マッドな先輩VS真夏のオオカミ男
「物流や技術界において今やグローバル化は切っても切れない関係となっているのは自明の理だが、しかしアトウ君、ことオカルト分野でのそれらは驚くほど見過ごされてはいないだろうか」
夏休みも半ば。お盆を目の前にしてテンションが上がったらしい九多部先輩は朝っぱらから人を近所のちっさな公園なんかに呼び出してそんな事を言い放った。
連日の猛暑、ただでさえ外に出たくないのにこんな太陽がジリジリ照るような場所に駆り出される私の辛さがこの人は分かっているのだろうか。
「用がないのなら帰りますよ?」
先輩はアザラシのようなすまし顔をクシャリと歪める。
「いきなりツレナイコト言うなよ君、相変わらず眉ひとつ動かさないクールさだな。ちょっとは辛抱してくれよ、僕と君の仲じゃないか。それに、前口上はどんな時でも重要なものだよ」
「喧しいです。ホントのホンキで殺しますよ」
「物騒だな! いつも言ってるが君が言うとジョークにならない!!」
両手を上げて頬を引きつらせる姿は、しかし私には本気かふざけているのかわからなかった。
それもこれも先輩の顔がアザラシみたいなのが悪いんだ。
「コホン、ところでだアトウ君、この辺りで最近狼男と名乗る人物が徘徊してるらしいんだが、知っていたか?」
「ふざけてるんですね。帰ります」
「待て待て待て待て!! 悪い、俺が悪かった! だから話を聞いてくれ!!」
サッサと帰りたかったが、先輩がアザラシみたいにまん丸い目を困ったように濡らしたから、つまり可愛らしく涙を浮かべたので止む無く聞いてあげることにした。
可愛いは罪だ。
「で、狼男ですか?」
「ああ、うん。なんでも二週間ぐらい前から夜中の12時になると何処からともなく現れて、決まって女性にイタズラしようとするらしい。今のところ全件未遂に終わっているが、もし捕まったとしたら……」
「考えるだけで吐き気を催す性的な犯罪者ですね。警察の方が捕まえてくれるのを願いましょう」
「同感だね、こういうのは警察の仕事であって我々善良な一般市民は最低限の対策だけして関りにならないのが賢明な判断なんだろうさ」
背の高い鉄棒にもたれかかる先輩のいい方は不自然だ。
なんだか妙に嫌な予感に私は眉根をひそめた。
「……先輩が何を企んでいるのか知りませんけど、先に言っておくと私は協力する義理はないんですからね」
「でも、君には義務がある。なあ、もしもこの狼男とやらが本物だとしたら、果たして警察の手に負えるのかねえ」
「先輩だって何にもできないですよ」
「それはそうだ。でも、まあうん、アトウ君なら言わずともわかってくれるだろう」
あ、この言い方は私をおちょくってるやつだ。
このアザラシ顔は私をおちょくって楽しもうという腹積もりなんだ。
しかしこれが本当にわかってしまうから私という女はどうしようもなくこんな先輩に振り回されてしまうのだ。ちくしょう。
「……警察が捕まえる前に見てみたいんですよね」
「その通りだよアトウ君! やはり君を助手にしてよかった!」
先輩はいつも通りの満面の笑みで喜んだ。
私は先輩の助手をやらされている。
すすんででじゃない、弱みを握られて無理やりだ。
どうしてなのかこのアザラシ先輩は、他人の弱みを握る・つけ入る・強請る・脅すことに関してだけは天才的な能力を発揮する。
本当にそれさえなければ、どうして夏休みのこんな暑い日に先輩のオカルト趣味に付き合わなければいけないのか。
「それで、方針とか指針とかはあるんですよね?」
「もちろんだとも、何もないはずないだろう? あまり僕を侮ってもらっちゃあ困るな」
「侮ってなんかいません。ミジンコ並みのごみ男ときちんとした評価を下してます」
「ねえ、それってちゃんとした評価なのか? 僕ってそんなんなの?」
「で、方針はなんです?」
「うむ、実はここ数日で最近の奴の出没情報を洗っていたら、この公園あたりに次は出てくると判明したのだよ」
「相変わらず気持ちの悪い収集力ですね。詳しくは聞いてあげないです」
「懸命だね。あとついでに出没日にとある規則性を発見した。聞きたいか?」
