ソルシエール。名前を喰らう魔法使い。
一方。
ピエール将来的に、国の防衛に関して働くことになった。
元々彼の父親の職務だったものだ。革命ののち、その職は長いこと空席になっていた。ひと足先に、彼の両親はその職に復帰した。
ピエールは、その目標に向けて日々勉強に励んでいる。
勉学というものは案外その身に合っていたようで、なにかすることがあるのが楽しい。とはいえ、目下のところ、ただ落ち着いて学べる環境というわけでもなく、右に左に忙しいのだが。
そんな折、めずらしく、与えられた執務室で静かに書類仕事をしていたら、そこにひょっこりハンスが姿を現したものだから腰を抜かした。
案内したものは、さんざん熱く語っていたのに、自分が連れてきた者が『稀代の魔法使い』だと気がつかなかったらしい。
「ふふん」
案内されて部屋にやってきたハンスは、椅子の上で腰を抜かしたピエールを見るなり、鼻で笑った。
ピエールはなにも言えずにいると、
「どうしてなにも言わないんだ。魔法をかけてやったのに、すぐに剥がしちゃうやつがあるか」
とハンスは不満そうに口を尖らせた。
しかし、すぐにどうでもよくなったのか、
「ま、いいか」
と肩をすくめる。
「お、おま、死んだ……」
「で、なんの用?」
「ええ……」
この魔法使いはどうも自己完結するきらいがある。
「お前の方からきたんじゃないか」
ようやく落ち着いたピエールが声を絞りだす。
「ああ、そうだった」
ハンスは、首を傾げる。
「なにしにここに来たんだっけ」
気が狂っているのか。
思わず顔を引き攣らせたピエールは、こほん、と咳払いをすると、世間話として教えてやる。
「お前を追い回していた人間たちだが、それからシャルルの協力者になった男をたどって何人か捕らえた。王党派みたいだが、どうにもはっきりしない。はっきりと害意を見せたソルシエールはともかく、お前に殴りかかった他の人間は、遠からず釈放されるだろうな」
「ほーん」
「興味ないのか?」
「べつに」
本当に興味がないらしい。
「なにか知りたいことはないのか?」
「聞きたいこと……」
「被害者だろう、一応」
ハンスが少し思案した。
「あー……、なんとなく、気になっていた事があるんだ。でも、答えは分かった気がするんだよね」
「曖昧だな」
「うるさい強姦魔。だまれ」
「……俺の名前は、ピエールって言うんだ」
「……ふん」
「ソルシエールって人、なにか喋った?」
「さあ、そういう話は聞かないが。どこの出身の人間なのかも不明だ」
「ねえ、その人に会わせてよ」
「俺にそんな権限はない」
渋るピエールに、ハンスは一通の手紙を差し出してみせた。封筒には司法省刑務管理局の封蝋が押されている。
嫌な予感しかしない。
「俺を陥れる気か?」
ハンスがにっこりと笑う。
「そんなことしないよ、ピエール」
「…………」
おそるおそるそれを受け取ると、案の定、そこにはいやなことしか書かれていなかった。
曰く、ハンスと名乗る魔法使いから囚人への面会の申請がでたこと。
魔法のエキスパートである故に特例で許可されたこと。
しかし、囚人・面会者、両者の安全を守るために同行者が必要であること。
知人ということで、それに選ばれたことを光栄に思ってほしい。
そんなことがつらつらと書かれている。
ふざけるな。
思わず手紙を握りつぶしたくなった。
いいことではあるのだ。この国が無法ではなくなったことを示しているのだから。でも、だからといって同行者がピエールでなくてもいいではないか。面倒が起きるのは火を見るより明らかだ。
末尾には、くれぐれも、くれぐれも、問題を起こさないこと。そう結ばれていた。
ピエールはすぐさま自分では役不足であるという旨の手紙を書いて、担当部署に送り届ける。どうせ同じ建物内にあるのだ。しかし、それは相手だって、そうだということだ。すぐに返事が来る。
『多少』の問題には目を瞑るが、絶対に暴力は許すな、絶対に囚人の命を守れと書かれているだけだ。どこにも、行かなくていい、とは書かれていない。
