新しい支配体制
「やめろ! 人を殺すな!」
ピエールの言葉に民衆は殺気だった。まるで反抗期の子供のように。怒りで周りが見えていないのだ。
「見てみろ! そこで兵士たちが銃を構えようとしている!」
その指先にはたしかに武装した兵士たちがいた。
いつの間にか広範囲に民衆を取り囲むようにして立っている。処刑の遂行を命令されている革命軍だ。
暴動を起こす民衆を異分子として排除する役割を与えられている。もし彼らの銃が発砲されれば、起きるのはより一方的な虐殺だろう。
「……だいじょうぶか、そこのご婦人」
ピエールが処刑台から降りてきて、地面にひっくり返って立ち上がれないでいた老婦人に手を差し伸べる。辺り一体、しん、と静まり返った。なにが起きるのだろうと見守る。
ところが、手を差し伸べられた、泥だらけの婦人はピエールの手を払った。
「さわるな!」
拒絶の言葉が響く。
「お貴族様がなんのつもりだい!」
その声に、一帯は再びざわめきを取り戻す。
「そうだ! また貴族が返り咲くつもりかあ?!」
「女好きのピエールが今度は王様だってよ!」
ピエールは、周囲の人だかりに助け起こされた老婆を見て、それから周囲一体を見渡した。怒りと高揚の感情を浮かべた人々。
真正面からその声に答えてみせる。
「俺には不名誉なあだ名がある。それにたしかに貴族の出だ。では、聞こう」
再び処刑台の上に戻ると一体の人間に問いかけた。
声を張りあげる。
ピエールはこの国を、国に生きる人々を知っている。
彼らを動かすのは、静かな説得でも理性でもない。熱だ。高まりこそが彼らをまとめ、動かす。そして、それが弱点でもある。
「殺し合う市民たち! そこの銃を構える兵士たち! 俺を殺すか? したいのなら、すればいい! しかし、隣人同士殺し合って、最後に残るのはなんだ! 屍だけじゃないか。血で血を洗うような争いが、本当に望みか?」
「おう! 俺はそうだぜ!」
観客の中の着崩した格好の浮浪者が答えてみせた。
「血が湧き肉が踊る戦争が好きだ! 暴れるのが、敵を切るのが好きだ!」
ピエールは頷く。
「あなたも兵士か」
「そうだ。兵士だった」
「あなたのように、この国の国民は敵を排除するのに躊躇わない強さを持っている! 粘り強く、勇敢だ! だけど、また、家族を愛する心も持っている! 慈しみ、愛する力だ! この国の国民はただのケダモノでも、殺人鬼の集まりでもない! 戦うのが好きだというのなら、その矛先は敵に向けろ!ここにいるのは敵か? ちがうだろう! 同じ国の人間だ!」
浮浪者は出鼻を挫かれたような顔をした。
今度は、だれかの叫び声が聞こえる。
「お前たち貴族は国の敵じゃないってのか?」
「敵は、……」
彼らに貴族の正論は通じない。
革命家の思想だって、本当に共感している人間はどれだけいるだろうか?
「答えられないんじゃないか」
ヤジが飛ぶ。
彼らが本当に求めていたのは、もっと具体的なものだ。
それが得られると信じて、独裁者だって歓迎した。
この人たち、目の目にいる、こちらを見つめる人間たちの求めたもの、
ピエールはカサついた唇を噛み締めると、
「俺は……ずっと飢えている。この飢えがいつまで経っても収まらない」
辺りにざわめきが広がる。
「だからどうした! 俺たちがそうじゃないと思ったか!」
そう、きっとこれだ。
ざわめきに負けないよう、言い放つ。
「この国は、死体が転がっている国じゃなかった。花が咲き、人々は笑い合い、通りにはパンの匂いが満ちていた。でも、飢饉が始まって、パン焼き職人は、彼らは、どこに消えたんだ? みんな、兵隊へと姿を変えた。パンの匂いは、血と硝煙の匂いに変わってしまった。道で遊んでいた子供たちは? 彼らは親を失って泣いている。みんなが飢えたせいだ」
話しながら、声が次第に掠れていく。
「……敵は、」
言葉が喉に張りついた。
それでも、口が勝手に動く。
「敵は、この国に巣食う空腹だ」
抽象的すぎるだろうか。伝わらないかもしれない。
分からない。分からないまま話続ける。
もうほとんど涙声だ。
なさけない。
「ここにもいるだろう。その飢えに、家族を、友を、恋人を殺された人が。でも、人を殺しても、満たされることはないんだ、きっと。どうか、どうか武器を下ろしてくれ」
懇願を最後に、ピエールの声は途切れた。
人々の困惑を感じる。
だれかの嗚咽を飲み込む音がする。
やがて。
どこからともなく、木の棒が、金属の刃が、地面に触れて落ちる音がした。
その音が、次々に重なっていく。
風が通り過ぎる。
騒ぎが、静まった。
処刑人は蒼白な顔をして固まったまま動かない。ピエールは、処刑台に固定されている青年を助け起こした。
ジョンの右腕だ。
短く剃られた髪。
後ろ手に縛られた腕。
命を落とす直前だったというのに、その瞳は苛烈な炎を宿し、ピエールを睨みつける。
「……どうも」
感謝ともつかない言葉をピエールに向けた。
「貴族に助けられるとは」
天使のような顔で小さく吐き捨てるが、ピエールが手を縛る縄をほどき始めると、黙ってそれを受け入れる。
「これを使うといい」
四十絡みのボロを纏った男が、台の下からナイフを差し出した。
「……ありがとう」
ピエールが礼を言ってそれを受け取ろうとした時、公園の入り口から悲鳴が聞こえた。
そちらに視線を巡らせる。
隊列を組んだ革命軍が、銃を構えていた。
増援部隊だ。
