転神II プロローグ
タクミの帰還から5年後、主人公は15歳の女の子!
「どーしよぉーアリサぁ、お金ないよぉーしくしく」
とぼとぼと、肩を落とし泣きながらアゼリア王国の王都アグアの街路を歩く長衣姿の少女が、誰かに向かって一人で呟いていた。
《そーんなこと言ったって仕方ないんじゃん、フィーナ? まさか試験に落ちてるなんて気づかなかったんだし。つーかさ、魔道士ギルドの方の手違いなんだから、帰りの路銀くらい世話しろってのよねえ?》
そんな声が、フィーナ、と呼びかけられた少女の脳内に響く。
「困ったよぉー。手持ちないから馬房から魔導二輪も出せないしぃ。あと、アリサには関係ないけどぉ、わたしの今晩のご飯もないしぃ。――はあぁ。詰んでる……。あれっ? ここどこぉ?」
《知らないよ? フィーナが歩いて来たんじゃん? ていうか、どこに向かってたの?》
「えっ? いや、魔道士ギルドの入り口で不合格の通知受け取って、わたしすごいショックで、なんとなく歩き出して……、特に目的っていうのはなくて……」
《迷子じゃん! フィーナはぼーっとしやすいから気をつけな、っていつもあたし言ってるのに!》
「あうぅ。アリサの方が年上だって言っても、そんなに怒らなくてもっ」
《いいから、ここ裏路地っぽいから……、ダメだっ、フィーナ、走って、早く!》
脳内から響くアリサの声は、一足遅かったようだった。いつの間にか、かなり狭い路地に入り込んでいたフィーナは、身なりの悪いならず者の集団に前後を挟まれ、退路がなくなっていた。
「あっ、ごめんなさい、急ぎますので! ……きゃっ、嫌っ! 離して下さい!!」
「そーんなつれないコト言ってんじゃねーヨ、可愛いお嬢ちゃんよぉ? 12~13歳ってトコかあ? 今晩はお兄ちゃんたちと、いいことして遊ぼうぜエ?」
間をすり抜けようと駆け出したフィーナの腕を素早く掴んだ男の一人が下卑た言葉を掛けると、周りの男達が一斉に笑い始めた。
「わたしもう15歳ですもんっ! 帰りますので、離して下さいっ!」
「おおーぅ、15歳、いいねぇ? ちょっとばかし出るトコの成長が足りないみたいだけど、大人の女ならお兄さんたち全員と遊べるよねぇ?」
「いやっ、いやあっ!! 誰か助けてぇーーーー!!!」
「ハハハッ、そそる声でそんなに誘うもんじゃねーよお嬢ちゃん、お兄ちゃんのきかん坊はもう辛抱タマラねえっつの」
《フィーナ、『代わって』! あたしが出る!!》
脳内にアリサの声が聞こえた刹那、がくん、とフィーナの身体が崩れ落ちた。
腕を掴んでいた男がその身体を咄嗟に支えて、地面に倒れるフィーナの身体を支え……、たと思った刹那、男に掴まれていない右腕を軽く地面に付けたフィーナが、その手を軸にして身体を半回転させ、身体を覆う茶色のローブの裾をはためかせながら腕を掴み続ける男の顔面に逆立ち蹴り、穿弓腿を放った。
「がはっ?! 何しやがる小娘、優しくしてやってりゃつけ上がりやがって!?」
「やっばー! フィーナ、マジでぼーっとしすぎだって!! 五、六人? 最悪、荷物諦めて逃げるしかないっかな?」
先程までとは口調をがらりと変え、瞳の色が薄緑から真紅に変化した、フィーナだった女の子――、アリサはローブの前合わせを素早く解いて脱ぎ去り、腕の付け根から先の肌を全て露出させた丈の短い短衣に下半身は黒いスパッツのみという動きやすい姿となっていた。
そして、猫科の猛獣のように柔らかな身のこなしで、前かがみの姿勢のように太ももの中ほどまでをぴっちりと包むスパッツ越しの左足を極端に前に出してつま先立ちした姿勢から、両手の人差し指、中指、親指の各三本のみを摘んで突き出すような独特の構え――蟷螂拳の蟷螂捕蝉式を取っていた。
「変な構えしやがって、やる気かぁ?! はっ、お嬢ちゃんは激しいのがお好きらしいぜ、やっちまえ!!」
叫ぶなり、見え見えの大振りですぐ左から殴りかかってきた男に対し、そのパンチを軽く回転させた片腕で摘むように握るとパンチの勢いに逆らわず手前に引き取り体勢を崩させ、ほぼ同時に片足立ちになっていた男の足を自身の後ろ足で刈り取る七星天分肘によって、その場で派手に転倒させる。
続けざまに、背後から掴みかかるように走り寄って来ていた別の男に対して、身を屈めると同時に先程蹴った足を伸ばし切ったままで鋭く後方に半回転させる後掃腿によりもろに両足を同時に刈り取り、やはり先程の男と同様にその場で倒し、素早くそのままクラウチング・スタートのようにダッシュして走り抜けようと――、したのだったが、角から現れた身の丈2メートル近い大男の登場によって、その逃走は防がれてしまったのだった。
「やっべ。――体格差ありすぎ」
「見たこともねえ技だったが、ガキにしちゃいい度胸だった。だけどなあ、武術ってのは体格なんだよ、お嬢ちゃん? 見たところパワー不足って感じだよなあ? 起きろ馬鹿野郎ども! 全然効いてねえだろうが!!」
大男の言う通り、アリサによって転倒させられた男たちは、それぞれ軽く頭を振りながらもすぐに立ち上がる。
小兵故に体重がなく、打撃の全てに体重が乗らないためにタイミングに頼って転倒させる技を主体に使った結果だった。
「さァって、ここまで舐めたことをしてくれたんだ、お仕置きはキツめに――」
どごぉっ!
