02話 散打
【2017/03/30】魔導機 ⇒ 魔道騎 に固有名詞を変更しました。
「おおお……、すごいね、これ!」
「<魔道騎>もすげェけど、乗ってるアリサも大概だよな。オレはちょっと浮遊しただけで船酔いみたいになってダメだったぜ?」
アリサ=フィーナがこの工房に来て三日目にして、やっと背面の飛行パックに魔力を通して浮遊、滑走出来るようになり、自分のやっていることに感動しているアリサを、工房横の試験場に出入りしている王宮関係者の一人でありクーリ公国公爵夫人の一人であるリュカが感嘆の声を上げて見つめていた。
《そんなにたくさんの人がテストしたんですか、この子?》
<魔道騎>頭部の外部スピーカーを通したフィーナの声に、リュカの隣に立つタクミとハヤヒが苦笑を浮かべて見せる。
「俺の嫁さんズから聖神軍団幹部からヴァルキリアから、幹部級は全員試した。――みんな、長時間浮かんでると空中酔いしたり、ちょっと高度上げると高所恐怖症みたいに怖がってダメだったんだよ。まあ、この世界って飛行機も気球もないから、何の支えもなく空中に浮かぶのって恐怖心の方が勝るみたいなんだよね」
《ヒコーキとかキキュウはわたしも分からないです。アリサちゃんとタクミさまの世界にあったものなんでしょうね。お話から察するに、空を飛ぶものなのでしょうか》
「ってか俺らに敬語は要らないから、ここでは。ふつーに呼んでくれちゃっていいよ? 公式の場に出ることは暫くないだろうし。で、今日は俺がアリサちゃんに用事があって来たんだけど、そしたら俺の嫁さんたちが集まってきた、ってだけでね。あとでもうひとり来ることになってるんで、フィーナちゃんはそっちの嫁に話聞いて貰う感じで」
さすがにアゼリア王国最大の領土があるクーリ公国の国主であるからか、いつもはたくさんの人間がひっきりなしに出入りしているこの工房兼試験場も、タクミらが入室してからはぱったりと人の出入りが途絶えている。
「あたしと? 何でしょう?」
怪訝そうな声でタクミに向き直ったアリサに、タクミが微笑みつつ言葉を続けた。
「魔道士ギルド長のシンディさんが君の冒険者カード作ったときに教えて貰ったんだけど、拳法使いなんでしょ? 俺と『散打』やらない? 俺、これでも八極拳士なんだわ」
「えっ、マジで!? えっ、あっ、どうしよ、めっちゃ嬉しい!!」
「サンダってなんだ? 模擬戦やるっつってなかったかオマエ?」
<魔道騎>を身に着けたままで嬉しげに声を上ずらせたアリサとタクミの様子を見比べながら、手首を軽く振って練兵場の中央に向かうタクミと、<魔道騎>に搭乗したままで同じくタクミと対面するアリサ=フィーナから距離を取りつつリュカが訊いた。
「えっと、スパーリングなので模擬戦と同じです。ただ、拳法使い同士の対戦を特に散打って言うんです」
いつもの捕蝉式を構えながらリュカに答えたアリサは、目の前に立ったタクミが自分の目の前で開いた片手の掌に、もう片方の拳を当てる中国拳法式の礼をしていることに気づき、慌てて構えを解いて同じように礼を返した。お互いに軽くその姿勢のままで頭を下げて、双方改めて構えを取る。
