13話 告白の行方
中段以降に残虐な描写があります。
「タクミくんはっ、有り得ないくらいっ、鈍いっ! ですよねっ」
「はっ。クルルさまのご指摘誠に御尤もで有り、私の配慮至らず結果ご不興の元となりましたこと訂正して謝罪致します」
公園の噴水前のベンチ。って、恋人たちが語らうには絶好のシチュエーションで。なんで俺は土下座させられているのだろう。
DOGEZA。日本固有の文化であり究極の謝罪の形。
昨日の急なクルルからのデートの誘いでびっくりしたけど元27歳脳筋無職童貞ニートの俺、割りと狂喜乱舞しましたよ。
生まれて初めての女性とのデート。女神さまだけど。
デートつってもこっちの世界で何をどうしたらいいリードになるのかさっぱりだけど、まあとにかく喜びまくりでしたよ。
なぜか毎晩の日課な一緒のベッドで寝るときにも無言を貫いたクルルの態度のおかしさには全然思い至りませんでしたとも。
「クルルがどんな気持ちで死んでいくタクミくんの魂をかき集めてこちらに転移させたと思ってるんですかっ。
それをお母さん呼ばわりとかっ、失礼にも程がありますっ」
「はっ。クルルさまのお怒り誠に御尤もで有り、私の状況把握が適切で在りませんでしたことに依りご不興の元となりましたこと訂正して謝罪致します」
この手の謝罪文句は前世のクレーム対応でさんざんやらされたのでぽんぽん口から出てくるのはいいんだが。
――なんでこんなにクルルが怒っているのか、実は原因がさっぱり分からない。
女神さまが何をどうしたら俺を救ってくれたのか? 気まぐれとか?? たまたま目の前に居たからとか。
「もうっ、タクミくんにははっきり伝えないと未来永劫宇宙終焉の時までぜったいに気づかないんだとっ、クルルは悟りましたっ。ですからっ、はっきり伝えようと思いますっ!!」
「って、クルル、お酒飲んだか? びっくりするくらい真っ赤になってるぞ? 脱ぎ癖あるんだから禁酒ってあれほど言っただろ」
「これが飲まずに言えるわけないでしょっ!」
飲んでるらしい。異様な光景に周囲に町の人たちがわらわらと集まってくる。
そりゃ、黙ってりゃ超絶美少女な巫女服の少女が顔真っ赤で少年――俺を土下座させてたらなあ?
人通りの割りと多い広場の中央だし。周囲で市を立ててた行商人や、そこで売買してた人たちまでわらわらとどんどん集まる流れが着々と。
何言うのか知らないが、とりあえず脱ぎ始めたら速攻で止めなきゃいかんな。
「あたしはっ、タクミくんのことがっ……」
後が続かないのか、クルルの言葉が途切れた。女神でも恥ずかしがるんだな。
ていうか、そんなに恥ずかしいことをなんでこんな人前で言おうとしているのか。そして。何言おうとしてるのか本当にさっぱり判らん。
「いや、何か俺に伝えたいことがあるのは判ったから、続きは部屋でやらないか?」
「このくらいの場所で伝えないとタクミくんはごまかしちゃうでしょうっ!」
ふっ。ごまかしと韜晦の得意な逃げの人生を送り続けたまま終焉した27歳独身以下略をあまり舐めないで頂きたい。
問題の先送りは得意中の得意さ。……あっ、自分で言っててなんだか悲しくなってきたぞ。
「あたしはぁっ、タクミくんのことをっ、愛してますっ!」
「――は?」
「ずっと側に居て欲しいのっ!」
周囲から大歓声が上がる。
「姉ちゃん頑張った!」
「いいぞ良く言った!」
「頑張れ坊主、男を見せろ!」
……とかいろいろ聞こえるんだが。
あれ、これって断れない流れなんじゃね? 先送り出来なくね?
いや先送り出来なくはないんだろうが、ここはどう答えるべきなんだ??
