名探偵みなを集めて”さて”と言い。エピローグ。
ソルシエールは陽気な声でずかずかテーブルまで近づくと、懐から瓶を取り出して見せた。
ちゃぷん、瓶の中の液体が音を立てる。
白雪が目をまんまるにする。
「まあ! なんだかとっても変わった形をした方ね!」
ソルシエールは赤ずきんを見て、少しばかり冷ややかに笑みを浮かべた。
「おやまあ、こんなところで会うとは。なにをしているのかな」
「べつに……」
赤ずきんがどこかそっけなく言う。
白雪は反対に、ソルシエールの手を引く。
「わたくしが招待したのよ。うふふ驚いた?」
ソルシエールは白雪にほほ笑む。
「ええ、とても。白雪……、なにしているんです? 魔女の弟子に手を出すなんて。シャルルが知ったら嫉妬で怒り狂うでしょうね。愉快です」
「なにも。ただ、楽しくおしゃべりしていただけ。お兄ちゃんは知らないわ。ねえ、会えてうれしい、ソルシエール」
白雪がふわりとソルシエールを抱きしめる。
上品な香りがする。
「どうしたんです? 子供みたいに」
呆れるソルシエールの耳元に囁やく。
「ふふ、これでわたくし、秘密の共有者よ。あなたの本命を探るのに苦労したわ」
「私に秘密なんてありませんよ。本命もいない。すべて、いつだってあなたのものです」
白雪は軽い笑い声を上げる。
「まあ、うそつき!」
「嘘なんてついた事ないのに」
ソルシエールは嘆き、そっと抱きしめ返す。
白雪はパッと身を離すと、赤ずきんとソルシエールを見比べ、ソルシエールの手を握って問う。
「わたくし、シャルルと一緒でとても幸せなの。
ねえ、ソルシエール。子供はその単純さで変わらずあなたを慕い続けるわ。だからその子をそばに置くの?」
白雪は、ソルシエールを笑う。
ソルシエールは苦笑した。
「相変わらずですね、……あなたは」
白雪のささいな行動は、いとも簡単に他者を惑わす。
白雪には、その自覚がある。
だからソルシエールも笑う。
なんて無邪気で。
なんてイヤな奴なんだろう。
だからこそ、目を離せない。
「そんなことを言われるなんて。私ときたら真摯に愚直にあなたの幸せを願っているのに」
そんなことを嘯く。
「今日はね、いくつかの仕事を引き受けにきたんですよ」
来訪の理由を告げると、
「あら、それならこちらに寄らないでもよかったのよ」
「ここでお菓子を食べるのは、私の楽しみの一つなので」
「あいかわらず食いしん坊ね。ソルシエールは」
にこりと微笑む。
「ええ、そうなんです」
*
ソルシエールは、あの月の夜の晩、白雪と湖まで歩いた時のことを思い出す。
あれは、ソルシエールの人生の中でも稀に見るひどくてめちゃくちゃな提案をされた夜だった。
魂を捧げることを提案した白雪に、ソルシエール──、ハンスは笑った。
『ふふふ、ひどい提案だな。気に入った』
『でしょう? ねえ、わたくしに、呪われて?』
『…………ふふ。だめだよ』
思わず目を細めたハンスに白雪の瞳に抑えきれない怒りが宿る。
『……どうして?』
『いつか後悔するよ。魔法使いなんかと関わるんじゃなかったって』
『後悔なんてしないわ!』
『そうかな?』
『なんでそんな事いうの』
『君の声は甘く、惑わす。性悪め』
彼女の吐く言葉が、呼気が甘い。
感情の好悪は関係ない。
その毒のような感情が自らに向けられるのが、たまらなく愉快な気持ちになる。
『ひどい』
そっと白雪の頬をなでる。
『そう怒らないで、お姫様。私が君になれないように、君も私にはなれない。君の自由にはならないのが気に食わないんだろ。分かってるくせに』
『そうだけど……、そうだけど』
決めたのは白雪だ。
『私は君に助けられた』
自分が知ることができない自由が存在することが許せない。だからこそ、白雪はハンスから目を逸らすことができないのだろう。
『これは、もう破棄できない』
結果なんてどうでもいい。
ただ、その感情の激しさを見ていたい。
ハンスの瞳に愉悦が滲む。
『さあ、影をちょうだい』
ハンスがそっと白雪の頬にキスを贈る。
『ねえ、白雪。私たちは円環的因果律の関係にある。だから、永遠に関係が変わることはない。きっとね』
たった十年。
それとももう十年だろうか。
白雪とソルシエールは再会した。でも、いつのまにかソルシエールは変容している。きっと、白雪もそうなのだろう。
