50話 錯乱する少女
「……?! !! !!?!?」
「お? 目覚めたか。よーしよし、怖くねェよ、とりあえず落ち着けって」
タクミの寝台に並んで寝かされていたエルフの少女が跳ね起きたのを見て、ちょうど水差しからコップに水を移そうとしていたリュカはそのまま、自分が飲もうとしていたその良く冷えた水を差し出した。
「?! ??? ――!?」
「あ? 水は要らねえか? んー? メシかな? ちょっと待ってろよ、お姉ちゃん確か魔力収納に非常食突っ込んでてな……、っと、あったあった。『らあめん』とかいうらしいぞ、隣で寝てるコイツの力作。味はここの王様のお墨付きな。すぐ食えっからよ……。――オマエ、声、どした?」
エルフ少女を怯えさせないように努めて笑顔で接していたリュカだったが、起き上がってから「叫ぶように何度も口をぱくぱくと動かしているにも関わらず、一度も声を発していない不自然さ」に気づき、尋ねる。
……少女自身にも分からぬ理由だったものか、少女は何度も自身の喉に両手を当て、絞り出すような苦悶の表情を浮かべつつ声を出そうと苦心しているようだったが、喉から漏れる嗚咽のみがただ発せられるのみだった。
やがて、絶望したものか、近くにあった空のコップを叩き割るや否や、エルフ少女は破片を片手に握り締め、手の内が自身の鮮血に噴き出すのも構わず自身の喉を掻き切ろうと――。
「待て待て、早まんな! 治してやっから、どんなことしても!!」
咄嗟にその手を止めたリュカは、その勢いのままエルフ少女を抱き締める。
狂ったように暴れ狂うエルフ少女がその激情のまま、コップの破片を凶器にリュカの全身に傷を作るのを構わず、リュカは抱き締める力を緩めなかった。
「シェリカ姉! ちょっと来て、シェリカ姉!! この子を診てくれ!!」
「……ああん? 生きてる死体はそれ以上どうしようもねェぞアタシにゃ……。っ、破片を取り上げろ、自分を傷つけるぞ! 錯乱してんだ、押さえ込め! 影!! 手伝え!!」
部屋に一歩入るなり即座に状況を把握したシェリカが矢継ぎ早に指示を出す。
問い返す間も入れず、リュカはシェリカに言われた通りに流血を飛び散らせるエルフ少女の左手首を掴み、握力を込めて強制的に、エルフ少女が握り締めていたコップの破片を離させた。
暴れ続けるエルフ少女の両手両足をシェリカの影の中から現れた二人の覆面忍者が拘束すると同時に、シェリカが懐から取り出した匂い袋をエルフ少女に嗅がせた。
匂い袋に込められた麻酔の効果を持つ薬草の効果が発揮され、徐々に年端も行かぬ少女とは思えぬほどの強烈な力が薄れ、じわじわと身体の動きが鈍って行くのが分かる。
完全にぐったりと力が抜けるのを確認し、また覆面忍者が拘束を解いたのを確認し、リュカも少女の上から身を起こした。
「現れたときに傷が少なかったんで油断した。アタシのミスだ。リュカ? 傷の治療して来な、怖かっただろ?」
「……いい。あとで自分でやる。――原因分かる?」
「心因性のモンだ。……たぶん虐待だな。魔法でかなり綺麗に外傷癒やしてあったんで気づけなかった。よく反撃しなかった、偉いぞ。影に触られるのをあれだけ嫌がってたから、男性恐怖症的なモンもあんだろうよ。オマエを傷つけたのは故意じゃねえ、この子は自分を終わらせたかったんだよ、絶望しすぎて」
リュカの質問に答えながら、シェリカは手早く少女の手に裂いたシーツを巻きつけて止血した。
「そっか。……どうしたら安心させてあげられっかな?」
「――オメエがやるか?」
先程自分が入れたコップの水を差し出されたことに気づいて、受け取ろうとした自分の両手が震えていることに気づいたリュカは、水を受け取らずに両手で自分の頬をばしん! と跡が残るほどに強く叩いた。
「……やる。――男性恐怖症だってんなら相手限られんじゃん。オレが適任だろ?」
「そっか。じゃ、影を二人残す、自由に使え。――影! リュカに移れ! このエルフの子は恐らく気配の察知に精霊魔法を使う、気取られると面倒になるから気をつけろよ?」
