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1-08『時間稼ぎの騎士』

 その光景には、祭りのパレードを思わせるような絢爛さがあった。

 宙を彩る赤や青の光。それが魔法によってもたらされた火炎や水流であることは、空間を迸る魔力の動きから察することができる。そこかしこから撃ち上げられ、魔物の巨体にぶつかっては弾けていく色とりどりの魔法の群れ。その輝きが、まるで花火のようだと迅には思えた。

 けれど、決して美しいばかりの光景ではない。いや、そんなことを考えてしまうこと自体が、不謹慎だと責められて然るべき悪徳だとさえ言える。

 街を囲う外壁、その入口になる門の周辺は現在。

 有り体に言えば、恐慌の坩堝だった。


「――何をやっている! 魔法部隊、早く奴を撃ち落とせ!」

「今やってる! だが魔法抵抗が強すぎるんだ、この程度の魔法じゃ傷ひとつつかない!」

「いいから撃て! これ以上、奴を街の奥へと侵入させるんじゃない!!」


 叫ぶように指示を飛ばしているのは、鎧を身に纏った幾人かの男たちだ。その全員が、同じ意匠の紋様を身体のどこかにつけている。

 おそらくは、彼らがルルアートを守護する戦士――ウェアルルアに仕える騎士たちなのだろう。

 だが、戦況は迅の素人目にも芳しくはなかった。

 宙を舞う巨大な怪鳥。乱れた翼に醜悪なくちばしうろのような双眸に、そしてけばけばしい緑の体毛。

 鳥型の魔物だった。

 いかに外壁で守られた街とは言え、空を行く魔物には無関係だ。それでも本来なら、外壁を超えたところで魔法によって撃ち落されるのが道理と言えた。優に五メートルはあるその巨躯は、的としては十二分に大きいだろう。

 けれど、そういった道理の外側にいるのが、魔物という殺戮機構である。迅はそのことを、あの金狼から嫌というほど学んでいた。生半な魔法など、魔物の体毛が全て散らしてしまう。そもそも、こんな巨大な鳥が宙を飛べること自体、物理法則に真っ向から反しているとしか思えなかった。

 騎士たちとは違う装いの人間が数名、空に向けて炎や水を放っている。こちらはおそらく魔法使いの部隊なのだろう。だが魔物の防御力を貫くには、どうにも威力が足りなすぎる。できるのは、せいぜい足止めくらいのものだった。

 そして一方の剣を携えた騎士たちでは、そもそもその攻撃が上空まで届かない。

 あるいは、届いたところで通じるのかどうか。それさえ疑わしいと迅には思えた。


「……おい、やばくないか、これ……?」


 誰にともなく呟く迅。その周囲に人の姿はない。

 街の住民のほとんどは、すでに街の中へと避難している。迅がわざわざ魔物の姿を見に来たのは、街に現れた魔物が例の金狼ではないか――復讐のために、街まで追ってきたのではないか――という危惧があったからだ。

 魔物の姿は大きい。サイズだけで言えば金狼さえ遥かに上回っている。だから、この雑多な街中でも遠巻きから確認することができたのだ。迅は今、安全圏にいると言える。

 そう思う一方で、しかし迅は首を傾げざるを得なかった。そもそも、街の奥に逃げて意味があるのか? と。

 幸い、現状まだ死傷者は出ていないようではある。だがジリ貧だ。このままでは、いずれ魔物は街の中心部へと到達してしまうかもしれない。安全圏は、じわじわと狭まりつつあった。