人間が人間である限り、一箇所に留まり続けることはできないのだ。
魔法使いも例外ではない。
ソルシエールは白雪に笑いかける。
「ねえ、白雪」
「なあに、ソルシエール」
なんていい子な返事なんだろう。
反対に、なんてソルシエールは悪者みたいなんだろう。
その唇に一瞬、そっと触れる。
「わるい子」
「まあ、ひどい」
軽やかな笑い声。
「王党派って本当、いいタイミングで動きましたよね。ちょうどあなたが国に来たくらいに」
「そうかしら?」
「そしてシャルルは解放され、騒ぎが収まると同時に、危険分子は排除された」
「だって、あなたたちが動いたんだもの。当然じゃない」
「子供が犠牲になりましたよ」
王党派に都合よく使い捨てられた子供を思い出す。あの二人の子供は、生きていれば赤ずきんと同じくらいかすこし下くらいだろうか。
「……あれはね、心が痛むわ。わたくし、だれかを犠牲にするつもりはなかったのよ」
「つまり?」
「わたくしの影響が、どういう形で伝播し、どういう動きになるのか細かいところまで分からなかった。誰かを、特に子供は、殺す気がなかったのは本当よ。あんな可哀想な……、」
悲しそうな顔をしている。
「そうでしょうね。あなたがそう言うのなら」
「信じてくれる……?」
「もちろん」
ソルシエールはほほ笑む。
「そう。あの時は未熟なりに無我夢中で、その結果が齎すものを考えてさえいなかったわ。今なら、もっとうまくやれる。ねえ。ソルシエール……、昔のあなたなら、こんなこと、聞かなかった。そう思わない?」
「私が魔法の中にいるように、あなたは政治の中にいる。あなたは自分にできることをしただけでしょう。魔法も政治もきっと原則は一緒です。代償が、つきものです。ただ罪悪感を抱いていればいいというものでもないというだけで」
王妃らしくもなく、きゅ、と唇を噛む。
それからいじらしい少女のように流し目でソルシエールを見た。
「…いじわるね。わたくし、代償は払っているわ。それなのに、あなたはちっともわたくしのものにならない」
「払ったって、影じゃないですか。満ち欠けするもの。三年も経たないうちに取り戻したでしょう?」
「わたくしは何をあげてもよかったのに、あなたが許してくれなかったのじゃない」
「だって全部貰わなくても、願いは叶えられたでしょう?」
「……わたくし、パン屋さんと結婚したかったわ。でも思い出したの。わたくし、ぜんぶ手に入れたい人間なの。ねえ、ハンス、」
とんでもないことを言い出しかねない白雪に、ソルシエールは待ったをかけた。
「……実はそれ、兄のものなんですよね」
「ならわたくし、あなたのお兄様と恋に落ちるべきだったかしら」
むきになって、駄々をこねる子供のようなことを言い始めた白雪に、ソルシエールは呆れた。
「いいえ。兄は私と同じくらい流動的で、あなたと同じくらい構造的だ。いい結果は生み出さないでしょう。それに、シャルルは良い人でしょう?」
この質問はお気に召したらしく、少女のようににっこり微笑んだ。
「ええ、暗闇の中で煌めく星。深い海の底に差し込む陽光。わたくしの王はそういう人よ。そしてかわいいパン屋さん」
「ノロケですか」
「ちがうわ。もう!」
本気で照れている。
ソルシエールは時間を確認するふりをした。
「白雪、そろそろ失礼してもよろしいでしょうか」
「まあ、もう? 不敬ね」
「ええ、嫉妬深い人が来ないうちに退散するのが吉です。どうぞまたお茶会に誘ってください。今度は甘いイチゴの乗ったタルトがいい。さて、弟子も一緒に連れ帰っても?」
「ええ、かまわないわ」
「さあ、弟子。お姉さんと一緒に帰るよ!」
赤ずきんの肩に、宙に浮いたソルシエールが有無を言わさず、後ろから抱きつくように腕を回す。
「それでは失礼!」
小さな旋風を巻き起こした次の瞬間、二人の姿は白雪の視界から消えていた。白雪は思わず笑い声を上げた。
「わたくしを攫ってはくれなかったくせに。せっかちね。ソルシエール」
*
その夜、赤ずきんはソルシエールの家に泊まっていくと言って聞かなかった。別に断る理由もなかったので、そのまま寝床を明け渡す。台所に敷物をしいて寝るために階下に降りようとするソルシエールの袖を掴んで離さなかったのだ。
「いかないで。そばにいて」
