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霧の中の忠誠心

 シャルルは思った。


 久しぶりに出た外は、こんな所だったか。夢にまでみた世界だ。焦がれていたほど綺麗ではなく、空気は澄んでいない。道では浮浪者が寝ていて、川にはネズミが浮いている。


 でも靴を通して足に伝わる感覚はそこが確かに現実であると伝えていて、逃避行の不安と混ざり、奇妙な感覚に襲われた。


 夢の中で滑るように飛んだ時とちがい、現実は重いのだ。足も手も、力を込めなければ前に進まない。なんて必死で、滑稽で強い刺激だろうか。


 霧の中、川沿いを歩き、いくつもの橋の下をくぐり抜ける。

 目指す場所はこの国の中心、国民議会が開かれるクラリオン宮だ。

 処刑より先、クラリオン宮の鐘が九つ鳴ると、議会は動き出す。

 もうすぐ、時間だ。


「ほら、お兄ちゃん。足を動かして。あんたが服にこだわるからこんな時間になったじゃないか。このままだと日が暮れても着かないよ」


 ハンスがシャルルの肩を支えながら、励まし続ける。


「お兄ちゃんって呼ぶな」


 シャルルはこの魔法使いにどうしても反応してしまう。

 敵ではない。味方でもないだろう。おそらく、一番面白いと思っているものに反応している。快楽主義的なのだ。今は契約とやらで協力する気になっているようだが、いつ裏切っても不思議ではない。

 そして、そばに寄られると、視界に入ると、とにかく腹がたつ。

 そもそもなにか行動が余計なのだ。

 社会的立場というフィルターを通す必要がない分、余計に感情がそのまま出てくる。


「じゃあなんて呼ぶの」

「呼ぶな。君と親しいと死んでも思われたくない」

「優しいんだな。捕まっても庇ってくれるつもりなんだ」

「そう思うほど、僕が血迷っているように見えるのかい。不名誉だ。ああ、ピエールを先に遣るんじゃなくて、君の方を送るんだった。とてもうるさい」


 声を出すだけで息が切れる。

 しかし却って脳に血が巡り、頭が冴えていく。


「適材適所だって、分けたのはあんたじゃないか」

「そこを後悔しているって話だよ」

「あんたの友人はあんたの頭の良さについて滔々と語っていたけど、こんな単純なことも前もって分からないなんてそうでもないんだな」


 シャルルはふと、言葉を確かめるように呟く。


「……友達」

「……そこからか?」

「いや……少し意外に思っているだけだ」


 それがシャルルの正直な思いだった。


 幼い頃、宮廷に来るピエールの周りにはいつも人がいた。


 同性に囲まれたシャルルとは反対に、多くは綺麗に着飾った女児たちだったが、彼の周りにはよく人が集まっていたものだ。子供たちは大人の望みを理解していて、その目があるうちは、一緒に遊ぶこともあったが、決して近しいわけではなかった。


 本当の意味での交流はどちらかというと、シャルルが塔に閉じ込められ長い時が経ち、やがてピエールが現れてから始まった。しかしそれさえも監視付きで、気の置けない会話だったかというと疑わしい。


