24話 身の内に隠れ潜む者
「オオオオオオオ……、グゥ、ムウウウゥゥゥ? オカミ……カ? ワレハ、イツカラ眠ッテ……??」
「旦那様よ! 目覚められましたか?!」
歓喜の声を上げつつ重力場を次々と経由しクラミツハに近づこうとしたクラオカミだったが、その経路はことごとくを矢継ぎ早に大小さまざまな炎の精霊魔法を駆使して攻撃を仕掛けるシフォンに阻害され近づけないままでいた。
ただの精霊魔法だけであれば末席と言えどもカグツチ系の神力を持つクラオカミが跳ね返せない道理はないのだが、カグツチ系神力である、という事実が厄介であり。
クラミツハの現状が同様に兄妹であるクラミツハ、クラオカミ共通のカグツチ系の邪神かつ炎神に由来するものであり、そしてクラミツハ、クラオカミの祖神でもあるカグツチの神力影響を受けやすくなっている側面は否定できない。
それが、精霊魔法にカグツチの影響を乗せた神力を混ぜて撃ち出して来るシフォンの攻撃を厄介にさせていた。
「オカミ……シフォン……、ハテ? 妻ト遊女ハ対面サセヌ様ニ気ヲ遣ッテオッタトイウノニ……、何故ダ、浮気デハナイ……。
ドウシタコトダ、炎ニ侵食サレテオルトハ」
クラオカミに告げたわけではなく、未だ寝ぼけ眼、といった雰囲気が強いクラオカミの独り言であったが、その言葉はしっかりと正妻の耳に届いたようだった。
「――旦那様よ。いや、兄様、ミツハ。さんざん心配掛けた挙句の言葉がそれ、とは、さしもの温厚な儂もキレますぞえ?」
静かに告げる声色とは裏腹に、怒りの形相が見る見るうちにクラオカミの顔までを覆い、上半身がやや膨らんだように見え。
……それが錯覚でない証に、和服の背の縫い合わせ面からバリバリと音を立てて衣類と下着代わりのサラシが裂け。
その内側から現れた漆黒に変化した上半身の裸体を覆う龍鱗が更に長く、放射状に伸長し始めているのが判った。まるで、装甲や全身鎧に変化するが如く。それは、腕、肩、頭頂部までが凶悪な装甲と変化していく。
「ミツハ兄様よ、御身もお気づきであろう、最早手遅れ。その肉体、破壊しまする。お覚悟!」
叫んだ刹那、瞬間でその場から存在が消失する。シフォンが咄嗟に炎壁で反応できたのは偶然かどうか?
しかし、まだ人の身姿をしていた先程よりも数段階ギアを上げたかのような黒龍鎧に身を一体化させ、同じく漆黒の刃を持つ日本刀を両手で大振り下段に構えた姿の黒いシルエットは易々と巨大な炎壁を切り裂き。
間隙を抜けてシフォンの立つ鼻先を抜け、半目を見開き自身に急速に接近するクラオカミを漫然と見つめていたクラミツハの眉間に、強烈かつ凶悪無比な全神力を使用した痛撃を叩き込んだ。
「……!!!!????????」
あまりの威力に頭を振ったクラミツハが首を縮め後ろに飛び退り痛みに身をくねらせるのと、鼻先に居たためクラオカミの神力炸裂の余波を受け鼻先からシフォンが吹き飛ばされるのとはほぼ同時だった。
クラオカミと言えば、目にも留まらぬ勢いでクラミツハの顔面を中心として首から上部分の至るところに超絶高速の斬撃を繰り返しており。
それが証拠にクラミツハの全身に深い傷がどんどんと鋭利な口を開き、出血を強いる箇所が増えて行く。
「クソがぁぁぁぁぁぁ!! 何してくれちゃってんだよトカゲの分際でぇぇぇ、なんであたしの思い通りに動かないの、みんな、低脳すぎっ!」
クラオカミとクラミツハの喧嘩に置いていかれる格好となったシフォンが、その場に全身を自ら発する炎に包まれたまま滞空しつつ悪態をつく。
その間も忍者軍団らが間断なく攻撃を仕掛けてはいるのだが、シフォンを包む炎の膜に阻まれ直接攻撃に成功するには至って居なかった。
「私なら思い通りに動いて見せますぞ!」
意外な声の響きに、戦場を更に奥の空間に移したクラミツハとクラオカミを除くその場の全員が、そのような声を上げた人物に注目した。
「盗賊ギルド幹部になった私ならば、仰るご命令、全てに完璧に従って見せましょうぞ!!