真剣な眼差しに、ソルシエールは否応無しに頷いた。
「ねえ、師匠。俺のこと、好き?」
「……。好きだよ。大事に思っているし、愛おしいと思っている」
「師匠、忘れないでほしいんだ。おれも師匠のこと、大事だってこと」
「知ってるよ。よく、知ってる」
それから、ソルシエールは袖を掴まれたまま、本を読みはじめた。
それは、一冊の詩集だった。
『
王様になった気分はどうだい
何でもお前の思い通り 偽りの世界の中で
奴隷になった気分はどうだい
虐げられた民 与えられた餌 貪り喰らえ
王様は神様になろうと太陽に手を伸ばし
奴隷は死神になろうと夜の闇に紛れた
壊れかけた時間 中途半端に転がる夢 』
散っていったたくさんの魂を思う。
革命なんて、性懲りも無く歴史の中で幾度となく繰り返されてきた。なにも特別なことじゃない。革命だけじゃない、戦争も、虐殺も、暴力も、ただの繰り返しの一コマに過ぎないのだ。なんて、つまらないのだろう。
時折、金のさらさらした髪をなでると、彼は珍しくおとなしくそれを受け入れた。
眠っていたのかもしれない。
ソルシエールは思う。
窓から、ガラスごしに月の穏やかな光がふりそそぐ。
もうすぐ、春だ。
春が来たら、いままでがそうであったように、夏が来て、秋、冬と時が巡るだろう。赤ずきんはどんどん変わるにちがいない。ソルシエールもまた、そうであるように。
繰り返しの円環ではなく、螺旋構造にソルシエールたちはいるのだ。
ふと、ページを捲る手を止めて、本を閉じると、ソルシエールは立ち上がる。袖は、赤ずきんの手の中からするすると抜けた。大きく伸びをする。
それから赤ずきんの髪を軽くなでた。
「君はすごいね。生き急がなくていいのに」
目を細め、眠る赤ずきんを見つめる。
体が呼吸に合わせてゆるやかに上下している。
「君の子供時代はもうすぐ終わる。そりゃ、子供である事は、ときに大変かもしれないけれど」
そのほっぺたを軽くつまむ。
出会ったときにはふにふにしていたのに、いつの間にか、硬くなった。ソルシエールはほほ笑む。
「いつか君の宝を返すよ。でも、どうか、ゆっくりと大人になって。君が、君だけの特別な時間を謳歌できますように」
その額にそっとキスを一つ落として、ソルシエールは自分の寝床に降りていった。
『詳しくは、仰りませんでしたが、あなたなら、穏やかな死に導けると』
階段を降りながら、湖畔でのアーノルドの言葉を思い出し、ソルシエールは嗤う。
魔法の領域。
そこに生息する活動家たちがなにやら余計な事をしているらしい。
星つぼの呪い。
人間の短いようで長い歴史の間には、人為的に事を起こさなくても、呪いが吹き溜まる事がある。それは、人間が醜悪だからでも、理性を失った獣だからでもない。ただ、そういうものなのだ。歴史はいつだって一本調子ではすすまない。
たかが人に、その流れを止めることは困難だろう。
でも、それを加速させることはきっと、止めるよりは容易い。
人が呪いを撒き散らし、災厄に成り果てる未来。
呪いに巻き込まれた人間もまた、呪いを撒き散らすようになる。人類全体が呪われようとしているのだろうか。
そんなものを意図して煽るだなんて、なんて人間らしいのだろう。
人間に破滅をもたらすほどの絶望。ソルシエールには、それがなんとなく、分かる気がする。それは、いつだって人間の辿りうる道の一つであるからだ。
でも。
ソルシエールはこの世にうつくしいものがある事を知っている。
そのうつくしいものの目には世界が輝いて見えていることも。
ソルシエールは世界の破壊を望まない。
その目を通してうつくしいものを見て、満たされようとしている自分のために。ソルシエールは、ソルシエールのために、世界が呪いで満ちるのを望まないのだ。
『
明日の風 ナイフかペンか どちらかを選べ
身動きできない夜を殺し
消える事の無いクラシックを残せ 』
詩の引用 : https://x.com/AritaSeiji
ご本人のHP : https://note.com/seiji_arita
Seiji Aritaさん
四年前、Twitterでコラボをお願いしたことにより、引用させていただきました。
ご本人の了承をいただいています。
みんなの周りには白雪みたいな人いますか?