 シャルルは正直、自分が主君ではなく、友人だと思われていたのが意外だ。枠組みが意味を持たないことも、逆に強く意味を決めることも知っている。だから、ただ意外だった。


「報われないな」


 その様子をどう解釈したものか、ハンスが肩をすくめる。

 シャルルはしっしっと手を払った。


「喋りすぎだ。早く歩いてくれたまえ」

「私は犬じゃない! あんただって、ほら、おしゃべりだ。体調悪いってわりによく喋る」

「君が喋らせているんだろうが」

「あーあ。ああ言えばこう言う、」


 言葉を続けようとしたハンスが目を細めると、顔をしかめ、前方を指さした。


「余計な事をしているから。ほら、変なやつが出てきたじゃない」


 周囲に視線を走らせるが、一本道だ。抜け道はない。どの道、走って撒くことなど不可能だろう。


「魔法は、」

「今はとてもむり!」

「ああ、そう」


 じゃあ、しばらく口を閉じていてくれ、そう言いかけてやめた。

 ハンスの言葉通り、霧の中から奇妙なシルエットが姿を表す。

 全身が黒い。目深に帽子を被り、そのコートの胸元にはバラが刺さっている。


 花に目を留めたハンスがおや、という顔をして、


「ん……あ、バラの男」


 そそくさとシャルルの影に隠れた。


「知っているのか?」


 囁き声に、ハンスもまた囁き返す。


「私を襲ったやつ。あいつのせいでひどい目にあった」


 シャルルは嫌そうにハンスを横目で見ると、身体を遠ざける。


「君の敵か。僕から離れてくれたまえ」

「我々は一蓮托生でしょうよ」


 すり寄るハンスにシャルルが、


「君は不服そうに見えたが」


 冷たく切り捨てる。

 わあ、とハンスがシャルルに縋りついた。


「助けて王子」

「調子がいいな」

「守って王子」

「調子がいい奴はきらいなんだ。人生の調子が悪いものでね。これ以上僕からなにを奪おうというんだい」


 ハンスはシャルルの肩越しに向こうをチラチラ見つめて、肩をすくめる。


「それは私じゃなくて、向こうに言いなよ」


 それもそうか。ため息をついて問いかける。


「君はだれだい? 僕らに用があるように見受けるが」


 黒ずくめの男はシャルルの問いかけに恭しく前に進み出ると頭を下げた。


「陛下、我々の希望の星。王家の最後の宝。我々はあなたの味方です」

「……そうだろうとも」


 ごほ、と喉から不健康な咳が出る。

 さっきからハンスのせいで喋りすぎている。

 男は味方と名乗ったその口で、鞘から剣を引き抜いた。


「なんのつもりだい」


 咎めるシャルルに、男が言う。


「ここは敵が多い。いつ襲われるとも分かりません。あなたは安全が確保できるまで、塔に留まるべきでした。我々の隠れ家までお守りします」


 逃そうとしたり、隠そうとしたり、揃いも揃って忙しいことだ。

 申し出に首を横にふる。


「ありがとう。しかし、僕は急ぐんだ。隠れている暇はない」


 シャルルの返答に男は分かりやすく不服そうな顔をした。

 忠誠はただのポーズか。

 あるいは、そのための教育を受けていないか。


「どちらへ行こうと言うのです。連合軍が向かっています、あなたを救い、この憎き都を破壊するために。議員のやつらは呑気に独裁者の処刑でもしていればいい。さあ、早く! こちらにいらしてください」


 シャルルは問いかける。


「君の申し出に従えと? その剣を僕に突きつけるつもりか?」

「それがあなたの安全のためならば」

「僕を殺したら本末転倒だぞ」

「殺さなくても従わせる方法はいくらでもあります」


 男はチラリとハンスに目線をやる。

 それを受けてハンスはシャルルの脇からベッと舌を突き出した。

 シャルルは一歩男に向けて踏み出す。


「本当に、連合軍が僕を救うために動いていると?」

「その通りです。陛下のお婆様やおじさま方があなたの為に動いた結果です」

「どうかな」


 救出のみが目的のわけがあるだろうか。

 シャルルは男から視線を逸らすことなくじっと見つめる。


「確かに僕の命は救われるだろう」

「そうでしょう! なら、」

「しかしこの国はどうなる。周辺国はピザを取り分けるように、平等に土地を分配するのじゃないか。今ここに住んでいる人間はどうなる。迫害を受けることになるだろう国民たちは。君は国を滅ぼした後の筋道を考えているのか?


 王党派だと言うのなら、憎しみに瞳を曇らせるな、国に尽くせ」


 どちらに転んでも、シャルルの歩む道はそう変わることはおそらくないのだ。失敗したら死ぬだけ。成功しても──────────、


 さらに男に向けて足を踏み出す。


 よくよく見てみれば、男は実に見窄らしい格好をしていた。色の落ちたコート。袖は糸がほつれ、誰かに縫われた形跡すらない。肩は擦り切れて下の布地が見えており、袖をまくった腕の皮膚には日焼けと細かな切り傷がこびりついていた。栄養状態が悪くむくんだ顔。その瞳は憎しみに揺れている。


 自分と同じだ。


 この国には悲しみが巣食っている。憎悪はその悲しみを覆い隠しているだけだ。

 それにね、とシャルルは言い聞かせるようにとりわけ優しい声を出した。


「君は僕とよく似てるね。でも、僕を主君と仰ぐなら、僕に命令するんじゃなくて、僕の命令を聞きたまえ」

「……主君の暴走を諌めるのも忠臣というもの」


 彼に残された最後の幻想が、自分の背負う象徴なのだと思うとなんとも哀れだった。シャルルは男の望むものを少しばかり演じてやることにした。


 父王を思い出す。

 それから、宮殿の長い廊下にずっと並んでいた、彼に連なる、厳しい顔をした肖像画の王たちを。


「王という絶対の法に従わない家臣など、家臣たりえない。諫言が許されるのは、それが諫言の域を出ないからだ。そこから出るもの、それは叛逆だ。君は君自身の信条によって、王に反逆する者と定義される。君は反逆者になるつもりなのか?」


 男は雷に打たれたように震え、首を振った。


「い、いいえ、陛下」

「だろう。だとしたら君がするべき事は、なんだね?」


 シャルルと男の距離はなくなった。

 その頬に手を触れ、自身の方へ下向かせた。


「君が王の忠実なる僕だと言うのなら、取るべき道は一つしかないはずだぞ」


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