震える手で握りしめると、
「お前……」
怨みを込めて睨みつけた。
「あの皮肉屋に、この国の決まりを守れってくどくど言われたんだ。それはもうしつこかった。私のせいじゃない」
ハンスはいっそ清々しい笑顔でそう言ってのけた。
*
出世を諦めたピエールとハンスは、共に牢獄に赴く。
それでも一緒に行くことにしたのは、なんだかんだハンスに感謝しているからだ。面倒を起こされ、場をかき回されもしたが、やっぱりその存在に圧倒的に助けられた。
房をまっすぐに抜けて、ハンスはソルシエールのいる個室に向かった。軽快に扉を開けると、ソルシエールはボサボサの頭と疲れ切った顔をして椅子に座っていたが、それでもハンスを見ると、気丈に睨みつけた。
「なんのようだ、話すことなどなにもない」
「魔術師なのに、なんでここから出ていかないんだ?」
他に椅子はない。
ピエールとハンスは立ったまま、流れで会話を開始する。
呑気な質問に答えたのは、ピエールだ。
「政府のために働く魔術師だって一応いるんだ。対策をしているに決まっているだろう」
「そうなんだ」
肩をすくめる。
それから、ハンスがどこか困ったように尋ねる。
「あんた、王宮に仕えていたんだろう」
なにかを躊躇っているようだ。
ソルシエールは、無言のままだ。
無視を決め込むことにしたらしい。
ピエールが代わりに答えた。
「喪失したと思われていた王宮の雇用者の名簿が見つかった。そのなかに彼女の名前もあった。それがどうしたんだ?」
「どこに配属されていた人なの? ちがうのかなあ、場所かなあ。どこの建物で働いていた人なの?」
「『研究棟』だ」
「研究棟?」
ハンスが首を傾げる。
「ああ、王妃の離宮の近く、王宮の庭にあったんだ」
その言葉に、ハンスの瞳がわずかに揺れた。
「……そう」
「大事なことなのか?」
本人の前で話すのはどうなのだろう、ピエールは眉を顰める。
「さあ、よく分からない。でも、」
ハンスが答えようとするより先に、ソルシエールが嘲り、笑いはじめた。
「魔法を使うものが人間に肩入れし、世界を正したつもりか? 支配者が入れ替わった程度で、世界が正しくなるものか! お前が肩入れした社会はだれかを取りこぼし続けるぞ」
ハンスは言われた言葉に興味がなさそうに答える。
ただ、じっとソルシエールを見つめて、
「あんたは取りこぼされたんだもんな」
それを攻撃ととったものか。
恨みと憎しみで笑いを浮かべ、ソルシエールが言う。
「私はなにもかも失った。この世界は私に報いなかった。ならば私もこの世界から奪い続けよう。この世界に子供がいる限り、魔術の材料はあるのだから」
「なに言ってんの」
げんなりした様子でハンスが言う。
「うーん。あらゆる意味で均衡が崩れている。どうしたものかなあ」
指先を自らのこめかみに当てると、ぐるぐるとまわした。
「あんたの名前、だれからそれをもらったんだ」
「お前程度がその名前を聞こうなどとは不遜だ」
その答えに、ハンスはなにかを悟ったように、やさしく微笑んだ。
「その人のことが好きだったんだね。その名前もきっと愛情から与えられたものだ。でも、意味が込められすぎている」
ふううう、とハンスが息を吐き出す。
それから拳をぎゅっと握りしめた。
「しょうがないか」
このやり取りはなんなのだろう。
「どういう意味だ?」
至極当然の疑問のはずだ。
「だからさ、名付け親とは別に、余剰に意味を押し付けた人間がいるってことだよ」
「なにを言っている?」
ソルシエールも眉を顰めて、訳を問うようにピエールをチラリと見る。純粋に意味がわからないのだろう。ピエールにもわからない。
「かけられた当人が気が付かないほど、たくみだってこと。たぶん、それはごく自然な形で行われたんだ。卑怯だね。でも私にはどうする権利もない」
ピエールは横のハンスを見て、ギョッとした。
ハンスの目が薄暗い室内で、淡く光っている。
