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夜の近く

 共和国の南にある山は王国の長い歴史の中でも噴火の記録がなく、休火山だと言われていた。前回の噴火は五千年前とも、二万年前とも推測されている。その為、山の周辺には村や街があり、特に災害に対しての対策をしていない。


 それがその夜。

 千の夜をも切り裂くような轟音を響かせ、人や家畜の上に死の灰を降らせた。その灰は風に乗せられ、はるか北にある首都にまで届く。王国の空は灰で白く覆われた。

 首都の人々は朝になっても明けない空に、眉を顰めた。

 南で多くの死者が出たという知らせが届いたのは、その直後。噴火の翌朝の事だった。

 真偽の不明な噂が出回り、新聞は千人単位の人間が逃げ遅れ、行方不明だとかき立てた。

 首都についで、情報は国の隅々まで行き渡る。





 首都の中心地にあるカフェ。

 満席で賑わう客の中、野菜やバゲットなどの荷物を抱え、朝市帰りの格好をしたのっぽと肥満の中年男性二人が、テラス席でコーヒーを啜り、ぼやく。


「なあ、クロード。体制が変わるごとに、災いが増えていやしないか?」

「もしかして、殺された王族が呪いをかけているのかもしれん」


 はあと大きなため息をつき口髭をいじるのっぽの男に、クロワッサンをびしゃびしゃにしながら、もう片方も同調する。


「しかし、王様は恨んじゃいないつって、高貴な人間らしく高貴に死んだのになあ」

「そりゃ王様だけだ。処刑されたお妃様や姫君、お貴族どもが恨んでいてもおかしくないぞ」


 こうした噂はいまや暗黙の了解となって人々の間を、カフェやパン屋や街角で、駆け巡っている。

 コーヒーで汚した口髭を拭い、ため息をつく。


「とにかく、王族を殺したから、怒っているんだ」

「まあ、この辺でやめとこうじゃないか。取り締まりに聞かれたら王党派と見なされて、明日の朝には木の下さ」


 言い出したくせに男は小声でそう言って、疑わしそうにジロジロと道ゆく人間を観察する。

 クロードと呼ばれた方はふん、と鼻で笑うと、


「俺ぁ、どうせならあの大広場がいいね」

「やめろ。本当になったらどうしてくれる」


 男たちは二人揃ってため息をつくのだった。

 それから二人は客のいるテーベルを回る、ローブを被った小汚い女性を見つめた。彼女は何やら客に話しかけている。

 またもや、この世の不幸を詰め込んだようなため息をつくと、


「カフェに乞食にこられちゃ、おちおち食事もできねえや」

「いやでも、顔は隠れているが、あれはなかなかの上玉と見た。洗えば、乞食も姫君も変わらんだろうよ」

「いくら革命が起きても、お前が姫君と寝ることはないね」

「いや、分からんぞ」

「言ってろ」


 下世話な会話をする二人の元にも、女が周ってきた。


「すみません。このくらいの背丈の子供を見かけませんでしたか? 金髪で青い目をした男の子です」


 風に煽られローブが頭から滑り落ちる。その顔が出てきて、尋ねられた男は体に纏う脂肪を震わせ、ほう、とため息をついた。


「なんだい、姉ちゃん。随分顔色が悪いじゃないか。誰がいなくなったんだい?」

「弟子なんです」

「一体、いつから行方不明なんだ?」

「ちょうど、火山が噴火した日、でしょうか」

「なんだ。そりゃもう、一週間も経ってるじゃないか。浮浪児たちに紛れていないか探してみたかい?」

「ええ、しかし見つかりませんでした。一人で出歩くような子ではないのに。これ、似顔絵です」


 そう言って差し出された紙切れには、誰が見てもかわいらしい子供が描かれている。

 男たちは絵を覗き込む。


「もしかして、取り締まり、」


 にしょっ引かれたんじゃないのか、と言いかけた男の腕をもう一人がぽやんと叩いた。滅多なことを言うんじゃない、という合図だ。余計な事を言って巻き添えを喰らいたくないのだ。

