09話 護衛交代
「ぜったいぜったい、壊しちゃダメなんだからな?! 我の棲家なのだからな!!」
などと、クラオカミの腕に抱かれたままで不安そうに主張するクラミツハに、一行のほぼ全員が微笑ましい思いを抱いていた。
現在は冒険者ギルド管理の初心者用ダンジョンを攻略失敗し撤退した女王親衛隊が経験を積むための修行として、同じく冒険者ギルドの中級者用ダンジョンを危なげなく突破したクラオカミら、それにククリ、レア、サクヤの『暴走三人娘』が合流して、この地域で最上級難易度となる『水龍神の神殿』に来ているところなのだったが。
よくよく話を聞けば、この、水没し尖塔だけが水上に突き出ている水中神殿は元々クラミツハの棲んでいた神殿本殿で、クラミツハが現在はクラオカミと共にエイネールの街の外郭にある別殿離宮で同居生活をしているため、空き家となっている神殿を冒険者ギルドに譲り渡した上で、内部に水棲の魔物を放って冒険者の上級者向けダンジョンとして再利用しているらしかった。
冒険者ギルドの上位組織は傭兵国家である隣国のアゼリア王国であり、神殿そのものは公海とされるアゼリア内海にあるため、エイネールが所属するディルオーネ王国ではないことで――何しろ施設を破壊しても他国に迷惑が掛からないので――、二パーティ合流での攻略の選択となった。
と言っても、女王親衛隊の平均年齢は14歳で、王宮で歴戦の勇士たちに師事する機会が多く個人技量は同年代の一般人と比較すれば個々がそこそこの戦闘力を持ちながらも、冒険者としても騎士団としても経験不足の素人同然である感は否めず、今回の冒険は上級者の胸を借りる意味合いの方が大きいのだった。
「タクミさんが来れなかったのが残念でしたわね、アリサさん? 拳技使いで前衛というのは非常に珍しいですから、最も参考になったでしょうに」
浮遊椅子に座った姿勢で膝の上に顔を赤らめつつご満悦のククリ、レア、サクヤの三人を乗せて移動する盲目の女性が、後続する女王親衛隊のうちのアリサ=フィーナに掛けた声に、アリサは恐縮して慌てて頭を下げる。
「いえっ、タクミさんも忙しいみたいですしっ、あたしみたいな一般人に付き合わせてここまで呼んじゃうというのは申し訳なさすぎっていうか!」
「あらあら? そんなに畏まらなくてもいいんですわよ? 今日はわたくし、完全にプライベートで息抜きのお忍びですから。皆さんと一緒ですわね?」
そんな風に軽い口調で述べつつ周囲を見回したが、女王親衛隊の一行は全員緊張の面持ちで目線すら合わせずただ頭を下げるのみだった。
それも仕方のないことだろう、目の前に居るのが女王ククリの実母であり、アゼリア王国の全権を有する王国女王代理宰相、オキタ・ティースその人なのだから。
それに、ティースは雷神タケミカヅチの神器でもあり、六王神騎の三、『迅雷の電王』であり、魔道騎にも使用されている高出力電気モーターである魔道雷球の開発者でもあり、シェラの使う銃棍や王国主兵装の大砲部隊の各軍総司令官でもあり。
他国の平民出身なアリサ=フィーナ以外は全員アゼリア王国貴族の子女で構成される女王親衛隊に対して畏まるな、という方が無理な注文であった。
その他国の平民出身という一見縁の薄いアリサ=フィーナですら、一般民生用として販売されている魔道雷球モーター使用の電気バイク――魔道二輪を一台所有しているので、今やティースに尊敬を抱かない人間はアゼリア王国の影響範囲内国家では皆無に等しい。
魔道二輪に限らず一般にも、魔道雷球をエネルギー源兼駆動モーターとして使用する<電車>がアゼリア王国の魔道科学省設計、ドワーフ王国製造・運用としてクーリ公国を起点に大陸南部各国に線路を延長する事業が開始されており、まだ本数は少なく料金が割高であるものの、流通スピードが格段に上がったことで民衆の生活に莫大な影響を与えていることから、これらの政策を決定したティースの名は末代まで語り継がれるレベルで大陸全土に轟き渡っているのだった。
ティースの名を知らない大陸民は居ないのではないか、と思われるレベルで。
「……ククリ、眼帯をお父様とお揃いにしたのは別にいいのですけど。その眼帯は神力も魔力も相当に制限しますわよ?」
「いいのだ! とーちゃんも昔は自由に神力を使えなかったと聞いたのだ! ククリもとーちゃんとかーちゃんみたいに達人になるので修行するのだ!!」
「正直、それもいいとレアは思う。ノヴバイン」
「……常時垂れ流しだったので、節約を覚えるのはいいことだとサクヤも思うの」
膝の上に乗る三人娘たちの同意を受けて、あまり納得して居ない風ながらもティースは苦笑してため息をついた。そのまま、隣に並んだクラオカミを振り返り。