「御意」
「シェリカ姉の側近護衛を使わせて頂くなんて光栄だね、エイネールじゃ口も利いてくれなかったのに」
「話すとなかなか面白いんだぜコイツら? なるべく最後の最後まで使うなよ、性的虐待もあっただろうと思うし――、この子は喋ったか?」
「そうだ、それを聞きたかった。喋ろうとしても喋れない、みたいな感じだった。言葉も理解出来てなかったっぽいし」
リュカの影を通した異空間に隠形を行うシェリカの影――護衛忍者の移動を横目で見やりつつ、リュカがシェリカに答える。
答えて、少女の手が自身の額にぶつかったときについたのであろう、斜めに額を切った傷から血が目に滴るのに気づき、リュカは乱暴に二の腕でその傷を拭った。
「リュカ。……その傷は消せるけど、消さない。止血するだけにしとく。タギツやクルルにも言っとくから我慢しろ。この子の手の傷も完治させるな」
「解った。理由は?」
考え込む素振りで握り締めた指の爪を噛みつつ告げたシェリカに、リュカが尋ね返す。
「……錯乱っつか混乱したんだ。どこから移動して来たのかは、後でクルルちゃんに聞かねえと分からねえけど、全身にあった傷と痛み、首輪と足枷、それを着けてた痕跡を全部消したんで、現実感が全部消失したせい、だと思う。周りの光景も一変したんだろうし……。あと」
シーツを切り裂いて簡易包帯を作り、ゆっくりとリュカの全身に残る傷を処置して行く。
「傷は時間経過を示す『ここが現実だと認識させるための目印』だ。今のここが起点として、この子が自傷しようとしたらオメエが代わりに傷つけ。手の痛みとオメエの傷が増えることでここを現実の世界だと認識出来る、と思う。確信はねえし荒療治だけど、出来るな?」
「出来る。――どれくらいで正気に戻ると思う?」
「長くて三日程度かな。腹も減るし小便もクソもする、日常の繰り返しで時間経過が認識出来て現状把握するごとに正気に近づくだろ。
たぶん――、この子は性奴隷かそれに近い立場だったと思う。エルフ奴隷だったら精霊魔法を使う道具だったのかもしれない。
だとしたら、この子は帝国の奴隷だろう。
アイツらのエルフの扱いは犬猫以下だって聞いてるから、全裸で首輪だった説明も付く。
……喋れないのは精霊呪文を唱えたくなかったのかもな、それやったら本気でオマエなんぞ一発で殺しちまう。
オマエを傷つけたときも、影に抑え込まれたときより力が弱かった。
――無意識レベルだろうけど、最初に見た同じ女のオマエに縋ってんだ、三日間ずっと一緒にして一歩も外に出さねえぞ? 覚悟決めろよ」
ぱんっ、と頭を叩かれて、その手の重みのまま、リュカは深く頷いた。
――――☆
「つーわけで、リュカとアタシは一緒に行けない。クルルちゃん、タギツ、コイツらのお守り、頼んだぜ?」
詳しい説明は省いたままで、シェリカは努めて明るく、エルフ少女の現状を気づかせないように振る舞った。
「ひえぇ。ドラゴン退治とか聞いてねえっすよぉ」
「リッティちゃんここで死んだら、お部屋のベッドの下に隠してあるBL本は中身を開かずに焼き尽くして下さい……」
「最後の敵はドラゴンか。相手に不足なし! ……あっ、全滅したら誰も国元に伝えてくれないのでは……?」
絶望に肩を落とすギュゲス、リッティ、ミリアムの呟きと、タギツの頭にちょこんと座った、更に質量を小さくまとめたミニクルルとタギツが揃って「おぉー!」と元気よく返事するのがほぼ同時だった。
「ムギリさんもちょっと残って手伝ってくれ。あと、エルフ語が分かるドワーフっているかい?」
「むぅ? ワシですら片言じゃから、話せるレベルとなると難しいのう? 900歳以上のドワーフとなると数人居るには居るが……」
「じゃあその数人で、あの子とリュカを個室に移すから、その部屋の隣とかでいいんでエルフ語の会話を続けさせてくれ。ずっとじゃなくていい。