 そのときの被害など――考えたくもない。


「む――ジン。何をやっている!」


 と、そのときふと背後から名を呼ばれて、迅は咄嗟に振り返った。

 途端、薄い水色の長髪と、どこか呆れたような少女の表情が目に映る。

 美しい髪を乱しながら駆け寄ってきたのは、昨日振りに見る、ネイアリア=ウェアルルアの姿だった。

「ネイア……どうしてここに」

「それはこちらの台詞だよ」

 場合が場合だからだろう。少し早口にネイアは言う。

「なぜ避難していないんだい? ここはもう、安全とは言えないよ」

「……あれは?」

 迅は意図的に話題を逸らした。そうした理由は、けれど自分でもわからない。

 ネイアは少し胡乱げに眉を動かしたが、すぐに迅へと答えを返す。

「見ての通り、魔物だよ。まさか街に侵入されるとは思わなかったけどね」

「……この街は、よく魔物に襲われるのか?」

「まさか。こんなことは前代未聞だよ。まるで、どこからともなくいきなり現れたみたいだ」

 否定して首を振るネイア。その顔には、厄介な事態になったという嘆きがある。

 だが悲壮はない。彼女にはどこか余裕があるようにさえ見えた。

 それを疑問に思った迅だったが、

「無論、これ以上先に入れるつもりはないけれどね。ウェアルルアの騎士を前に、これ以上の狼藉など赦されるはずがない」

 訊ねるより先に、確信をもってネイアは答えた。

 強い信頼と、確信が籠められた言葉。だからこそ、こうしてこの状況で、ネイアは迅と話をしていられるのだろう。

 ネイアの視線が、魔物の方向へと向けられた。

「逃げないのなら見てみるといい。――我が騎士候補の、誇りの強さを」


「――ああもうまったく! どうしてこう面倒ばかり起こりますかね!!」


 迅が視線を向けると同時、そんな怒鳴り声が迅の鼓膜を揺さぶった。

 それを聞いて、ネイアが微笑む。

「優秀な魔法使いは、確かに数が少ないけれどね。でもこの街には、ティグがいる」

 と、ネイアは信頼を込めて言葉にした。

 視線の先の騎士――ティグエルを見つめながら。


「――さて」

 と、ティグが呟く。その声には、最初の叫びとは違う冷たい色が含まれていた。

 彼が立っているのは、魔物のすぐ下に当たる位置だ。

 いつの間にか、周囲いた他の騎士たちは、ティグと怪鳥を囲うようにして遠巻きに円を作っていた。

 まるでその場の対応を全て、ティグへ任せてしまったかのように。

 一方、金髪蒼眼の騎士は、それが当然だとばかりに怪鳥の前へと立ちはだかった。外壁とは比べものにもならない小さな人間が、大通りへの道を阻むようにして静かに立っている。

 怪鳥の視線は、目下の騎士へと一点に注がれている。宙を行く魔物にとってさえ、目の前の存在が何よりの脅威だと理解しているようだった。

 ティグが言う。腰に提げた剣を抜き、それを構えるでもなく下向きに持って。

「覚悟しろ。ウェアルルアの土地を汚す害悪は、例外なく斬り捨てるのが騎士の務めだ」

「―――――――――!」

 挑発じみたティグの言葉に、まるで返事をしたかのような魔物の鳴き声。つんざくように甲高く不快な声に、迅は思わず耳を塞いだ。

 だがそんな威圧など、ウェアルルアの騎士には通用しない。

 涼風を流すかのように泰然としたティグは、怪鳥のゆっくりとした挙動で剣を構える。

 そして、


「――――無に還れ、化物」


 瞬間、怪鳥が真っ二つに斬り飛ばされた。

「な――!?」

 と迅は思わず息を呑んだ。遠巻きにいた彼には、ティグの動きが全て見えていたからだ。

 別段、ティグは変わったことをしていない。ただ当たり前のことをしただけだ。

 剣で敵を倒すのに必要なのは、近づき、斬るという二つの動作。それを、当たり前に為しただけ。

 言葉と同時、地を蹴ったティグは一瞬で三メートルほども跳び上がり、怪鳥の身体を縦に一刀両断した。言葉にすればそれだけの、けれど現実離れした絶技。その一部始終を見ていた迅にすら、何が起こったのか一瞬、理解できなかったほどだ。