 男も慌てて言い直した。


「うーん、あんた、どこの誰だい?」


 女は礼を言うと、名乗った。

「私は、そこの道の角にある宿に泊まっている『ソルシエール』と申します」


 最高級ではないが、小洒落た宿の名前に男たちは顔を見合わせた。

 ボロを着ているが、ただの浮浪者ではないのかもしれないと、気がついたのだ。


「どうか弟子についてどんな情報でもいいので、ご存知でしたらお知らせください」


 そっと憂いのこもった瞳で見つめられて、男たちはこくこくと頷いた。


「あ、ああ。きっとお弟子さんも見つかるさ。そんなに落ち込まないで。俺たちも気をつけてみるからさ」




 夜だというのに騒々しい通りの声。窓際に椅子を置き、シャルルは格子の隙間から空を見つめる。


「騒がしいな。また人でも殺しているのか。ばかばかしい」


 それに対して何かを感じる事はない。慣れて麻痺している。


「やあ、死にたがりの王子」


 王子の背中に声が当たった。

 振り返ると、そこにいたのはいく日か前、ハンスと名乗った魔法使いだった。いつの間にいたのだろう、どうやってここに入ってきたのだろう、そうした疑問がシャルルの頭の中を巡るが、どうでもいい事だと思い直した。


「また君か。なにをしにきたんだ」


 ハンスはニコリと笑った。

 その笑みになんとなくイヤなものを覚える。


「散歩をしよう」

「はあ?」


 シャルルは眉を顰める。


「今晩は満月だ。どこへでも行けるよ、君みたいな生身の人間を連れて行く事さえできる」


 月を背負って魔法使いが笑った。


「それって……」


 シャルルの喉がゴクリと鳴る。

 もしかして、僕はここから出られるのか。

 先日期待を裏切られたばかりだというのに、思わずそう言いかけたシャルルより先に、ハンスは言った。


「ちゃんと見張りに見つかる前に君を連れ戻してあげるさ」

「……ああ、そう」


 憮然とシャルルは答える。


「え?」

「君は性格が悪いな」

「え? なんでさ。で、どうなの、来るの? 来ないの?」

「僕は歩けな、っ……なにするんだ!」


 またもや、答えるより先にハンスがシャルルの手を掴んだ。


「さあ、出かけよう。手を離すなよ。落ちるから」

「僕に選択肢なんてないじゃないか……! うわ、」


 強い風が顔に吹きかかる。

 反射的に目を瞑流。

 次に目を開いた時、気が付いたらシャルルは空にいた。

 穏やかな夜風がシャルルの頬を撫でる。すぐ真横には先ほどまで自分がいた独房の窓が、頭上には、見た事ないような広い空が広がっていた。


「え、……う、うわ」


 足元を見てさっと血の気が引いた。

 シャルルは宙に浮いていた。しっかりと地の上にあったと思った足も、宙に浮いていると思ったら急に心許ない。心に引っ張られたのか、シャルルの体の重みが増し、体が下にズズズ、と高度を下げる。


