17話 シェリカの孤児院兼診療所
「これは……、放火かなあ?」
「ぽいねー。怖い怖い。僕らが居るうちはそんなことさせないようにしないと」
「しないとーっ!」
俺が孤児院兼診療所って聞いてる元神殿を見上げたのは、そんな感想。
元は真っ白だったんだろう外壁にあちこち黒い煤っぽい汚れがこびりついてて、たぶん心無い人たちから放火とかの嫌がらせ受けたんだろうなあ、と。
もちろん、フープ兄やクルルの言葉に異論はない。
なぜかシルフィンが居なくなっていた女性陣と広場で合流したら今夜の宿はここだって聞いて、長い回り階段を経由してやっと着いたんだけど。
「ほれ、着いたぞティースや。よく頑張ったのう」
「……あっ、はいっ! ごめんなさいお祖母様、結局最後までお世話に」
クラさんにお姫様抱っこされてたティース姉が遅れて到着、優しく地面に降ろされてるのを肩越しに振り返って確認。
ここの街に入って以来いつもの姿隠し用の長ローブ着けてないのもあって、女侍姿がめっちゃ似合ってるクラさんが同じく薄幸の美女っぽいティース姉をお姫様抱っこしてる様子は。
なんか、その、ティース姉が照れちゃってるのか頬を染めてるのもあって、むっちゃ耽美だった。
こっちでもそんな認識あるのか知らんけど。
「ティースの役割は力仕事じゃないんだから、疲れたら疲れたとちゃんと言って、休めるときは休もう。力仕事は僕らに任せればいいんだからね」
「はい、フープ兄さん。そして兄さんはいい加減休んで下さい。いくらなんでも体力使いすぎだと思います」
「うーん、ティースにはお見通しか。さすが自慢の僕の妹」
「ごまかされませんからね。周辺警戒とかやろうと思ってるでしょう。ダメですわよ?
魔法で強制睡眠の手段を使われたくなければ、ちゃんと寝床で就寝して下さいませ」
「ごまかされないかっ。ううん鋭い」
「大丈夫だよフープ兄、みんなで交代でやるし。いつも自分で言ってるじゃん、他の人を頼れって。俺らのことも頼ってよ」
俺とティース姉に言われて、さすがのフープ兄もとうとう観念したみたいだ。俺らふたりを両腕でがばっと抱いて、一言。
「自慢の弟妹になったねえ、お兄ちゃん嬉しいわ」
「その言い方はまだ諦めてないよね?」
「寝床から抜け出そうとしたら容赦なく魔法叩き込みますからね?」
「お主の負けじゃ、観念せいフープ」
意外とフープ兄は神経質で心配性なんだよな。だからすごく細やかに目端利いて配慮が行き届くのかな。
まあ、俺がちょっと大ざっぱすぎるのかもしれないけど。
そんな話を閉じられたままの神殿正門前で繰り広げてたら、門壁の上から子供が数人ひょっこりと顔を覗かせるのが見えた。
顔をそちらに向けると、すぐにぱぱっと全員頭を下げて隠れてしまった。嫌われちゃってんのかねえ?
「シェリカ姉ー! 来たよー!!」
「おーぅ今行くー!」
閉じられたままの門戸の裏で、そんなやり取りが聞こえてくる。大人の女性の声が、女医さんのシェリカさんかな?
「わりい、そっちの正門は今開かねえんだ、開門機構がイカレちまっててな。めんどくせえけどこっちから入ってくれ」
門の横手の、模様だと思ってた石壁装飾の一部が開いて、赤毛の女性――シェリカさんが顔を覗かせるのが見えた。
「隠し扉ってやつかな? すごいな」
「そんな高尚なもんじゃなくただの通用門だよ。昔は水車と連動してすぐに正門開けられたらしいんだけどな。
……使われなくなって長いんで錆びついて壊れて動かねえんだ。って客に恥晒すこともねえか。
謙遜抜きでマジ散らかっちまってるけど、とりあえず入ってくれ」
申し訳なさそうな顔で顔を引っ込めたシェリカさんの後に、フープ兄を先頭に俺ら一行がぞろぞろと続く。
「おうおう。これは我ら滞在中に少しでも片付けを手伝った方が良いような気がするのう」
「マジで?! ほんと済まねえ、ガキ多いんで壊すのも危ねえしでそのままにしてあるんだけど、いつ崩壊するかも分からなくてさ」
門内に入って見えた光景にクラさんが驚嘆した声で言った内容に、シェリカさんが即座に反応。うん、確かにこれは女子供じゃ危なくて処理出来ないよなあ。
門内には結構なスペースの中庭があって、建造物が立ち並んでるんだけど。
半壊して壁と支柱だけでかろうじて立ってるとか、建物全体が斜めになってて崩れないのが不思議なバランスで建ってる、みたいなのが多くて。
確かに迂闊に近寄ると危なそうだ。
「これはやっぱり住民の放火とかで?」
「アタシらが住み始めたときはもうこうなってたんだけどな。
――ちょっと前の帝国と公国の戦争で戦場地域の難民流入したときに、難民と地元民で抗争になって数で劣る住民側が負けてな?