ですから、まずはこの縄をほどいて頂けませんか?!」
――そう、ここに降りてくる主原因を作り、あまりの役立たずっぷりに全身拘束の上で猿ぐつわを噛ませられて連行されていたギルドの派遣船長だった。
全員が戦闘に入り監視がなくなったため、時間をかけて猿ぐつわを何とか外し、上半身を後ろ手に縛られたままでその場に駆け込んで来たと思われた。
クラオカミたちが更に奥へ戦場を移したために、軽く人間を殺せる恐ろしい威力を持つ相互の攻撃余波を受けずに済むタイミングを掴んでこの場に現れたのは幸運か不幸か。
「……あはぁん? 誰だてめぇ、知らねえよお前みたいな小物ぉ」
「そんな、私こそがこのエイネールを掌握するギルド幹部にして海運を支配する立場に就いた真の支配者!
しかしこの無能な部下どものせいで内海随一の大戦艦を失う不始末、死をもって償いをさせるのが当然の……」
「ああっ、思い出したわ! そうそう、街の護衛艦が後々いろいろ邪魔だからぁ、ついでにクソ莫迦な無能を積んどきゃ一石二鳥じゃねぇの、って提案だったと思ったわぁ」
中空に浮かび続ける自身の足元に辿り着いた元船長を見下しながら、シフォンは元船長の言葉には一切耳を貸さず、一方的かつにこやかにそう告げた。
「え、あ、何を?」
理解出来なかったのか、困惑の表情を貼り付けたまま滝のような汗を流しつつ、太った脂肪をがんじがらめに縛られてボンレスハム状態の元船長が更に数歩先へ進む。
「役割終わった役者はおとなしく退場しとけってーのぉ、手間かけさせんなぁ。
ついでに乙女のぱんつ覗き見するとはいい度胸してんじゃねーかぁ、死んで詫びろ、クソがぁ」
吐き捨てるように言うなり、シフォンは片足で何かを踏み潰すような仕草を行う。
と、同時に、「ずどん!」とある意味小気味良い着弾音を立てて、シフォンの周囲を漂うように緩く回転していた炎塊のひとつが瞬速で元船長の頭上から降り注ぎ、元船長をただ床に広がる血の染みに変えた。
……あの勢いでは自分の死を認識する暇もなかっただろう。
「あー、興ざめ興ざめ。まぁー、シフォンちゃんの役割ほとんど終わっちゃってることだしぃ?
あとはほんっと些細な用事程度ー、ってことでいいならぁ、お前らゴミの相手ぇ、してやらなくもないよぅ?」
「何が目的なのだかはさっぱりだけど、相手して貰えるのは嬉しいですねえ?
女性ひとりに男性が寄ってたかって、って状況ですけど」
かけられたフープの声にそちらをシフォンが振り返ると、無数に全身から触手の糸を伸ばし身を空中に支えたタクミと。
肩にちょこんと乗っかりなぜか大威張り、の不遜な表情で胸を張るクルル。
そして器用にタクミのその背に乗り、片手に構えた戦斧でタクミの伸ばす極細の神鉄鋼糸に引っ掛けて姿勢のバランスを取るフープが、ゆらゆらと左右に揺れながら不遜な笑みを浮かべていた。
「あらあらぁ、たかがただの人間の分際でぇ、こんなところまでわざわざようこそぉ?