「お。おまえ……」
「その余剰分、解いてあげるよ」
ポツリとハンスが呟く。
気味が悪い。
「な、なんだ? なにがだ?」
ハンスは戸惑うピエールの様子などお構いなしだ。
「ねえ、君。ソルシエール」
空気が轟きはじめた。
ピエールはびくりと体を震わせて、せまい房の中を見回す。なにが起きているのだろう。
ソルシエールも、ハンスの異様な様子に顔を引き攣らせている。
ハンスはとぼけたように笑みを浮かべるだけだ。しかし、明らかに様子がおかしい。
「つらいだろう。憎み続けるのは。悲しいだろう。悪いものでい続けるのは。君は、悪役。世界から憎まれるもの。世界を予定調和へと運ぶもの」
ピエールには理解の及ばない範囲の話をしている。
なにがトリガーだったのか、分からない。明らかにその様子は常軌を逸している。
ハンスはくるくる、と楽しそうに回りはじめた。
ちいさく鼻歌まで歌っている。
「実はさあ、」
そのハスキーな声が風に乗る。
「ハンスって名前だといろいろ不便なんだよ。勝手に使っちゃって、文句言われそうだ」
くる、とソルシエールを向くと、無遠慮に詰め寄る。
反対にソルシエールは距離を取るために立ちあがろうとしたところで、ハンスの両手がその肩に置かれ阻まれる。
「や、やめろ……」
ソルシエールが、怯えた声を出す。
ハンスがその頬にそっと手を当てた。
「だいじょうぶ。こわがらないで。君の本質が損なわれることはない」
優しい声音で、そそのかしている。
なにが行われようとしているのか。
風が吹いた。
その動きに、ハンス自身が笑いかける。
「だからさ、その名前、ちょっとぐらいもらってもいいよね?」
「お前、なにを───」
ピエールはハンスの肩をつかむが、思い切り振り払われた。
目は爛々とし、明らかに興奮した様子で。
「『風よ』」
嬉々として、歌うように呪文を唱えあげた。
「『父親から息子を取り上げろ』」
湿った風。
揺れる柳。
現れたのは、金色のかぎ爪。
金色のかぎ爪が、風を掬った。
その瞬間、ソルシエールの中で『名』が悲鳴を上げる。
「い、いやっ! やめて!」
ソルシエールが絶叫した。
しかし、やがては、かぎ爪を受け入れ、
一瞬。懐かしいものを見たかのように微笑みを浮かべると。
それから眠るように気絶した。
前のめりに倒れてきたソルシエールの重みに耐えることができず、一緒に床に崩れ落ちたハンスは、ソルシエールを優しく床に横たえる。
ソルシエールを床に横たえたあと、ハンスはしばらくその手を見つめていた。まるで、確かめるように。
なにが起きたのかをピエールは理解しようとした。
世界が別の法則で書き換わっていくのを感じる。だが、言葉で掴むことができない。
ただ、とんでもないことが行われたのは確かだ。
「……お前、なにをした?」
低い声で咎めるピエールに、ハンスは淡々と答える。
「ちょっと名前をもらっただけだよ」
「だけって、気絶したぞ」
『ソルシエール』は楽しそうに笑った。
「ソルシエール、──偽名っぽいよね。気に入ったんだ」
「おいハンス」
「ハンスじゃなくてソルシエールって呼んで」
浮かれている。
「じゃあ、こっちの人は?」
「それもソルシエールだよ」
意味が分からない。
ピエールは開いた口がふさがらない。
「ああ、髪色も元に戻そうか。まるで変装の意味がなかったな。結局、魔法使いだってバレちゃったし」
ぱちんと指を弾くと、短かったはずの髪が肩までに変化した。
その髪色も。
その瞳も。
すべてがこげ茶から黒になっている。
色彩が多少変わるだけでここまで印象が変わるものか。
ピエールが渋い顔をして、ようやく苦言を呈した。
「お前、傲慢すぎるぞ。人間の領域外に出るのをやめろ」
「それはそうだよ。魔法使いだもの」
ソルシエールが笑う。
冷や汗が止まらない。
その時。
風が通り抜けた。
世界が、ひとつ戻った気がした。
けれど、それが誰の犠牲で保たれたものなのか、ピエールには分からなかった。




