06話 ほんとうは怖くない大工の親方
今回は三人称が混じります。
「やって来ました教会の現場、今日からここで俺の2回目のとび職人生が始まります!」
「なんでそんな見たこともないような突き抜けたテンションになっちゃってんのぉ?」
普段少ない口数、かつ無口で表情だけを微妙に変える程度のタクミが起き抜けからハイテンションを維持していることに対し、やや低血圧気味のシルフィンはあくびを噛み殺しつつ、異様なものを見るような目でタクミの後に続いていた。
聞かれたクルルは苦笑しつつ、シルフィンにだけ聞こえるように耳に口を寄せて囁く。
「……ふんふん、――ああ、なるほどぉ。お爺ちゃん子でぇ、お爺ちゃんが高所作業職だったのねぇ。
でも高所作業職やるスキルはあるのかしらん?」
「ないと思いますっ」
苦笑を崩さないまま、先頭を張り切って歩くタクミを優しい眼差しで見やりつつ、クルルは肩をすくめて断言した。
恐らくタクミは前世の全職経験を活かせるつもりでクエストを請けたに違いないが、『この世界では誰でもが魔法を使える大前提』に思い至っていないのだろう。
殆ど全く魔法を使用できない不便に受付のシンディも、シルフィンもクルルも全員がそれをその場で指摘しなかったのは、自分の体験で思い知ることによる衝撃の大きさを考慮した上のこと。
ただの村人で終わるならともかく、冒険者をやると決めている以上、そこを自分で気づく大切さは自己経験から学ぶべき、という冒険者の初歩知識。
最初の三回のお試し期間を、全て成功裡に終わらせることが出来る初心冒険者は、実は少ない。
敢えて失敗するような経験も含めて、後のお試し期間終了後の独り立ちに役立たせるための先達の親心、とも言える。
「まぁ身体強化レベル1程度で有頂天になっちゃってる感じはあったしぃ、最初に勘違いに気づくのは大切だもんねぇ」
「そこの部分はっ、まぁっ、シルフィンさんに感謝してもいいかなっ、と思わないでもないですねっ」
目線を合わせぬまま、そっぽを向きつつ感謝の意を述べるクルルに、シルフィンは目を瞬かせながらクルルの方を見た。
「へえぇ、意外ぃー。クルルちゃんってばぁ、タクミくんを甘やかせるだけなのかなぁーっと思ってたわぁ」
「ただのクルルで結構ですよっ。そりゃ神器と神使ですしっ、神器の願いはなるべく全部叶えてあげたいとは思ってますけどねっ」
「じゃ、あたしもただのシルフィンでいいよぅ」
顔を見合わせ、二人は軽く笑みを交わして目線をタクミに戻した。
禿頭に捻り鉢巻を締めた親方らしき壮年の人物が、紺衣装の作業着集団に作業内容を説明している。
その先頭に目をきらきら輝かせた背の低い男児――タクミがいちいち大きな動作で首肯している様子は、誰がどう見ても「微笑ましい」以外の感想を持つまい。
「よっとぉ。ここら辺でいいかなぁ」
積み上げられた材木資材に腰掛け背を預けて、シルフィンは親方に小脇に抱えられて教会の屋根に至る登攀途中のタクミを見て微笑んだ。
本人的には自分で登りたかったのだろうが、重力魔法を使ってはしごも階段もなしに高所に登る職人集団に魔法なしのタクミが追従することなど出来まい。
「あの親方さんは多分っ、タクミが子供だからって甘やかしたりはしないでしょうねっ」
隣に腰掛けたクルルが同じようにタクミの様子を見やりながら呟く。
背の小ささも然ることながら、一人だけたくさんの道具を腰に下げてうろつく様子はどう見ても新人のそれだ。
「甘やかさないどころかぁ、相当厳しく怒りまくりそうな気がしたなぁ」
「同感ですっ」
「まぁ、タクミくんが落ち込んで帰る頃にはぁ、お姉さんの胸を貸してたっぷり泣いて貰ってもいいしぃ」
「ふっ、シルフィン、残念ながらそこは譲れませんっ」
「えぇー、毎晩一緒に寝てんだからそれくらいは譲ってくれていいんじゃないのぉ?」
言外に「あの可愛さを独り占めはずるい」と頬を膨らませるシルフィンに、勝ち誇るクルルは満面の笑みを浮かべつつ「まあっ、タクミくんの方から泣きつく分には何も言いませんよっ」と妥協するに留めた。
――――☆――――☆
「おう。坊主よぉ。現場に入ったらどうしろ、って言われた?」
結論から言えば、午前8時から開始された仕事からわずか4時間。たったそれだけの短時間を、俺は一人前に仕事をこなすことが出来なかった。
「仕事の邪魔だけはするなと、そう言われました!」
最初に訓示した広場で親方を前にして土下座状態のまま、俺は声だけは大きく親方の問いかけに返事した。
涙声になっているかもしれないが、動揺を抑えられないので仕方ない。
「そうよ。職人呼ぶつもりでギルドに発注かけたんじゃねえ、邪魔にならねえ人足を呼ぶつもりでのクエスト依頼よ」
土下座状態のままなので見えないが、親方が目の前にしゃがみ込んだような気配。続ける声が間近から響く。
「それが何だよ、使えるのは身体強化だけで、おまけに上に上がってモノ持たせたら足場の強度以上のもんを身体強化で無理やり持ち上げやがった挙句に屋根に穴開けるわ、落下して内部壊すわ、何しに来たんだよ坊主よお?