何のお構いも出来ませんけどぉ、お代はお前らクソどもの命ぃ、ってことでよろしいですわよねぇ?」
「ああっ、いやいや、そんな、お構いなく。僕らもちょっと下準備でここに立ち寄っただけなので、すぐにお暇する次第で」
「まぁまぁ、遠慮せずにぃ、ちょうど振るい損ねた炎蛇や炎礫がたっくさんたくさんたーくさん余ってることですからぁ、遠慮なく召し上がれぇ?」
場にそぐわぬ社交辞令から入った対面は、シフォンの方から一方的に振るわれる強大な炎の精霊力が滂沱の如く降り注ぐことで終了した。
真っ赤に赤熱した純粋な炎の精霊力が、タクミたち三人へ向けて無数に向かっており、それらはたった一発のみで三人を塵芥に変えることが確定の強大な炎であることは明らかだった。
『予定通り、核を見て、割れ!』
『了解! フープ兄はこのあと?!』
『トーラーさんの方に投げて! 後はティース待ち、先渡しの魔力で何発撃てる?』
『たぶん、三発! それ以上は足りないと思う!』
最初に用意した念話チャンネルで表向きは無言の合意でそれぞれの意志を伝え確認しながら、フープはタクミがバネのように螺旋を描いて整形された神鉄触手によってトーラーらが待ち構える方向へ弾き飛ばされた。
『よし! 準備終わるまで頑張ってここで耐えろ、いろいろ話で惑わして来るはずだから、聴覚シャットアウトで聞く耳持つな!』
『合点承知の助っ! 合図は??』
『そんなもんあるわけないだろう、気合で避けろ』
どう聞いても冷たく突き放すような言葉に、むしろタクミは嬉しげな笑みを浮かべつつ、目前に迫るシフォンが操る炎蛇を両手に逆手で持つ短剣で捌き始めた。
『信頼して貰えてるってのは嬉しいもんだぜ。あ、クルル、耳はそんな強く引っ張らなくてもおっけーよ?』
返事の代わりに、タクミの首を挟み込むクルルの足に軽く力が込められるのが分かる。
クルルだけは念話に使う分の魔力を身体内部に持たず、事前に先渡しされた分のタクミのキスによる魔力を使用せざるを得ないため、節約の意味で念話には参加しないでいた。
クルルの役割は目下タクミの「身体の操縦」で事足りるため、両耳を軽く引っ張るなどの無言示唆に切り替えている。
これは確実性は低くなる代わりに、クルルの負担が減りタクミの負担が増えるものの、有り余るタクミの魔力を使用する防御壁は生半可な攻撃を通さないほどに――どうかすればクラオカミの渾身の一撃すら跳ね返すほどの強度に成長しているため、特段の問題点とはなりづらいところまでタクミの力は増している。
「ああっ、もぅ、ちょこまかとっ! ガキはおうちに帰ってママのおっぱいしゃぶってろよぅ!」
常にあちこちに触手を伸ばし縱橫に空中を移動しつつ、莫大な量の炎の攻撃を瞬間的な判断で避ける、弾く、「喰い潰す」の手段で凌ぎ続けるタクミに、苛立ちを隠さぬままにシフォンが罵声を浴びせた。
しかし、タクミはそれらを両耳に真空の空間を固定することで空気振動を無視し完全にシャットアウトしていた。
新幹線の二重窓の原理で、空気振動による音の伝達は真空の空間を挟むことで無音化が可能だからだ。
『なんか言ってるっぽいけどさっぱり聞こえねーな? まあ聞くに耐えない罵倒なんだろうけどなっ。
しかし、さすがシルフィンの技をずっと間近で見てきたフープ兄、精霊魔法ってこんな潰し方があったんだな』
『油断してる相手にしか通じないから多用するな。精霊力が減ってることに気づかれると核を強化されたり核を直接混ぜない速い攻撃になるよ』
独り言のつもりで脳裏に浮かべた言葉に対して鋭いフープの叱咤を受け、タクミは内心首を竦めた。
タクミがフープの指示で行っているのは、精霊魔法は精霊を異界から召喚し使役する魔法である、という大前提に基づき、それぞれの攻撃の中に必ず一体以上が込められている精霊核を魔眼で位置把握し、正確にそれを切り裂くついでに、同時に刃先に薄く展開した重力場で吸い取るというやり方だ。
神器であるタクミの吸収容量は制限がないため、この場に現れる精霊力のことごとくを吸着しているものである。
術の理解が進めば捕まえた精霊の使役も可能になるのであろうが、タクミは精霊魔法をシルフィンに習ったことはないのと。
「場に顕在化させられる精霊の量は精霊使いの能力を持ってしてもある一定量を超えられない」という精霊魔法の制限に従い、シフォンが自由に使役できる精霊の最大量を目減りさせている、力を削いでいる、といった理解が正しい。
「そーしーてぇ、お莫迦さんどもはぁ、なーんで無駄無駄無駄ァってのが判らないのかなぁ?
