閑話 : お兄ちゃんの召喚方法!
呪いだ。呪いなのだ。
同じ1日を繰り返している。
いわゆるループというやつだ。
同じ世界に閉じ込められ、永遠を繰り返していることに気がついたのは、今から一年前だった。
新聞の記事が、同じものになった。
一言一句、同じ記事。電車と荷馬車の衝突事故。酒屋で起きた諍い。それに紛れるようにして書かれた政治家の汚職。
外に出ると、どこに行っても同じ人が道端にいて、同じ人間が挨拶をしてくる。同じ服、同じ荷物、同じ人間、同じ、同じ、同じ、同じ…………………、
なにも新しいことが起きない。
どうしてだれもこの事実に気がつかないのか。
訴えたこともあった。
当然、こちらがおかしい人間として扱われて終わった。
気が狂いそうだ。
妻の笑い声で目が覚めた。
頭が重い。
今日もまた同じ一日が始まる。
頭のおかしい人間に紛れて、ただ一人正常であることは苦痛だ。新聞はもう読むのをとうにやめた。家から出ることも滅多になくなった。せいぜい食料を買い足す時くらいだ。
洗顔をして、家の面にある郵便受けに新聞をとりに行く。読みはしないが、取りにいかないと溜まるのだ。
朝の爽やかさも毎度お馴染みのことだ。
道の向こう側の運河でアヒルが子供を引き連れて泳いでいる。
「『あらやだ、あの偏屈爺さん。まあた、ちゃんとゴミ出しもしないで』」
近所のこのセリフも毎朝お馴染みのものだ。一日の始まりがこれだ。気が滅入る。ため息がわりに、玄関ドアを思い切り閉めることで返事をする。
テーブルに新聞を放ると、朝食の準備をする。
近所で買ってきたブリオッシュと、カップ一杯のコーヒー。
六十を過ぎた身に、贅沢な朝食だ。
カウチに身をまかせ、軒下で裏庭を眺めながらゆったりと食事をする。
リビングルームからでも同じ眺めを見られるが、天気がいいから外に出た方がまだ気分がいい。
レモンの大木には実がなっている。そろそろ収穫時だろう。ちょうど、昨日がそうであったように。
その根本は不自然に土が盛り上がっている。その辺の野良猫が掘り返したのだ。小山のようになっている。困ったものだ。あとで直しておかなければ。
空を時々、鳥が飛んでいく。この辺でよく見る鳥だ。近くに巣があるのだろう。
一般庶民が持つには大きな庭だ。
両脇の家とはレンガの壁で仕切られ、隣接する森とは低い柵で区切られている。それがこの庭をさらに大きなものに見せている。この田舎町に越してきたのは今から十年前。都会の喧騒より、ずっとこういう森で暮らしたかった。それが叶った瞬間だった。
妻も喜んでいた。この大きなキッチンでおいしい料理を毎日作ってあげる、と。それ以来、料理はもっぱら彼女の担当だ。
鳥が庭の隅にある物置の庇にとまる。
黒い羽を毛繕いすると、どこかに飛び立っていく。
ふと、久しぶりに整理をしてみる気になった。
先祖代々の荷物や、普段使わない家具や書類なんかをまとめていれておいたのだ。まさか解決方法が見つかるとも思えないが、いい気分転換くらいにはなるかもしれない。
新聞を読むよりかは、ずっといい。
妻に声をかけて物置に向かう。
久しぶりに扉を開けるせいで、中はとても埃っぽい。
咳き込みながら、また別の日にすればいいかとも思うが、別の日にしたところで結局は同じなのだ。結局、当初の予定通りにする。
中はガラクタだらけだ。
使わなくなって久しい糸車にミシン。元々は両親のものだったチェスト。なんとなく気に入らなくて持ってきた皿や壺。妻のエプロンや料理道具なんかも放ってある。
箒で埃を外に吐き出しながら、そうしたものを拭き掃除していく。あらかた片付け終わると、物置の一角にある書類にとりかかる。いらないものはこの際いっそ捨ててもいいかもしれない。明日には戻ってくるとしても。
レシピやアルバム、一年前の日付の新聞。そうしたものに紛れて、古い革張りの本があった。
やけに立派な本だ。
こんなもの、持っていただろうか。
手に持ってみて気がついた。
祖父のコレクションの一部だ。
埃を払って表題を見る。
『魔術教本』
なにか、手掛かりになるようなものが見つかるかもしれない。
そう、この呪いを解くような。
期待に胸が高鳴る。
母屋に戻り、本を開く。
埃っぽさの中に、本の独特の香りがした。