「うわぁ、礼しただけなのに感動に打ち震えちゃってる俺の気持ち分かる?」
「解ります! この礼をまたこの世界で出来るなんて、感動しちゃいますよね!?」
わくわくとした調子を隠さないままで答えながらも、アリサは真剣に目の前のタクミに向かってじりじりと構えを崩さないままで慎重に近寄って行く。
「あ、フィーナちゃんもこれ、ちゃんと覚えてね? 今からやるのはただの模擬戦じゃなくて、フィーナちゃんがどれくらい俺の使う魔法を分析できるか、どれくらいのレベルでアリサちゃんと連携出来るかってテストでもあるんで」
《解りました、頑張ります!》
響くフィーナの声に、うん、と軽く微笑みつつ頷いたタクミは、微笑みを消した刹那、両方の拳を逆向きにし指側を上向きに構えた姿勢から、一瞬だけ全身が沈んだ、と思った刹那、アリサの方へ向かって瞬間的に飛んで近づこうとしていた。
《アリサ、拳!》
「解ってる!」
突き出されたタクミの右腕の手首を素早く自身の右手の人差し指、中指、親指で摘んで掴んだアリサは、そのまま外側に折り曲げるようにして拳の力が向く先を逸らしながらタクミの身体を上に吊り上げるようにしつつ、前後に大きく開いていた自身の左足を素早く地を這わせるようにして腰の回転を中心に身体を入れ替え、踏み込まれたタクミの右のふくらはぎに向かって蹴り飛ばすことで足を刈り取ろうと――。
《ダメっ、アリサ、離れて!》
「硬あーっ?! びくともしないって、何でぇ??」
狙い通り見事に七星天分肘が決まったのだったが、アリサに吊り上げられて踏み込んだ軸足だけが地についている片足立ちという不安低姿勢になっていたはずのタクミのふくらはぎから膝にかけての部位に思い切りよく振り抜かれたアリサが乗る<魔道騎>の脚部は、蹴撃がヒットした瞬間にその場でぴたりと受け止められていた。
「くっ!」
タクミがそのまま反撃の様子もなく次の動きを見せないため、アリサは即座に別の攻撃に切り替え、上に吊り上げたタクミの右腕を離さないままで更に自分の方に引き込むと同時に、蟷螂拳の特色である多彩な連続攻撃として自分の左腕と左膝で瞬速の連打をタクミの右脇腹、首、顔面の三ヶ所に打ち放ったが、それは不安低姿勢のままであるはずのタクミの右肩と膝、肘による防御であっさりと防がれたのだった。
《ダメだってば、アリサ、離れて、早く!!》
「もう遅い、俺の距離だ。――アリサちゃん、フィーナちゃんの解析力はマジで物凄いんだよ。忠告はちゃんと聞いておこうね、これは勉強代」
鼻が触れ合うほどに近くに寄せられたアリサの眼前で、少し不機嫌そうに見えるタクミがそう言い放った瞬間、アリサの全身にぶわあっと鳥肌が立つと同時に、圧倒的な恐怖感がアリサとフィーナの精神を痺れさせた。
と、タクミが上に吊られていた自身の手を振り解き、身体を下に屈め、それが真っ直ぐに伸ばされた腕と共に自分の胴体に肩から突っ込んできた……、とアリサが思った刹那。
ばんっ!