「ごめんなさい、お祖母様。神力も回復しきっておられませんのに、うちの娘が面倒なお願い事を」
「ひ孫の願いを無碍に出来る婆なぞ居らんよ。眼帯の方は単に神力の最終成型を阻害する法陣を多重にしただけじゃし、儂の神力を使っておるわけでもないしの」
言いながら、クラオカミは胸に抱いていたクラミツハをティースの膝から地面に降りたレアとサクヤに預け、しっかりとティースに抱かれたままだったククリに顔を寄せて言葉を続ける。
「眼帯を通して神力を使うように調整したのでな、阻害法陣もククリ自身の神力でそこに常時存在しておる。きちんと放出神力を制御して、法陣を通せば効果が発揮されるが、今までのように力任せに撃ち放つだけでは自分の力で自分の術を破棄する状態になるぞえ? 理解しておるな?」
「ちゃんと理解してるのだ! おばーちゃんみたいにすごく少ない神力で戦えるようになるのが夢なのだ!」
「ほっほっほ。ククリは頑張り屋さんじゃのう? しかし婆の真似は辛いだけじゃ、まずは制御からじゃな」
そんな風ににこにこと笑いながらクラオカミがククリの頭を撫でると、りんごのように頬を真っ赤に染めたククリは撫でられた手を両手で掴んで照れた風に笑うのだった。
「……というわけでな、すまんのお主ら? ここから先は辛いぞ?」
「「「「「……えっ?」」」」」
唐突にクラオカミに告げられて、何故突然にそんな言葉を投げかけられたのか意図が掴めず困惑の声を返してしまう女王親衛隊の一行。
状況は、水中神殿の入り口から回り階段を下り切って、最初の門に到達したところだったのだが。
「ククリの神力の99.999999999999999999999999999...%を封じておる状態であるからして、今までのようにククリが中心となった神力無双での突破は出来ぬ。――そして儂とティースはこの神殿が水中にある故に、戦闘に参加すると外壁を破壊して水没させる恐れがあるので戦闘参加出来ぬ。まあ最初から安全圏確保と助言役のつもりで同行しておるのだが」
がちゃり、とドアノブを捻り、両開きの扉を押し開けて行く様子を、いつの間にか中央に陣取ったティースとククリを中心に周囲に展開する形になっていた一行が見守る。
「この水中神殿は一般の冒険者がまず入り込まない本当の意味での上級訓練施設でな、タクミどの以下、神々が全力で遊んで魔物やトラップを配置してしまった超難易度を誇る、本来は我ら自身が遊ぶための娯楽施設でな? まあ我らがついておるので死ぬことはない故、実戦から学び取るが良いぞ」
がこん! と大きな音を立てて開ききった大扉の向こうには、どうやら既に異空間と接合しているものか、数十メートルに達するかという巨大な水蛇や硬そうな甲羅を持つカニや海ガメなどが本来の空間の広さを完全に無視しきった状態でそこら中に大量に跳梁跋扈しており。
眼前に広がる光景に身震いを通り越して全身に青縦線を背負い、顔面蒼白で立ったまま気絶するレベルで白目を剥いていた女王親衛隊の脳裏に、あるひとつの噂話が思い浮かべられていた。
――今や大陸最強の戦士と名高いアルトリウス王国初代国王フープ・アヴァロン・アルトリウスや、その義弟であるクーリ公国大公オキタ・タクミもクラオカミの戦闘訓練を受けたことがあり、それ故に高い戦闘能力を誇るのだが。……その訓練内容については思い出すこと自体が恐怖であるので多くを語りたがらない、という話を。
――――☆
「練習熱心だね」
「……こんばんは」
深夜にも差し掛かろうかという時間に、エイネールの港で単身覚えたての水系上級魔法の修練を練習していた緑目のフィーナに、背後に現れたタクミがそっと声を掛けたのだった。
「これは忠告なんだけど。今後はあまり単独行動をしないでくれると有り難いな。常に神族の誰かのそばに居て欲しい、っていうか」
「――これは推測なのですが。アゼリア王国からずっと、常に神族の誰かしらがわたしのそばに付いて監視していらっしゃいますよね? やはり、この大きすぎる魔力に起因するものでしょうか?」
眼前に浮かべていた巨大な水球を散らしながら振り向いて警戒心を露わにするフィーナに、タクミは軽く肩を竦めてみせた。
「監視、は的確じゃない。ぶっちゃけ、それだけ巨大な魔力を常時垂れ流しにしてるんだから、俺ら神族なら大陸の端に居たって君がどこで何をしてるのかは把握出来るし、俺らは『神の目』にアクセス出来るから君を見失うことはない。
――護衛、と言った方が正確かな。それと、その莫大な魔力の隠蔽ね。君の……、ただの人間の能力では一億六千万人分に達する魂の魔力を自分で隠蔽するのは不可能だから、代わりに俺らがカバーしてる状態」
「やはり……。この状態は危ないのですね?」
