5 認識
「そんなに俺は、大丈夫そうに見えるのか?」
砕けた口調で尋ねるピエールの横顔に、夕日があたっている。眩しいのだろう、目を細めた。
仕草がキザだ。
ソルシエールはため息をつく。
「楽しそうには見えないが、もしかすると財布を落とした時の方が落ち込むんじゃないか、と思うほどには疑わしく見える。元からなに考えてるのか分かりにくいタイプだし、そうじゃなきゃフラれることに慣れすぎたんだな」
「うるさい」
「怒ると疲れる。休んだら?」
ピエールは不満そうに顔をしかめ、机の引き出しを開け、中から酒瓶と小ぶりなグラスを取り出した。
「久しぶりに会ったんだ。一杯ぐらい付き合えよ」
「いいけど」
「飲んでないと、やってられん。落ち着かないんだ」
それから、ソファにどかっと沈み込み、ちびちびとやりだした。途中でソルシエールの性別を思い出したらしく、手酌しようとしていた魔女の手から瓶を取り上げて注いではくれたが、いかんせん思い出し方が中途半端で、適当に注がれた液体は器からあふれそうになっている。
「で、彼女をどこに監禁したの?」
コップのふちギリギリの琥珀の液体を無表情に見つめるソルシエールの質問に、ピエールが疲れたように淡々と返す。
「はあ、ほんと容赦ないな、お前。知るわけないだろ。監禁もしていなければ、殺してもいない。この二週間で、その手の冗談はもう飽きた。他のにしろ」
魔女は肩をすくめる。
「さっきも聞かれてたけど、恨みを買った覚えは? とくに女」
実直そうに見えて、女好きなこの男はひらひらとあちこちの女に手を出して、恨みを買うこともしばしばだった。王がやめろ、と注意しても、この悪癖だけは治らなかったものだ。いくら王の幼馴染であっても、有能でなければとっとと切り捨てられていたことだろう。
だから、その婚約者が消えたと言われても、ソルシエールからすれば、さもありなん、と言ったところだ。大方、ふらふらしすぎて見放されたのだろう。
「政敵をこの館に潜り込ませるほど、警戒心をなくしてはいない。実を言うと、ここで働く面子は俺の子供の頃からほとんど変わっていないんだ。政敵とも反政府とも繋がりは見つかっていない。女たちは…、エラに出会ったときに、ぜんぶ手を切った。恨まれないようにはしたが、実際はしらん」
意外だった。
遊び人の見本のような男が、すっぱりその遊びをやめたらしい。それほど美人だったのだろうか、ソルシエールはゲスの勘ぐりをする。
グラスに入れられた琥珀の飲み物を舐めると、苦かった。甘いのが好きなソルシエールはがっかりして、あとで飲もうと、テーブルの上に戻す。
「家出や駆け落ちの可能性は?」
考えの浅い、甘い汁をすすることしか考えていない人間ならともかく、めんどうなしきたりを残す旧貴族との結婚を避けたく思う人間は多い。民からは、いつまで貴族のつもりでいるのか、なんて陰口を叩かれていたりもする。飢饉が起きれば率先して食べ物が優先される立場ではあるが、革命が起きればまっさきに命を落とす。
その貴族と結婚したいのなら、女であれ、男であれ、それなりに面倒ごとを引き受ける覚悟をしなければならない。ピエールだってイヤほど知っている。なにせ、彼本人が貴族だ。婚約相手が同じ程度にそのことを理解していたかは分からないが。
ソルシエールだったらそんな七面倒な結婚相手、死んでも拒否するだろう。
「さあ。ただ、実家との折り合いはよくなかったみたいだな。だからなおさら俺との結婚をいやがるはずがないと思ってた。たとえ貴族家相手でも」
ソルシエールは呆れる。
「彼女の意思は?」
「確認したに決まってるだろ。泣いて喜んでた。でも、女って本心を見せないときがあるじゃないか。もう、分からん」
「弱気だなあ」
「弱気にもなるさ。消えたあの日の前日、少しだけ顔を合わせる時間があった。あの時、エラはよく分からないことで泣いていたんだ」
「よく分からないこと?」
「ああ。真っ青な顔で、俺と結婚する資格がないって…、てっきりマリッジブルーのようなものかと思った。なだめて、理由を聞いたけど…ダメだったんだろうな」
