39話 次世代の人界の王
第四章開始でっす。
ぱぁん!
――水平に慣らした地面に簡易的にロープを張っただけの簡易練兵場の一角で、そんな音が響いた。
ぱぱぱん、ぱぁぁぁん!
その音はときに連続的に、ときに間隔を開けながらも、確かな打撃音として皆の耳を打つ。――就寝前恒例のタクミとリュカの個人模擬戦である。
「グロールさん、あの……、なにか、今日のリュカさまは焦っていらっしゃるというか、精彩を欠くような気が」
四方に張られたロープ越し最前列で固唾を飲んで見守るタクミ麾下の部下である、聖ヴァルキリア砲撃騎士団所属のセリスが、傍らに控える親衛隊副隊長のグロールに尋ねた。
「ふむ。……奥方――ティースさまの一大事ですからな。平静を装っておられましたが、内心はお二人とも気が気でありませんでしょう」
答えながらも、グロールの目は真剣に二人の一挙手一投足を注目している。
元々非常に高速な蹴り技を基本としたリュカの格闘技は結婚後から更に打撃・蹴撃の速さと重さを増しており。
また、基本スタイルにタクミの持つ関節技・肘技を取り入れた結果。
タクミの元居た世界で例えるならばムエタイのような蹴り主体で有りながら肘技も必殺の威力を持ち、更に銃把棍を接近時に使用、また射撃反動を体術に利用するような強烈な威力を持つオリジナル格闘技に昇華していた。
そして、今や団員ではタクミ以外にそれを破れる者は居なくなっていたのだった。
「ティースさまにも、リュカさまに教えを頂いているのに、私達ヴァルキリアの不甲斐なきことを嘆くばかりです。
……私達はあの域に到達するまであと何年かかるのでしょうか」
「私自身も生涯かけてすら到達し得るとは思いませんな、あれは既に神の領域でありましょう。
しかし、団長たちをお守りするのが親衛隊である我らの努め、例え力及ばずとも盾にはなれます」
「……盾。そうですね、『自分の能力の範囲で出来得る最大のことを成せ』と、ティースさまもよく仰っておられましたし」
「それは恐らく、元々は団長の兄上の教えによるものでしょうな。酒の席で聞き及んだことがあります。……と、動きますぞ」
グロールの言葉に、セリスは思わず前に座するグロールの肩に手をつき身を乗り出した。
その手に上から片手を重ねつつ、グロールはセリスと共に眼前のタクミの動きに注目する。
「ハッ!」
短く気合の息を吐いたリュカが一足飛びにタクミの懐に飛び込み、左の銃把棍を直線状に突き出す形でタクミの顔面に突き入れる。
タクミの視点からはリュカの手元にある銃把棍が瞬時に伸長したようにしか見えなかったであろうその一撃を。
タクミは殆ど微動だにしないまま数ミリの見切りで躱した。
そのまま右半身の構えから首の右をかすめるようにして通過したトンファー本体を軽い動作で右肩の上げ動作と首を捻る動作のみでその場に固定してしまう。
そしてそのまま引き抜くことを不可能にし、その柄を持つリュカの左腕のひじ付近に自身の右腕を重ねて螺旋状かつ外側に捻るように動かし、無理矢理にリュカの左手首と肘を極めたまま体勢を引き落とした。
左腕を極められた状態のままでそれでもリュカが腰の回転だけで凄まじい速度の右回し蹴りを放つが、タクミはそれを意に介さず。
大きく右腕を上から後方に引き込む形で動かしつつ半身を入れ替え、左足を一歩踏み込むようにして短くリュカのがら空きになった胴に左拳を突き込む。