自慢じゃないが童貞歴27年独身男子、こんなシチュエーション経験したことないし切り抜け方も全く分からない。
脳内を漫画やアニメのシチュエーションの数々がよぎるが、使えそうなシチュエーションが掘り起こせない。
「登り続けるぜ、この異世界坂をよっ!」はダメだろうし。
「うぉっ?!」
土下座したまま紅潮したクルルの顔を呆然と見上げてたら、両手を掴んできたと思う間もなく瞬時に無理やり立たされた。
力入れた感じは全くしなかったんだけど。これが『神業』ってやつか。神様だけに。
「タクミくんはいつも無口で何考えてるのかよく分からないけど、いつも何かを一所懸命考えてるのは知ってます。
ていうかいつも側で見てたから。
タクミくんが子猫のクルルを見つけるずっとずっと前から、その人間の身体に宿るずーっと前からクルルはタクミくんのことを見てました」
「クルルさん口調変わってますよ。そして顔近い近い」
そして酒臭い。鼻息荒くしても可愛いな。女の子とここまで顔が近づいたことなんてないもんで、もう俺の頭は大混乱中だ。
クルルが何言ってるのか実はあんまり頭に入って来ない。
「クルルには別の伴侶もいる身でしたけど、それは神代の時代のことでいまは人の世。
この先はタクミくんの隣で過ごしたい、タクミくんと添い遂げたい、と思ってます。タクミくんは応えてくれますか?」
「添い遂げるってか神様って不老不死なんじゃ? 別の伴侶ってバツイチってこと?
まあ長い人生そんなこともあるだろうし、俺は気にしないし……、って泣くな!」
やばい本格的にやばいどうしたらいいんだまさか泣かれるとは。
超至近距離でぼろぼろ泣いてる美少女が居て胸ぐら掴まれて甘い吐息が顔に当たっててもう何がなんだかさっぱりうおぉどーすれバインダー。
がちっ!
「っ?!」
――いってーぇえぇぇ! 混乱の極地で、俺が選択した行動は。
目の前の唇にキス……したつもりだったんだが、思いっきり歯が当たった。
うっおぉ、痛えー。前歯折れたかと思った。クルルも口元押さえて俯いている。
なんでキスしたって、いや、とりあえず黙らせなきゃって、まあそんな発想で。
いやだって、目の前に美少女の顔面あってそれがぼろぼろ泣いててそして好きか嫌いかとかは置いといても俺に好意をあんなにはっきり告げてくれた子でっ、はい言い訳です済みません雰囲気と場に流されました深く考えませんでしたもっと柔らかくて甘いものだと思ってました人生初のファーストキスはレモン味ではなくただひたすら痛かったです。
周囲で「いいぞ坊主ー!」とか「末永くお幸せにー!」とか「リア充爆発しろー!」とか聞こえる。
なにその定型文こっちの世界でも有効なの?
さっきよりも更に嗚咽上げて泣き始めたクルルの手を取って、とりあえず俺は周囲の野次馬になぜかぺこぺこ頭下げつつその場を離れるために歩き始めた。
――――☆――――☆
「ごべんなざいでじたっ」
「はいはい。もういいから。はい、お鼻ちーんしなさい、ちーん」
公園の騒動で感極まりすぎたのか、涙と鼻水で顔面をべちょべちょにしているクルルが、タクミに促されて頷きながらタクミの服の裾で鼻を噛んだ。
びぃぃーむっ! という派手な音と共に、もう何回目なのか、タクミの服に新たな鼻水がなすりつけられた跡が付着するが。
タクミは既に諦めているのか困った顔でクルルの頭を撫で続けるのみであった。
既に先程の騒動からは1時間ほどが経過し、二人は町の中央を離れ、東外門を出てすぐの崖付近を歩いている。
特にここを目的地にしたわけではなく、単に当て所なく歩いたら行き止まりに行き着いた、という結果に他ならない。
「クルルが俺のことを好きだ、ずっと前から好きだった、って言ってくれたのはほんと嬉しいんだけど。
……俺はこの後どうしたらいいのか、実はほんとに分からない。
っていうか、なんでクルルがそこまで俺に尽くしてくれるのかも理解出来ない。
――ほら、俺って莫迦だから」
目の前の難問から逃げるのだけは得意技なんだけど、と続けるとクルルが困ったような苦笑を浮かべてタクミの顔を両手で覆った。
「――そうですね。逃げて逃げて、逃げ続けた果てがここですっ。大丈夫っ、クルルもいま、逃げてる最中なんですっ。びっくりしましたか?」
「びっくりした。いやほんとに。神様でも逃げるんだな。てっきり怒られるもんだと思ってた」
「逃げてばかりですよっ、クルルは。神々でも、嫌なことはたくさんあるし、逃げたいことも怒ることもたくさんすぎて。
――もう、ほんとは疲れ果ててましたっ」
タクミの顔を撫でるクルルの両手の指が、封じられている両目を覆う古びた包帯に伸びる。