そぉーんな豆まきみたいな毒魔法、精霊使いに効くわけねぇーでしょーがぁ!」
気合一閃、タクミとの攻防の合間を縫って全方向から巧みに自身の存在を隠しつつ無数にシルフィンに向かって放たれる猛毒を塗布した忍者の苦無や手裏剣、空間範囲にかけて作用する毒霧系範囲魔法の数々が、大きく膨らんだシフォンを覆う巨大な防護炎によって瞬時に蒸発させられる。
『めっさ怒りまくってるわ、シルフィンと同じ顔であの表情は怖いね。エルフってみんな同じ顔なんだろうか』
エルフの女性はシルフィンしか見たことがないためのタクミの何気ない念話だったが、空間に言葉はないもののがティースの動揺した気配が響いた。
ティースは早くから戦場を離脱し遠方に離れたため、シルフィンの姿を遠目でしか確認していなかった。
『タクミ、余計な思念を挟むな、全員が共有してる、邪魔になる』
『っと、ごめん、釘付けには成功中、でもいくらなんでもそろそろ気づかれると思う、俺あいつに近寄れないから攻撃手段ないし』
フープの叱責に慌ててタクミが謝罪するのと、クルルが強くタクミの左耳を引っ張るのがほぼ同時だった。
意味が判らないままにクルルの勘を信じ、タクミはその場から左方向へ急速移動する。
その、タクミが瞬前まで居た位置を狙い違わず、莫大な魔力を保持した純粋な雷撃の塊……。
プラズマが超速で通過しシフォンの炎の防護壁の真正面に着弾し、螺旋を描きながらある程度まで壁面を侵食、そのままその場で爆発四散する。
「なっ、なんだこれ、なんだこれぇ?! こんな魔法、知らないぞぉ?!?!」
驚きの声を上げたシフォンが空間にヒビの入った自身を覆う炎結界の壁面を驚愕の目で見やる中、続けて二発、三発目が狙い違わずほとんど同じ位置へ集中。
二発目の爆発でどのような原理によるものか、壁面全体にヒビを広げ、三発目の爆発で強大な雷撃がシフォンを覆う炎壁結界の全体に雷の走査線を無数かつ放射状に広がったと思う間もなく走査線に沿って爆発し、結界を完全に打ち砕いた。
「ハハッ、驚いてる驚いてる。こりゃ本邦初公開、俺とティース姉開発のオリジナル魔法のひとつ、名付けて『プラズマキャノン』な」
ようやく生身で対面したシフォンに向けて、びっ、と人差し指を立てたタクミが勝ち誇る。
「バ○オはやっぱ1が一番怖くて2のストーリーが最高だったと思うんだよな……」
何事か分からぬ言葉を呟きながら、タクミが急速に遮蔽物のなくなったシフォンへ向けて距離を詰める。
シフォンは忌々しげにどうやら超遠距離から放たれたらしい三発の砲撃元と思われる直線上の遠方を見やるが、その場にしゃがみ込んだらしいティースとそれを助けるリュカの姿を確認したのみで、すぐに接近する間近な脅威であるタクミへの対処に追われ報復は出来そうになかった。
原理は全くに単純で、ティースが単独で撃てる最強攻撃魔法である雷撃を「撃ち放たずに」タクミから借りた魔力によって形作った重力魔法により周囲を覆って封じ込め、プラズマ弾頭とした上で、空間に置いたタクミの重力場を変形させ長大砲身の力場を空中に形作り。
射撃安定性と着弾威力向上のために重力場を利用し超高速回転させつつ遠距離から連続発射したものである。
雷撃のためのティース自身の魔力を貯めるためにかなりの時間が必要なこと、形状がまだ小型化出来ておらず超大型にならざるを得ないこと、などにより実戦使用は今回が初めてだったが、威力はまずまずと言ったところか。
「オリジナル魔法とか、ふっざけんなってーのぉ、低脳クソの分際で神に並んだつもりかぁ?!」
「悪ぃ、たぶんなんか怒ってると思うんだけど耳栓魔法してるんで聞こえてねえんだわ、これもオリジナルだけど」