「いいえ全く」
「そうか。それによるとだな、なんと本日出てくる可能性が非常に高いのだよ」
先輩はパンツのお尻ポケットから一枚のルーズリーフを取り出すと私の目の前に広げて見せた。
なるほど書いてあることのほとんどは先輩の悪筆のおかげで全然読み取れなかったが、一番下に今日の日付と出てくる場所の予想に赤のラインが引っ張ってある。
「となればわかるだろう。決行は本日、巷で噂の狼男の真実を突き止めようではないか!」
「嬉しそうに言うなです。どうせ気色悪い性的な犯罪者ですよ」
「それならそれで確保すればいいだろ。ともかく狼男だったらラッキーと思っておきなさい。はあ、楽しみだなあ」
「……はあ、憂鬱」
肩を落とす私をよそ眼に先輩は静かにスキップをしていた。
♪ ~ ~ 〈 ^ Σ ^ 〉
夜。昼間の暑さはどこへやらひんやりと涼しい風が前髪を揺らす。
満天の星と白い街灯が照らす夜道に私以外の人影はない。
「先輩、いつまで待たせるんですか……」
先輩が待ち合わせに指定した時間からすでに三十分が経過していた。
いまだにアザラシ顔は現れていない。
人をこんな時間にこんな場所に呼び出しておいて放置とは何事か。
陽気な鼻歌とともに自転車に乗った先輩が現れたのは、出会い頭に一発殴ってやろうと私が決意した時だった。
「いやー、すまないすまない。少し準備に手間取ってしまったよ」
「全然少しじゃないです。私怒ってます、プンスカです」
「悪かったよ、あとでトマトジュースジュースでも奢るさ」
「……いつまでも私がトマトジュースなんかで許すと思ってたら、それは大間違いなのです」
それはそれとして奢ってもらうのだが。
自転車の荷台からボストンバッグをおろして中をあさる先輩。
見ると髪の毛は朝と違ってボサボサ、服はよれて少し焦げている。
「先輩、何を準備してきたんですか?」
「んー、聞かないほうが君のためだと思うが、強いて言うなら捕獲装置というやつだよ、君もよく知ってるね」
先輩の言うわたしもよく知る捕獲装置とやらに私は一つしか心当たりがない。
アレを思い出して思わず背筋がゾゾゾと寒くなった。
「聞かなきゃよかったです」
「だろう? ……っし、準備完了だ。さてさてアトウ君、うれしいお知らせが一つある」
「なんです?」
「君に大役を授けよう。重要な役割だ、失敗は許されないが……やりたいか」
「遠慮しておきます」
「そうかそうか! やりたくて仕方がないか! そこまで覚悟が決まってるなら僕からは何もないさ。頑張り給え」
「頭痛のお薬持ってくればよかったです、うう」
涼しかった夜の空気が、むしろ寒くすら感じる。
アザラシ顔は愉悦にゆがんだ表情を手にしていた覆面ですっぽりと多い隠し、高らかに叫んだ。
「さあさあ皆さんお立合い! 今宵始まるは天下の人狼との大立ち回り! 街の安寧を脅かす獣の真は人かそれとも未知なる物の怪か! 今世紀最大にして神秘の邂逅は現に成りえるのか!」
「先輩、うるさいです! ご近所さんに迷惑です!」
この男が今この瞬間、間違いなく町の安寧を奪っていた。
★★★☆☆☆★★★☆☆☆
強姦は、俺にとって正義だ。
日常で虐げられ、蔑まれ、蔑ろにされ、貶められる俺たち男が、でかい顔をして街を闊歩する女を力のままに屈服させ蹂躙する。
ああ、何という快感。なんという暴力。
早く、早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く、犯したい。
野生の暴力の前では言葉や理性などなんの意味もなさない。
そして今の俺は、野蛮な狼だ。
行動を決めてからの数日のなんと素晴らしいことか。
夜な夜な街に繰り出してはオーバーコートに狼のフルフェイスマスク。
俺を見た女は恐怖を顔に貼り付け涙に頬を濡らす。
自分が強くなったという確信、なんでも出来そうな気分になる。
狼男は満月で変身する化け物だ。
俺は狼男なのだ。
夜の闇で化ける怪物、性と力の化け物。
狼男は無敵だ、少なくとも人間程度には。
夜の俺は無敵、誰に求めることはできない。
夜は十分に更けた。
さぁ、出かけよう。
