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強敵なお姫様たちは今日もうるわしい・改改  作者: のらりん目
君は君。笑わない王女編
33/65

赤い水たまり

魔法協会に戻ったソルシエールを魔女は微笑みで迎えた。


「ここは随分、街の中心にあるんですね。てっきり郊外の森にでも住んでいらっしゃるかと思いました」

「ああ、郊外にはダーチャがあるのよ。あそこに仕事は持ち込まないの。それに冬の間、仕事をするなら都市部の方が便利だもの。それにしても、いいタイミングで戻ってきたわね。お昼は食べれたかしら?」

「ええ。それで、ソリの所有者という方は?」

「ええ、すでにいるわ。さあ、ついていらっしゃいな」

「そういえば仲介料は?」

「後払いでいいわ」


 ソルシエールは頷く。

 後払いでも逃げられる心配がないのだろう。この人をぞんざいに扱える人間はそうはいないに違いない。それは彼女がそういう存在だからだ。


 魔女に通されたのは、売り場の奥にある風変わりな事務所だった。

 目に映る空間がねじ曲がっている。人の姿は見えないが、ささやかな話ごえがあちこちから聞こえる。たくさんの魔法使いたちがこの空間にはいるのだろう。輪郭がぼやけているとソルシエールが意識した瞬間、反射のように境界線は明確になり、場所が固定された。途端、人の声も聞こえなくなる。


「ふふ、ここがわたしの事務所よ。いらっしゃい」


 魔女がゆったりと笑う。 

 大きな窓からやさしい午後の光が差し込んでいる。

 その窓の外に見える光景は、どこかの森だ。

 誘導された意識がたどり着いたのは事務所というよりは、どこかの家庭の居間のような場所だった。フローリングの床の上には、木製の本棚や柔らかい色合いのソファが置かれている。

 そしてそのソファには、すでに二人の人間が腰かけていた。


「やあ、お嬢さん。こんにちは。君が我々に同行したいというお方ですかな?」


 すっくと立ち上がったシルクハット、ネクタイ、モノクルにステッキという奇妙ないでたちの紳士が、片手を差し出しソルシエールに握手を求める。鷲鼻が見事な壮年の男性だ。その奇妙な口髭は、まさかお洒落なのだろうか。


「こちら、魔法使いのソルシエールさん。そして、こちらの紳士は、サン=ジェルマン伯爵よ」


 魔女が紹介してくれる。


「……。……わあ」 


 ソルシエールはおそるおそる手を差し出す。


「こちらは、サン=ジェルマン伯爵の付き人をされているタチアナさんよ」


 ついで、紳士の隣に付き添う燕尾服の人物を紹介される。すらりとした体格に、美麗という言葉がぴったりな顔立ちをしている。歳は二十前後だろうか。

 なぜか、すでにどこかで会ったことがあるような気がした。

 ソルシエールの頼りにならない記憶によるなら面識はないはずだ。

 首を傾げる。


「付き人です。よろしく」


 落ちついた声。

 その目が、一瞬なにかを確認するようにソルシエールを見た。

 握手を交わす。

 細い手だった。

 ソルシエールはその細さに、初めて彼女が女性だということに気がつく。


 彼らはいったいぜんたい、奇妙な二人組だった。

 格好を含めて、異質だ。

 主人と使用人で揃いの服を着ている。それも、異様に時代遅れの服装を。服装に気を遣った事のないソルシエールですら気が付くくらいなのだから、下手したら半世紀は前の流行じゃないだろうか。

 それとも格好が異質だから、なにもかも異質に感じるのかもしれない。


 なんだか非常に、あやしい。


「そしてわたしは、ナターリアよ。よろしくね」


 最後に案内をした魔女が自己紹介をする。その名前だけはたまらなく、しっくりと来た。

 頭を振る。


「あら」


 ソルシエールの反応を見て、魔女、ナターリアがいたずらっぽく笑う。自分存在がなにを意味するか、しっかりと自覚しているのだろう。



「さあ、ソルシエールもう一度話してちょうだい。どうして森に生きる獣の他には、凍った木々しかない白銀の森へ行きたいのか。あなたが探している人は、あなたにとってなんなのか」