激高し直接的な炎を両腕両足に纏い肉弾戦に移ったシフォンを軽くあしらいながら、聞こえていないとは思えないほど不思議に噛み合った台詞でタクミが答える。
その言葉はタクミの思いとは恐らく裏腹に、シフォンを挑発させるに足る一言となった。
そして、その挑発は不用意なシフォンの大振りな平手打ちとなって現れ、その隙を見逃すタクミではない。
「空中でやると威力半減だよなあ。これ、外門頂肘って技でね、攻防一体の交差法ってやつなんだけど」
斜めに振り下ろされたシフォンの右手首をタクミは自身の右手に置いた重力場で固定したまま、シフォンの振り下ろす勢いを殺さず受け流す形で瞬時に引っ張り、やや体勢を崩しタクミの方へ半身背中側を向ける形になったシフォンの右脇へ「く」の字に曲げた左肘を叩き込む。
「がはぁっ!」
タクミの攻撃はそれで止まらず、すぐにくの字に曲げた肘は半回転し上方からのシフォンの背へのエルボーの打ち付けとなり、重力に引かれ下がろうとしたシフォンの腹に右膝のカウンター、返す足をシフォンの左膝を上から踏みつけ体勢を更に崩し、続けて頭突きを顔面へ入れると同時に拳、肘、肩の順での瞬速の重力場も交えた三連撃がシフォンのあご、脇、胸に続けざまに入れられたことにより。
小柄なシフォンの身体は弾き飛ばされて信じられないほどの勢いで宙を舞い、奥で未だ撃剣を続けるクラオカミたちの方へと飛んだ。
「敵とは言えあんな美少女にフルコースで連撃しちゃって良かったんだろーか?
しかし確かに殴った感触は鉄板みたいだったな、あれも身体強化なんだろうなあ」
さんざんにシフォンの身体を打ち据えた左拳を開閉しつつ軽く左右にぶらぶらと振りながら、ようやく大きく息をついたタクミはクラオカミらが未だ戦う、水煙で霞む奥の空間に目を向けた。
『この先はガチでやばいっぽい、空気もないっぽいし俺らだけで行くね。みんな支援サンキュっ』
『さんきゅ? 謝意かな? まぁ、僕ら普通の人間はもうお腹いっぱいだよ、あとは人外の皆さんだけで楽しんで』
心底疲れた風なため息混じりとも受け取れるフープの返信が還り、タクミは返事せず満面の笑みを浮かべて奥へと重力場ごと身体を運んだ。
完全に生身で戦士の身の上ながら、胆力と頭脳戦のみで場を乗り切ったフープこそがこの場の誰よりも賞賛を得るべき、とタクミは思っている。
神同士の対決の場では最も戦闘力のない身で、一人たりとも負傷者すら出さず、場の全てを制御仕切った、と言っても過言ではない。
そうしてタクミが向かった先では。
シフォンが射抜くような凶悪な目線をこちらに向けつつ炎系の転移魔法だろうか、渦巻く炎の中で口と鼻から出血する血を真っ白な左手の甲で拭いつつ急速に存在感を薄れさせており、更に向こうではほとんど全身を龍鱗鎧で覆うまでに龍鱗を成長させたクラオカミが、遂に顔面にまで黒い傷の侵食を受けたクラミツハの首に寄り添っている様子が見えた。
『クラさん……』
『タクミどの、ここは既に異界。早う戻りなされ、クラミツハの実体はここで死ぬ。
魂は不滅故、数千年も経れば復活するであろうし、何の問題もないがの』
既に周囲には先程タクミが言った通り空気もなく、水に由来する濃密な神力が満ちていた。
ここが、本来のクラオカミとクラミツハが暮らす本当の意味での神界なのであろうと思われた。
『……いや、連れ帰る。フープ兄とティース姉が悲しむから』
『ふっ、あの子らも既に大人。祖母が居らんで泣くような弱き子に育てた覚えはないぞえ。それに』
完全に龍鱗の兜で顔面を覆ったクラオカミが、ゆっくりと浮遊しつつ近寄るタクミに顔を向けた。
……そして、軽く長い爪の伸びた片腕を眼前で振って見せる。
『この姿から戻れぬのじゃ、もう。何しろ、神殺し、兄殺し、夫殺しの三愚を重ねた愚物じゃてな?