咄嗟にリュカは右肘を自身の腹とタクミの拳の間に挟み込み、かつ腹筋を緊張させると同時にピンポイントに魔力を流し強化する身体強化術を行う。
また自ら空中に浮き上がることで威力の相殺を狙ったが、その後のタクミの肘、肩、頭突き、背の体当たりの連撃をいなす余力はなく。
極端な短時間に左腕を固められたままで為された打撃の連続に、リュカは声もなく吹き飛んだ。
……が、吹き飛ぶ最中に空中で半回転し体を入れ替え、距離を取りつつ着地し、再度最初の間合いに戻りつつ。
リュカはフットワークを以て油断なく両腕を頭の横に構えつつ再度隙を窺う様子に戻った。
そこにはダメージの影響など微塵も感じさせない動きが見えた。
「普通はあれだけ団長に打撃されたら一撃目で死んでるネ、すごいねリュカさまハ」
すぐ横合いに居たグロールと同じく親衛隊副団長のレイリーが、あぐらをかいて座りつつその身体の前にヴァルキリアの一人であるミラを抱いて、同様に二人で観戦していた。
「ああ、マジでなァ、兄弟はすげえわ。俺っちならあんな速度の打撃なんか盾で受けても吹っ飛んじまわァ」
ヴァルキリアのクーナの腰を抱いた親衛隊隊長であるルースが相槌を打つ。
「……ねえ、ちょっと君たちさあ、イチャイチャしすぎじゃないの?」
「すっげ気が散るんだけど? 仲いいのはいいことだけどよ」
――さすがに度が過ぎたものか、「対戦を見守る親衛隊および団幹部たちとヴァルキリアたち女性騎士がカップル状態でイチャイチャしている状況の中央で戦っている」という状況に、そのメンツを率いる主人である軍団長タクミおよび副団長リュカが声を揃えて突っ込んだ。
きょとん、とそれぞれ目を丸くした面々が、一転して恥じ入るように頭を掻いたり照れてみせたり、の様子に、タクミとリュカも顔を見合わせて苦笑しつつ肩をすくめた。
アバートラム防衛の貢献度の高さから王国貴族として叙勲されたタクミら『神撃の軍団』、ルースら『暗く重き渦』、ルシリアら『聖ヴァルキリア砲撃騎士団』のそれぞれ三隊は。
最も貢献度が高く、また2,000名に達する高い忠誠度を誇る敵であった砂漠の部族軍を捕虜として得た上に自身の配下に収めたタクミが侯爵位を拝命し、三隊の中で最大規模の傭兵団となった『神撃の軍団』が他を吸収する形で『聖神軍団』として再編された。
元々の『暗く重き渦』の団員はそれぞれが非常に高い重力魔法技術と戦闘術を併せ持っていたことから、『聖神軍団』内部でそれぞれが一隊を受け持つ連隊長および親衛隊として組織改編され、単独で強力な遠距離砲撃能力を有するヴァルキリア騎士団はそのまま内部騎士団として編入された形、となっている。
団名に聖の字を残すほどに功績を高く評価されたヴァルキリアは、たった12人で帝国軍一万数千を吹き飛ばす絶大な功績を評価された故であり、全員が成人前ということもあり爵位こそなかったものの。
王国全土で「勇猛果敢な女性騎士団」として英雄譚が独り歩きしている状況になっており、本人らは現実と噂との乖離に驚愕と羞恥の毎日を送っていた。
……そして、全くの偶然なのだが、聖神軍団の幹部とヴァルキリアたちの団定員12名が親衛隊隊長および元暗く重き渦団員、現軍団幹部の数と同一であり。
現在、タクミ麾下の聖神軍団内部では団内恋愛が全開で進行中なのであった。
「まさか、あんだけ俺を嫌ってたセリスやミラがこういう形で俺の部下とくっついちゃうなんてねー?
前線まで引っ張ってきちゃって申し訳なかったかもな」
「いえ、まさかとんでもない! その節は大変失礼を致しました!!
