14話 新しい身体と幼女と
「新しい身体にはもう慣れたぁ?」
「――いや、まだまだ効率が悪い。もっと突き詰められると思う」
龍神のねぐらから近い森の中の河原で、両方の拳を突き出す姿勢のまま、汗だくのタクミは、漆黒に金糸の眼帯で両目を覆ったままでありながら、木陰から現れたシルフィンを魔力で検知しつつ、その声には振り向きもせず無愛想に答えた。
すぐに型の初期姿勢に戻り、再び最初から型の動作を繰り返し始める。
――こうした練習行為は、アマテラスの攻撃により死亡しかけた日から日を置かずして欠かさず行われるようになっていた。
内容も、前世の暇潰しと日課の延長線上の甘えた内容ではなく、戦闘を強く意識した魔力を併用した実戦的なものに変化している。
あれから1年半が過ぎ、その練習内容はクラオカミやシルフィン、ティース、フープたちパーティメンバーとの模擬戦も含み、クラオカミの棲家である龍神のねぐら内での対魔物戦闘などの訓練もあり、タクミの戦闘力の向上は目覚ましいものであったものの。
それでもまだ足りない――アマテラスを打倒するには全く足りない、というのがタクミの偽らざる心情である。
「足りない足りないって嘆いててもぉ、足りないもんが嘆くだけで埋まるのなら苦労しないでしょぉ?
だから、もっとあたしらを頼らなきゃぁ」
「タクミさんは気張りすぎですわ。もっと私達のことも信用して下さいな。パーティメンバーなんですから」
「そうそう。それに、四肢欠損で身動き出来ない身体からそこまで回復したこと自体が驚異的なんだし、魔法だってかなり上達したじゃないか」
シルフィンに続いて、ティースとフープが現れる。
服装が若干くたびれているのは、シルフィンら三人のみでの冒険依頼からの帰りと思われた。
「この地域で最後の冒険者ギルド合同依頼だったってのに、隠密性が必要だからとかまだ能力が不安定だからとかっていろんな理由で依頼参加出来ないのはやっぱ不満だし、自分の能力が足りないってことだから悔しいよ」
フープが放り投げたタオルを漆黒の甲冑の右手で受け取り、広げて頭に軽く被せたタクミは、ようやく練習を中断し長い息を吐いた。
「自分の本当の身体ならまだしも、義手義足どころか全身甲冑を魔力制御で動かせるようになっただけでも凄いことなんだよ?」
「しかも、神鉄でなく普通の鉄鎧ですもの。それだけで普通の魔術師がひっくり返るレベルの上達速度ですわ」
「槍にしてた神鉄の量がもっとあったらぁ、鎧に加工も出来たんだけどぉ。それは無理だったねぇ。
でも代わりに神鉄触手になったんだしぃ?」
歩み寄ってきて、無遠慮に、しかし愛情を込めて乱暴に頭を撫で回すフープに苦笑を浮かべてみせつつ、タクミはその場に座り込んで甲冑を外し始めた。
三人の言う通り、甲冑を外すと内部には生身の肉体である腕足は現れない。
代わりに、タクミの寸尺しかない腕脚から直接生えた無数の鉄線触手が甲冑の各部位に繋がっており、その接続を外す毎に、各部位は本来の重量を取り戻して柔らかい砂地の河原に落下し凹みを作った。
「大工職人の方々から教わった重力魔法もだいぶ上達しましたわね。以前より動きが軽くなっているようですし」
「それにぃ、神鉄糸で魔力を通しやすいとは言ってもぉ、制御そのものに熟練が必要な操糸法もねぇ」
タクミが鎧を脱ぎやすい姿勢を取らせる補助を行うフープの傍らで、シルフィンは乱雑に転がった甲冑部位を整頓しており、胸と背中のプレートの接合部に触手を伸ばして外そうと悪戦苦闘しているタクミをティースが手伝い始めたところだった。
原因不明の就業中の不慮の死――恐らくアマテラスの謎めいた手段で死亡した親方を失い、大工職能集団としてのチーム維持が厳しくなり解散し方々へ散ろうとしていた職人たち全員から直々にタクミに伝えられた職人技の数々は。
当初は拙い技ではあったものの、年月を経過し常人の比ではない努力修練の結果、往年の職人たちに及ぼうとするレベルの熟練度に達していた。
「いや、全然まだまだ。職人さんたちのレベルに及ばないのは仕方ないけど、操糸法の方もまだ一人で甲冑の着脱も自由にならないし。
これで、更に何かもっと別な魔法を同時に使える数を増やさないと。
……風魔法が使えれば空気に働きかけて静音性効果の魔法を得られるのに」
「タクミくんは欲張りすぎなんだよ?
普段から常時視力代わりの魔力検知、身体制御で身体強化に操糸法、甲冑操作で重力魔法の軽量化。
ここからまだ魔法増やすって常識で既におかしいからね?
