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魔法使いの旅立ち


 半年が過ぎたころ。


「けっして、ご無理はなさらぬように」


 医師が言った。

 その頃になると、シャルルは車椅子での多少の移動が可能になっていた。議会を説得するのも、国境や修道院まで行くのも、すべて、無理を超えた無理だったのだ。

 その無理が祟って、しばらく身動きが取れなかった。

 政治をするのに致命的、今回こそ頭と胴体が別れをつげるかと想定していたものの、議会は以外と意外と落ち着いていた。

 彼が倒れても、誰も慌てなかったのだ。

 会議は開かれ、法案は進み、街には平穏が戻りつつあった。


「あなたのいない国が、ようやく歩き出しましたね」


 と、医師が皮肉とも祈りともつかぬ声で言った。

 シャルルは笑った。


「それなら、ようやく本望ですよ」


 彼は机の上の書類を指先で押しやり、窓の外を見た。

 シャルルは、今や民のものになった王宮の一室を割り当てられ、そこで寝起きをしていた。日当たりのいい居室だ。




 しばらく後、シャルルと白雪は、いつかの庭で再会することになる。

 国の象徴となった王子と、調停の使者として。

 小さくシャルルの後をついてくるだけだった子供は、今やかわいらしい少女に変化していた。その姿を見て、シャルルは失われた時を想う。

 白雪は、


「お兄ちゃん」


 と昔のように言うと、淡く微笑んだ。

 シャルルも微笑み返す。


「君にふたたび会える日が来るなんて、思わなかった」


 ところが途端に、白雪が頬を赤く染め、気恥ずかしそうに俯いた。

 なにか無作法なことをしたかと内心慌てたシャルルに、白雪はそっと小さな包みを手渡した。


「これは?」

「ずっと渡せずにいたものなの」


 白雪が照れたように、囁く。

 シャルルが包みを開くと、そこには小さな銀のブローチがあった。

 中心には淡いアクアマリンが嵌め込まれている。

 光を受けるたび、青は海のように、風のように揺れた。


「きれいだ……」


 と、彼は思わず呟いた。

 伏せ目がちに白雪が説明する。


「もうすぐあなたの誕生日だったから。あなたのお母さまと一緒に石を選んで職人さんに作ってもらったのよ」



 シャルルの見開かれた瞳に、宝石が光を反射させた。 



 風が、庭の木々をやさしく揺らす。



 二人の途切れた物語は、ここからまた、再開された。 







 それからさらに幾日かあと。

 ふいにソルシエールが王宮のシャルルの部屋を訪れた。白雪とシャルルが一緒にいるのを見て、訝しそうな顔をした後、めざとくシャルルのブローチに目を留める。


「その胸元のブローチ、どうしたの?」


 シャルルが自慢げな顔をした。


「いいだろう。白雪がくれたんだ」

「へえ?」

「妬くなよ」

「妬いてない」


 魔法使いが呆れたように上に目を向けておどけて見せた。

 それから、自らのローブをばさっと払うと、意気揚々と宣言する。


「今日はさ、お別れを言いに来たんだ。他の場所にいくからね」


 シャルルはからかいの笑みを浮かべる。


「それでわざわざ挨拶に?」

「だってあんた、ぐちぐちうるさいから」


 そんなことを言う魔女にくすくすと笑みを漏らす。

 きっと、風を留めておくことはできないだろう。

 それでも、シャルルは念の為提案してみる。


「ねえ、この国のために働いたらどうだ? 報酬ははずむよ」

「イヤだね。案外国もケチだってことが、今回判明したからな」

「君が断ったんじゃないか。議会は魔法使いの村を作ってはどうかと君に提案したんだろう?」


 その言葉に分かってないなあ、という顔をした。


「そんな薬の材料にならないものいらないよ」

「だろうね。君はそれらを使えないだろうし」

「イヤミか。旅に出かけるんだ、私は」


 それから仕返し、とばかりににやりと笑みを浮かべた。


「でも、そうだな、どうしてもって言うなら、あんたの魂よこせよ」


 ただのいやがらせだ。

 本気で言っているわけではない。


「それは無理だな。僕の魂はこの国のものだから。だいたい、僕の魂などなにに使うつもりだい?」


 念の為、聞いてみる。


「ムカつくから細切れにして、薬の材料にする」


 案の定だった。


「悪の権化のようなセリフだな」

「それはひどい悪口だ」

「悪の権化に対してかい? それもそうだな」



「ねえ、シャルル。少しソルシエールとお話ししても?」


 話題が一段落したあたりで、白雪が声をかける。


「ああ、もちろんだとも。一緒に庭でも散歩しておいで」


 こうして、白雪とソルシエールの二人は、庭をぶらぶらと散歩し始めた。


「久しぶりね」


 白雪が笑いかける。

 ソルシエールは白雪に目を向けると、イタズラっぽく笑いかける。


「それで? 攫ってあげようか、お姫様?」


 冗談を装ってはいるが、返答によっては本当に拐われてしまいそうだ。白雪は、そっと頬を染める。


「ううん、あのね。なんだか、わたくし、お兄ちゃんの事、思ったより好きみたい」

「へえ?」


 白雪が頬を赤く染めて言う。


「だって、なんだか焼きたてのパンが似合うお顔なんだもの」


 ソルシエールは怪訝そうな顔をした。


「……そうかな」

「そうよ!」


 飲み込めないものを飲み込んだような顔をして、不思議そうに祝福を贈る。


「なんだかよく分からないけど。よかったね?」

「ええ。ありがとう」

「どうぞお幸せに」


 祝福に、白雪が耐えかねたように、そっとソルシエールの服の裾を掴んだ。


「行かないでハンス……、いいえ、ソルシエールになったのだったわね」

「なにを、いまさら……どうして?」

「ここにいればいいでしょう? だって言っていたじゃない。次にどこに行くかすら決まっていないって。お兄ちゃんも言っていたわ。あなたの為に戸籍を用意するって」


 ソルシエールはその手をやさしく引き剥がすと、そっと言った。


「決まっていないから、次に行くんだよ」

「あなた、一体なにがしたいのよ」


 その瞳が怒りを帯びる。

 ソルシエールはおっかない、と両手をあげる。


「君、あの王子と私とではなんか露骨に態度ちがくない?」

「そんなことはいいの! 質問に答えてちょうだい」


 答えによっては放さない、そんな口ぶりである。


 やれやれ、と首を振りながら、ソルシエールはふわりと宙に浮き上がった。

 逃げるつもりなのだ。

 白雪が気づいた時には、もう遅い。

 手の届かないところまで浮き上がっていた。

 ソルシエールは、秘密めいた笑みを浮かべる。


「私は、私の人生を大切にしなくちゃいけない。どこに行くのかは決まっていないけど、なにをしたいのかは知っている。世界を知って、生きることだよ。心を殺さないことだ」


 その瞳にほんの少しの狂気を滲ませながら。


「そして、いずれ。世界を喰らい尽くす」


(まだ続くよ)

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