「タクミくんの魂を見つけたのは、アマテラスが因果律をいじったのかもしれませんけど――、疲れ果てていたクルルにとっては希望でした。
あなたがクルルを愛してくれたら。と思ったりもしますしっ、クルルもそれを望んでいますっ。
でも、まだタクミくんは知らなきゃいけないことが多すぎて……」
再び、クルルの両目に涙が溢れた。両頬を伝ってクルルの巫女衣装を濡らす。
「どこから説明したらいいのか……、誓って言いますけどっ、クルルは人の身のタクミくんが、タクミくんのまっすぐな気性と何も捨てられない優しさが好きなんです。
クルルもタクミくんに拾って貰って、数千年の寂しさが埋まった気がしました。そこから出てくる優柔不断なところもっ、タクミくんの魅力だと思いますっ。
……前世の因縁だとか、そういう、人の身では理解し難い部分のことも影響はありますけど――」
少し背伸びをしたクルルがそっと目を伏せ、再び唇を重ねる。ゆっくり、優しく、軽く唇が触れ、何回かの接触の後に。
タクミの手がクルルの背に回され、深い接触となる。それは長く長く続いた。
長い接触の後に、熱情に両瞼を震わせ長い睫毛を涙に濡らしたクルルが唇を離し熱くなった吐息を長く漏らし、同様に全身を熱くしたタクミと至近距離で視線を合わせる。
「時間はたっぷりあるのでっ……、説明しますねっ――。タクミくんはっ、後悔、しませんか……?」
「後悔するかどうかは分からないけど――、とりあえず、話は聞くよ」
「――いやいやいやいやー、そいつぁ問屋が卸しませんよー」
唐突に響いた男性の軽薄な声に、タクミとクルルは声の方を振り返った。
――純銀の長髪を風に乱舞させた白装束の男が、いつの間にかそこに顕在していた。
「アマテラスっ――!」
「そぉーぅ、俺様、顕現ー。ウズメ、それが許されるはずはないでしょー? 俺様サルタヒコに怒られちゃうー」
「アマテラス……? 魔力感知に反応がない……」
「初歩的な知識ー。地球で言うところのレーダーは反射波の検知で物体形状を捉えているー。
てことはつまりー。反射物が透過性に近ければ近いほど、反射波に使用する波長と合わなければ反射検知がうまく行かないので見えるわけあーりませーん」
軽薄な調子で軽く指を立ててちっちっちっ、と指を振りつつ、ウィンクをしたアマテラスは周囲をきょろきょろと見回すばかりのタクミの目を指差した。
と、指先から圧倒的なばかりの光芒が膨大な魔力と共にタクミへ向かって光速で迸り、タクミの目を覆う眼帯を吹き飛ばした。
「どっかの下等な水蜥蜴の掛けた封印なぞ邪魔くさいので外しちゃーって、俺様謹製のさいこーではっぴーな目ん玉をちゃーんと活用しようねー」
「まぶしっ……、アマテラス! お前には言いたいことがたくさんあるんだよ!! 調子のいい嘘デタラメばっか言い残しやがって!」
久方振りに生身の両眼で漸くアマテラスの姿を捉えたタクミが、怒気も露わにアマテラスを指差し詰め寄ろうとする。
そのタクミの手を真っ青になったクルルが無言で片手を引いて止めた。
「ダメですっ、タクミくん! アマテラスはあなたの人格に興味がない! 消されますっ」
「うんー、そうなんだよー、タクミくーん。
俺様、君が俺様の手のひらの上で踊ってくれないことにちょーっとお怒りなのねー。
末弟の魂の上にぺったり貼り付いてるだけのたかが人ごときの人格が、ちょっとちょーっと調子ぶっこいてんじゃねーぞー、って感じー」
「末弟とか踊るとか全部嘘なんだろ! 信用出来るわけねえだろ! あれだけ騙しておいて」
「末弟はほんとうだよー? 君が、ではなく、魂が、だけどね。
君は魂の上にへばりついてるだけの表層人格に過ぎない。
三貴神末弟、神須佐能袁命の魂がそんな脆弱なゴミ人格なわけがないだろー?」
「信じられ……、待てよ。前世の? クルル、今の話とさっきの話――」
はっ、と気づいたタクミがクルルを振り返ると同時に、アマテラスが動いた。クルルが咄嗟にアマテラスとタクミの間に割り込む。
「ありゃ? ズレたー。光速の太陽神の攻撃に割り込むとはー、凄いねー、アメノウズメー。俺様ここ数千年でいっちばんの驚きー」
タクミは己の胸から生えた真っ白な腕を、何事か分からぬまま見つめていた。
その手には真っ赤に輝く、眩しいばかりに揺らめき光る大きな宝石の単一結晶が掴まれている。
「俺様の暇潰しになるならー、って条件でそのクソ人格が存在することをアメノウズメの頼みもあって許したけどー。
暇潰しにならないのならここで潰して魂を回収してもいいんだよねー」
背中からタクミを抱き締めているクルルが、口から大量に吐血し、タクミの左肩を血で染める。
その後ろから、至近距離でアマテラスがタクミに頬を寄せて妖しげな笑みを浮かべつつ囁いた。
「どうだろう? タクミくーん?