住民を助けない神殿なんか要るかーっつって焼き討ち略奪放火した、って話を聞いてるなあ」
「うわなにそれひどい。人間同士の争いに神様頼るなよって気がしないでもない」
って。しまった。ここ元はクラさんの神殿だったんだよな? そっと振り返ってクラさんの様子を伺うと。
苦笑してるのが見えるけど、あれはたぶん無理しちゃってるよなあ。
「儂がここに居ってもその争いごとにはどちらの味方も出来んかったじゃろうから、結果は変わらんかったろうよ。
タクミどのの言う通り、ヒト同士の争いごとに神が助力すると相手も神を頼り泥沼になってしまうからの」
「だよなあ、アタシも同感。ここで神族戦争とかぞっとしないぜ」
シェリカさんが両手で腕を抱いて身を震わせてみせる。あれ。何か初めて聞く単語が?
「あ、質問いいすか。神族戦争って、何?」
「――へ? なんで知らねえんだ、どこから来たんだアンタ?
神敵カグツチが軍団率いてアマテラスに戦いを挑んで、大惨敗でボッコボコにされた上に小箱に封じられて往来に転がされて放置されてるアレだよ。
……『箱語りの愚者』ってやつ」
「……あー!!」
言われてやっと思い出した。前に聞いたことあるそれ。神敵カグツチの名前も前にそういえば聞いてたような。
話が繋がった気がして大声上げちまって、頭の上のクルルに「タクミいきなり大声うるしゃーい」ってぺしぺし叩かれた。
悪かったよごめんよ気をつけるよ次から。
「愚者の話は聞きたいと思ってそのまま忘れてたな。軍団率いて大戦争だったのか。タイマンしたのかって勘違いしてたわ」
「おう、勘違いしてただけか。でもほんとに別の地方から来たんだなアンタら?
神族戦争の話はアタシらは子供の頃から聞かされてるおとぎ話みたいな神族伝説だから、異世界人かと思っちまったわ」
「いや異世界人で合ってるんだけどな」
「――はぁ?」
あれ。反応が妙だ。秘密の話じゃなかったよねこれ?
「あー、タクミどの。シーンの町は神器の塔に近い故、異世界人の噂話や見聞録もあり、そもそもあそこは冒険者がかなり多い故さほど珍しくは思われぬが。
普通は神器はそう多く存在せぬし、流浪の旅を行う神器自体が希少故に、外地に出れば珍しく思う者も出てくるぞえ」
「あっ。そうなんだ。全然珍しくないと思ってた」
「前に旦那様……、水龍神クラミツハが最も新しい異世界人の神器を採ってから軽く50年は経過しておるからのう。
もう異世界人を見知っておるヒト族の生者は殆ど居るまいよ」
「あー、ちょっと、ちょっと待ってくれアンタら」
顔半分を片手で覆ったシェリカさんが俺らの方を震える指で指差してんだけど。
「アンタがたの中で神族の人、素直に挙手」
えーと。俺とクルルとクラさんだな。三人で右手を軽く挙げる。
「ってアホかー! 神族三人も揃ったら国が滅ぶってくらいの厄災級の厄ネタじゃねーか!?」
「えっ?? そうなの?」
ものすごい焦ってる感じになっちゃったシェリカさんの剣幕に若干引きつつ、軽く振り返ってクラさんやティース姉に尋ねると。
「儂らは国を興したことはあっても滅ぼしたことはないのじゃが。神敵カグツチの軍団と混同されとるのかもしれんの」
「いえお祖母様、アマテラスの国興しのときのお手伝いを指しているのかもしれませんわよ? 確か攻め寄せた周辺国家を数柱のみで退けたとか聞いておりますけども」
「いや、しかしあれは売られた喧嘩故、全力でお相手するのが武人の礼であろ?