という炸裂音と共にタクミの肩と腕がアリサの<魔道騎>の股間付近から首下までに縦一文字の衝撃を与え、タクミの腕がそのまま上方向90度に振り抜かれる……大纒崩捶と同時に、全備重量2トンを超える、とハヤヒから説明されていたはずの<魔道騎>は軽々と吹き飛ばされ、為す術もなく空中を後ろ向きに舞っていた。
「あっ。――やりすぎた」
という、吹き飛ぶアリサを目で追うタクミの声がアリサに聞こえたかどうか。中庭の敷地内を遥かに超えて今にもその先にそびえ立つ建物の壁面に衝突しよう、と思われた矢先に、<魔道騎>と建物の間に割って入ったリュカが、<魔道騎>の背中を支えながら壁についた自身の足から壁に向かって魔法陣を展開し、壁の損傷も防ぐ。
<魔道騎>の重量2トンプラス、吹き飛ばしたタクミの拳技の威力をその場で単身受け止めきったリュカは、軽い動作で魔法陣を蹴ると、その2トンある<魔道騎>を片手で軽々と小脇に抱えたままで再度タクミの方に飛んで戻り、そっとアリサ=フィーナの入っている<魔道騎>を地に降ろした。
が、あまりの驚愕の余波か、そのままぺたんと尻餅をついてしまったアリサ=フィーナの姿に、その場にいたタクミ、リュカ、ハヤヒの三名は苦笑するしかなかったのだった。
――――☆
「はいっ、おさらいですっ。フィーナちゃんはちゃんと警告を出したんですよね、タクミくんの魔法や動作を見て、動きを予測して? どうしてアリサちゃんはそれに気づかなかったと思いますかっ?」
「……分かりません。解析した通りに画面内に注意書きを書いて窓にして出しました」
半失神してしまったらしいアリサからフィーナに交代した状態で、アリサ=フィーナ――いや、フィーナ=アリサの身体はそのまま<魔道騎>を装着した状態で、フィーナの<魔道騎>との接続が途切れたことで当然ながらフィーナの視界は兜の中で真っ暗のままであり、その状態のフィーナに質問と説明を行っているのは、遅れて中庭に入ってきた「タクミ公爵の正妻」と説明を受けた、クルル、と名乗った猫の獣人の女性だった。
「うーん、そこがミスなんですよー。ちょっと試してみましょうね。自分がアリサちゃんになったつもりで画面を見て下さいっ。過去の映像出しますよー?」
言われるままに真っ暗な兜のままで何も見えない前方に注視していると、外部から魔力が注ぎ込まれる感触と同時に、目の前が徐々に明るくなり、先程アリサが見ていたタクミと対戦中の視界が再現され、礼が終わってお互いに構えを取ったところから映し出されていた。
「他人の視界を見ている状態になりますのでちょっと酔うかもしれませんけど。問題点が判りましたかっ?」
「あっ……?! 判った、と思います! アリサちゃんってば、対戦相手の全身以外の場所を全く見てません!」
「うん、第一の正解ですねっ。さすがみんなが褒めちゃってるだけのことありますっ」
うんうん、と頷いたクルルは、興奮したように前のめりになりつつあったフィーナの着る<魔道騎>を優しく肩を掴んでメンテナンス用の腰掛けに引き戻し、軽く<魔道騎>の兜越しにフィーナの頭を撫でた。
「そう、格闘技の経験者や剣士や騎士、戦士といった戦闘職の方々は、相手の次の行動を予測しようとして、少しでも動きのある場所を発見しようとして全身をくまなく観察してるんですねっ。で、フィーナちゃんが出した警告文がこれですけど」
言われて、確かに自分が先程出した警告の文章が、クルルが強調しているものか枠線が赤く点滅表示されている。それは、目の前に映るタクミの過去映像よりも遠くに離れた画面の端の方に小さく表示されていた。
「ぶっちゃけると、こんなところにこんな小さな文字でこんなに大量の文字を書いたって、戦士は読みません。読んで理解するのに0.5秒以上かかる文章を対戦中に出すのはダメですね。タクミくんの最後の攻撃は警告を受けてから0.3秒ほどで発動したでしょう? アリサちゃんが文章を読んで理解する前に宙に飛ばされてしまいますねそれだと」
「あうぅぅ……」
口調は優しげながら、内容の徹底的なダメ出しにフィーナは恥ずかしさでその場から逃げ出したい思いに囚われていた。が、更に優しげにクルルから声が掛けられる。
