そして現在。三百年の呪いの被害者。
周辺を見回りしていると、ソルシエールは見知った男を川辺で見つけた。
川の水に惹かれたように手を伸ばす男に声をかける。
「その川は、魂を誘う。触らない方がいい」
「えっ」
声をかけられた男、アーノルドはすっとんきょうな声をあげた。
「ふふ、ウソです」
「なんだ、よかった」
笑顔を作るソルシエールに合わせるように、アーノルドもにこにこと笑う。
「こんにちは。ソルシエールさん」
犬のように人懐こそうに、スッと目を細めてソルシエールを見つめるその顔は、どこか疲れて、無理しているように見える。
それもそうだろう。
ここはソルシエールの家のすぐ横だ。
ここには、そういう人間しか来られない。
「お茶でも飲みます?」
提案するが、アーノルドは笑顔のまま無言だ。
なにかを言い淀んでいる。
「最近、どうですか?」
「ええ、まあ」
その質問には、かろうじて頷いた。
「……すこし、歩きましょうか。ちかくにとっておきの昼寝スポットがあるんです。腰を下ろすくらいはできますよ」
二人でつれだってゆっくりと移動する。
口実は散歩でも茶でもなんでもよかった。
アーノルドが声を発した。
「ソルシエールさんと以前契約をした時、あなたはおれに二つのことを求めましたね」
「今更、なんの話です? もう終わったことでしょう?」
警戒するソルシエールにかまわず続ける。
「『なにが起きても口を閉ざしていること』。そして、『弟子の情報は喋らないこと』。報告書を読む人の注意をできるだけ他に逸らすようにするのは、すこし、大変だった」
「いやあ、守っていただけて助かりましたよ。いつもなんでそんなに弟子を取るのかと方々から文句を言われるのでね」
アーノルドが悲しそうにほほ笑んだ。
「ソルシエールさんは、ふしぎな人ですね。陛下は、あなたに末長くこの国に留まってもらいたいようだ」
「……あなたみたいな人が、あの人は好きだから。声をかけるならやがてはあなたに行くと思った。鎖につないでおかないと不安なんだ、小心だな」
皮肉に笑うソルシエールの前に回り込み、アーノルドが片足を跪いた。小箱を開くと指輪を差し出す。
「あなたが好きです。おれではダメですか? あなたを幸せにします」
ソルシエールはゆったりと首を横にふる。
「私はあなたの事をよく知らない」
とりあえずもっともらしい事を言ってみるが、そんなもの、当然数秒の時間稼ぎにしかならない。案の定、アーノルドは言い切った。
「では、ゆっくり知っていただきます。問題ないでしょう?」
ソルシエールはため息をつく。
それからアーノルドの顔をのぞきこんだ。
目の下の濃いクマを一瞬だけそっと指先でなぞる。アーノルドは一瞬体を硬直させるが、それでもギクシャクした笑みを浮かべてみせた。
ソルシエールはそっと問いかける。
「なにが望みですか? あなたは、私を通して、なにを見ている?」
ソルシエールを見つめる茶色の瞳が戸惑うように揺れる。
抗うようにアーノルドは静かに問い返した。
「ソルシエールさんは、どうして赤ずきんが好きなんですか?」
その声はかすれている。
「好き?」
「気に入っているでしょう?」
「それはまあ。他のすべての弟子と同じくらいには」
「一体、どんな事をすれば魔女であるあなたに好かれるんでしょう」
「熱烈な口説き文句ですね」
「身を窶した王子であるとか?」
縋る言葉の末の冗談のような言葉に思わずソルシエールは苦笑した。
「そんな都合のいい存在であったらどんなにいいか」
「多くの女性の夢でしょう。あるいはとても強大な力を持っているのかも」
「どちらもそれだけで好きになり切るには、あまりに人は複雑では?」
「では、なぜ? 彼はあなたのコレクションになり得て、自分ではダメですか?」
アーノルドの瞳はいつの間にか熱に浮かされたように必死だ。
ソルシエールは昔を思い出す。
「私はうつくしいものが好きなのでね」
適当な軽口に、アーノルドは途端に顔を曇らせた。
