のほか同室になった4人は、全員が関西からの参加者だ。練習中は真剣そのものだったが、コートを離れてからは口を開けば冗談ばかり言っている。いや、正直どこからが冗談でどこからが本気なのかも聖にはよく分からないのだが。
激しい練習をして、食事をして身体を休め、できたばかりの友達と笑った一日だった。眠気は全くなかったのだが、布団のうえに寝転がると途端に睡魔が襲ってくる。雑談しているルームメイトの声が徐々に遠くなっていく中、ふと、聖の脳裏に苛立たし気な表情を浮かべる少年の顔が浮かんだ。
「蓮司」
「あん?」
「コートで、モノストーン選手のさ」
「あぁ、あの話ね。ま、あんま良い話じゃないけどさ」
蓮司が話そうとすると、途中で阿賀野たちが割って入った。
「おぉ、アイツなんかめっちゃナマイキそうやん。ピアスしてるし」
「IMG所属いうてたなぁ。国籍日本なん?アメリカなん?」
「っちゅーか、あの態度でなんで太陽さんたち何もいわへんの? VIPなん?」
「プロの子供いうてもなぁ。GS獲ってるワケでもないし」
「仮に獲れてもアカンかったやろ。はく奪されんのがオチちゃう?」
「やんな」
はく奪?気になる単語が聞こえたが、聖の意識は既に半分以上睡魔に奪われている。
「前は応援してたんやけどなぁ。残念やわ。ドーピングで永久追放なんて」
続く