それに、タクミさまと出会わなければこうした状況にはならなかったのですから、今では感謝しかありません」
セリスが慌てたように述べると、ミラも異口同音に感謝を述べた。
「挙式は帰ってからになっちゃうかな? 状況が落ち着けば戦地で挙げてもいいんだろうけど、バタバタしちゃうもんね」
「い、いえ! 父上たちにも報告せねばなりませんし……。というか、未だ勘当中の身の上、先に、そこを、解決せねば……」
言葉尻が尻すぼみに小さくなって俯き加減になって行く様子に、ロープ越しに苦笑したリュカが両手でセリス、ミラそれぞれの頭を撫で付けた。
「心配すんなって、オレも一緒に申し開きしてやっからさ。親が生きてんだったら子を許さねえわけねェだろ、自信持てって」
戦後処理が終了して南部国境も含む王国各地に散っていたツクヨミ神殿の正規騎士団が長らくの不在から帰参した折り、民衆及び主君であるツクヨミの言により不在のヴァルキリアたちがシュラーデンで成していた横暴の数々が明るみに出たのだった。
父親らが構成している正規騎士団の面々は事態を重く見、その厳罰としての帰参禁止命令――事実上の勘当処分を受けているのが現在のヴァルキリアの境遇である。
体面的には王国防衛に貢献して全員がタクミおよび幹部に次ぐ子爵位を持ちながら、所属本地からの帰参禁止令を受けていることで帰参先がなく。
流浪騎士団になってしまうか、傭兵団に格下げされるところをヴァルキリア軍団長に就任したティースと副団長となったクシナダの口利きで聖神軍団に編入されたものである。
これらにより、新参貴族かつ新興アバートラム領の領主にもなったオキタ・タクミ侯爵は事実上王国最新兵器と最強戦力を持つ王国最大勢力の軍閥となり、軍事力を背景に国政への強力な発言権や事実上の領土治世権、単独貿易権なども組み込まれたのであるが。
本人は「土木建築有限会社オキタ組」程度の認識しかなく、現在も基本的には土木作業メインでそれ以外は優秀すぎるブレーンである奥方たちと部下たちに丸投げ、の現状であった。
それで普通に回っている辺り、たしかに不世出の人材であると言えなくもない。
「で? オレは土木作業の方はわからねェけど、あと何日で完工すんの?」
「あーっと、進捗どうなってたかな。今日明日で削岩作業終わるから、同時進行でやってる仮宿舎がそろそろ立ち上がるんじゃないかなあ? どうなってるっけレイリー兄ちゃん」
「アー、削岩がチョット足出ちゃったからネ、進捗出っ張っちゃったネ?
デモ、合流まで予定は余裕持たせてたカラ、タクミ団長の兄上が来るマデには多分間に合うヨ」
「そうですな、グロールの方に上がって来ている報告をまとめましたところでは、少なく見積もってあと四日、という試算になっておりますぞ」
「グロールさん前線よりそっちの方が向いてんじゃないの? タキリちゃんサヨリちゃんに気に入られちゃってるしね」
タクミの冗談めいた口調に、全身の刀傷を朱に染めた歴戦の戦士は恥じ入るように赤面しつつ苦笑した。
タキリ、サヨリにせがまれて二人同時に両肩に乗せて歩いたところそれを気に入られたらしく、最近の昼休憩時も含む休息時にはよく二人を肩に乗せて散歩するグロールたち三人の姿が目撃され、皆に微笑ましく思われていた。
ぴーっ。ぴーっ。ぴーっ。
場の和みを打ち破る場違いな警報音が響き、表情を変えたリュカが腰に下げた魔導板を取り出し文面を確認する。
顔を上げたときには既にゲートをその場に残しタクミが移動していることに気づき、舌打ちしつつリュカはその後を追った。
――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――
「ティース! 生まれた?!」
アバートラム川より南、フィーラス帝国北部領土との国境線付近の空白地帯。
フィーラス帝国の西方からディルオーネ王国を主力とする西方諸王国連合の反攻を開始したタイミングに合わせ、合流を企図してアゼリア王国アバートラム領主軍であるタクミたちは新アバートラム川を渡河した先に、ディルオーネ多国籍軍の休息と補給を意図した宿舎を建設中だったのだが。
タイミング悪くティースの出産予定日時と重なったため、ゲート魔法で現地とティースの元とを頻繁に行き来していたのがタクミとリュカである。
ここ数日は出産予定日を過ぎていたため、いつ生まれてもおかしくはなく、ふたりとも浮ついており気が気でなかった、という様子を周囲に心配されており。
タクミなどはあまりの茫然自失ぶりに作業指示に支障を来たしたことから現場作業を禁止されるに至っていた。
「元気な女の子ですよ。母子共に健康です。――ふふ、ティースも私と同じ立場になりましたね?