 ナターリアがぽんぽんと手を叩くと、ローテーブルの上にたくさんの菓子が現れ、たちまち甘い香りが漂ってきた。同じく出現した茶器からは白い湯気が出ている。



「行方不明になった赤ずきんは、私の友人です」



 ソファに腰を下ろしたソルシエールはここに来るまでの経緯をかいつまんで説明した。全てを話し終えた後、ナターリアは心配そうにソルシエールを見つめ、


「そう、それは心配ね。見つかるといいのだけれど。それで、どうかしら、サン=ジェルマン伯爵」


 と確認をとる。

 サン=ジェルマン伯爵は鷹揚に頷いた。

 その仕草は、大げさな時代劇のような優美さがある。


「いいとも。人探しに協力しようではないか。我々も氷の森の人狼族に用事があることだしな」


 それから、なにかに感極まったかのように首をふるふると振るう。


「よし明日の朝に集合しようではないですか。場所は、そうだな。我々の犬舎でいいだろう。詳しい場所は後で教えるよ。どうですかね、魔女のお嬢さん」

「ええ、ちょうどいいです。どうぞよろしく」

「大切なご友人なのね。どうぞ早く見つかりますように」


 やさしく微笑むナターリアに、ソルシエールは苦笑して答えた。


「彼の祖母から頼まれたからですよ。ただの仕事です」




 魔法使い協会を出る。

 昼を少し過ぎたぐらいだというのに、もう日が暮れかけていた。

 ぼんやりと宙を見つめるソルシエールに、従者ことタチアナが声をかける。振り向くと、思った以上に近くに彼女がいた。たじろぐ。


「城が気になりますか?」


 どうやらソルシエールが見つめていた方角に城があるらしい。似たようなおおきな建物ばかりで、どれがどれだか分からないが、ひょっとしてあの尖塔がちょろっと出ているアレだろうか。

 タチアナの怜悧で中世的な美貌がどこか皮肉な微笑みを浮かべた。


「今代の王族一家が住んでいます」

「へえ」

「特に有名なのが氷使いの姫君で。四六時中城にこもっているんだそうです。なんでもちっとも笑わないんだとか」

「絹の布でも裂いてみたらいいのに」


 ソルシエールの言葉にタチアナの仮面が崩れて、ふくふくと苦笑した。


「国が傾いてしまいます」

「はは、そうですね。伯爵についていかないでいいんですか?」


 サン=ジェルマン伯爵は、その従者を置いていってしまったらしい。

 タチアナは真顔でしれっと辛辣なことを言い放つ。


「ずっと一緒にいたら干からびてしまうので。いいんです。……それより、」


 タチアナは少し言い澱み、それからニッコリと笑みを浮かべた。


「いや、なんでもないです。……そう、少し魔女さんと話をしてみたかった」

「私と? なんだろう、ありがとうございます」


 ソルシエールは相手の感情を掴み損ねた。タチアナは、そのガラス玉のような透き通った目で、ソルシエールを見つめる。

 その先になにを見ているのだろう。


「あなたの二つ目のお名前を伺った事があるもので。お会いできて嬉しいですよ。それでは、また明日」


 その目を縁取る長い睫毛が上下に揺れた。

 それから完璧な礼を披露すると、タチアナは去っていった。


「なんて礼儀正しい…………」


 残されたソルシエールはぽつりと呟くが、それはそのまま雪に吸い込まれて消えた。




 残されたソルシエールは、ゆったりと宿街へ向かう。

 中心地をすこし外れたところに、安宿が集まっているらしい。

 ナターリアからその地域はオススメできない、と言われていたが、進むに連れてその理由が分かってきた。


 道の隅にちらほら人が転がっているのだ。

 どこの国に行ったって家を持たない人はいる。人の集まる首都はとくにそうだろう。そういう人たちはとにかく身なりが貧しく、いやな匂いがしたりする。ブランシュ王国だって一時期は溢れかえっていた。しかし、どうもそういうのとは違う気がするのだ。


 人間をやめている。

 もはや、肉塊といった方が近いのではないだろうか。

 生きているのか、いないのか。判然としない。


 肉が、溶けているのだろうか。ぶよぶよにふやけている。もはや顔の判別もつかない。ただ、それとなく察した年齢は皆若いらしく、中には少年もいるようだ。そして、不思議なことに、腐った肉特有の香りはしなかった。代わりに、ほんのりアーモンドのような甘い香りがする。

 寒いおかげなのかもしれない。きっと、春になって暖かくなったら恐ろしいことになるだろう。

 その前に、彼らは夜を越せるのだろうか。褪せた色の毛布に包まってはいるが、とても暖かそうには見えない。


 途中、ソルシエールは思わず足を止めてしまった。小さな広場の端に飾られた彫刻の陰に、隠れるようにして顔の崩れた男が蹲っていたからだ。その手にはクズ板に『お腹が空いた』と書かれていた。小銭を通行人に求めているのだ。かすかに残った頭頂部の金の髪が、赤ずきんを思い起こさせた。


 彼がその身を隠す彫刻は、少女をかたどったものだった。彼女は夢を見るように上を向いている。まるで悲惨な現実から逃避しているようだ。台座には『革命を生き延びた姫君』と題名が付いていた。