カグツチの呪いも合わさり、神力が濁ってしもうた。
この影響は無垢なるタクミどのに悪しき影響を及ぼすでな、そのままお帰りなされ。儂はここでミツハ兄様と共に永劫を過ごしまする』
『そんなこと、別にっ……!』
タクミは言い募るが、軽く首を振ったクラオカミは全身から脱力し、既に死骸と化したらしいクラミツハの首にもたれかかる。
そのような弱々しいクラオカミを初めて見たタクミは混乱し、クラミツハの折れた鼻先の角上に立ち、それ以上は近寄れずに呆然とただ表情の見えぬクラオカミを見つめ続けるだけだった。
「――許しませんよっ。どんなときも最後まで諦めるなと、そのようにタクミに教えたのはどなたでしたかっ?」
唐突に響いた耳朶を打つ肉声に、タクミ、クラオカミの双方が声の元を探す。
ぽんっ、と軽い音を立ててタクミの肩から跳んだクルルが、二人――いやニ柱の中間点に着地した。
「その程度の汚染で諦める心持ちへ動かせるなど、さすがに邪神カグツチの邪神力、侮れませんねっ。
でも、真の古き神であるこのクルルにその力は及びませんっ、浄化など軽いものですっ」
『おやめなされクルルさま! 神核が持ちませぬ! 実体を維持出来なくなりますぞ!?』
「実体なぞっ! タクミの深い悲しみに比べればっ、この古神の全力を遣っても別に!!」
目を閉じたままのクルルが軽く眼前に広げた両手に、白く輝く、光球魔法のような光球が形成される。
しかしタクミの魔眼には、その力の源が全てクルルの小柄な身体の全身から吸い取られるようにその光球へ移って行く道筋が感じられていた。
『やめろ、クルル! なんか他に道があるはずだ、そうだろ?!』
「ありませんよっ、あるけどそれはクルルが許しませんっ。タクミくんの何も捨てられない優しさをクルルは愛してるんですっ、忘れましたか?
――そういえば、返事、まだでしたね。今生では聞けませんでしたけどっ、いずれ相まみえる夜食国で、きっと聞かせて下さいね」
クルルの持つ光が大きく脈打つように輝くと同時に、クルルから生気が失われるのが目に見えて分かる。
それを止めようと光球に手を伸ばしたタクミとクラオカミの双方が、同時に光球から迸る強大な白い神力に覆われ、瞬時に動きを止める。
『これは?! 我が呪われた神力とカグツチの呪い、同時に浄化されて……これが、古神の浄化力と??!』
クラオカミの言葉通り、クラオカミの全身を包む龍鱗が溶けるように微粒子に分解され、体表全体を覆う鎧形状と化していた龍鱗が失われ、見慣れた白磁のような肌の美女が顕在していく。
その自らの容姿の変貌を驚きの目で見つめつつ、同じくクルルの神力に包まれたタクミを見やると。
――そこには、苦鳴を響かせ身をよじるタクミが居た。
「やめっ……やめろっつってんだろォォォォォ、ガァァァァァァ、ウゥゥゥズゥゥゥゥメェェェェェ、俺を、俺様を起こすんじゃねぇェェェェェ、コイツが消し飛ぶつってんだろォォォォォがァァァァァァ!!!!」
白い神力が全身に及び、なぜかタクミの全身から黒い煙のようなもやが立ち上り、苦しむ様子を戸惑いをもって見つめたクラオカミだったが、クルルを見れば既に全身の衣類を滝のような汗で濡らしており、力の制御が出来ているかどうかも怪しい様子であることを見て取った。
『タクミどの! クルルどのは既に意識なく制御もない!! これは暴走ですじゃ、止めるには強制的にしか!!』
「アアアアァァァァ、クソッタレが、世話の焼ける女だぜ全くよォ!! オカミィ、何千年ぶりだァ?