屋根の修繕でこちとらここに来てんのに、穴増やしてどーすんだよ」
しゃがみ込んでいる俺の頭を、ぱしっ、と軽く叩く手の感触。
俺が12歳の少年の身体だからそれで済むのだろうけど、現世の大人の肉体ならここは拳骨が飛んできたのだろう。意図を理解して、俺は自ら額を地面にぶつけた。
そこまでしても反省が足りる気がしてない。
「あれ、そんな強く叩いてねえんだが…、まあいいや。
坊主よぉ、おめえさんが何だか最初から張り切ってたのは見てて分かってたし、子供が張り切って手伝いしてくれるんならそりゃ大人の俺らだっていいとこ見せてやるか、って士気も上がろうってもんよ」
まだ土下座状態の俺を抱き上げて、親方が俺の顔を目の高さまで持ち上げた。必然的に、涙と鼻水でぐっしゃぐしゃの俺の顔が親方の目前に。親方の厳しい顔が途端に困ったように緩むのが見えた。
「ばっかやろう、男の子がこの程度で泣くんじゃねえよ。
男が泣くのは親の死に目と財布なくしたときと母ちゃんに怒られたときだけだ」
ものすごい実感籠もってますね親方。実体験でしょうか?
「だからよう、魔法が殆ど使えない、教えられても覚えられないってのはそりゃ珍しいけどよ、そりゃ逆に言えば坊主、おめえさんの個性よ」
「個性…」
「そうっ、世界に唯一、坊主だけの特徴ってやつよ?
そしたら、最初に魔法が全然使えないなんてのは欠点じゃねえ。おめえさんの個性なんだから、ここに来た最初に俺らにそれを伝えときゃ、あんな失敗やらかすこともなかった」
親方があごで指し示した先に、俺がやらかした失敗――天井にぽっかり空いた穴とぐっしゃり潰れた長椅子やテーブルが見える。
修繕中で誰も居なかったのが幸いしたが、そこに人が居れば怪我人が出てもおかしくない落下の勢いだった。
身体強化中だったので俺には傷ひとつないが。
「まだ子供だから分からねえのかもしれねえが、こいつは冒険者に限らず、力を使うときには大事なことだ。よーっく覚えとけよ?」
俺を抱き抱えたまま、親方は空いた手で教会の中庭に置かれた偉人? ぽい人の胸像まで歩み寄る。
「身体強化がありゃ、確かにこんなくっそ重いもんでも何でも抱えられはするわな」
さして力を入れた風もなく、親方は左手で胸像の土台を掴み軽々と持ち上げてみせる。俺が屋根でやった身体強化魔法での材木の持ち上げと同じこと。
「だけどよう、そりゃモノは持ち上がるけど、そいつを支えてる人間が重さを感じなくたって、重みそのものはどっかに消えてなくなってんじゃねえんだから、別のとこに重みが移ってる、って考えなきゃならねえ。
そいつはどこだ? さっき失敗したから学んだろ?」
「……足?」
親方に抱き抱えられたまま、足元を覗くと親方の地下足袋が重量に負けてじわじわと踏み固められた土に沈んで行くのが見えた。
「そうだ。だからこの現場のあの場面で、身体強化を使うのは間違いだった、ってことだ。じゃあどうしたら良かった?」
「重力魔法……」
「そうよ。坊主、頭いいな? 俺らが普通にやってるみたいに、手と足に重力魔法使って、重さを消すのが屋根職人の当たり前なんだ」
そうだ。俺は勘違いしていた。
なまじ前世の土木経験があったばっかりに、職人イコール力仕事、と捉えて力さえあれば子供の身体でも一人前に働けるっていう勘違いを。
高所作業慣れしてるから屋根の上でも恐怖心なしに歩き回れる、だから一般人より役に立つと。
誰でも魔法を使えるこの世界なら、子供の頃から魔法教育があるんだろうから。
そもそも高所落下しても魔法回避出来るんだから『この世界では高所作業は危険作業ではない』んだ。
誰でも、それこそ子供でも恐怖心なしに高所を歩き回れて当然、なんだ。
――強い衝撃を受けたみたいに、頭がくらくらした。
じゃあこの世界は。出会う人全員が魔法使い、って前提なら。俺は冒険者カードに普通の村人以下の能力がいくつかあったけど、魔法の力でいくらでもそれらを凌駕出来るのなら。
俺は、この世界では村人以下の子供以下、なんじゃないか?
前世でも同じ状況で誰にも何も言わずに何でも一人前に働く能力が当然あるもの、と思い込んでたけど。
誰かに話してたら、相談してたら、実際は平均以下だったんじゃないか?
そんな平均値以下の能力しかない半端者が一人前のふりしてたから、あんなに不和起こして除け者にされて。
「おうおう、坊主どうしたそんな真っ青になって?
