宴
その日は、まだ日が沈みきらぬ間に、ひときは大きな満月が東の空に顔をだした。それは、眩いばかりの赤銅色に輝き、西の空に消えゆく深紅の夕日が鏡に映ったかのごとくの異様さだった。
今日、綾ねえが贄になる。そう思うと啓太は、家でじっとしてなどいられなかった。畑仕事をし、田の見回りに奔走した。動いていれば気が紛れる。そう思ったが、時折流れ出る涙をとどめることはできなかった。
贄が、いつから始まった儀式かは定かではないが、ここ九十九の里に伝わる神聖なものだった。古い伝承では贄に選ばれた者は、異界の地で暮らし、時が満ちた時、巫女として戻ってくるといわれている。それは数年なのか数百年なのか、大人か子供の姿なのか、誰にもわからない。異界と人間界では時の流れが全く異なっているからだ。
白い着物を着た綾ねえの一行が鎮守の森に向かっていく。綾ねえは村長の引く馬に横向き座り、うつむいている。嫁入りとは違い、角隠しはつけない。
あたりもすっかり暗くなった。月は真上に近づくにしたがい、赤から黄金色へかわっていった。森の中にある小さな祠の周囲5メートルほどに結界のしめ縄が張られていた。啓太は、そのしめ縄の外からじっと祠のほうの様子をうかがっていた。真夜中を過ぎたころ、あれほど輝きを放っていた月が消えた。あたりが暗闇に包まれると、いづこからか、
「ドンドン、チンチン、ピーヒャラピー。」
太鼓や笛などのお囃子が響いてきた。音は次第に近づいた。やがて、暗闇にも目が慣れてくると、祠の周りにうごめくものの姿が見えてきた。
笛や太鼓、臼に大八車。それは、さまざまな道具の群れだった。
「からくり?」
道具たちは、誰もいないのにかってに動き回っている。しばらくすると大臼にのった白い着物の綾ねえが祠の外に現れた。臼は大八車にそのまま乗った。大八車は道具たちに引かれひときは暗い空間へと消えていく。
「今宵は、めでたい月の夜。われらが主をお連れしろ。闇に追われし、われらのもとに白き光の主がくるぞ。」
道具たちは奇妙な歌と踊りを繰り広げながらゆっくりと去っていく。
「綾ねえ。」
最後の道具が消えようとしたとき、啓太は思わず結界の中へ踏み込んでしまった。