今、血を洗っているところですから、対面出来るようになったらお呼びします」
分娩室のすぐ前で魔導板経由で連絡してくれたクシナダを前に、リュカは安堵にへなへなと床に崩れ、タクミは分娩室の壁向こうから元気よく響き渡る赤子の泣き声に両手で拳を作り、身を屈めて喜びの声を爆発させることを堪えていた。
「大きな神力を持つ子を産んで、自身にはかけらも神力がない。
――ティースさんはこの先いろいろ苦労すると思いますけど、私たちは姉妹のような間柄ですし、きっと助けになれると思いますからすぐに呼んで下さいね?」
「ああ……、そうか。ティースは子供に神力の使い方を教えてやれないし使えないのか。
……でも俺がやればいいんだし、周りで助けて行けばいいですよね!」
「ええ、私も昔はさまざまに周りに助けられましたから。今度は私がティースを支える番です。もちろん、タクミさんや、リュカさんもですね。頑張りましょう。
――ところで、子の名前はお決まりですか?」
ふと気づいたようにクシナダに問われ、タクミは慌てて鎧の胸甲の奥からくしゃくしゃになった羊皮紙を取り出した。
そこには、下手くそな漢字で「菊理媛」と書かれていた。
「ククリ、です。漢字なのは、ククリはもう日本に渡ることのない子なんだろうけど、それでもルーツの漢字名をちゃんと用意してあげたかったからで」
「――懐かしい名前。クルルに由来を聞きましたか?」
昔を思い出すように目を細めたクシナダの問いに、タクミは苦笑しつつ答えた。
「……あ、いや。なんでか分からないし、ヒルコの時代の記憶なのかもしれないけど、なぜか『ククリヒメ』って名前が最初から――性別が分かるずっと前から俺の中で決まってて。
たぶんなんか因果があるんでしょうけど、まあそんなの関係なしに俺の娘なんで、この世界で大事に育てて行きますよ」
「……そうですか。協力しますよ。この世界で生まれた初めての神の子ですもの、きっと皆も祝福します」
確信めいた言葉を綴るクシナダが差し出す手を、タクミは神妙な面持ちで固く握り締めた。
――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――
「『次世代の人界の王』が生まれた……」
満面の笑みで、レムネアは大きくため息をついた。黒壇の執務テーブルの上に載せられた神剣『伊都尾羽張』が、激しく輝く白光で部屋全体を煌々と照らし出していた。
「やっとボクもお役御免、かな? 長かったなあ。タクミくんに感謝しなきゃだね、まさかそんな経緯で生まれてくるなんて思っても見なかったよ」
ひとりごちて、ラム酒を一息に煽る。
「新しい世代のこれからに乾杯、だよ。古い王様。もうすぐだからね?」
――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――
「ふふ。おめでとう、と言うべきかしらね? 良かったわね、ティース? それは母親の私も、祖母のクラオカミも知らない喜び。今のうちに喜びを噛み締めなさい、幸せな時間は速く短く過ぎ去るものよ」
緑の蔦が這い回る部屋で、一人闇に身を沈めたシルフィンが言葉を紡ぐ。
「その子がどんな人生を歩むのかは分からないし、興味もないけど。幸多く実りある人生がこの先にある、なんて楽観しないことね。私が敵対している事実を忘れないことよ、私の胸に刃を突き立てるその瞬間まで」
闇の中で精霊力の発現による金色の光を両目から発しながら、シルフィンは邪悪な笑みを浮かべて笑った。