「自分は、まあ、うつくしくないですが、……あなたのために命を賭けるくらいしてみせますよ」
「いいえ。あなたはうつくしいですよ。私の言葉に簡単に惑わされないで」
ふんわりしたソルシエールの言葉に、アーノルドが俯いてしまう。
その姿に罪悪感を刺激されて、ソルシエールは両手を上げて肩をすくめる。
「……プリミティブな生き方でしょうか」
「プリミティブ?」
「彼は、あり方がシンプルなので」
ソルシエールはうっすら微笑みを浮かべる。
「それをたのしいと、私は思う」
頭の奥の方がかすかに痛む。
罪悪感。感じているのはそれだった。
不可思議なものを見るように、アーノルドはぽかんとしてソルシエールを見上げた。
「そんな人間は脆弱でしょう。もし、彼が立身出世をして、贅沢を尽くした暮らしがしたいと言ったらどうするんです?」
ソルシエールは軽く笑う。
「それが彼の望みなら、そうするべきです。私に彼を縛り付ける権利はありません」
「意見を言う気もない?」
「さあ、どうでしょう」
ソルシエールは、とある事を尋ねようとして、やっぱりやめた。
だって、あまりにも子供じみた質問のような気がしたからだ。きっと、それは普通ならあまりにも自然にできるようになるはずの事なんだろう。
ソルシエールがそれを知らないだけで。
だから、黙って肩をすくめた。
「そういえば先ほど赤ずきんと会いまして」
すこしの沈黙の後、片膝をついたまま、アーノルドが言う。
どこか挑発的な言い方だった。
「はあ」
「そこの避暑地からの使いが来ていたので、彼を馬車に乗せましたよ」
「……それはどうも」
ソルシエールは天を見上げて顔をしかめた。
空が曇っている。
ソルシエールがその場から動こうとしないのを見て、アーノルドが自嘲めいた笑いを浮かべる。
「行かないんですか?」
「とって食われたりはしないでしょう。求婚してくれる人をほっていくほど、私も常識知らずじゃありませんよ」
「好意もない相手に慈悲ですか?」
「あのねえ」
観察するように見つめられているのを感じて、ソルシエールは赤ずきんにするようにその頬を引っ張った。
「なにふるんですか」
それなりに力は込めているのだが、痛くないのだろうか。ただただ困惑するような声を出す。
ソルシエールはパッと手を離すと、
「厄払いです」
と適当な事を言った。
ところで、と切り出す。
「私はあなたに口を閉ざすことを求めた。閉じ込められた言葉には吐き出し口が必要です」
「そういうもんですか?」
「ええそうです」
困惑したままのアーノルドに、言い聞かせるように、言い丸めるように言葉を紡ぐ。
「このままでは言葉は暴走して大爆発を起こすでしょう。魔法使いは契約が破綻しないように遵守しなければならない。だから、あなたが吐き出さなければいけない言葉は私が引き受けましょう」
「それは」
逡巡した後、硬い笑顔で頷いた。
「……なら、自分も契約を守らなくてはいけない、かな」
「ええぜひそうしてください」
ソルシエールはいつまでも跪いたままの相手を立たせると、お気に入りの昼寝スポットまで連れていく。
鬱蒼と茂った森の中に流れる小川。
そこを伝っていくと、木々の間からひときわ光が強く差し込む場所がある。そこだけはなぜか雨が降ることもなく、かといって水不足で植物が枯れることもなく青々としている。
二人は川に向かって、並んで腰を下ろした。
そうして、アーノルドが語り始める。
「言われたんです、陛下に。あなたなら、おれの望みを叶えてくれるだろうって」
「へぇ?」
ソルシエールは横を見る。
アーノルドはゆるやかに揺れる水面を見つめている。
「ソルシエールさん、俺の情報、知っているでしょう?」
たしかに、ソルエールは彼の情報を知っていた。
「マリルさんは、残念でしたね」
「幼馴染だったんです」
それきり、アーノルドが黙ってしまったので、ソルシエールはゆったりと言葉を探した。
「魔法で死者を蘇らせることはできません」
アーノルドが頷く。