確かに雷撃を束ねて数十万の軍勢相手に釣瓶撃ちしたのはやり過ぎではないかと思いはしたが、あれはタケミカヅチの仕業であるし」
歩く核爆弾かあんたら。
俺があんまし昔の歴史とかに興味ないもんで今まで全然尋ねたことなかったけど、確かにアマテラスの力は凄まじかったし……。
くそっ、あの野郎。必ず俺の手で息の根止めてやっから、首洗って待ってやがれ。
「まあ僕らはほんとに人畜無害なんだけど、信用出来なくて宿を貸して貰えないなら退出しても問題ないよ。
ただ、さすがにそろそろ日も落ちそうなんで正門外で野宿くらいは許して欲しいかな」
そっ、と俺を片手で抱き寄せてきたフープ兄がシェリカさんに対して少し固い声で応じる。
「……いや、恩人にそんな不義理な真似させらんねえよ。ちょっと驚いただけだ。
あとそっちの眼帯の兄ちゃん、そんな警戒して魔力びんびんに出さなくても大丈夫だからよ?
女とガキしか住んでねえんだから危害加えねえし、むしろこっちが怯えちまう。
子供らはまだ魔力慣れしてないんで、あんまし直接魔力当てないように注意してくれっと有り難い」
「あ、ごめん。でもこの通り裸眼が見えないんで、最小限の魔力検知は許してくれ」
「アタシも左目が義眼だから不便は判るよ。身障者同士助け合うってことで。――まあ、アンタは両眼に加えて四肢欠損で、呪われてるみたいだけどな」
びしっ、と空気が凍った気がした。呪われてる身体と吹聴されるのは不味いよな。なんで気づかれたのか判んないけど、敵か?
「おっとっと。警戒しないでくれって。これでもアタシは医者なんだぜ?
人間の身体の動かし方なんざそこいらの一般人よりゃ遥かに詳しいんだ。そっちの眼帯の子、腕と股下10cm程度から先が欠損してんだろ?
肘と膝から先の動きが普通の人間より速すぎるんだよ、全部の関節が同時に動いてる。
普通なら神経筋肉伝達の順序で順々に微妙にずれて動くんだよ」
頼むから警戒すんなよ、とか言いながら両手を前で振りながら近づいて来たシェリカさんが、俺の肩を鷲掴みにして。
肘関節を覆ってる甲冑をローブの上から掴んで関節を軽く曲げ伸ばしさせる。
「ほらな。これ重力魔法で鎧の重さなくした上で、中で操糸か何かで動かしてんだろ?
上手い方法だけど義手義足としちゃ効率が悪いぜ、これ。
――さっきの無作法のお詫びだ、ちゃんとした義手義足に調整してやっから、それでチャラにしてくんねーかな?」
間近で凄みのある笑みを――これ多分普通に笑ってるつもりなんだろうな、指摘しないでおこう――浮かべたシェリカさんが小首を傾げて見せた。
とりあえず、この人は敵じゃないっぽい。大丈夫っぽいよ、フープ兄?
やや緊張した面持ちで左手をそっと腰の後ろの短剣に掛けていた隣のフープ兄を見上げると。
フープ兄は大きく息を吐いて両眼をつむり、片眉を上げて嘆息して見せた。
「じゃ、些細なすれ違いがあったけど、それで手打ちってことで。食事の準備は自給自足って聞いてたんで食材は買ってきたけど、調理場借りられないかなあ?」
「ああ、水車小屋の隣が調理場になってる。案内するよ。ついて来てくれ。
――部屋はどこ使ってもいいんだけど、南側の大部屋は小さい子供らの寝床になってっから、そっちの眼帯の子とクラオカミ様はちょっと遠慮して欲しい。
発散魔力がでかすぎて魔力慣れしてない小さい子供らが魔力酔い起こしちまうんでな、こりゃ悪気じゃねえんだけど」
「無論じゃ。タクミどのも異論なかろ?」
シェリカさんの後に続いて歩きながら、クラさんの同意に俺も遅れて頷く。
子供らが俺のことを遠巻きにあちこちから隠れて見てるのはそういうことか、といろいろ納得。
「この街の子らはまだ魔力洗礼前なんですわね」
「ああ、神殿がこんなになっちまって、洗礼する司祭がもう街に残ってねえもんでなー。
年頃になったらアタシが別の町に連れてって受けさせることもあるけど、その間はここが無人になっちまうんで略奪がなあ」
「略奪とかあるんだ? 酷いな」
「難民抗争からこっち、難民側が勝っちまったもんで昔から住んでた住人の数が激減しちまってなー。
まあアタシも元は他所から流れて来たんだけど、子供らが泣き暮らしてんの見ちまったらもう離れらんねえやな」
「まあ、優しいんですわねシェリカさん」
「へっ、よせやい、アタシみたいなヤブ医者に面倒見られるガキどもが不憫だっての。
――っと、ここが水車小屋、歯車が壊れちまってるんでただ水車が回ってるだけの部屋なんだけどな。
で、ここの隣が調理場になってる。水はそこの水瓶に貯めてるんでそっちから取ってくれ。ただ、子供らが毎朝下の水路まで往復して汲み上げてるんで、なるべく節約してくれな。
寝床はどこ使ってくれてもいい、ベッドがある部屋もあるぜ。ただ、設備とかは10年も前から交換も整備もなしでほったらかしなんで、そこは期待しないでおくれ」
調理場には肉野菜があちこちから吊るされて干されているのが見えた。基本は保存食生活なんだなあ。
まあ、あの階段を毎日往復はしたくないか。
しかし、水車があるのに水が使えないってなんでだ? と思って、断続的に放水音が聞こえる方を窓から身を乗り出して覗いたら。
なるほど落下式水流ダムタイプの水車か。何回か建築現場で見たしたことあるわ。
たぶん別の場所にある別の水車で外壁内水路に水を汲み上げて、この水車がそこから水流の一部をすくい上げて高所から下に撒いてる感じになってんだな。
――ってか、下になんか構造物が横倒しになってるのが見えるんで、本来は水を何か別用途に利用してたんじゃないかなあ?