……たぶん、あの子はエルフ語以外理解出来ないか、大陸公用語……ヒト族の言葉を『敵の言葉』だと認識してる。
だから、他のドワーフも近づけないように隔離してくれ。
あと、ああそうだ! エルフの森とかからエルフを呼べないかい?」
「おう、その手があったの。数人ほど心当たりがある、早速呼び寄せよう。用向きは?」
「エルフのことはよく分からないが、たぶん精霊経由で状態認識を早められるんじゃないかと思う。――混乱しっぱなしで緊張しっぱなしだろうからな。あとはやっぱ、同族の女性が同族語で話せば分かるだろ。言葉自体は理解出来ると思う、本人も喋ろうと努力してたらしいし」
「喋ろうと努力を?」
質問したタギツに、シェリカは少し困ったような笑みを浮かべ、逡巡しつつ答えた。
「……失語症だ。タギツはまだ知らなくていい、――オメエの傷になる。とりあえず露払い行って来い。ほんとはクルルちゃんに残って貰うのが何もかも早えんだけど、コイツらだけで行かせるとアタシの心労が音速超えるんで、悪いけど頼む。
それと……、これはムギリさんには脅迫に聞こえるかも知れねえけど、アタシもちょっと焦ってんだ、先に謝っとく、許してくれ」
ひとつ言葉を切って、真剣な眼差しになったシェリカは、自分の腹程度の高さにある背の低いムギリの両目を見つめた。
「……ドワーフ王国の兵隊を貸してくれ。頼む。――フープさんが負傷して前線を離れた、って情報が入ってて、士気が落ちるかもしれねーんだ。
元々寄せ集めの諸王国連合軍だから、士気が落ちるとマズイ。それくらいフープさんは最重要人物で。でもアタシはここを任せられてるから、全部片付くまで勝手に戻れない。
この要請も、アタシの独断だから断ってくれてもいいんだ。でも、頼む。フープさんを助けてくれ」
「――美女の涙を見て断るドワーフなぞ、ドワーフの風上にも置けんぞ? スサノオさまもそちらに向かったのじゃろ? スサノオさまには神剣を一振りお譲り頂く約束をしたからのぅ、では、これは先行投資、という奴じゃの」
真剣な表情のまま、知らず両の頬を濡らしていたシェリカはムギリに言われて涙に気づき、微笑んで涙を手の甲で拭いつつ、無言のまま屈み込んでムギリの額に口づけた。
「ありがとよ、いい男だぜアンタ。こりゃウチのダンナにゃ内緒にしといてくれ、精一杯の礼って奴だ」
「美女との秘め事が増えるのは男冥利に尽きるわ。――ドワーフは身の丈の大きさの岩石から岩石に移動転移する種族固有能力がある。であれば、タクミ侯の部下らが敷いておるという新大陸公路には石畳が使われておったの? 戦場に直接移動出来るぞい。
ドワーフの男は生まれながらの屈強な戦士、エルフ王国と戦争した頃ほどは数は多くないが、鉄輪王国の名を帝国兵に知らしめてやろうぞ」
何人出せる? というシェリカの問いに1,500、とムギリは笑って答えて見せる。
ドワーフの屈強さは伝説にも残る通りであり、一人のドワーフを人間に換算すれば20人に匹敵するという話をそのまま信じれば、3万の強兵を得たも同然、という算段であった。
「ふぅ。じゃあ、後は地竜退治だけか。今日のとこは露払いってことで軽く経験積むつもりで行って来い、頑張れよ?」
「そっちにはドワーフさんたちも姐御も付いて来てくれねぇんすね……、とほほ」
「……つーかギュゲスっつったか、オメエ、なんか勘違いしてねーか?」
きょとん、と首を傾げたギュゲスに、シェリカは言葉を続けた。
「戦闘指揮で言ったら、このクルルちゃんは鷹の目フープの更に上を行く策士で、肉弾戦やってもオメエんとこのタクミよりも強ぇって話だぞ? 実際神龍戦でも活躍してんだし、たかが地竜なんてメじゃねーよ、大船に乗った来ていろっつの。だから安心して逝って来い」
「今、なんか発音違いませんでしたか姐御?」
気のせいだ、と軽く手を振られ、納得行かない表情のまま。
地竜討伐の露払い任務に、ギュゲスを先頭にリッティ、ミリアム、タギツ、クルルの5人は出発したのだった。