手の中にあるグラスの残りをじっと見つめていたかと思うと、ぐっと、飲み干し、テーブルに置いてあった、舐めただけで手のつけられていないソルシエールのグラスにも手を伸ばし、喉に流し込んだ。
「酔うよ」
「これぐらいで酔うわけないだろ」
そういうピエールの目元は赤い。
「…陛下が見かねてお前を送り込んだ。陛下は元気か?」
「あいかわらずだよ」
「…お前まだ、王妃の周りをうろちょろしてるのか?」
ソルシエールはピエールを睨みつける。
ピエールも魔女の眼光の鋭さに失言をしたと気がついて、「ヒッ」と喉から息を漏らした。
「ご、ごめん」
「……それで?」
「え?」
びくりと肩を揺らす。
「ご両親は?」
「あ、ああ」
力が抜けたのもつかの間、すぐに顔が曇る。
「どうしても抜けられない用事が入って、隣国に向かった。とても心配してる。帰ってくるのは三日後だ。俺は…そうだな。優先順位を決めなくてはならないな」
それから深いため息をついた。
魔女にほんのすこしだけ同情心が湧いた。
「なん歳だっけ、エラさん」
「十九だ」
「わかい」
「そうだ。若いのに、優しい。いや、若いから、優しいのか?」
「…若いからだろうね。人間の脳の働きは青年期がもっとも活発なんだし」
よく分からない苦悩を見せたピエールは、そこでふと気がついて顔を上げた。
「…お前の弟子の方が若そうだけどな」
「弟子じゃないけど。そうだね」
それきり、ピエールは沈黙した。
ソルシエールは立ち上がると、ローブの裾をはらう。
「それじゃあ、行くから」
「わかった。…なあ、」
赤く染まった顔を硬くして、ピエールは魔女の背中に声をかける。
「女中たちが話していた。この城では男女の子供の亡霊が駆け回っているんだそうだ。失踪と、関係あると思うか? この古い城で死んだ亡者が、呪いを…、それとも、もしかしたら城が…」
魔女はやさしく答えた。
「あのね。物は、人を呪わない。魔法を使えるのは意志のあるものだけ。それに、ここは要塞だったんだろ。子どもじゃない、いたのは兵士だ」
「ああ、そうだな」
ピエールは口元に皮肉な笑みを浮かべて、それから、大きなため息をついた。
(おまけ・その4)
なぜ行方不明なのか。どこに消えたのか。
家出なら書き置きくらい残しそうなものだが、いずれの失踪者にもその類のものはなかったらしい。
キーとなりそうなものと言えば、残されていたというコインくらいだろうか。それらは回収されて、王都公安委員本部に保管されている。倉庫に行って、手にとってそれぞれを見比べてみる。
「大量生産というよりは、工房なんかで手作りされたものでしょうか」
相棒が言う。
そのコインは中央に天使が配され、それを囲むようにして蔓が描かれていた。そして、いずれのコインでもいずこかに荒削りな薔薇の花が刻まれている。機械の型で作ったというには、あまりにも歪でバラバラだ。
「天使…、なにかのシンボルなんですかね?」
陽に透かしたり、目を眇めたりしている相棒に、返事をする。
「伝令、使い、善性の持ち主…、どうだろうな。人を取り上げる天使。もしかしたら失踪者が天使ということなのかもしれんな」
翼を持った獣人が頭に浮かぶ。獣人はどの国にももちろんいるが、元々、少数民族であり、その上、人工物を避けるようにして暮らしている。ほとんどが森や海の民だ。人の多い王都にすらほとんどいない。
王都に出てくる出稼ぎの労働者が、花なんかでもっと簡単に代用できるのに、わざわざこうした手のかかる目印を用意するだろうか?
ロクサーヌ・デュボワは、それはもう見窄らしいあばら家に住んでいたようだ。
娼婦の彼女の家には、最低限の生活必需品すら足りていなかった。
「寂しい場所ですね、ここ」
がらんどうな埃っぽい部屋を見回して、申し訳なさそうに相棒が言う。
そう言いたくなる気持ちも分かる。
客と寝るためだけの場所。
そう言う場所だ、ここは。
寝台の枕元に、大切そうに木製の額縁に入れられた子供の絵があった。彼女には、離れて暮らす六歳になる娘がいるのだという。その子が描いたものだろう。
絵の中で、人に囲まれて楽しそうに母娘が笑っている。この絵を描いた娘は、母を求めて泣いているのだろうか。
念の為、裏当てを外して中を確認してみるが、なにも入ってなかった。