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翡翠の山頂  作者: 志摩鯵
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翡翠の山頂①




その神秘の山は、長い間、誰にも知られることもなく、まるで人間の目を避けるように立っていた。

まるで神が、それを願って配置したのか。

あるいは、自身が人から姿を隠したがっていたのかも知れない。


大ヴィネア帝国は、産業革命によっていち早く工業化を達成した。

蒸気機関の産み出す巨大なエネルギーは、かの大国を世界帝国へと伸長なさしめた。

地球の北半球の一角に勃興した、この国が赤道付近まで拡大し、やがて南半球まで踏破しようとしていた時代。


1850年7月17日。

この山に登頂したウルゲル・ヘルゲンは、彼自身の名からヘルゲン山と名付けた。


先だってヴィネア帝国によって植民地化されたマッチンマンガ王国。

そのマッチンマンガ総督府、測量局は、合法の盗賊団も同然であった。

彼らは、戦闘で制圧されたマッチンマンガを探索し、抵抗の意志を挫かれた原住民への暴行と略奪、蛮行を欲しいままにした。


始末の悪いことに長年、伝えられて来た宝を取り返そうとしたり神聖な場所に立ち入ることを妨げようと泣き喚く人々を見ると征服者たちは、同情を抱くより、むしろ残忍な征服欲を満足させた。