「ティグは、伊達にわたしの騎士候補ではないよ」

 驚き、目を見開く迅。その横で、どこか誇らしげにネイアが言う。


「――ティグエル=ホズミは、この街で二番目に強い騎士なのだから」



     ※



 ――しかし。事態は、そこで終わりではなかった。

 剣を一閃して、付着した血糊を払うティグ。そのまま剣を抜刀しようとした瞬間、


「――まだだ! まだ死んでない!!」


 叫んだのは――迅だった。

 その声とほぼ同時に気づいたティグは、咄嗟に横へと跳躍した。

 刹那、彼が今し方まで踏んでいた石畳の地面が、抉られるように穴を開けた。

「馬鹿な!」

 ティグが叫ぶ。迅も、おそらくは他の誰もが、まったく同じ気分だった。

 地面を抉ったのは、怪鳥の脚の巨大な鉤爪だった。

 瓦礫を巻き上げ、石畳を破壊する魔物。身体を左右に真っ二つにされ、けれどもまだ生きている。

 あり得ない生命力。

 だが、異常はそれだけに留まらなかった。

「な、に……?」

 呆然と、ネイアがそう零すのを迅は聞いた。彼女にとってさえ、それは想定外の事態だったのだろう。

 じわじわと。

 両断され、地に落ちた巨鳥の肉体が、次第に再生されていく。もはや羽ばたいてさえいない鳥の身体が、それでも空中に留まったまま徐々に元の形を取り戻していく。

 まるで沸騰した液体のようにごぼごぼと盛り上がる怪鳥の肉。生理的に不快な光景に、迅は吐き気を催してしまう。

 そして怪鳥は、その肉体を完全に再生した。

 それも斬られた肉片の左右それぞれが、それぞれに元の形へと復元されたのだ。

 つまり。


 ――魔物が、二体に増えたということだ。


「分裂……した……?」

 目前の光景を、迅はそう表現した。

「あり得ない……っ、あり得ないぞこんなの!?」

 誰かが叫んだそんな言葉が、迅の鼓膜を震わせる。

 同感だとは、けれど思わなかった。

 なぜなら迅にとって、この世界は元からあり得ないことだらけなのだから。逆を言えば、この程度のあり得ないことは、迅にとってあり得ることでしかない。

 そんな迅の視線の先で、怪鳥の片割れがティグへと攻撃し始めた。

 鋭い鉤爪で、彼の肉体を千切ろうと脚を向ける怪鳥。

 ティグは攻撃を剣で防御した。咄嗟の反応はさすがではあったのだが、その表情には焦りが露わになっている。

「くそ……っ!」

 毒づくようにそう零すティグ。

 それを嘲笑うかのように、もう一方の怪鳥が身を翻す。

 一体にティグを任せ、もう一体がその脇を通り抜けようとしていたのだ。

 街の方向へ――すなわち、迅とネイアのいる方向へ向けて。

「こっち来るぞ、ネイア!」

「わかってる!」

 迅が叫ぶより早く、ネイアはその両手を前方、迫り来る魔物へと向けていた。

 両手の中に魔力が集い、その魔力が瞬時に火炎の塊へと変換される。

「――はっ!」

 気合の籠もった掛け声とともに、炎弾となった魔法が高速で魔物へと飛来する。

 ――直撃。

 巨鳥の右翼、その付け根に着弾した炎の魔法が、焼き抉るように羽をもぎ取った。バランスを崩し、巨鳥は地面へと激突する。露店の商品や建物の壁が、巨体に潰されて砕け散った。

