08話 初ダンジョン
一部分に「これの元ネタが解ったらおっさん」ネタが仕込んでありますが。解ってもスルーした方がよろしいでせう。
「あっ、久しぶり。今はフィーナちゃんだね? ――心配してたんだよ?」
と、声を掛けるハヤヒに、目に見えてフィーナはたじろぎ、その場に立ち尽くした。
「他の親衛隊騎と一緒に飛行魔道騎も送り返されて来たからね? 損傷はなかったけど、操縦者のアリサちゃんが怪我でもしてないかって心配になってね。……あ、これ、一応お見舞いのお花だったんだけど。要らなかったかな」
夕刻に近いエイネールの街中を貫く河川の橋の上で、質素な柿色のローブを一枚纏っただけの軽装なフィーナの姿は全身に浴びる斜陽のオレンジ色に溶けて、儚げに見えたハヤヒは何故かそこから不安そうなフィーナが光に溶けて消えてしまいそうな錯覚を起こし、予告なくフィーナの腕を掴んでしまう。
「……!」
「あっ、ごめんっ! なんか、掴まえとかないと、フィーナちゃんが消えてしまいそうで。ごめんね?」
「……いえ、大丈夫ですっ。あっ、そうか、柿色のローブだから陽光に溶けたんですね。夕暮れ時ですし」
「うん。すごく綺麗だよ。――妖精みたいだね」
話が続かずに、そのまま、橋の上に立ち尽くす二人。ややあって、ハヤヒは思い出したように胸に抱いていた青い花弁の花束をそっと、フィーナの胸に預けた。
「元気ならいいんだ、飛行魔道騎はちゃんと整備しておくから、いつでも帰ってきて持ってっていいからね? アリサちゃんにもそう伝えておいて。それと、あの晩はごめん、って」
ふっ、と淋しげに笑い、ハヤヒはフィーナがおずおずと自身の渡した花束を大事そうに受け取って胸に抱いたのを確認するなり、軽く手を振って踵を返した。その後ろ姿を、盛大に赤面しつつ、夕暮れの陽光でハヤヒに気づかれなかったらしいフィーナが、いつまでも見送っていた。
――――☆
「……えーっと、フィーナちゃんね? 確かに僕らは水が足りないね、って言ったけどもね……」
「いくらなんでも、ちょっと多すぎなのよ?」
「ちょっと調子崩しちゃったりしてるぅ? もう戻ろっかぁ?」
「悪いな、俺ら水系統持ちが誰も居ないからフィーナに負担集中してんよな」
親衛隊の仲間の四人に声を掛けられて、はっ! と意識を現在に戻したフィーナはようやく、自分の引き起こした惨状に気づく。
エイネールの南側の郊外森林地帯に新しく作られた、冒険者の腕試し用に故意に捕獲した魔物を繁殖させているダンジョンで、本日は同じく冒険者カードを持つクラオカミと、冒険に行きたがっていたミツハ、それに火力が強力すぎる残念三人娘たちと別れて、別パーティとして女王親衛隊の五人だけで探索中だったのだが。
初級パーティ用で全六層構造の第二層まで進むだけで前衛である騎士の二人が疲弊してしまい、フィーナも上級水魔法を修めたてとは言え、冒険者としてのパーティ連携に慣れていないことで、二層目で早くも場内休憩しようかと食事のために鍋に水を貯めようとして。
先日からぼうっとしていることが増えたフィーナが、鍋の器を遥かに超えて、全員のくるぶしまでが水に浸かってしまうほど水を沸かせてしまったのが現状なのであった。
「あっ! ごめんなさい、ちょっとぼうっとしてて!!」
すぐさま水の精霊に働きかけて水を沸かせることを停止させ、皆を濡らした水分を即座に強制移動させて瞬時に濡れた衣類を乾かす。
「凄いよね、今の一連の魔法って全部水系統だよね? 一属性を極めるのは全属性に通じる、なんて常々ティース閣下が仰っておられるけどね、やっぱり正しいんだねー」
ルーディスの感嘆の声に、一同が深く頷くが、フィーナの方は自分の失敗による余計な魔法を論じられている気がして、気恥ずかしく恐縮するしかなかったのだった。
――フィーナも疲れてるみたいだし、あたしが出よっか? 前衛三枚にして厚み増やして、後衛二枚で補助系統に特化したら押し切れないかなあ?