「分かっています。実は、自分も、オーギュスターブ警部を見習って、あの後から、魔法についてそれなりに学習したんです。魔法では彼女の精神を治せないだろうことも、知りました」
「そうですか」
その横顔は暗く曇る。
目元のクマが際立った。
「彼女が死んで一ヶ月経つ。彼女の人生は悲惨なものでした。前半生は、弟の為に身を粉にして働き、弟を、……亡くした後は、精神を病んでしまった。自分は、そんな病気の彼女を利用したんです。彼女を守る事で、良い事をしている気分になれた。彼女は自分を信頼してくれていたのに」
アーノルドはほの暗い目のまま、遠くを見つめた。
「……もっと突き放せばよかった。無理矢理にでももっと治療を受けさせたらよかった。俺が一人になりたくなかったから、彼女は守られていなければいけなかった。だから、どんどん精神も体も衰弱するしかなくて、最期は肺炎であっけなく逝ってしまった。本当に、かわいそうなことをしました」
「仕事に加えて、病人の世話は大変だったでしょう。後悔していますか?」
首を横にふる。
本心だろうか。
「ただ、自分はもっともっと治療方法を探すべきだったかと思うのです。もっと他にできることがあったのかもしれない。自分に最善ができていたとは言い難い」
「医療もいろんな治療を試したのでしょう? そして、あなたが言った通り、芽が潰えてしまったものは、魔法では治すことができません。魔法は、伸ばしたり、縮めたりするものなので。むしろ、あなたの行いが彼女の命を事件から十三年、繋いでいたかと思いますよ」
絞り出すような震えた声。
「自分には、家族がだれもいません。……一人になるのがこわかっただけ。そんな気休め、」
「気休めではありません。嘘を言っても仕方がない。王はそれを餌に、アーノルドさんを私にけしかけたんですね」
「詳しくは、仰りませんでしたが、あなたなら、穏やかな死に導けると」
苦しげに眉を寄せる。
「……私の魔法は、そうした性質のものではありません。あれは、まやかしだ」
「そう、ですか」
ソルシエールはアーノルドに語りかけた。
「世界に一人になるのは、とても、怖いですね」
「……ええ。祖父は事故で死に、両親は自殺しました。俺には家族がいない。マリルがいなくなって、もし何かの拍子に俺が死んだら、だれもきっと俺を覚えていない。この世界に存在しなかったのと同じことになる。そう唐突に、考えたら、すべてが恐怖に」
アーノルドが喉を詰まらせる。
「ソルシエールさんに、近づいたものの、どうしても頼む勇気がもてなかった。マリルは、楽になれる。でも、まだ、どこかに、希望が、あるんじゃないかと、迷って……」
「それは、正しい判断でした。私ではなにもできなかった。ぜったいに。最後まで彼女に寄り添ったあなたはきっと、正しい」
「ははっ、そっか……」
視界の隅をアメンボが横切った。
今度はソルシエールがぼんやりと水の流れを見つめる。
膝を抱えて丸くなったアーノルドの精神が落ち着くまで、見つめていた。
どれくらい時間がたっただろうか。
ソルシエールは立ち上がる。ふわりとローブが膨らんだ。
「それでは。用事があるもので。失礼します」
「ええ」
アーノルドはどこか不安定な笑みを浮かべる。
そんなアーノルドにソルシエールは笑いかけた。
「また会いましょう」
「……いいんですか?」
「友人はお互いを訪問しあうものでしょう?」
ソルシエールが片目を瞑ると、アーノルドがぎこちない笑みを浮かべた。
最後にふと、気になったことを尋ねる。
「私はこの国から、当分出ていく予定はありません。どうしてわざわざ結婚なんて突飛な口実を用意したんです?」
「あなたに自分を認識してもらうには、きっと理解のできないものになるのが一番だと」
「ああ、なるほど。へたくそだなあ」
「やっぱり、そう思いますか」
「ええ、とても。そんな必要なかったのに」
「え?」
「城で『刑事でありたい』、と言った時から、アーノルドさんは私の中で一人の人間になっていましたよ」