『洗濯物を早く乾かす風を起こす術』、『うまく鳥の鳴き真似ができるようになるまじない』そうしたものに混ざって、『魔法使いを呼び出す術』があった。
これを試してみよう。
気がついたら、日が暮れ始めている。
本を読み込んでいたせいだ。
しかし、せっかく思い立ったのだ。今やろう。
どこか急かされるような気持ちでとりかかる。
材料はサフラン、ミントに麦とまるでレシピのような簡単なものだった。全て家にある。
鍋で煮沸かした湯を火にかけたまま、手順通りに材料を混ぜ込んでいく。
それから本に書かれている呪文を、慎重に唱えていった。
「『セバ・レムト・ヘフ、アジュト、アアト!』」
一体、どこの言葉なのだろう。
読み方が書いてなかったら、それすら分からなかった。
鍋は泡立ち、粘着質な泡が膨らむと、ぽこんと弾けた。
しかし、なにも変化はない。
しばらく待つが、なにも起きない。
「…………」
そんなものだろう。
鍋を外すと、火を消した。
夕飯を食べ終え、昔読んだ本を読み返す。
昔読んだ時代小説だ。喋る髑髏が主人公を呪い殺して終わる。分かっている終末に、それでもページを捲る手は止まらない。退屈だ。
ぱりん。
ガラスが割れる音。
そして、庭からなにやら駆け回る音がした。
分かってはいるが、念のため、様子を見に行く。案の定、庭に面した窓が割れていた。そして、そこに鹿がいた。
堂々たる牡鹿だ。
どうした理由でここに来るのかは分からないが、ここに来ることは知っていた。
目が合う。横長の瞳孔がキュッと引き締まったのが、ここからでも分かった。
気持ち悪い。
こちらの悪感情を読み取ったのか、俊敏に駆け出していく。
いや、ちがう。元から臆病な性質なだけだ。
「おやおや! 古い呪いだな」
賑やかな声が降ってきた。
自分の上から聞こえる。ばっと上を向くと、屋根の上から身を乗り出して、男がこちらを見下ろしていた。大きな月を背負っている。
今日は、満月だ。
たん、と軽やかに軒先に降りてくると、黒いローブがふわりと舞った。
長いあまりに床についたそれを頓着することなく引きずると、陽気に言う。
「文献でしか見たことがない! あなたが行ったのか?」
「ええ」
どうやら魔術は成功していたらしい。
「失敗したかと思っていたのですが、……なにせやったのは今から何時間も前ですから」
「これは魔法使いを呼び出す! 昼は太陽光に遮られてよく見えないが、夜は形がはっきり現れる! 魔法使いはバカだから面白そうな合図を受け取るとノコノコ引き寄せられる!」
それに頷いて答えた。
「困っているのです」
「どうして?」
「あなたが魔法使いですか」
「そうだとも!」
くしゃくしゃの髪の毛をした、どこかひょうきんな顔をした男が笑った。
家の中に招き入れ、堰を切ったように、今までの出来事を話し始めた。
笑い声から始まる同じ一日、繰り返しの毎日を。
せわしない動きの魔法使いは、案外親身に話を聞いてくれた。
「もう一年もこんな生活をしている。妻ですら、この日々が繰り返しだと、分かってくれたことはないのです」
精神は限界に近い。
魔法使いはふうん、と聞き終えると落ち着きなく部屋の中を動き回った。ボロ切れのようになったローブの端も動きに合わせて左右に動く。
パッとこちらを振り向いた。
「どうだろう! 私が来たというのは、新しいことなのではないか? それとも私も毎日あなたに依頼を受けてやってくる?」
頷く。
「ええ、そうです。あなたに会うのももう何度目か……」
「ううん、なるほどなるほど」
それから何を納得したのか、さっと敏捷に近寄ると、手をこちらに差し出し、髪の毛、額、鼻先、両肩を順に軽く触れ、なにやら呪文を唱え出した。
「『さあ、命を宿す者、私を導け!』」
くすぐったい温もりが、顎のあたりをくすぐる。
幼いころ、猫を飼っていた。黒毛の、足先だけ白い子。
彼はよく甘えるようにして擦り寄ってきた。そのぬくもりによく似ている。
その束の間のぬくもりが去ると、魔法使いは大きな声を出した。
「わかったぞ!」
藁にもすがる思いで、身を乗り出す。
「では、どうしたらこの呪いは解けますか?」
「ない!」
意味がわからなくて聞き返す。
「え?」
「解けない!」
ああ、まただ。
分かっていたことだ。
なのにどうしてこんなにショックなのだろう?