「うん。そうだね、絶世の美少女が肌着でスラムを歩いてるようなもん。……まあうちの娘がそんな真似したら、お尻ペンペンした上で変な視線向けた野郎どもを魂ごと永久に消滅させてやるんだけど」
後半に物騒かつ親ばか丸出しの内容を言いながら、タクミはフィーナから距離を取ったまま、拳法の練習で行う初期姿勢から、アリサがたまに行っている蟷螂拳の套路を開始する。ただし、その内容はアリサが行う同様のものよりも鋭く、唸りを上げる手足の振りは重く、激しい。
「アリサちゃんが眠ってるのが残念だけど、これが『弾勁』がきちんと入った本当の蟷螂拳。前にスパーしたときに手打ち全開でやたら攻撃が軽かったのが気になっててね」
全武術の達人なクルルが教えれば早いんだけどね、用事があって来れない、などと続けながら、アリサの流派である七星蟷螂拳とはやや違った、微妙に攻撃姿勢が低い秘門蟷螂拳の初歩套路を終了する。
「フィーナちゃんの解析力なら、アリサちゃんに足りないものが分かるでしょ? 伝えといてくれると有り難いかな」
「……腰回りを起点に全身各部の伸縮タイミングを一致しつつ最終方向性を統一させて腕部や脚部などの作用点に伝達することによる瞬間威力の増加、でしょうか」
「さすがうちの正妻が太鼓判押した解析力、それだけでも常人を遥かに超越してるね。智慧の神に気に入られるわけだ」
套路の演武を終えて、軽く微笑みながら近寄ろうと一歩踏み出したと同時に、フィーナが同じタイミングで一歩後ずさりするのが解り、タクミは立ち止まって苦笑するしかなかった。
「確かに、俺はこんなナリで見るからに怪しくて怖くて、まあ可愛い女の子なら何故自分にこんな怖い男が付きまとってるのか理解出来なくて怖がっちゃうのは分かるんだけどね。――正直に言えば、君ではなくてアリサちゃんの方を守ってるつもりなんだよね。……ハヤヒもそうだな」
最後の一言にフィーナはびくり、と全身を震わせてしまい、動揺を隠すためか、ローブのフードを目深に被り直した。
「……わたしは、アリサちゃんのついで、なのでしょうか?」
「俺個人からしたらそうだね」
「やはり……、タクミさまの態度からして、以前からそうなのではないかと」
「いや、そうじゃなくて、俺が技法を教えられる相手がアリサちゃんのみだってことで、――誤解しないで欲しいのは、クルルやクラさんみたいな君の魔術の師匠たちからしたらフィーナちゃんの方が直弟子だし、ハヤヒからすればどちらも大切な搭乗者、ってことで……、ハハッ、納得してないな」
フード越しに沈痛にフィーナが唇を噛み締めているのを見て取って、タクミは苦笑しつつ軽く魔力を片手の掌中に集め始めた。
「じゃあ、俺からフィーナちゃんに教えられる唯一にして最大の魔法を伝えよう。と言っても、君なら一回見るだけで十分だろうけど。――これだけは、水に限らずどんな元素系魔法でも再現不能。……内緒だよ?」
「え? あっ、待って、待って下さい! それは!?」
「もう遅い。見たからには理解したはず。――アゼリア王国聖神軍団の秘術、重力渦の習得おめでとう」
いたずらっ子のように、タクミはにやりと口元を歪めて見せた。
「と言っても、いま幹部の座に空きはないんで、そうだな……。フィーナちゃんには『聖神軍団の妹分』の称号を与えよう。何の権力もないけど、君も権力を欲しがらないだろうからね」
「卑怯ではないですか? 肝心なことは何も伝えず……、アリサちゃんたちが疲れて寝入ってしまうことも作為のうちでしょうか」
片手を上げて神力ゲートを形成し、さっさとそこを通過しようとするタクミの背に向けて、フィーナが恨み言を言う。片足を既にゲートの中に入れた姿勢で動作を止めたタクミは、再度肩を竦めてみせた。
「いろいろと忙しい合間を縫って何かと君らに便宜を図って来たつもりだったんだけど、どうやら逆効果みたいなんで、もう君のそばに来ることはやめとこう。後の説明は後任に任せるよ。……やれやれ、中学生くらいの女の子はほんっと扱いが難しいなあ。ククリは楽なのになあ」
ぶつぶつと呟きながら、神力ゲートを通過して姿を消すタクミ。しかし、神力ゲートはそれきりでは閉じず、代わって二人の女性がフィーナの前に現れた。
「後任、ということで、今日から私が付き従うことになった。『神刃の剣王』、鉄輪王国后ミリアムである。よろしく頼む」
「……まったくもう、タクミさんはほんとうに以前と違ってしまったのです。『王国典医』、クーリ公国妃タギツなのです、よろしくなのです?」
クーリ公国大公であるタクミが付き従うよりはマシ、とはいえ、あまりの大物の出現にフィーナが目眩を覚えたのは一般人としては仕方のないことだったのかもしれなかった。