ヘルゲンは、まず悪質な愛国主義者だった。

彼は、自分がどれだけヴィネア帝国の忠実な臣民であるか証明するため、戦場で敵を殺戮する方法を望んだ。

つまり軍人である。


彼の目から見た時、征服地の異民族は、祖国の敵だった。

この土地は、ゆくゆくは、原住民を根絶やしにしてヴィネア人が占有するべきと考えていた。

これは、あらゆる征服者の軍隊の共通の理念であろう。


彼らにとって大勢殺す兵士が良い兵士であった。

そして良い兵士こそ献身的な国民であった。


次に彼には、野心があった。

それだけなら単に夢想家で終わったかも知れない。

しかし悪戯か運命で彼には、彼の思い付く所を実現できるだけの才能が備わっていた。


だから彼は、彼の悪意ある脳髄が生じる欲求を実行できる立場にあった。


帝国陸軍大佐に昇進した彼は、目ぼしい土地に部隊を進めた。

そこかしこで略奪と本来の測量任務をそつなくこなしながら、一部の良識ある部下を抹殺し、理解ある部下たちに恵まれた。

また私欲に塗れた総督府の幹部たちを鼻薬であやし、彼を掣肘出来る者はなかった。


だがノノラガガマ山を登頂したのは、全くの不本意だった。


「山登りですって!?」


一人きりになった大佐殿は、叫んだ。

その任務は、危険であるばかりか人も多くない貧困の根差した地域に入らねばならなかった。

実入りの少なそうな命令に彼は、友人たちに連絡を取り合おうとも考えた。


しかし何の気まぐれか。

ヘルゲンは、マッチンマンガの奥地にそびえる美しい山を登ってみたいと考えるようになった。


それは、手付かずの珍品がまだ残っているかも知れないという打算もあった。

しかし彼は、祖国の征服運動に名乗りを上げるだけあって未知なる場所を旅する興奮にも飢えていた。


「金銭や美しい美術品は、余の輝かしい功績を示す。

 いわば余の顕彰碑であるが。

 持ち帰って眺める品、他人に見せる分は、十分に得た。


 だが今、余が欲するのは、余の中の少年の期待をそそりて止まぬ秘境の景色か。

 そう、冒険だ。

 面白い。」


ヘルゲンが常になくロマンチストな発言を周囲にしているのを同僚たちは、はっきりと記憶している。

しかしこういった覇気、冒険心を軍上層部は、把握して、この狡猾な猟犬のような男を飼っていた。


ヘルゲン部隊は、速やかに評判通りの手際の良さを見せつけた。

他の誰も真似できない速度と手違いの少なさで部隊を進めると測量をこなしていった。


この場面で部下たちは、彼の実力を改めて感心させられた。


彼の部下の半分は、彼を山賊の親分だと考えて従っている。

あと3割が彼に逆らった同僚が冷徹な処分を受けたことを知って恐々と盲従した。

残る2割は、私欲に塗れた悪人の一方で非常に優秀な軍人だと尊敬していたほどだ。


「大佐!」


ヘルゲンがノノラガガマ山を登頂し終えると部下が驚くべき報告を持ち帰った。


「なんだ。

 原住民どもが抵抗運動でも始めたというのか、ドゴワンナ。」


壮健な軍人ヘルゲンは、雪と氷に閉ざされた世界でも部下を失望させることなく超人的な体力を見せていた。

また彼の知力、判断力は、他の者が疲労で低下している中でも健在であった。


「い、いえ。

 あれをご覧ください。」


部下がそういって遠くに見える山を指差した。


「ほう。

 …なかなか高い山だな。

 だが5000m級といったところか。


 なるほど。

 地図には、まだ載っておらんわけだな。」


ヘルゲンは、にんまりと微笑んだ。


「すぐに計画を立てるとしよう。

 …余の名前を、あの山に着けるためにな。」


この時、発見された山。

後のヘルゲン山は、周囲を山塊に囲まれ、人里から遠く離れていた。

このために今までは、誰にも発見されなかったのであろう。


それほど高い山でもなかったが登頂は、極めて困難だった。

そもそもここまで辿り着くことが大仕事だったからである。


「なんと厄介なことよ!

 補給部隊が近づくことも出来ぬ。

 まさに陸の上の孤島だ。」


ヘルゲン山に登る前に8000m級の山々の間を何十kmも歩き回らねばならなかった。

道ならぬ道を食料品などを携えて行軍することは、決死行も同じだった。


「並の兵では、あの山に挑むことも出来ぬ。

 原住民の中で高山になれた者どもを徴発して案内役に着けろ。

 帝国の名誉にかけて、あの処女地を踏破せねばならぬ。」


倒れて行く部下に代わって彼は、現地人に荷物の運搬などを任せた。


彼らは、未知のヘルゲン山に近づくことは、了解した。

しかし手前にある既知の山々は、聖地だ、霊峰だ、神、悪魔の住処だ、といって嫌がった。

ヘルゲンにとって頭を悩ませたのは、そっちの問題だった。


ある部下は、進言した。


「あのような信心深い蛮人ではなく、彼らの中でも不心得な者に協力を頼んでは?」


その提案に大佐は、すぐに力説した。


「馬鹿な。

 神も畏れぬ連中は、我々も畏れぬ。

 そんな軽薄で暗愚な輩は、信頼できぬ。


 本当に信心深いかは、ともかく…。

 断る者たちは、思慮深いことは、確かだ。

 軽々しく協力を受け入れる者は、この測量の危険性を理解しておらぬことは、容易に想像できよう。」


ヘルゲンは、この信条により彼の目で確かな人材を集めた。

それには、時間と根気が要ったが、この後、大勢が命を落とした。

その結果から顧みると彼の慎重さは、決して過分でなかったことは、間違いない。


1847年の発見から3年。

ヘルゲン山は、ついにようやく登頂された。


大佐の苦労に比べれば帝国本土の新聞の記事は、小さかった。

たかだか5000m強の山の登頂は、驚きを与える記録でもなかったからだ。

未知の~という話題も帝国では、ごく有り触れたニュースになっていた。


だが3ヶ月もするやヘルゲン山は、急に再び取り上げられるようになった。


原住民すら何千年も知らず。

神々の霊峰、悪魔の住処の奥に隠された神秘の山。

その頂が巨大な翡翠で出来ていることが知られたからである。


記者たちは、ヘルゲンに迫った。

質問は、一様に同じ物であった。


「なぜ山頂が翡翠で出来ていることを黙っていたのですか!?」


「余は、これまで数多くの土地を測量しました。

 現地民たちから聖地とされる場所も数多く冒しました。


 ああ…。

 しかしヘルゲン山が、何者かが計画的に秘境の中へ隠した、あの山が。

 巨大な翡翠の山頂を有していることを知った時。


 そう。

 初めて神の御意志を感じたのです。」


ヘルゲンは、はっきりと分かるほどに震えながら答えた。

彼は、これまでのヤクザな趣がすっかり失せてしまった。


このニュースを見た人々は、深い暗緑のいわで出来た巨大な角錐を想像した。

雪と氷と岩、白と黒の世界に佇む、陽を受けた神秘的な姿。

遠い異国の情景が脳裏に走った。


だが一部の人々は、その山頂を切り取って帝国の顕彰碑トロフィーとして本国に運ぶことを望んだ。




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