6 燭台の炎
部屋を出ると、薄暗い通路で、腰の折り曲がった執事が火の灯った燭台を手に、待ち構えていた。
燭台の炎で、顔のシワの一つ一つまでが克明に映し出されている。
彼の口がそっと開かれた。
「こちらでご宿泊されると伺っております。お部屋にご案内しますので、どうぞこちらに」
石の建物に溶け込むような静かな声だ。
断る理由もないので、魔女は素直に後をついていく。
書斎のすぐ脇にある石階段を登る。執事の影を蝋燭の灯りが映し出し、火のゆれとともに、影の方もななめ後ろにちらちら揺れる。この老執事は健脚だった。そして親切でもあった。ソルシエールが息が切れたのに気がつくと、立ち止まって待ってくれる。
ようやく到着した中庭に面した三階の通路は、他よりいくばくか明るく、差し込んだ夕日がゲストルームを照らしていた。
「エラ嬢の最後の目撃情報はこの辺ですか?」
魔女の質問に、老執事が頷く。
「そんなことまでお分かりになるのですね。ピエールさまのご指示で、魔女さまのお部屋は、最後にエラお嬢さまのいらっしゃった部屋のお隣でございます」
「…それはどうも。先にその部屋を見せていただいても?」
「もちろんでございます。こちらがお泊りいただくお部屋です。バスルームが付いているので、ご自由にお使いください」
「すごいな、すべての部屋に付いているんですか?」
「いいえ、そういうわけではないのですが…城を改装された先先代の当主が客人を招くのがお好きな方でしたので、そうした方に気楽にくつろいでいただけるよう浴室つきの部屋が多くなるよう設計されたのだそうです。さて、右手側の部屋ですが、こちらはお連れの赤ずきん樣のお部屋です。また、お食事は必要な時におっしゃってください。ご用意いたします」
簡素な説明の後、少し言い淀んだ執事が付け加えた。
「エラお嬢さまがいらっしゃった部屋はこちらの左隣でございます」
執事が扉を押し開ける。
魔女は部屋を見回した。
案内された部屋は、ごくごく平凡なものだった。
派手でもないし、地味でもない。ただの客室だ。これより豪奢な部屋の持ち主はブルジョワ層であればいくらでもいるはずだ。
しいて言うならこの部屋に限らず、この城自体が古くから続く家特有の品の良さを漂わせている。くねくねした廊下やデコボコな壁、入り組んだ屋敷の構造の方に来客の目は行きがちだが、寝台やクローゼットなど使用されている家具は質の高いものが多い。そこはやはり元貴族だからなのだろう。この場所は、人が長年歴史を積み重ねてきた場所なのだ。
そしてその歴史の分、どこか色褪せて淡白な印象を与える。あるいはモノクロームとでも言おうか。唯一、はっきりと発色していたのは、あの庭の百合ぐらいなものだ。
ソルシエールは隅々まで確認したが、特別、不審な点はない。もちろん、部屋には抜け穴のようなものもなかった。
続いて浴室を覗く。ほのかな香りにソルシエールは眉をあげた。
「…ラベンダー?」
「なにか、匂いますでしょうか?」
執事には嗅ぎとれなかったらしい。ソルシエールは首を横にふる。
どのみち、令嬢の失踪から二週間経過していることを考慮すると、関係がある可能性は低いものだ。匂いがそんなに残っているわけもない。
「なにか、分かりましたか?」
さっそくとばかりに、期待を滲ませる執事の声に、ソルシエールは視線を下げた。
「魔法の残滓があります」
「と言いますと?」
「ここでなんらかの魔法が発動したということです。種類までは分かりません。それなのに、魔法使いの存在を感じない。ヘンですが、今のところは、それだけです」
執事が無言で首を横に振った。
魔女が質問する。
「あなたはエラ嬢が消えた日、この城にいましたか?」
「ええ、エラお嬢さまがこの城にいらっしゃった日、ちょうど収穫祭の日でございました、彼女をこのゲストルームにご案内したのはわたくしです。その後、お嬢さまがお話をしたいということで、彼女と仲のいい使用人を呼びました。わたくしはそこで抜け、二人は少し話をしたのだそうです。その後、エラお嬢さまはお加減がすぐれなかったようで、このメイドが頭痛薬を持ってくるために五分ほど席を外したところ、戻ってきた時にはすでにいなかったと聞いています」
執事は言葉を絞り出すようにして語る。
もしかしたら自責の念を感じているのかもしれない。
そんな風にソルシエールは感じた。
「他のだれかがついていれば、このような事態は防げたかもしれないのですが…」
「五分では、この館から出ることはむずかしいですね」
「……その通りです。通常、裏口は鍵がかけられており、橋には常に警備のものが控えております。エラお嬢さまが消えた日も、それは同様です」
「その使用人に会うことはできますか?」
「ジュリーですか、はい、麓の街からの唯一の通いの使用人ですが、今日も城に来ております。呼びましょうか?」
「いえ、先に持ってきた荷物の整理をしたいので、あとでこちらから伺いますよ」
「左様でございますか。他にお手伝いできることはありますでしょうか?」
「そうですね」
魔女はずっと気になっていたことを聞いた。
「エラ嬢はどんな人物ですか?」
「それは、……背まで伸ばした金の御髪に、目は……………………あれ?」
王が寄越した資料には、写真が挟み込まれていたのを思い出す。
ピエールと並んで写るエラ嬢のものだ。
それが彼女が生涯で撮った唯一の写真であるらしい。
ソルシエールはうっすらほほ笑んだ。
「写真を拝見しました。おきれいな方ですね。しかしそうではなく、どのような気質の方なんでしょうか?」
老執事はすこし言い淀んだようだった。
「……しっかりした方でした。裕福な家の出のご令嬢にはめずらしく、人に指示を出すことに慣れていなかったようでして、その分、ご自分で抱え込んでしまう面もありましたが、ご聡明で、おやさしい方でした」
「そうですか、では最後に。この事件の原因に心当たりはありますか?」
老執事は、その質問に、突然、一切の感情の表出をやめたようだった。
もとより職業柄、感情を隠すのに長けているのだろうが、どこか感じていた焦りや、痛切な哀願の感情が、唐突に消えた。
代わりに、なにを考えているのか分からない、穴でも穿ったかのような虚ろな瞳でじっと魔女を見つめ、そして、返した。
「いいえ。なにも」
(おまけ・その5)
ルイ・シャンティエの娘だという女性が赤ん坊を腕の中であやしながら、質問に答える。
「それじゃあ、普段のお父さんの様子に変わったところはなかったんだね?」
相棒の確認に、女性は頷いた。
「そうです。父はいつだって信心深くて、真面目な人ですから。朝、起きる時間。朝食の時間。パン屋に行く時間。そういうのはいつだって決まっているんです。ルーティンが崩れたのは、五年前にあたしの母が亡くなったときくらいじゃないかしら」
「それじゃあ、お父さんが行きそうな場所に心当たりはない?」
女性は少し思案した後、首を横にふる。
「そうですか。ありがとうございました」
「いいえ、どうか父を見つけてください。初孫なんですよ、この子。会わせてあげたいの」
そう、うっすら微笑んだ。