さて、ここで最後の依頼から帰還したフープお兄ちゃんたちに言うことが何かないかな?」
ティースの助けを借りて完全に全身を覆う鎧を脱ぎ去ったタクミは、全身を濡らし滴る汗をティースに拭って貰いながら、自身を抱き上げて満面の笑みを浮かべるフープたち全員を見回しつつ、やや赤面し、答えた。
「おかえり、フープ兄、ティース姉。――あとシルフィン姐」
「ただいま、タクミくん。いい加減慣れようね、家族なんだから」
「いや、一人っ子人生長かったから、たぶん永久に慣れないと思う……」
「ていうかぁ、なんであたし向けだけ遅れるかなぁ? そして微妙になんだか発音が違わないかなぁ?
あ、今日は蜥蜴肉のハーブ焼きにするよぅ」
「ここで最後の食事はハーブ焼きですか。明日からは旅路定番の乾燥食の日々ですわねえ。
水使いのお祖母様とシルフィン姉さんが一緒ですから水には苦労しませんけども」
フープの胸に抱かれたまま、水浴び場として使っている湧き水の水たまりまでの短い距離をフープが歩き、その間もタクミの全身を拭うティースが追従する。
シルフィンはやや不満を述べながら、この場までの道すがら採集したと思われる食材を調理するために簡易の調理場へ向かって歩を進めた。
この世界に身寄りのないタクミを家族として迎える提案はフープが行ったものであり。
同じパーティメンバーとしてより密接に仕事をする以上に、四肢欠損と眼球損傷の視力喪失、かつアマテラスの呪いとも呼べる妨害により完全な魔法治療による再生を阻害され日常生活にも不便を来すようになったタクミを気遣ったものであった。
反対者など居るはずもなくシルフィンたちの新しい末の弟として受け入れられ、タクミ自身は未だに照れが抜けないものの、心遣いを有難く思っている。
他のギルド所属の冒険者たちも経験不足の新人ながら同じ冒険者の一員であるタクミの不便を助けるためにさまざまな支援を行い続けており。
現在着用中の甲冑および眼帯もある冒険者のパーティが迷宮探索行の折りに破壊した古代魔法期の魔導甲冑が身に付けていた甲冑を持ち帰ったものを、クラオカミの神力による補修または改造を受けてタクミ専用サイズに調整されたものだった。
無論、相応の代金は支払ったが、持ち帰る必要のない重量物である鎧を、魔導甲冑が身に付けていたものであり魔力を通しやすいはず、という単純な理由のみでわざわざ危険を冒して魔物の巣窟である迷宮内から労力を駆使して地上まで持ち帰った事実。
そして、それをギルド受付経由でシルフィンに伝えたのは冒険者たちの確かな厚意による互助精神の発露であろうことは疑いない。
「久しぶりの水浴びだし、男同士でゆっくり話したいねえ、お兄ちゃん、タクミくんに話したいことたくさんあるんだよ」
「居残り中はずっとクラさんたちと混浴だったから男同士の静かな時間はマジ嬉しいっす。って、あ、まだ先客が――」
「これっ、クルルさまっ! まだ途中ですぞっ!」
「クラはうるさいからきらーいっ! クルルもう綺麗だもんっ!!」
水場の岩陰から、喧騒と共に全裸の幼女が走り出してきた。よく見れば猫耳と尻尾があり、獣人の様子がある。
その子は後ろから追いかけてきたタオル一枚姿のポニーテールの美女――クラオカミに向かって、顔を真赤にして鼻息も荒く反論を述べている。
「――相変わらずクルルちゃんはお風呂嫌いなのね?」
「……猫娘だからですかねえ、水浴び自体が嫌いみたいで。ていうか服着るのも嫌がるんですよねえ」
以前はそんなことなかったのに、とタクミは嘆息しつつ続ける。
追い回すクラオカミとティースの手を躱しつつ走り回って逃げていた幼女姿のクルルが、姿隠しの魔法で隠れて待ち構えていたシルフィンに捕まり抱き上げられると、驚いた顔で全身をじたばたと動かして脱出を試みているのが見える。
その姿は、以前の美少女の面影はあるものの、行動、言動は幼女そのものであった。
「お祖母様、タクミくんを入れますので水場、失礼しますよ。――記憶は残ってるんだよね? 前の」
仕切り代わりの身の丈ほどの岩の先に進みながら、フープがクルルを中心にお説教をしている様子の女性陣たちに声をかけた。
「記憶っていうか、前のクルルも今のクルルも同一人物なんですよ。
行動や感情を制御するアタマの中身に割ける力が激減してるだけで……いてっ」
フープに両手で抱かれているタクミは、両手が塞がっているフープに突然の頭突きを食らった。
「兄弟で敬語は要らないって言っただろう?」
「いやでも年上だし――」
「じゃあお兄ちゃん権限で命令。末っ子よ、君の主張権はこの家族の中では底辺以下だ。