「ちょ、……なんとかしたまえ」

「上品な言い方だな」


 ハンスがケタケタと笑うと、ぐいっとシャルルの体を同じ高さまで引っ張り上げた。


「さあ、行こう」


 なぜか楽しそうなハンスに引っ張られる形で、シャルルは空中を歩く。


「君、ここになにしに来たんだ。というかどこに行くつもりだ?」


 ハンスが心底楽しそうに呑気に答える。


「行けるとこまで、どこへでも!」


 まるで、夢のようだった。

 実際に、夢なのかもしれなかった。突然の場面の移り変わり。非現実的な空中の散歩。

 星が近い。

 雲はもっと近い。

 とはいえ、地上から姿が隠れる高さではない。

 夜ではあるが、路上や死刑場では警官がうろついている。しかし、頭上に注意を向ける人間はいないのか、だれもシャルルの存在に気が付かない。

 最初はゆっくりだった歩みは、ほとんど力を入れていないというのにどんどんスピードを増し、瞬く間に景色が変わっていく。

 一歩の歩幅が、到底並の人間のものではない。

 そう。

 まるで風だ。

 あまりに現実感が薄かった。

 これが夢であるのなら、いっそ塔に閉じ込められた薄暗い現実などに戻らずここにいたいと願うほどだ。


「これは現実さ」


 そんな嘘か真かわからないようなことをハンスが言う。


「ああ、……そう」


 前回会った時、ハンスの事を幻覚だと考えた事を思い出した。でも、幻覚だからと言って、どうだというのだろう?

 目を覚さなければいいだけの事だ。


「夜がこんなに気持ちいいなんて、知らなかった」


 シャルルにとって夜はただ不確かな要素が多い、最も警戒すべき時間帯だった。弱った人間を連れ去ってしまう、そういう時間だった。

 それが今、夜はシャルルを人目から匿い、どこまでも遠くに連れていく。

 空には遮蔽物がない。

 本当に、どこへでも行けそうだ。


「世界は広いんだな」

「そうだよ。知らなかった?」

「ああ、……知らなかった」


 二人はどんどん高度を上げていく。

 短い髪を風で巻き上げながら、ハンスが上機嫌に尋ねる。


「知ってる? 雲って味がするんだ。バナナに近い」

「適当なことを言うな」

「試してみればいい」


 やがて二人は雲の上まで到着した。

 ハンスは、


「離すよ。落ちないから、だいじょうぶ」


 と言うと、シャルルと繋いでいた手をそっと離した。

 その言葉通り、シャルルの体は雲を突き抜ける事なく、雲の上に留まっている。


「どうして……」


 驚愕に目を見開くシャルルに、ハンスは笑った。


「特別な魔法をかけてあるんだ。あんたのためにね」

「まるで神のみわざだな! それとも悪の化身か!」


 足踏みをし、そわそわと歩き回るシャルルに、ハンスは呆れたように言った。


「神でも悪でもない。魔法だよ。この特別な機会をあげた私に感謝してくれてもいい」

「ああ、感謝するとも!」

「素直だな」


 目を丸くするハンスをよそに、シャルルは地面から雲の塊を掬い上げると口の中に入れた。

 瞬間、感じたのは口の中で何かが小さくぱちぱちと弾ける感覚だった。


「甘くないじゃないか」


 硬直するハンスに雲を投げつける。

 塊は見事顔に命中し、ぶへっとハンスが間抜けな音を立てた。


「ははっ、僕を騙したな!」


 快活に笑うシャルルを、顔から塊を払い落としたハンスが意外そうに見つめる。


「まさか本当に食べるとは……」

「それはそうだ。雲を食べる機会なんて普通に生きていてもそうそうないぞ!」

「喜んでもらえたようで、嬉しいよ」


 シャルルは心の底から満足して笑みを浮かべた。


「もう、思い残す事はないな。どうせなら、死んだ友人たちにも食べさせてやりたかったけど。ああ、人生で一番、楽しかった気がする」


 冗談めかして言うシャルルに、ハンスは肩をすくめる。


「あっそ」


 それから薄笑いを浮かべて言うのだった。


「でも、別にここに連れてきたかったわけじゃないんだ。ここはただの寄り道」

「なら、どこへ行くんだい?」

「そんな期待するような目をしなくても、すぐ分かるよ」


 そう言ってハンスはシャルルの手をとると、再び空中の散歩を再開した。

 東へ、どれくらい進んだだろうか?