 だが、

「く、やはり再生するか――!」

 苦々しげにネイアが呟く。視線の先では本体と翼、二つに分かたれた肉体がまたそれぞれに再生を始めていた。

 生物の摂理に反した気色の悪すぎる光景に、迅は堪らず声を叫ぶ。

「なんなんだよ、あのプラナリアみたいな鳥は!」

「ぷらなりあ?」

「ああ、なんでもない! とにかく、なんで再生するのかって話だよ。アレはそういう魔物だったのか!?」

 叫びながらも、どこかで違うだろうな、という確信があった。

 でなければ、ティグやネイアたちがああも驚いた顔を見せるはずがない。

「……わからない」

 果たして、ネイアが言った。

 口元に手を当て、眉根を寄せながら彼女は続ける。

「ギャバ鳥が、再生能力なんて持っているはずがないんだ」

「ギャバ鳥……?」

「あの鳥型の魔物の名前さ。アイツは本来、雑魚なんだよ。見習いの騎士でもひとりで戦えるくらいさ」

「……とてもそうは見えないけどね」

「ああ。だからあり得ないと言ったんだ。あんな魔力抵抗のあるギャバ鳥なんて見たこともない……いや、そもそも再生能力のある魔物がいること自体、本来ならあり得ないことだよ」

「でも、現にあり得てるわけなんだけど?」

 確かにネイアの言う通り、単純な戦闘能力ならばティグは魔物――ギャバ鳥を圧倒している。

 だが、斬っても死なない相手を前に、剣が果たして如何ほどの力を持つのか。

「そうだね。納得しがたいが、現実は現実だ。失敗したよ。初めから知っていれば、まだわたしやティグにも、他の対処が打てただろうに……」

 その失態を、油断を恥じるようにネイアは言う。

 だが、このことでネイアや騎士たちを責めるのは酷だった。

 魔物は魔力でできている。迅は知らなかったが、魔物とは――神獣などといった例外クラスの存在を除けば――その発生からして他の生物とは違うのだ。

 普通の魔物は、傷を回復するということがない。自然治癒すら起こらずに、破壊された箇所から全て魔力に還って空気の中へと融けていくのだ。魔物をよく知る異世界の人間であるからこそ、再生する魔物という存在を予想することが難しい。

 けれど、街を守る義務を背負っている以上は、それさえ言い訳に過ぎなかった。

 ネイアに、そんなことを主張できるはずがないのだ。


「……どうする。どうすればあれを倒せる?」

 いずれ再生を待てば、今度こそ迅も、あの鉤爪で握り潰されかねない。

 だから訊ねた。知らなかろうがなんだろうが、このままでは甚大な被害が出てしまう。

 なら、対処するより他にない。

 しばし考えたあと、ネイアは答えた。

「わからないが……とりあえず、再生できないほどに爆散させるところから試してみようか」

「……できるのか?」

「できるよ。これでも魔法使いだ」

 断言するネイア。

 だがその表情は暗かった。

「ただ時間はいる。奴が再生してから、さらに十秒くらい。その時間は、どうにか騎士たちに時間を稼いでもらうしかないが――」

 難しいだろう、ということは迅にもわかった。

 それができるのなら、きっとそもそもネイアが出て来る必要性すらなかったはずだ。

 だから――。

 と、迅は自嘲交じりに苦笑する。

 この状況で言える言葉が、彼にはひとつしか見つからなかったからだ。


「わかった、十秒だな。――俺が足止めする」


「な……っ!」

 ネイアが言葉を失い、目を真ん丸に見開いていた。

 あるいは巨鳥の再生を見たときよりも、大きな驚愕を得た様子ですらある。

「ば、バカを言うな! ジンは早く逃げるんだ。君にできることなんてない!」

「でも、あの騎士たちだって、あのバケモノを二体一気に足止めなんてできないだろ?」

「――――」

 迅の言葉は真実を射抜いていた。

 魔物は、すでに三体にまで増えている。その内の一体は今、ティグが足止めをしていた。

 戦闘力そのものは、ティグのほうが遥かに上回っているからだろう。ギャバ鳥の攻撃はティグに掠る様子すら見せない。だが下手に切断しては、分裂してさらに厄介な事態を招くのだ。地上に立ったまま、空中の魔物を斬らずにその場へ縫い止めておけるティグの技量は凄まじいものだったが、それとてさすがに一体が限界だ。能力以前に、そもそも距離が遠すぎる。二体が墜落した位置までティグが動くということは、引き留めている最初の一体まで、こちらに連れてきてしまうということだ。