銃口の先は、自分たち。
隊列の向こう側から、将校が威圧的に声を上げる。
「その男を処刑台に戻してもらおうか」
「議会は罪人の処刑を決定した。法律に則り、この命令は実行されなければならない」
権威を着るように将校が言う。
「そこの青年、それから暴動に加担したものは手をあげろ」
ピエールは縄をほどく手をとめ、命令に従う。
市民もそれに倣った。
「そこの若者を拘束して、罪人の列の最後尾に並ばせろ」
将校が短く兵士に命じる。
「緊急権で処罰する」
その言葉に、ピエールは硬直した。
命を受けた兵士が近づいてくる。
自分と同じ年頃の男だ。
彼は、階段を登ってくると、手を差し出すように言う。
喉が鳴る。
わかっていた結末の一つだ。
一瞬、目を閉じ、家族の顔を瞼のうらに思い浮かべる。
ピエールは、覚悟を決めた。
「どうか、ここの人々のことは処罰しないでくれ」
若い兵士は答える。
「自分にはそれを判断する権限はありませんので」
無機質な返答に思わず苦笑すると、ピエールは手を差し出す。
兵士がピエールに触れようとしたその時。
待っていた声がようやく聞こえた。
「その必要はない」
隊列の向こう側。
将校のさらにその奥。
馬に乗ったシャルルがそこにはいた。
すぐ横には、魔法使いがとぼとぼと眠そうにあくびをしながら歩いている。
その両脇にいるのは。
青の上衣、赤い肩章、三色帽章付きのシャコー帽。
マスケット銃、サーベルを携えている。
国民衛兵の一団だ。
それは、シャルルが議会の説得に成功したことを意味していた。
それを理解した途端、胸にじわじわとした温かいものが広がる。
「ありがとう、ピエール」
馬上からシャルルが笑ったのが、離れた距離からもではっきりと見えた。
隣の処刑人が目を見張ったのが見える。身震いした後、シャルルに向かって軽く会釈をした。
革命軍の将校が声を張り上げる。
「何者だ。なんの権利があって、処刑の邪魔をする」
シャルルはよく通る、それでいて落ち着いた声で、高々と宣言した。
「僕は、シャルル。かつて、この国を治めていた者の息子。そして、この国の仮初のリーダーとなる者だ」
将校は憤慨し、詰問する。
「王だと? 今更なんの用だ。人質に女子供を寄越すような国へと逃げ出そうとした王の子どもではないか! 我々に王は必要ない!」
シャルルは答える。
「その通りだ」
その語りかたは、将校だけではない、その場にいる全員に向けられたものだ。
「あなたたちに、問おう」
その瞬間、言葉が場を支配した。
「もはやこの国に、人を導く“王”は必要ない。善も悪も、民が、自らの意思で考え始めたのだから。だがその目覚めの中で、理想を語った者が、今まさに刃にかけられようとしている。僕は、その血が無為に流れることを、ただ悲しく思う。
議会により、処刑の中止は決定された。本来なら僕がこの場所に来る必要もない。僕がここに来たのは、ただ一つ、この国すべての人、あなた方に問いたいからだ」
いつの間にか、将校ですら、黙ってシャルルの言葉に耳を傾けている。
ああ、そうだった。
昔から、この幼馴染は場の空気を掌握するのがうまかった。
その手腕は、彼の実直すぎる父親より、十にも満たなかった彼の方がピエールの目には光ってみえるくらいに。
「今、この国は周辺の諸国家によって攻め込まれようとしている」
この言葉に噂は本当だったのかと、市民、革命軍問わず、ざわめきが起きる。しかし、シャルルが静まるようにジェスチャーをすると、ふたたび静まり返った。
「だから、どうか今一度、私にこの国のために立つことを許してほしい。私は“盾”となる。この国を、諸外国の剣から守るために。そして約束しよう。再び平穏が訪れたとき、私は必ず退く。その時こそ、この国は真なる共和国となるのだから」
沈黙がその場を支配した。
人々は、どう出る?
答えは、火を見るより明らかだった。
口を開きかけた時、
「新しいリーダー、万歳!」
どこからか声が上がる。
それを皮切りに、その場のあちこちから万歳の声が上がり、やがてその場は熱狂的な歓声に包まれた。
*
正義の執行を見届けにきたクロードは、ありえないことを目にした。女好きのピエールが何ごとかを叫び始めたと思ったら、ここに来られるはずのない王子が姿を現した。
痩せ細り、青白い顔をした若者は、やたらと響く声の持ち主だった。
クロードは彼、シャルルの父親と会ったことがある。王宮に取材に行って時だ。言葉を交わしさえした。
優柔不断で、何ごとにも逃げ腰の王。
人間としては善良でも、王としての決断力がない。
それが政治の世界の人間からの概ねの評価だった。
その分、国民からは好かれていた。
しかし、度重なる巨額の出費に飢饉。国民はとにかく飢えていた。不満を抱えてもいた。そして、王が国から逃げ出そうとしたことで、国民からの最後の信頼を失った。
あそこに行けば、すべて解決できるのに、と王は捕まった時叫んだとされている。その世迷いめいた戯言もまた、失望の種の一つだった。
あの日、王も、王家の人間も神から人間へと堕ちたのだ。
塔に閉じ込められて以降、王子の消息はなく、また興味を持つ人間も多くはなかった。
それがまさか。
生きていたのか。
周囲の熱気にあてられて、クロードもまた万歳をする。
だから気が付かなかった。
「……ありえない」
隣にいるソルシエールが暗く落ち窪んだ瞳で、ぶつぶつと怨嗟を呟いているのを。