「そこでっ、この画面開発に全面協力したこのタクミくんの正妻っ、猫耳美少女クルルちゃんが、どーんと的確な表示方法を教えちゃいましょうっ! はい、また最初から巻き戻しますよー? 今度はクルルが映像の中で注意点を表示しますから、覚えて下さいねっ?」
言われて、こくりと首肯したフィーナは再度表示画面の中で逆回しに巻き戻される映像を真剣に見つめていた。と、すぐにその画面は礼をした直後にお互いが構えを取る時点に戻って、そこから再生される。
「……あっ! そうか、発散魔力量や放出部位なんかは円形や三角の図形で、数値が増えるときに赤色に変えたり数字を大きくすればいいんですね!」
「あはっ、さすが魔道士ギルド長が太鼓判を押した解析力! そう、文章が読めないのなら、見た瞬間に理解出来る別のものに置き換えてやればいいんです。――画面の中のマーキングの意味や解析した注意点なんかはこれでぐっと理解しやすくなったでしょう?」
「はい、気づきませんでした! ありがとうございます!」
言われた通り、警戒すべきタクミの全身の部位に白から赤までの段階的な色違いの小さな円形マーキングが表示され、特に注意すべき魔力を込めた部位には真っ赤な円がくるくると回ってその中に魔力数値が上昇しており、またタクミの眼帯の上には小さな矢印が置かれ、タクミの視線の向きを示しているらしかった。
「相手の視線にも意味があるんですね……!」
「相手の視線は自分の隙のある場所を探していると思っていいですね。逆に言うと、相手の視線が自分の攻撃タイミングと思ってもいいです。視線が外れた瞬間に相手が見ていない死角方向から打撃したら、すぐには反応出来ないでしょう?」
その言葉が、まさに最後のタクミが自分たちに向けて最後の打撃を放つ直前だった。目の前に間近に寄せられたタクミの顔面に視線が吸い寄せられてしまっていたが、視界の端にはタクミが構えた右腕に強烈な魔力が結集している様子が、クルルが操作表示する画面にはたくさんの注意マーキングと共に表示されていた。
「さっき、わたしもこういう風に表示させていれば、……勝てないかもだけど、もっとアリサちゃんは善戦出来たかもなんですね」
「アリサちゃんの方も文章が邪魔で故意に読まなかったのはあるでしょうね。それと、声で注意してたそうですが、戦闘中の戦士は周りの音も聞こえなくなることが多いので、音声注意は止めたほうがいいです。注意力も散漫になりますしね、これはクルルの経験談ですけどっ」
てへっ、と笑ったクルルが軽く舌を出すのが見えて、緊張と反省でいつのまにか全身に力を入れていたことに気づいたフィーナもつられて笑うと同時に力を抜き、兜を外して裸眼で周囲を見回した。
と、非常に不機嫌な顔で自分の着る<魔道騎>の前面装甲を工具片手に点検しているらしいハヤヒに気づく。
「ほんっとにもう、いくら神鉄装甲で魔力込めれば形状戻せるって言ったってやりすぎなんだよねタクミさん。こんなかわいい女の子相手に、全力じゃないとは言ってもあんな勢いで殴りつけるなんて。絶望的に手加減が下手だってリュカさんが言ってたの、これ見たら納得だよまったく。――あ、フィーナちゃん怪我してないよね? 内部衝撃は全部外側の装甲で受け止める設計なんだけど」
潤滑油なのか、黒っぽい油であちこちを汚した顔をフィーナの顔に近づけたハヤヒが、気遣うようにフィーナに声を掛ける。
「えっ、あっ、大丈夫です! ……可愛くないですよわたし、リュカさんやクルルさんの方が凄いし、……大きいし」
「え? 何か言った?」
再び装甲のチェックに戻りかけたハヤヒが動きを止めて聞き返したが、自然と小声になって行った返事の後半は聞こえなかったらしく、フィーナは頬を染めつつ慌てて首を横に振り。
ハヤヒによって手際良く装着解除されていく<魔道騎>の内部から現れた自分の薄っぺらい生身の胸部装甲と、隣に立つ全開の笑顔でタクミとリュカの模擬戦の様子を見つめているクルルの巨大質量の胸部を見比べ、誰にも聞こえないようにフィーナは小さくため息をついたのだった。