また解けなかった。
世界が暗転した。
気絶していたらしい。
目を覚ますと、大きな目が間近でこちらを覗き込んでいた。
「ひっ!」
思わず悲鳴をあげると、目がぱちくりと瞬きをして離れていった。
「だ、だれですか……」
震える声で問いかけて、相手が自分が呼び出した魔法使いだと気がついた。真っ暗な室内で目だけが異様に光って見えたのだ。
どうやら、ソファに寝かされていたようだ。
「君は驚いたな!」
驚かない人間がいるだろうか?
意に介していないのかそんな事を言うと、どこかへ行った。方向的にキッチンだ。何をしているのだろうと、思っていると、しばらくして盆に茶を乗せて戻ってきた。
「も、申し訳ない……。ぜんぶ思い出しました」
謝るこちらを気にした様子もなく、からからと笑う。
「驚かれることには慣れっこだ! さあ、淹れたからお茶を飲むといい。きっと落ち着くだろう。おいしいカモミールティーだ。キッチンの戸棚に入っていた!」
「ああ、妻がよく飲んでいるもので」
体を起こし、茶を受け取り、口元に持っていくと、やわらかな夜の匂いが香ってきた。すぐ近くに別のソファがあると言うのに、ローテーブルに腰掛けた魔法使いは脚を組んで、依頼人が茶を飲んでいる様子をじっと興味深そうに見つめいてる。
……観察されているようで面映い。
この魔法使い、よく笑うし、そもそも口角の端が上がっている作りなのか、元から笑っているように見えるのだ。ピエロのように。
「その奥さんだがな、」
魔法使いが軽快に言う。
「どこにいるんだ?」
ピエロのように。
「え?」
困惑して聞き返す。
これは、聞いてはいけない類の内容ではないか?
聞いた人間は、呪われる。
するべきだったのは『耳を一時的に聞こえなくする術』ではなかっただろうか。だって、繰り返しの中でこの魔法使いはここに来るのだから。
耳を塞ぐには手は塞がっていた。
カモミールティーで。
いやだ。呪われる。
「どこにもいなかったぞ! この家に来た時から、君は一人だ。ほかに、だれもいない。だれの気配もしない」
耳に届いてしまった。
分かっていたことなのに。
なにを言っているのだろう。
妻は、この家にいるのに。
「いるではありませんか。そもそも言ったでしょう。妻の笑い声で一日が始まるんです。キッチンに入ったのなら彼女の料理道具やレシピだって見たでしょう。料理はもっぱら彼女の担当なんです」
男は、あっけらかんと言ってみせる。
「そのカモミールティーが入る戸棚は埃に塗れていた。料理道具もほとんど使われていないじゃないか!」
それに、ほら、とリビングから見える庭をさし示してみせる。
指さす先にはレモンの木がある。
根本は、猫が掘り返した土が。
「……あれは。猫が」
声が震える。
それは指摘されてはいけない。
考えられてはいけない。
「猫はあんな不自然に土を盛ったりはしない! 奥さんはあそこだろう? 埋まっている! 墓に入れないのか? 人間はそうするものだろう?」
耳鳴りがした。
それと同時に視界が白く染まる。
白い世界の中で、数多の世界が繰り返される。
いくつもいくつも。なんどもなんども。
血に染まる手。声。声。声。声。うるさい。
薬を仕込んだ食べ物。振り上げる包丁。首を締め付けるネクタイ。それから、猫の鳴き声。
ちがうちがうちがう。
ああ、妻はどこに行っただろう?