タクミくんが俺様の与える力の全てを拒絶して、それでもこの世界で生きる、そして俺様の元へたどり着く!
なんて野望を達成するんだったらー、これは潰さずに残してあげてもいいんだよねー」
「これって、これ何なんだ?」
「そーかー、タクミくんは見たことがなかったかー。これは説明不足だったー、お兄さん反省ー。
これはねー、神核つって、神の実体を構成する中心核だねー」
タクミを貫いたまま、アマテラスの腕が神核をぎゅっと握り締める。と同時に、クルルの口から苦悶の声が漏れた。
「うーん、女の子の苦鳴はなかなかに唆るねえー。先っぽが湿るわー。でっ。タクミくんが頑張る気があるんだったら、これはウズメに返してもいいよー」
「俺が――、何を頑張れば?」
タクミは選択の余地なぞないことを理解し、戦慄しながらアマテラスに尋ね返した。
既に自身の身体も、クルルの命も、文字通りアマテラスの手中にあるのは見れば判る。
「思うにー、タクミくんたちは、お兄さんの力の加護を得るのが嫌で嫌で堪らないと、まぁそういうわけだと思うんだよねー。
でもお兄さんってば心が広ーいのでー。そこはまあ許しちゃおうかなーと思うんだよねー」
白磁よりも更に白い、もはや病的なまでの白い肌をタクミの頬に擦り付け、アマテラスはにたり、と笑いながらタクミを地面にゆっくりとうつ伏せに押し倒した。
「まぁ、抵抗する可愛い男の子を征服する愉しみもないではないけどもー、お兄さんってば優しいから?
間違いなくタクミくんにはこの先、お兄さんの力の補助を得られないようにしますー」
地面に寝かされたタクミの背に、アマテラスの右足が乗せられる。
半身を捩って見上げると、胸に大穴を開けて真っ赤な鮮血を迸らせた跡の残る、気絶したらしい汗だくのクルルの身体をアマテラスが片腕で抱き、苦悶の表情のままきつく閉じられたクルルの顔を、爬虫類を連想させる長い舌で舐め回しているのが見える。
「クルルに……、手を、出すなっ」
「どの口でそんな口を利くんだよゴミの分際でー。身の程は弁えようねー」
めきみしぼきっ! と、骨を砕き肉が爆ぜる音を立てて、アマテラスの足がタクミの背を貫通した。
純白のアマテラスの右足を鮮血が斑に染め上げ、タクミの口から勢い良く血流が逆流し吐血となる。しかしタクミは痛みを覚えない。
代わりに、クルルが初めて耳にするような悲鳴で絶叫を上げる。
「これも知らなかったのかなー? 神器のダメージは神使が全て負うんだよー。
だから神器と神使は一心同体、常に同時に行動するんだよー。
まあー、ウズメレベルの身体防御を突破出来る攻撃なんてお兄さん筆頭な三貴神クラスでないと無理だけどねー」
軽い調子で笑いながら、タクミを踏みつけたまま、アマテラスはタクミの両手、両足を次々に踏みつけて乱暴に千切り飛ばした。
千切飛ばされた手足はすぐに光の粒となってその場から消失してしまう。
首と胴体のみになり、大量の血に染まったタクミはどうにか芋虫のように這いずりつつ、四肢と胸から出血を続けたままごろん、と仰向けになることに成功する。
「こ……、ろ、す?」
胸の中央に肺腑を貫く大穴を開けられているが故に、満足に発音も儘ならない身で、ぜいぜいと息をしながら漸くタクミはそれだけを口にした。
「殺さないよー、ていうか君を殺すとウズメの実体依代も死ぬ。
アメノウズメの身体は岩戸騒ぎの頃から実にお気に入りでねー、お兄さんとしてもそーれーはー、この宇宙の損失と思うので避けたーいのね」
「な、に」
「俺様を愉しませろ。ゴミに望むことなどそれくらいだよー」
笑いながら右の手にクルルの神核、左手にクルルの身体を引きずったままアマテラスはタクミの身体に近づき、馬乗りになった。
既に力を失い為すが侭のクルルの身体を乱暴に傍らの地面に投げ出し、空いた掌でタクミの髪を掴み、無理矢理に引き起こす。
「俺様、割りと中途半端は嫌いなタチなんでー、やるなら徹底的に、タクミくんには俺様の力を拒絶して貰おうかなーと」
