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閑話 : « ソレ »

「 ソレ について行ってはいけないよ」


 師匠がそう言ったのはいつのことだっただろうか。

 かすかに、しかし赤ずきんにとっては鼻を刺すほど、死肉の匂いがする。

 目の前の異形の物体と見つめ合い、膠着状態に陥った赤ずきんは、いつしかの出来事を思い出した。






 あれは、そう、休日の昼下がり、二階の屋根裏部屋で読書に耽っている師匠を訪ねていって、山になっている書籍を掻き分け、なんとか自分の座る場所を確保した時だった。

 ふと、窓の外から視線を感じたのだ。

 気になって視線をそちらに向けた時、言われた。


「それを見てはいけない」

「それ?」

「窓のそとにいるものだよ。人を惑わせる」


 外に目を凝らすが、気配はとっくに消えている。


「なにが居たの?」


 赤ずきんに捉えられないものならば、それは魔法に関連することにちがいない。ならばそれば赤ずきんの領域ではない。

 ソルシエールは、本の重みに耐えかねたのか、仰向けで本を持ち上げて読むのをやめ、開いたページを顔に置いた。


「生き物じゃない、んだと思う。魔法使いも、科学者も、だれもそれに魂の存在を確認できなかった」

「魂ってなに?」

「さあ。なんだろうね」


 茶化している風ではない、困ったような返答。


「分からないことがあるんだ。師匠でも」


 魔法と狩猟に関する以外のこと、そう、学校で教わる知識のほとんどはソルシエールから教わった。赤ずきんは他より学校に通い始めた歳が遅かった。あえて同い年のクラスに入れられたが、ソルシエールによる個人的な授業がなければとてもついていくことはできなかっただろう。

ほとんどの疑問の答えを知っているソルシエールでも分からないことがあるのだと、意外な感じがした。


「分からないことだらけだよ。でなきゃおもしろくない」

「そう」

「人の形をしているんだ」


 一瞬、なんのことだか見失うが、すぐに先ほど外に感じた気配についての話をしているのだと気がついた。


「それは粘着質なゲルで構成されている。なぜ、どうやって、発生したのかはまだ解き明かされていない。目玉も耳のない。代わりに、空洞がある。拙いながらも、言葉を話すし、会話もする。そして、なにより興味深いのはね、」


 そこで一旦言葉は区切られ、本の下からふふふ、くぐもった笑い声が聞こえた。


「非常に愛情深いということだ」

「どういうこと?」


 よく分からない。


「世話を焼き、気遣い、愛情深い言葉を口にする。その動作は聖人そのものなんだそうだ。だから人は簡単に魅入られ、取り憑かれる」


 こくり、と喉がなる。


「取り憑かれた人間はどうなるの?」

「どうにもならない。振り払うのも簡単らしい」


 拍子抜けだ。


「なんだ。じゃあ、ぜんぜん問題ないじゃない」

「問題はね、赤ずきん」


 本を顔の上から乱暴に押し退けると、ふわりとソルシエールは起き上がった。楽しそうに赤ずきんを見つめる。


「振り払おうと思わなくなるってことだよ。数が少なくて幸いだ。魂のない存在に魂を捧げる人間は孤立し、長い時をおかず、崩壊する。気をつけて街を歩いてみるといいよ、面白いから。虚構に取りつかれた人間が道を歩いていたりする」


 ただでさえ目鼻が利いて情報はうるさいくらいだというのに、外を歩くときにそんなものを見るのはごめんだった。

 しかし、楽しそうな師匠に水を差すのは気が引け、代わりに別のことを聞く。


「師匠もそう思うの?」

「ん?」

「魂がないって」


 ソルシエールは顎に手を当て、少し考える表情をした後、頷いた。


「ないと思う。おそらくそういうシステム、メカニズムなんだろう。そう思うよ」


 それから、はっと気がつき、まるで感情を取り繕うかのように年長者の顔をすると、それっぽく小言を言った。


「だからね、赤ずきん。たとえ、森で出会ったとしても、────ソレ について行ってはいけないよ。分かった?」

「……うん」







 もう何年も前の話だ。


 そう、あの頃のソルシエールはまだ、赤ずきんに対して時たま思い出したように年長者らしい態度をとろうとしていた。しかし、それがあまりに下手くそだったので、その仮面は次第に投げ捨てられてどっか行ったのだ。

 年上らしい振る舞いをしてほしいとも、して欲しくないとも、赤ずきんは頼んだことがないのに、ソルシエールはそういう風に早合点して、勝手に飽きる側面がある。


 困った人だな。

 乾いた笑いが浮かんだ。


 目の前で異形の物体が蠢いている。

 狩りで山に来たところ、出会ってしまったのだ。

 ナイフを構えたまま、ジリジリと後退する。目線をそれから逸らさない。


 たしかにそれはゲル状であったし、人型をしていた。しかし、これに魂の存在を認めるには、


「だいぶ無理があるんじゃないかなあ」


 つぶやきが漏れる。


 たしかに、遭遇直後、目線が合ってしまい硬直した時、この上なく優しく懐かしい声で語りかけられた。それは絶え間なく心をくすぐるようなものだった。


 頭を撫でられた気もする。その瞬間、恍惚とした。


 でも、それだけだ。


 すぐに正気を取り戻した。そうじゃなきゃ嘘だろう。


 充分に距離が取れたのを確認してから、急いでその場所を離れる。


「無害なんじゃなかったの?」


 ほっと息を吐き出す。


 半透明のゲル状の体の中身が見えた。あれは、まちがいなく人間だったものだ。ただし、その顔や体はなにやら溶かされ、形状崩壊を起こしていた。

 死肉の匂いはおそらく──────────。


 生き物は他の生き物を食らうものだ。

 でもあれは、──────────。


「きもちわるっ」


 思わず身震いした。


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