公衆トイレで着替えて外に出ると、ちょうど具合が良いことに道を行く女の後ろ姿を見つけた。
ついてる。
乾いた唇をぺろりと舐めた。
サラリと腰まで伸びた黒髪。
おめかしをして、どこで男を貶めてきたのか。
鼓動が自然と早くなる。
深呼吸をして気取られないようにゆっくりと近づいた。
カツカツカツとハイヒールの音が響く。
風に揺られる木の葉が音を鳴らした。
マスクの中が漏れる吐息で蒸れる。
腕を伸ばせば届く位置にまで近づく。
さあ、今度こそ、コイツを、俺のなすがままに——。
「————とか、考えてんのかクソ野郎」
瞬間、背中に何かが飛び乗った。
重さに耐えられず体制が膝から前に崩れる。
地面にマスクが擦り付けられたのがわかった。
「!?!?」
「なーにが起こってるのか、わかってないようだなウルフマン?」
「先輩、これフルフェイスマスクです。本物じゃないです」
「なに!? くそう、コイツあろうことか狼男を語って俺を騙すとは度し難い」
「だからありえないって言ったでしょ、本物なんて」
背中からは女の声が聞こえた。
つまり俺の背中にのしかかってるのは女なのか。
「な、ナメるなよっ!!」
振り払おうとした瞬間に右手の関節を極められる。
ギシギシといやな音がなった。
「あだっ!!」
「おいおい、丁重に扱えよ」
「最低な性犯罪者に慈悲などあり得ませんので」
いきなり顔を持ち上げられたかと思うと、マスクを勢いよく引き剥がされた。
視界が広がる。
そこにいたのは、女装をした胡散臭そうな男と、太い縄を握った女の二人組だった。
「うへぇ、なんだコイツ変な顔」
「酷いですよ先輩。噛み付きますから近寄らないでください」
「ふむ、噛みつかれたくはないね」
なぜだ、なぜだなぜなんだ!
なぜ俺が、無敵の俺がこんな奴らに!
「お前ら、良い加減にしろ!!」
「ん、おやおや僕たちに拘束されてご不満のようだ」
「ふざけるな! 俺がやられるわけがない! ただの人間に、ただの人間なんかに狼男が!」
「んー、勘違い調子野郎ね。クズっぽさが増し増しだ。しかし君、一つ勘違いしているよ」
アザラシ顔の男はニヤリと笑った。
「勘違い?」
「そ、たしかに僕は人間だけど、こっちは違う」
ピッと指を刺された女は頬を赤らめ顔を背ける。
どういう事だ?
「先輩、余計なこと言わないでください」
「ん、なら記憶を消せば良い」
「なんだよ、なんだよ、なんなんだよ!!」
スンと、俺を見つめる女の目が真っ赤に光った気がした。
「それではやってしまいなさいな、純血のヴァンパイアガール」
そこで、俺の意識は途絶える。
☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆
気絶した男をそこら辺の木にくくりつけて、私たちは現場を後にした。
「いやー、全くもって無駄骨だったね! あんな小物男に釣られるとは」
先輩は偽物をつかまされたのが不満だったのか、ウィッグで乱れた髪を整えながらぶつくさ文句を言いつづける。
「だから言ったじゃないですか。本物のわけがないんですよ」
「だとしてもだな。もう少し手応えがある相手でもいいじゃないか! それがあんな小物で」
この先輩は人をなんだと思ってるのだろう。私以上に化け物なのは彼ではないのか。
「ところでアトウ君、君この後」
「結構です」
「まだ何も言ってないだろ?」
「大方わかります。私はもう血は飲めたので満足です」
これ以上先輩に付き合う気力はない。
しかし先輩は不思議そうな顔をすると、
「あんな小物の血で良かったのか? いや、不満足なら労をねぎらうのも兼ねてラーメンでもと思ったのだが」
ラーメンだと? まったく、私をなんだと思ってるのだ本当に。
「ラーメンなんて行くわけないじゃないですか。ニンニクが入ってるんでしょ?」
「ん? ああ、そうか。ヴァンパイアにニンニクはご法度か」
やっぱり。先輩は何もわかっていない。
私は先輩に向かってベーっと舌を出した。
「女の子に、ニンニクはご法度なんですよ!」
それだけ言って、私は家に向かって一目散に走り出した。