いつもの日常は、どこに。
あの毎日繰り返された、日常はどこに?
「まあ、それはいいんだ!」
明るい声に意識が引き戻される。
魔法使いのひょうきんな顔が、じっとこちらを見つめていた。その表情は明るい。
「脅しているんですか?」
でも、脅すなんて変な話だ。
笑い声が、
そう……、
「ちがうに決まっている! 依頼を遂行しているだけだ!」
思考が撹乱される。
意味が分からない。そうだ、前回も、同じことを言われて、意味が分からなかった。
「では、なにを……?」
「依頼はループから抜け出すことだろう? 解決方法は分かる。着いてくるといい!」
魔法使いは、とんと立ち上がると、玄関に向かった。
「どこに行くのです?」
魔法使いは顔だけ振り返ると笑って、答えた。
「いいから着いてきたまえ!」
とんと玄関ドアを開け放つと、すたすた歩いて行ってしまった。
慌ててコート掛けにかかっていた上着を掴むと、ドアを閉め、後をついていく。自動ロックだ、鍵はちょっと出かけるくらいなら閉めないでいいだろう。
運河沿いの道を進む。
自宅があった反対側の道にはブロックごとにテラスハウスが立ち並んでいる。
「どうしてこっちの道を?」
「こっちなら泳いでいるアヒルを見られる!」
「この時間です、寝ていますよ、彼らも」
「そうか、残念だな」
そう言う割に、その視線は水面に向いている。
やっと追いついて、並んで歩いた。
「世の中には、同じことをずっと繰り返す呪いというのが存在する。『星壺の呪い』というやつだ」
道中、魔法使いはそんな話をしてきた。
「これを解呪するのはなかなか手強い! なにせ、呪いを作り上げた人間は大体、世界が嫌いだし、それなのに呪いの世界にその嫌いなものを全部取り込んでいる! これは、周囲の人間をどんどん取り込んで、ずっとその苦しい世界の再現を繰り返す。取り込まれた人間はその中の世界でなんかいも死んだりする。そして、生き返らされ、また殺される!」
終わりのないループ。
生き返るのならば、救われるのではないか?
「どうやったら、ループを止められるのです?」
「人間を取り込みすぎた世界が、その重さに耐えきれずに崩壊するのを待つしかない! 崩壊した後、世界は臭い塊となって人間ごと腐るから捨てればいい」
「人が生きたまま抜け出すなら?」
「多大な勇気が必要だ! でも、できないこともない!」
「取り込まれた人間も、生き返る?」
「その通りだ!」
おそるおそる尋ねた。
「これもそのケースだと?」
魔法使いは首を振ると、自宅からそう離れていない通りの、なんの変哲もない建物の前で立ち止まると、ステップを一気に駆け上がり、夜にも関わらずドアを思い切り叩いてみせた。
どんどんどんどんどん。無遠慮なすごい音がする。
「これは呪いじゃないからな! デジャ=ベキュというものを知っているか? 神経系の不調だ!」
やがて、不機嫌そうな顔をしたパジャマの男がドアを開けた。
「こんな夜更けになんの用かね?」
「患者だよ、お医者さん!」
そう陽気に宣言すると、こちらを指さした。
よく見たら、呼び鈴の下、ステップ横の小洒落た金のプレートに書いてある。
「君が行くべきは医者だ、依頼人くん!」
『 Dr イブ マーティン
神経内科 』
ああ、なんていうことだろう、どうやら妻が生き返ることはないらしい。
ループが、収束してしまう。
そんな予感がした。
かっこよく原因はdéjà-vécuですよ、ばーんってやるつもりが、お兄ちゃんを主役にしたせいで、いつの間にか奥さん殺していたし、妹よりトンチキ度が上がってしまった。
さっき見かけたナゾロジーの記事に着想を受けてなんとなくできた :
https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/126809