「あっ!? そっちの方が楽なのかもよ?」
念話によるアリサの提案に、後衛でもある魔道士のルーナが応じる。他のメンバーも口々に同意を示し始めた。
「そうだね? シェラは槍使いだからね」
「そっか、なんか補助やりづれえなって思ってたけど、槍使いのシェラと剣士のルーディスの間合いが違いすぎて連携しづらいのか」
「あうぅ、申し訳ないぃ。あたし、前衛っていうか中衛ですしねぇ」
謝罪するように片手で恥ずかしそうに顔を覆ったシェラに、全員で気にするな、という風に肩や頭を撫でてフォローしたのだった。
そう、シェラの持つ武装は、通常の長柄槍に射撃機能を持たせた銃棍槍と呼ばれるアゼリア王国独自兵装なのだが。
……長さが180センチと全員の身の丈を超えるサイズで、本来は戦場で回転させて遠心力利用で振り回したり薙ぎ払ったり、突いたりして使う武器であるが、この狭い通路が続くダンジョンという屋内戦闘では振り回す空間が確保出来ず。
突き技に頼るしかない上に、間合いの内側に入られてしまうと狭すぎて振り回せないこと、射撃しても命中しないことで防御手段がないために後退するしかなく、そのフォローを剣士のルーディスが自分のスペースを大幅に開いて行うことで、戦闘に時間が掛かり過ぎて前進出来ない状況が続いていたのだった。
「ああん、タギツお姉さまは地竜討伐のときでも普通に振り回して使ってた、って聞いてたのにぃ。悔しいですぅ」
――この狭さじゃさすがのタギツさんでも無理じゃない? とりあえず、フィーナ、代わるよ?
シェラの悔しげな言葉をやんわりと否定しながら、アリサがやはりぼーっとしたままのフィーナに声を掛けつつ表に出てくる。
緑だった瞳がすうっと真紅の光を灯す光景は、何度も交代を見ているはずの親衛隊の仲間たちでもいつ見ても幻想的な光景で、一瞬見とれてしまっていたことに気づき、別に慌てる必要もないのだが、さっと視線を前方に戻したのだった。
「さてさて、一応最年長なアリサおねーちゃんが、ひとつ頑張っちゃいましょうかねえーっ」
手早くフィーナの身体を包んでいた柿色のローブを脱ぎ去り、腰の後ろのポーチにひとまとめに畳んで納めると、アリサはその場で軽くストレッチを始める。
ローブの内側から現れた、元はフィーナのものだった身体は全身に筋力が漲るよく鍛えられた精悍な体つきに変貌し、心なしか顔つきも眼光がするどくなったように感じられるのだった。交代した際にアリサの固有魔力に身体が影響された結果の多少の身体変化である。
「そうだね、アリサさんが一番年長、というのはびっくりだったね」
女王親衛隊への入隊と女子寮移住から程なくして、当のアリサとフィーナ双方からもたらされた情報だった。
15歳でこちらの世界に転生したアリサは、生まれたばかりのフィーナの体内に同居したのだったが、フィーナの精神的な容量が少ない赤ん坊の状態では同時共存することが不能で、それからフィーナが七歳になるまでほとんどフィーナの精神の奥底でまどろむようにして過ごしており。
たまたま、悪夢にうなされたフィーナを脳内からの声で慰めたことがきっかけで、お互いがお互いにひとつの身体の中に共存するふたつの精神存在であることを自覚したのだった。
身体が帰属しているのは間違いなくフィーナの精神の方なのだが、フィーナの中で眠っていた七年間の間にアリサのそれもフィーナの身体に馴染むように変容しており、それが理由でフィーナの身体の操作権をお互いに譲り合うことが出来るのである。
ただし、フィーナの了承がない状態で、アリサだけが自発的に単独で表に出てくることだけは出来ないらしかった。つまり、これはフィーナが意識を失うとアリサも表に出ている状態が解除されてしまう、ということを意味している。