言いながら、アマテラスは軽く親指をタクミの右目の上に置いた。すぐに、ぶちゅり、と湿った音を立てて親指が眼窩に突き入れられる。
「脆弱な人の身で三貴神の魂を宿すのも辛かろうと親身になってあげたのにー、そういう反応はお兄さん深く傷ついたのさー。
ほんとうはここで粉微塵にして君の人格を粉々にしてもいいんだけどー。
それはせっかくここまでお膳立てした全部が無駄になるってことでー、いろいろもったいないじゃん?」
引き抜かれた濡れたアマテラスの左手の親指は、粘液と血の糸を引きながらすぐにタクミの左目に動く。
「だからー、まぁ、お兄さんが考えるところの最もヤバイ状態ってことで、蛭児になって頑張ってー」
ずぶしゅっ、と音を立てて先程よりも奥深くまでアマテラスの指がタクミの左の眼窩を穿った。
勢いが良すぎたのか、指が関節の根元まで眼窩に埋まる。
「おっと、脳髄まで行っちゃったわー。失敗失敗。まぁー、仮にも神器だからー、神使が無事ならちゃんと元通り治るよー」
立ち上がりながら、ただし、とアマテラスは付け加える。
「神核が実体の身の内に在ればね。そこがハンデってことで、アメノウズメの神核はお兄さんが持ち帰るのよー。
神核と実体の距離が離れればウズメの能力は弱まるからー、当然その加護を受ける蛭児になったタクミくんの頑張りに期待だねー」
「……」
言い返そうとタクミは口を開いたものの、最早、声が声として発音成らず、ただ掠れた弱い笛のような音が鳴っただけだった。
「ウズメは今までタクミくんの身体加護にほとんど力を使わなくてもおっけーだったけどもー。
これからは全身全霊をかけてやっと、って感じになるんじゃねーかなー、ってのがお兄さんの予想ー。
そんで、頑張って努力してお兄さんのところまでたどり着いたら、ちゃーんとコレは返してあげるよー」
「…………!」
「だいじょーぶ、お兄さんちゃーんと約束守るからー。
末弟との約束もちゃーんと守ったじゃん、昔。
まだ思い出せないかー。
お兄さん、ここでは神国の国主と、盗賊ギルドの長やってまーす。
てなわけで、頑張って本拠地、辿り着いてねー?」
言葉の軽さとは裏腹に、タクミの顔面に乱暴に素足が乗せられ、踏みつけられる。
「猶予は五年。それ以内に辿り着けなければー、君の表面人格は二度と輪廻の輪に乗らないように念入りに抹消除去するとしよう。
ついでに、今は転生待ちになってる君の両親や友人縁故者の魂も消してしまおう。
お兄さんも前世の君を見てきたからー、多少は君を知ってるんだよー。
君はー、自分の痛みには耐えるけどー、他人の痛みには物凄く弱くて臆病な人だったよねー」
「……!!」
「そうそう。この世界でもお世話になったお爺ちゃんが居たじゃん、お兄さんの与えた眼で見たでしょ、覚えてるよー。
あの命も軽ーく奪っておこうかー?
君が余計な気を回さずにー、最短でお兄さんのところに辿り着かないとどうなるのかー、よーく理解してねー」
言い終わると同時にぱきん、と軽く指を鳴らして、その場から立ち上がるとアマテラスは血溜まりに沈むタクミとクルルに向けてサムズアップサインで満面の笑みを浮かべてみせた。
すぐに笑みを曇らせ、「タクミくんには見えないんだったー、恥ずかしー」などと呟く。
「じゃー、用事も終わったし、おやつが冷めないうちに帰るよー。今日は豆大福なんだよー。タクミくんもお兄さんの国に来るときには連絡してねー、盛大な歓迎を用意するからねー」
来たときと同様に、アマテラスは閃光と共にその場から掻き消えた。光の神の権能、光速移動である。
後には、四肢と両目を失い胸に穴を開けて吐血を繰り返すタクミと、うつ伏せのまま大量出血しているクルルのみが残された。
ふたりが救出され治療を受けるまでには更に数時間を要し。
シルフィン、クラオカミ、ティースの懸命の治療にも関わらず、クルルが意識を取り戻すことはなかった。