言葉の後ろに被った打撃音と、アリサの横を瞬時に通り過ぎた人影に、アリサは目を丸くしてその人物の背を見つめた。
「ハヤヒ! この降り方は問題がある! ……ククリが顔面を思いっきりぶつけたっぽい」
「無茶言わないで下さい、タクミさん。二人分抱えて飛んでた僕の身にもなって下さいよ」
ぼやきながら、どのような原理で飛行していたものか全く不明な、見たこともない全身甲冑から金属製の翼を広げ、空から舞い降りて来た少年らしき声の――表情は兜に隠れて見えなかった――持ち主が、アリサの背後に着地してアリサの背を守るように背中合わせになる。
「あー、君たち。ここがどこで、この子が誰だか理解した人から、全力で国外に退去しなさい。一日だけ待つ、と事前に仰っておられたけど、約束が守られるかは俺は保証しないよ?」
どうやらハヤヒ、と呼ばれた翼の甲冑の少年が、空中で青年と少女の二人を投棄分離した後に、その飛行速度を保ったままで落下しアリサの前に立ち塞がった大男に直撃したもの、と推測された。
その全身を幾何学模様の金と青の軽甲冑で覆った眼帯の青年――タクミが、そんな声を男たちに投げかけた。
「まっ、まさか! 女王ククリ陛下?!」
「やっべえ、竜弓姫だ、なんでこんなとこに! じゃあこっちは魔王タクミか!! 王国の厄ネタじゃねーか、逃げるぞ、殺されっちまう!!」
「……あうぅー、とーちゃん、顔面が痛いぞ」
男たちが口々に叫んでその場から逃げ散る間に、どうやら眼帯の子に前抱きにされたまま落下して来て、そのまま大男に衝突したと思しき女の子が、耳に残っていつまでも消え去らない鈴の音のようなころころとした声色でありながら、片手で顔面を包んだまま、下町の子供のような粗野な言葉遣いの言葉を発した。
巫女服でありながら、大胆に朱色の袴をミニスカートに変更した姿で、太ももから下の生足を晒した、超絶、と形容しても良いほどの美を結集させたかのような美少女で、その片手には弦のない、2メートルを超えるほどの巨大な竜の爪と牙をあしらった装飾の弓が握られていることにアリサは気づく。
「自分で飛べば飛べるだろうに、俺の抱っこにこだわるからだっつの。あと、とーちゃん言うなし」
「何を言うのだ、とーちゃん! とーちゃんに抱っこされるのはククリだけの特権なのだ!!」
「レアもタギツもタキリにサヨリも抱っこするんだからオマエだけの特権じゃねっつの。俺の最愛の娘だけどなっ。……っと、落ち着いたかな?」
周囲の男たちが蜘蛛の子を散らすかのように一斉に逃げ去り、路地に自分たち三人だけが残されていたことに気がついたアリサが、タクミに声を掛けられてようやく安堵したかのように大きく息を吐き、ぺたりとその場に尻餅をついて座り込んだ。
「いや、ごめんね? 魔道士ギルドと冒険者ギルドと、王宮試験工房とか王立技術部とか、あちこちで君の検査と連絡と通知がいろいろ錯綜しちゃってね。
そっちの孤児院に『別の試験の合格通知』が魔道士ギルドの名前で通知されちゃったみたいなんだよね?」
背後に立つハヤヒが、振り返りながら兜を上げ、背格好に相応の少年の素顔を晒しつつ眼前に片手を立てて謝罪の言葉を述べてくる。
「マジごめん、事務手続きミスだから。ちゃんと合格してるんだよー、村に帰る必要ないんだよー?
合格したのは希望の魔道士ギルドじゃないんだけど……、とりあえずその合格したところに案内しようか」
ハヤヒの言葉の後を継いだタクミが、さほど力のあるように見えない細身で居ながら片腕のみで絶世の美少女――ククリを軽々と抱き上げ、空いた手をアリサの方へ差し伸べる。
そのときになって初めて、アリサはタクミの両手両足が義手、義足であることに気づいた。
「えーっと、書類じゃフィーナさん、になってたけど。『橘亜里沙』さんって呼んだ方がいい?」
「えっ?! なんでその名前を……」
「それはまた後で。俺も君と同じ『異世界転生者』なんだけどね。――でっ。アリサちゃんにお願いいっこ、いい?」
アリサの手を強引に掴んで、立ち上がらせたタクミが、その掴んだ手を離さないまま、顔を近づけて静かに告げる。
「アリサちゃん。空、飛んでくれない?」
「ふえっ? ふえぇぇぇ???」
混乱の極地に達したらしいアリサが涙目になって頭を抱える横で、ハヤヒが苦笑しつつタクミに向かって「また奥方に怒られますよ、天然タラシモードですよ」などと軽口をかけていた。