なぜなら末っ子とは全世界どこに行ってもそういうものだからだ」
言いながら、フープは器用に抱いているタクミを落とさないように上着を脱ぎ、半裸で勢いの良い湧き水の水流が見える水たまりに足を踏み入れた。
「うひょっ、冷たっ。ここの湧き水はほんと逸品だなあ。タクミくん心臓麻痺起こさないでね?」
「そういう心配するんならまず入れなきゃいいんじゃないかなあ……、つーめーてーえー」
悲鳴とは裏腹に、タクミは喜色を浮かべ、練習で熱く火照っていた身体を冷水に漬ける感触を楽しんだ。
フープの腕を離れ、水中で神鉄触手を動かして背泳ぎのような状態で水上を遊弋し始める。
地上でも触手のみで単独で移動出来ないことはないのだが、その姿は四つん這いかつ大量の触手を同時に動かす蜘蛛かゲジゲジを連想させる姿とならざるを得ず。
その姿は『自分でやっててなんだけど、ものすごく気持ち悪い』ため、緊急時以外はその移動方法は封印することとなっている。
「そう。神の実体を維持するための神核の大半を失ったので、寝たきりの状態から半年以上もかけて全身を小さく縮めて操体リソースを削って、知能や感情も低下させた状態で。
そんなずたぼろになってまで、俺の精神をこの世に留めるためにその他の権能の全力を使ってる状態。ってのが今のクルル、なんだよね。
――あの死にそうな状態からやっと目覚めてくれたってだけで、もう嬉しすぎるんだけど……。
目覚めるのが遅れた理由ってのが俺の身体の修復を優先させたからだ、って聞くと何とも複雑で」
「何度聞いてもよく判らない説明だ。僕みたいなただの冒険者には難しすぎる。
……でもまあ、同じクルルちゃんなら神核があれば元に戻る、ってことなんだろうね」
元の神核の大きさからすれば、クルルの体内に残った神核の大きさは百分の一にも満たない小さな欠片のみでしかない。
そのサイズで、クラオカミの神力の数千倍に達する、至高神に最も近しい最高位の女神であるアメノウズメの神力を維持・管理するには厳しすぎる、ということでの必然選択、とクラオカミには解説を受けている。
猫娘になってしまったのは、単に以前は耳と尻尾を隠せていたが、現在は不能、ということらしい。クラオカミも本来の姿は全身に強固な龍鱗を纏う竜人の姿なんだとか。
しかしそれを理解・説明するだけの知能がクルル自身に既にないため、クラオカミの推測に過ぎない。
それに、身の回りの世話なども全面的にクラオカミに依存している状態だ。どうやら子煩悩で無条件に子供に優しいらしいクラオカミは喜んでいる節が見えるが。
「まあ、そういうことかな。――そこまでして守られる価値があんのかな、俺に」
「またそういう悲観的なことを。僕らの家族になったからには、その目的には全力で協力するし、一緒に頑張ろうよ、諦めずに、最後まで」
背を岩に預けて両足を伸ばしリラックスした姿勢のまま。
両手で水をすくい顔を洗いながら、目だけは真剣な眼差しでまっすぐにタクミに向けたまま言ったフープに、水面を漂ったまま顔だけを向けたタクミは一瞬きょとん、とした面持ちから破顔し笑い始めた。
「そういうとこ、ほんとお兄ちゃんしてる、フープ兄」
「そりゃ、これでもティースのお兄ちゃん歴20年だからね。お兄ちゃん経験でタクミくんが僕を越せる日は永久に来ないよ」
「そりゃ無理ですわー、いや今のは敬語じゃなく感想――ごふぉっ?!」
笑って応じたタクミの上に、唐突に全力で飛び込んで来たクルルが馬乗りに着地した。
支えられるはずもなく、突然の水上攻撃にタクミは為す術もなく水中に沈み溺れ始める。
「クルルはねえっ、タクミとなら水浴びするーっ!」
「……ということじゃて、タクミどの、ここは我慢して混浴ということで納得してくれまいか。まだ全然洗えておりませんでの。
――フープに拒否権はないぞえ」
「そーういうことぉー。ほらティース、恥ずかしがってないで入る入るぅ。
いい体に育ってんのにぃ、貴族生活長くて羞恥心とか要らないもの覚えちゃったのは考えものよねぇ」
「シルフィン姉さんは羞恥心がなさすぎなんですわっ! あっ、タクミさん、お邪魔しますわ」
「ああ、タクミくん。僕らの家族になったときの心得で、ひとつ伝えてなかった」
岩陰から女性陣たちが次々に姿を見せ始める。
途端に賑やかになった水浴び場で、漸く水面に浮上し全力で咽返るタクミに無表情かつ虚ろな視線を向けつつ、フープは厳かに言った。
「女系家族内では、男の立場は下よりも更に下だ」
大人のクルルちゃんのMMDモデルが公開配布されてます。
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