「んーと、15歳プラス7歳で22歳? でも15プラス15ならさんじゅ……」
「そこ! 計算しちゃいけないっ! あたしは永遠の15歳、アリサちゃん!」
嫌な計算を始めたサラディンにびしぃっ! と指を突きつけて言葉を中断させ、アリサは改めて全身に有り余る魔力を纏って、剣士で親衛隊隊長を務めるルーディスの隣に並び立った。
「タイミングとかはルーディスさんに合わせるね? あたしは戦ってるときは前しか見えてないし念話も聞こえてないことあるんで、剣の腹とかで叩いてくれるのがいちばん早いかも」
「女の子の身体を叩くなんて悪趣味すぎるね、なるべく僕の方が合わせるから左面は任せるからね」
苦笑して、ルーディスは両手に持つ片手剣と盾を掲げて見せ、アリサと軽く笑い合うと前方を見据えて再び通路を進み始めた。
――――☆
「もしかして、なのよ? これは悪気とかじゃないのよ。でも、考えると結論はそうだ、としか思えないのよ」
ルーナの言葉に、サラディンも頷き返す。
「俺もそう思う。シェラ、銃棍封印してみたらどうだ? どうも、破裂音で敵を呼び寄せてる感じがするんだよなあ?」
「あうぅ……、シェラもなんだかそんな気がしないでもなくですねぇ……、ほんっと、申し訳ないぃ、しくしく。シェラってほんとに役立たずなんですねぇ、ダンジョンだとぉ」
フィーナからアリサに交代したが、敵の密度が変わらないまま進み続けてやっと三層への入り口が見えた、というところで、生い茂る樹木に混ざって攻撃を仕掛けてきた樹木精霊や単眼触手に遭遇し戦闘を開始したのだったが。
戦闘中に大蝙蝠や鈴木土下座ェ門などが次々に現れるような複数魔物たちと同時に戦う状況が続くことで長期戦になってしまう流れが入り口からずっと常態化していることの原因が、シェラの銃棍の射撃音にあるのではないか、と思い至ったのである。
銃棍は実用化されてから僅か15年弱の歴史しか無いという非常に新しい武装であり、アゼリア王国とドワーフ王国、クーリ公国の三国以外では生産していないため、民間人の多い冒険者レベルで見ると非常に希少価値の高い武器で使用頻度も低いことから、敵対する魔物の方にもその音が何なのか知識として蓄積されていない可能性が高く、また『雷神の大槌』という異称を持つほどに射撃音が響き渡る轟音となる特徴があり、このような狭いダンジョン内では幾重にも反響し魔物召喚鐘代わりになっているのだろうと思われた。
「とりあえず、もうお昼過ぎるから、ここから引き返す方が得策だと思うなー? これはあたしのわがままなんだけど、お風呂も寝床もないこんなとこで一晩明かすのは勘弁、って感じで」
アリサの言葉に、女性陣の全員が力強く頷く。
冒険者ギルドが用意したアトラクションじみた人工の訓練施設とはいえ、故意に内部に知能の低い魔物を放って自生させている関係上、内部の壁や床は魔物の排泄物や死骸、飛び散った血液や臓物などで汚れきっており、直接床に座り込んだり、ましてや寝転ぶなどという行動は断固拒否したい状況がそこにあった。
「そうだね、じゃあリーダー権限発動! ――つまり、引き返すことにしようね。――どちらにせよね、最低限の緊急食糧しか持ち込んでないからね、継戦するにはちょっと進み具合がね」
「奥に進んだら更に魔物が強力になるんだろうし、半日かかって三分の一しか進めてねえ、ってのは俺らの力不足だよな? 最奥に到達するにゃ三~四日はかかるぜ、こりゃ」
ルーディスとサラディンの男性二人も継戦を諦めたことで、一行はそこで引き返すことになったのだった。……皆の予想通り、シェラが発砲を控えると、あれほど密集して出現した魔物たちの出現頻度そのものが減り、地上までの帰り道は拍子抜けするほど早々に脱出出来た。