この年まで身体強化しか使えないってのはそりゃ珍しいけどよ、そう悲観したもんでもねえぞ?
俺だって家が貧乏で、重力魔法以外は殆ど何も魔法は使えねえけど、今はこうやってこいつらの面倒見て職人やってっからよ」
顔面蒼白になった俺をあやすように、親方が笑顔で覗き込んで来る。やべえ。また涙が出そうになる。
「おう、お前らちょっと集まれや! 坊主が自分の使えなさっぷりに落ち込んでやがる、お前らの低脳っぷり自慢で慰めたれ!」
親方の掛け声で、昼食休憩中の職人さんたちがわらわらと俺たちを取り囲んで来る。みんなあんなに俺が迷惑かけたのに、みんな笑顔で。
重力魔法は屋根職人必須だから血反吐吐いて覚えたけど、使える魔法は身体強化のみで釘打ちに特化してるって人、壁に張り付くしか能がないんで外壁補修に特化したって人、声を遠くに飛ばすしか能がないんで伝令やってるって人。
みんな、ひとつの技能を極めてこの場に居る、間違いなく職人さんで、この人達は全員でひとつのチームだった。
居た堪れなくなって、勘違いに気づかせてくれた親方の首筋に抱きついて俺は年甲斐もなくわんわんと泣いた。
――――☆――――☆
「まぁよう、初心冒険者依頼ってことで俺っちなりに厳しく現実見せたつもりだけどよ、そんな可愛い坊主ならいつでも歓迎だし、こいつらも喜ぶしよ?
だからいつでも遊びに来いってよ、起きたらそう、伝えといてくれや」
泣き疲れて寝入ってしまった脱力したタクミの身体をクルルの背に預けながら、親方は困ったような笑みを浮かべつつクルルに告げた。
「はいっ、伝えておきますねっ。優しい親方で良かったですねっ、タクミくんっ」
「優しいって何だよ、俺っちはこれでも厳しくて有名なんだぜ。
つっても、坊主に掛かっちゃ形無しか。
可愛いお子さんだな、こんな小さいうちから冒険者たぁ大変だろうと思うが、まぁ頑張りなよ」
お子さん、という単語に盛大に反応したクルルが即座に赤面し頬を朱に染める。
「ふふっ、違うよぅ。この子は神器で、クルルは神使ねぇ。ついでにあたしはエルフぅ」
言葉が出ないほど動揺したクルルに、シルフィンが助け舟を出してやる。神使、の単語に今度は親方が狼狽した。
「こいつぁ失礼しやした、平にご容赦を。――そりゃまた大っ変な道のりだなあ、坊主よう」
あどけない寝顔に残った涙の跡を、親方は軽く指でこすって取り除いた。
「この子が神成るときまであっしは生きてんのかねえ。坊主、道のりは険しいんだろうが、頑張るんだぜえ」
昼食を終えて再度現場作業に戻り始める親方たちに、タクミを起こさないように軽く頭を下げて、クルルたちはその場を後にした。
「お試し期間3回のそのいちぃ。失敗っ。タクミくん、幸先悪いねぇ」
残念とは思ってなさそうな素振りで、シルフィンがクルルの背のタクミの顔を覗き込む。
精神的な疲れもあったのだろう、今まで見たことがないくらいの熟睡っぷりのタクミは目を覚ましそうにない。
「あっ。シルフィンっ、依頼失敗料っ。ばっくれましたねっ?」
「むぅ。そこに気づくとはぁ、クルルもなかなかに鋭いぃ」
財布のポーチを手で庇いながら、シルフィンはクルルの問いにぎくりとした顔で応じる。
しかし、クルルは呆れ顔でそのまま振り返り。
「まぁっ、このままスルーしてもいいでしょうっ。
――あの誇り高い職人さんたちですものっ、受け取りませんよきっとっ」
軽く振り向いて、威勢良く声を張り上げつつ現場作業を行っている親方を見上げる。
今から戻って失敗料を伝えても、仕事が忙しいなどと理由をつけて受け取りを拒絶する様子が目に見えるようだ。
タクミの人徳、で片付けて良いのではないかと、クルルにはそのように思えた。
「さてぇ。思いがけずお昼から夕方まで空いたこの時間。これはいつもより念入りにお風呂するしかないよねぇ」
「何故お風呂一択なのかは疑問ですがっ、それには全く同意ですねっ」
「あたしは食事時には抜けるけどぉ、クルルは食事要らないんだからぁ、その時間分は譲ってくれてもいいんじゃないのぉ?」
「これは神使の日夜のお勤めですからっ、シルフィンこそお付き合いは要らないんですよっ?」
無論だが、常時状態固定が発動中のタクミには風呂も食事も必要ない。
魂魄の力を回復させるために数時間の睡眠を要するのみで、発汗も排泄もしない身体であるので風呂に入る必要はない。
「今日のお風呂は花の香りの入浴剤入れよぉー、雑貨屋で見つけて来たんだぁ」
「あっ、いいですねっ。フローラルな香りに包まれたタクミくんを愛でるのっ、楽しみですわっ」