 進行方向に黒い森が見えた。

 森の中に、ポツンと小さな古屋が見えた。屋根の煙突からは細い煙が立ち上がり、黒い空からくっきりとしたコントラストを浮かび上がらせていた。


「ここに何かあるのかい?」


 なにも期待していない風を装いながら尋ねるシャルルに、ハンスはニヤリと告げた。


「白雪がいる。あの小屋だ」

「え?」


 あの幼かった婚約者が、どうしてこんな森にいるのだろう?

 自分の国にいるはずでは?

 ハンスの困惑を見てとって、ハンスが告げた。


「いるっていうか、まあ、『有る』って言った方が近いかもね」

「は?」

「んふふ、手がこわばった」


 ハンスが無情にも告げた。


「白雪は眠りについたんだ。一千年の眠りだよ。真実の愛を見つけなければ、眠りは解けない」

「な、……どうして?」

「おもしろいからさ。言っただろ、魔法使いは面白い娯楽に飢えている。嘘じゃない、本当だよ。疑うなら、彼女のところまで下ろしてあげようか?」


 シャルルはハンスを睨みつける。

 自分が迂闊に話したせいで齎された結果に愕然とする。

 しかし、すぐさま自己嫌悪よりも怒りが凌駕した。久しく経験していない強い感情に目眩を感じながら、口を開く。


「お前、僕は言ったはずだ……!」

「私はそれを受けた覚えはない。いいじゃん、たしかに白雪という子はこれで物珍しい人生を歩むことになる。千年も寝たら、もはや誰も彼女のことを知る人は残らないだろうね。それは一体、どんな人生だろう?」

「お前……! なんのつもりだ」

「気になるなら、目覚めさせにくればいい。彼女はここにあるからね。果たして、君なんかの薄弱な愛で目覚めるかどうかはナゾだけど」

「ふざけるな」


 しかし、ハンスは意地の悪い笑みを浮かべると、


「ざんねん」


 と握っていたシャルルの手をパッと離した。


「なっ……!」


 その瞬間、シャルルの体は重力に引っ張られ、地面に向かって落ちていく。地面に衝突して助かる高さではない。しかし、シャルルは意に介さず、ハンスに向かって叫んだ。


「お前、覚えていろ!」

「残念、死ぬ人間にはなにもできないよ!」


 呑気な遠くの声を最後に、ハンスの意識は途絶えた。





 

 ばっとシャルルは飛び起きる。


「ばっ……、え。ゆめ、だったのか?」


 いつの間にか、寝台の上で寝ていたらしい。鉄格子のハマった窓からは朝日が差し込んでいる。

 まるで夜通し運動でもしたかのようだ。

 心臓が強く脈打っている。

 じっとりと汗をかいていた。


「いやな朝だな……」


 しかし、不思議と体は軽い。

 今なら、普段より歩けるような気さえした。


「あんな、現実味の薄い夢に影響されるなんて…………夢?」


 自嘲しかけて、首をかしげる。

 現実と夢の境界線が曖昧だ。

 シャルルは首を振る。


「本当なのか……?」


 もし、あれが本当にあった出来事で、あの不審者の言うことを信じるなら、白雪は呪われて、あの小屋に閉じ込められているという事になる。

 しかもそれは、シャルルが迂闊に喋ったことが原因じゃないだろうか。

 自分の人生の結末が、こんなものであっていいのだろうか?

 脳裏に間抜けな魔法使いの顔を思い出して、シャルルは不快な思いがした。


「夢なら、せいぜい僕を楽しませてくれたっていいじゃないか。どうして、死の間際にいやな思いをしなくちゃいけないんだ」


 感情が、いまだに腹の中に居座っている。

 それがひどく落ち着かない。

 そのうち、扉をノックする音がして、ジョンが入ってきた。


「おや、殿下。今日は調子がよろしいのですか?」


 片眉をあげる。


「……そんなことはない」

「そうですか。まあ、それよりお伝えする事があります」


 ジョンは彼にしては珍しく、乱雑に書類を脇のテーブルに広げると、激然と告げた。


「民の不満が募っている」

「つまり?」

「あなたは数日中に王になります」


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