「自分から記憶を手放したのさ」

「え?」

「クスリだよ」


 声がかかった。

 すぐ近くで雪かきをしていたおじさんだ。彼はシャベルを動かす腕を止めると、ソルシエールに説明する。


「お嬢さん、観光客だろう。最近この街ではクスリに酔う人間が多いんだ。記憶を失う代わりに、この世のものではないほどの快感を感じるんだそうだよ。あんまり近寄りなさんな」

「依存性がたかそうですね」

「依存性ってなんだね?」

「止めたくても止められなくなる、って事ですよ」


 男性は肩を竦めた。


「そりゃそうさ。じゃなきゃこんなになるまでやらない。カラダがどんどん溶けていくんだ。それから、昇天さ。まったく死体を放置するわけにもいかないし、困ったもんだよ」

「ああ。死体があるだけで治安が悪化してしまう」

「そうなんだよ。それに朝になると、水たまりみたいになって凍りついてるんだ。酒に悪酔いした人間の凍死体の方がまだマシだな。人間の形をしているから」

「大変だなあ」

「そうだろう、そうだろう。最近この街は変なんだ。人はちょくちょく姿を消すし。まったく」


 はあ、とため息をつくと、男性はソルシエールをまじまじと見つめ、それからにや、と笑った。


「なあ、お嬢さん。旅行客だろう。一杯、どうだい? いい酒場を知っているんだ。案内するよ」


 ソルシエールは肩を竦めて笑ってみせた。


「遠慮しておきますよ。凍え死にたくないので」




  宿を見つけることに成功したソルシエールは、部屋の扉がしっかりと閉じられていることを確認すると、ベッドの上に足を組んで座る。

 扉が閉じられているとはいえ、安普請なためそこら中から隙間風が吹き込み、風が吹くたびに窓がガタガタと揺れた。


「おもしろい魔法なのに。なんで兄さんは習いたがらなかったんだろう」


 端がほつれた白いシーツ。

 ダニがいなさそうなのは幸いだ。

 それを汚すのは忍びなく、代わりにチョークで床に大きな魔法陣を描く。

 さらにその上にころころと丸いチョコレート菓子やら、真っ白なバラやらを撒き散らす。

 そしてベッドの上に戻ると、呪文を唱えた。


「『風よ、言の葉をどうぞ届けて』」


 さあ、大変なのはここからだ。

 ぎゅっと手を握る。


「『命を宿す者よ、お茶会をはじめましょう』」


 魔法陣から妖しい光が浮かび上がる。

 次の瞬間、その魔法陣からネズミの大群が飛び出してきた。

 あっという間に部屋を埋め尽くしていく。

 ソルシエールは、魔法の負荷を強めた。

 身体中の細胞が自らの居場所を見失ったかのように、悲鳴をあげる。

 けれど、魔法が功を奏して、ネズミの勢いは徐々になくなり、ソルシエールは窒息死をすることを免れた。魔法が完全に収束した時、ベッド以外はネズミの黒で一面が覆い尽くされていた。

 部屋の中はカビ臭い地下のような、獣臭い香りで満たされている。

 仮にも宿だ。後で掃除をしよう。

 ソルシエールは心に決めた。


「さあ、君たちの記憶を見せて欲しい。『どうか私を導いて』」


 指を弾く。

 ソルシエールはネズミの記憶を自分の脳に共有させる。

 ネズミは人間の言葉を理解しない。人間もまた、ネズミの鳴き声の意味を理解しきることはないだろう。その点で、ネズミと人間は世界を共有しない。

 しかし、人間の見ているものをまた、ネズミたちは同じように見ている。

 彼らのモノの見え方が人間と違うということはない。たとえば人間が三角の形をしたものを見た場合、ネズミにはそれが丸や四角に見えるということはないだろう。もしそう見えたのなら、別の角度から見たせいか、距離がちがうせいだ。人間から見た三角はネズミにも三角に見えるのだ。

 ソルシエールはネズミたちの『見てきたもの』が記憶化されたものを、一つずつ紐解いていった。

 記憶の細切れが、ソルシエールに流れ込んでくる。


 彼らのような小さな生き物は、それほど複雑な防壁を持っていないので、記憶魔法が使用しやすい。ネズミ以上に魔法の使用が簡単なのは虫だろう。しかし、ソルシエールは虫がきらいだった。


 記憶の中から赤ずきんやアルチュールの姿、『スミノロフ商会』のものらしいものを探す。

 時間が刻々と過ぎていく。

 切れそうになる集中力を懸命に引き戻し、ソルシエールは記憶の中を探索した。

 そして、ついに見つける。


「   あった」


 その口が得意げににんまりと弧を描く。

 しかし、それもつかの間。

 への字へと変化した。


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