まあ今は水が散布されて、空中で気化する水が気温下げるとかそんな役に立ってるのかもしれんけど。
「昔は水車から水を取れてたみたいなんだけどな、今じゃ危なくって。
……男の子ってのはなんであんなただ回ってるだけの水車みたいなもんに興味津々なのかねえ?」
首を振りながら理解できないと独りごちるシェリカさんが。
ええー? 俺だって興味ありまくりなんだけどなあ。ここから港が見えるんだなー。そういや結局帆船乗り損ねたな?
あの帆船は周回を終えてそろそろ入港準備してるんだろうか? せっかくだし明日にみんなで出かけようかな?
ああでも、フープ兄の体力がちゃんと回復してからのがいいか。
「眼帯の兄ちゃん、落ちたらただじゃすまないからあんまり身を乗り出さない方がいいぜ? そこは出窓になってっから」
「いや前に2,000メートル級の塔から落下したこともあるんで。あと重力魔法使えるから落下ダメージゼロに出来るんで大丈夫っす」
「はああぁ? ほんっとに神様ってのは桁外れだよな。アンタも神様なんだよな?」
「この中で最弱だけどね。一応神器っす」
「まあクラオカミ様が最強なんだろうけど、迂闊に寝返りで建造物破壊とか勘弁だぜ?」
「いや、この中で最強はこの子」
相変わらず定位置な俺の肩車で、どうやら俺の頭を枕に寝入ってたっぽいクルルの両手を掴んでばんざーいさせて見せる。
なんか頭のてっぺんに濡れた感触があるんだけど、たぶんよだれだろーな。可愛いから許すけど。
「からかってんじゃねえぞ、そんなちびっこが強いって、どれくらい強いんだって話だよ」
「そうさな、ざっと儂の数千倍ほどの神力をお持ちじゃが」
クラさんの言葉で、シェリカさんの目が点になる気配。
どうもまだ寝ぼけてるっぽいクルルをまじまじと凝視してる様子が。まあ気持ちは分かります。
確かにあの美少女クルルと同一人物なんだけど。今や妖怪食っちゃ寝だからな。
戦闘に入るとそれでも凄まじく強いんだけどさ。
「ええと。もう驚かねえわ。さすが神様、何もかもケタ違いなんだな。
トイレは中庭の隅っこ、本来は水洗だったみたいなんだが、今は水があんまし使えねえんでちょっと臭うけど我慢してくれ。
あと風呂もないんで悪いけど下の街の銭湯や水場で済ませてくれ。そんな感じかな。質問はねえよな?」
顔を見合わせた俺らが頷き合うと、シェリカさんは相変わらず凄みのある笑顔を浮かべて、両手でサムズアップサインをふたつ作ってみせた。
「じゃ、ようこそシェリカの孤児院兼診療所へ。そっちの姉ちゃんに助けられた子が歓迎したいってんで、ささやかながら中庭に宴の用意をさせて貰った。
悪いな、いろいろ遠回りさせちまって。サプライズにしてえってガキどもが言うんでな」
「「「「「「ようこそー!」」」」」」
周囲の部屋のあちこちから男女の子どもたちが顔を出して、満面の笑顔で歓迎の挨拶。
やられた、完全にサプライズだわ。でも誰も怒ってない、ってかこういうサプライズならいつでも歓迎したい。
わらわらと俺らを囲んで来た年長らしい子どもたちに手を引っ張られて、俺らは再び中庭へと戻る道筋を歩いた。