いるよね、こういう天使みたいな人。
ぼんやりしているうちに年をとり、若さと勢いを失い、いつの間にかなろう小説にとしてはあまりに陰鬱すぎる作品になったような気がします。予想外です。
テーマ的に関係がないのに、政治を入れてしまったばっかりに……! くッ!
四年かかりましたが、完結できてともかく嬉しい☺️
次章は、私が高校生の時に一番書きたかったけど、辿りつかなかった章です。あの時の熱量で書けるかしらん。
政治を抜きに、赤ずきんとソルシエールの出会い(暗めだけど)と、あとひたすら私がすきなことを書く予定です。絵画とか、幻想とか、物語とか。
きっときっと今度こそ本物の冒険譚です。
そして、魔法使いたちの領域、本領発揮の話。
世界はたのしくて、遊び尽くすところだって。
もともとそういうメッセージを込めたくて、物語を作りはじめたはずなんだ。
いつのまにか、立ちあがる話になってました。
おかしいなあ。
とにかく美しいものを閉じ込めてみたいと思います。
次回、ソルシエール弟子をとる!一部切り抜き。
“君の話。赤ずきん編。そして、魔女の不在。”
ある日、突然魔女の家に現れた、五、六歳にも満たないだろう小さなやせっぽっちの女の子。
彼女がソルシエールを見上げた。
「おや。君はどうやってここまで来たのかな」
ぎこちなく微笑むソルシエールに幼い少女は無邪気に笑って見せた。
「あたし、ケノンって言うの! どうしてもここに来たかったから、たどり着きますように願いながら歩いたの! 魔法の勉強をたくさんしたの、ねえ弟子にして!」
「ごめんね、私はむやみやたらに弟子を取らないんだ。めんどくさいし。毎日のご飯を用意しなくちゃいけないじゃないか」
「ひどい!」
「ほら、街まで送って行ってあげよう、おいで」
「どうして、選り好みじゃない」
「そうだよ」
「あたし、子供なのに?」
「よかったね、一つ学べた。大人に期待しすぎないことだ。君だって自分の友達は選ぶだろう? 魔法使いはね、自分の気に入った相手しか愛さないし、誰これ構わず弟子にするわけじゃない」
「うそよ! だってあなたは子供たちの味方だって聞いたわ!」
「だれに聞いたのかな?」
「だれだっていいじゃない!」
少女はヒステリックな叫び声をあげると、じんわりとその目のふちに涙を浮かべた。
「あたし、友達なんていないわ」
「まあそういう事もある」
「家族もいないの」
「泣き落とそうとしないでくれるかな」
「あたし、だれにも愛されていないの」
「なにをやらかしたの」
「なにも」
その涙の山は決壊し、とうとうついに、その目から涙がすうっとこぼれ落ちた。
「ひとりぼっちなのぉ」
それから少女は実に一時間もの間泣き喚いた。
泣き喚いて、地面の上に寝転がりその両手を陸に引き上げられた魚のようにじたばた動かした。
その間、ソルシエールは無感情にその様子を眺めていたが、いつまでも泣き止まないのを見てとると、はあと大きなため息をついた。
「しようがない子だなあ。その手がいつでも通じると思うなよ」
「うわああん。ああああああ」
「うるさい。ほら、立ち上がるんだ」
「弟子にしてくれる?」
「弟子にしてあげる」
その言葉に、たちまちぱあ、と少女が顔を輝かせた。
ソルシエールは手を差し出す。
「ほんと?!」
ソルシエールの手を取ることなく、ぱっと立ち上がる。
そのいかにも現金な様子にソルシエールは思わず慌てて釘をさした。
「弟子にしてあげる。その代わり、『魔女の契約』をしよう。師匠は弟子を大切に扱う、弟子は師匠の言うことに逆らわないこと。分かった?」
「分かったわ!」
どさ、と音がする。
少女とソルシエールが振り返ると、赤ずきんが真っ青な顔をして立っていたのだった。
地面にはたくさんのみかんがころころと転がっていた。
みたいな事があるかもしれない。
ないかもしれない。
いろんな絵画の中に赤ずきんとソルシエールが潜る話です。この章よりもっと明るいというか楽しいです。たぶん。