いやそりゃいいが、ここで見聞きしたことは誰にも話すなよ」
完全に口調と態度を変貌してしまったタクミが、普段のクルルに対する扱いとはまるで違う粗雑な所作で両手を広げた姿勢のまま硬直してしまったちびクルルの胸元を乱暴に掴むと自らの眼前に持ち上げ、噛み付くかのような乱暴な勢いでその小さなクルルの唇にかぶりついた。
――びくん! とクルルが全身を一度硬直に震わせた刹那、潮が引くかのように集まった神力による光球が、空気が抜けるように萎んで行く。
「クソだらが、和のガキが驚いて自分で殻に篭ったから交代出来たけどよ、タイミング悪けりゃ消し飛んで二度と復活出来なかったとこだ。コイツほんとにニギを愛でてんのかよ、無茶しやがる」
『まさか…、まさか、御身、もしや建速の』
「誰にも言うなっつってんだろうがァ、俺様にもだっつーの。まだ交代する時じゃねェんだ、早すぎる。――それによ、俺様は眠てえんだよ」
口調は軽いながら、行動は乱暴に素裸のクラオカミの腹に容赦のない直蹴りを入れて言葉を途切れさせ、タクミは――、いやさ、タクミの身の内に現れた何者かは、タクミの身体を借りたままで己の意のままをクラオカミに叩きつけるように告げると、ぐったりと脱力しきってしまった小さなクルルの身体をクラオカミへ投げ渡した。
「ハッ、俺ら三貴神よりも更に古きアメノウズメも、神核なしじゃ形無しか。男神なアマテラスの計略にバリバリ引っかかってんじゃねえの、面白くねえ。
――ツクヨミ姉貴を頼りな、女神な姉貴もそっちに居るだろうさぁぁぁぁ……ふぁぁ。マジくっそねみい。まだ途中なんだからよ、軽々しく起こすんじゃねえよ阿呆」
軽く伸びをしつつも更なる眠気を呼び込んだものか、タクミの身体は更なる空気を欲しがってあくびを発した。
しかしここに吸い込むべき空気はなく、満ちた水神力の残滓を大きく吸い込んだのみだった。
「んじゃよ、俺様はまた寝っからよ。ニギには適当に話繋げて納得させとけよ」
『委細は分からぬが、了解し申した。御身の意のままに、須佐様』
「――いいか、オカミ。重ねて言っとくぞ」
乱暴にクラオカミの髪を掴んで引き下ろしたタクミが、クルルのときと同様に、乱暴にクラオカミの唇をかじるように奪い、両目を目前に寄せた。
「俺様の真名を軽々しく口にするな。男神に気づかれるとポシャる。ここまでやって最初からやり直しはクソだりぃんだよ」
『……了解し申した、主様』
「何を頬染めてんだよおめえ人妻だろうが、節操持てよォィ」
タクミの言葉通りに頬を朱に染めたクラオカミが、言われて下を向く。
クラオカミの髪を掴んでいた手を離し、話は終わった、とばかりにくるりとクルルを両手に抱くクラオカミらに背を向けたタクミは、数歩を進みつつ、うん、とひとつ頷くと、両手を腰に当て、思い切り胸を逸らし――そのまま真後ろに倒れた。
慌てて駆け寄ったクラオカミが見たものは、安らかに寝息を立てる普段通りに戻ったと思しきタクミの姿だった。
あと1話で第二章終わりの予定です。