アーノルドが目をほんの少し、見開く。
「それじゃあ、ほんとに、むだな努力をしたなあ」
それから、顔をくしゃくしゃにして、陽気な子犬のように無邪気に笑った。
*
「あなたが赤ずきんね。こんにちは」
避暑地でソルシエールの弟子を出迎えた白雪は、悠然と微笑む。
「外は寒かったかしら? それとも、あなた風邪を引いているのではなくて? 目元が赤いわ。とにかく、会えてうれしいわ」
矢継ぎ早な質問は、答える時間を与えない。案の定、赤ずきんは目を白黒とさせている。
「さあ、どうぞ。座って。温かいお茶を淹れましょう。あなた、だれかにお茶を淹れてもらったことはある?」
「いいえ。いつもは自分で」
緊張の入り混じった声。警戒しているが、敵意はない。ソルシエールから白雪の話を聞いているのだ。
「まあ。では今日はわたくしが」
人払いはとっくに済ませていた。
だれの邪魔もなく、王妃はこの少年と話をしてみたかった。
ポットを両手で支え、少年の前に置かれた茶器に注いでやる。
「どうぞ」
と声を掛けると、彼は軽くお辞儀をし、礼を言い紅茶に軽く口をつける。
「おいしい?」
にこにこと見つめると、ええ、と硬い声が返ってきた。
まず目が行くのは金の髪だろうか。それが意志が強そうな整った顔立ちのなかでも、とりわけ印象的な碧眼を引き立てている。
身なりに高級感こそ皆無だが、小綺麗で清潔感がある。時たま、寝癖を隠しきれずに白雪に会いに来る彼の師匠とはおおちがいだ。
まるで野生動物みたいだ。
それなら、白雪は得意だった。なぜか、昔から動物たちは白雪の言うことをよく聞く。
「やっぱり緊張しちゃうかしら。ごめんなさいね、急に呼んだりして」
「いえ。師匠のことで、お話があるということでしたので」
白雪は笑いかける。
「ええ、そうなの!」
白雪はソルシエールとの出会いを語ってみせた。
少年は「へえ!」とか「すごい!」とか、次第に瞳をきらきらさせて聞き入った。人好きのする少年だ。反対に、白雪がソルシエールについて尋ねると、当たり障りない返事をする如才のなさもあった。
やがて、二人の会話は、遠い国のおとぎ話にうつった。
「遠い東から伝わるウラシマ、という御伽噺を知っていて? いつかソルシエールが話してくれたの」
赤ずきんが首をふる。
「亀を助けた優しい少年が楽園に行く話よ。楽園に住む魔女に魅入られたウラシマは地上になかなか戻ることができないの」
「その話は特別なものなんですか?」
急な話題に、赤ずきんが不思議そうに尋ねる。
白雪はうなずく。
「ええ、もちろんよ。だってわたくしも、宝箱の中身を見てみたかったのだもの」
「え? それは実在するものなんですか?」
白雪は曖昧に微笑んだまま、赤ずきんに問いかける。
もちろん、返事はできないのを見越した上で、だ。
「ねえ、知っていて? ソルシエールの腿にはね、火傷の痕があるの」
いつか作ったコンポートの甘い匂い。
林檎。
白雪は一度、記憶を失った。
取り戻したのは生国の宮廷でのことだ。
あの脳の細胞一つ一つが揺り起こされたかのような衝撃を、白雪が忘れることはないだろう。あの時、白雪は、目を覚ましたのだ。
「ソルシエールのこと、もっと教えてあげましょうか?」
笑う白雪に、赤ずきんは遠慮がちに言った。
「師匠のことはなんでも知りたいと思っています。でも、本当の秘密は、本人から聞くのでだいじょうぶです」
さらに畳みかけようとしたところで、人払いをしたはずのティールームに入ってきた人物がいる。
この部屋に入って来れる人間は二人。
一人は、白雪の伴侶である国王。
もう一人は─────、
唇がおもわず弧を描く。
「やあやあやあやあ。聞いてくださいよ白雪。なんと式神を閉じ込めることに成功したんです。……一回逆に呪いをかけるの、やってみたかったんですよねえ」
そう、ソルシエールだ。
「あらいらっしゃい。ソルシエール。まっていたわ」
白雪は微笑んでこの闖入者を迎え入れた。
あと一話