 しかし他にいる十名弱の騎士たちでは、揃って一体を留めるのが精一杯だということが、最初の戦いですでにわかっていた。

 他の騎士たちが弱すぎるのか、それともティグが強すぎるのか。そこまでは迅にもわからない。

 ただ、いずれにせよ手詰まりだ。この場で他に戦える人間が、そもそも迅しかいないのだから。他に選択肢などない。

 これ以上より先に進ませずに、三体全てをここで仕留めてしまう。

 その前提を守って戦うためには、どうしても迅が一体を留める必要があった。

 ネイアも、それがわかっていたのだろう。迅に向けて、小さく訊ねる。

「……できるのかい? いや、頼んでもいいのかい?」

「心配しなくていいよ。足止めなら、もうすでに経験済みだから」

 あの森で、ナナの魔法が完成するまでの間、金狼を縫い止めていたことを迅は思い出す。

 それと比べれば、ちょっとデカい鳥如き、物の数ではない。そんな思考で、迅は自分を鼓舞していた。

 本当は、悠長にこの場へ留まっていた先程までの自分を、ぶん殴ってやりたいくらいの気分だったのだけれど。さっさと逃げてしまえばよかった、と。

「そうだ。あんな鳥、金狼より遥かにマシだろう」

「……金狼?」怪訝に首を傾げるナナ。「君は、金狼と戦ったことがあるのか?」

「ん、まあね。別に勝てたわけじゃねえけど、一矢報いるくらいはしたよ?」

「――はは。そうか、確かに神獣と比べれば、あんな鳥くらい敵じゃないね!」

 心底愉快そうにネイアは笑う。

 迅もまた笑いつつも、

「作戦会議はここまでだ。ネイアは早く魔法の準備を」

「馬鹿言わないでほしいな、そこまで悠長じゃない。――もうやってる」

「え?」

「再生にかかるのが、ざっと十秒。そこからさらに十秒で、最大の魔法を放ってみせるよ?」

 きちんと計算してたのか、と迅は自分の不明を恥じた。

 確かに、会話している暇があるのなら、その間に魔法を練るのが道理ではある。

 ならば――自分も、その役割を果たさなくては。

「じゃあ俺も、いっちょ行ってくるか――!」

 叫び、そして迅は、自らの身体に魔力を通して駆け出した。湧き出る恐怖を抑え込み、ただ勝利だけを目指す速度で。

 迅は、自ら戦いに身を投げ込んだ。

 その背中を眺めるネイアは、ただ一つのことを願う。


 ――神よ。どうか、あの騎士に力を――。



     ※



 アトロ=ドナートは焦っていた。その戦いが、彼がウェアルルア家の騎士となって以来、最大の修羅場だと呼べるほどのものだったからだ。


「くそ……駄目だ、再生してしまう……っ!」


 ウェアルルアの騎士たちは奮戦していた。再生寸前の二体のバケモノを、なんとか留めようと磨き上げた剣技を振るっている。だが、その攻撃はいずれも魔物の体毛をすら貫くに至らない。

 彼らとて、街を守るために戦う歴戦の実力者たちだ。ウェアルルアから騎士を叙任されたときの誇りを、アトロは決して忘れていなかった。厳しい日頃の訓練の成果を、ここで発揮せずしてどうするのか、と。

 そう、仮にも騎士を名乗る彼らが、弱いわけなどなかったのだ。少なくとも、誰ひとりをとっても迅より遥かに戦闘能力がある。

 ティグの強さは例外だ。魔力を扱う戦闘は、どうしたところで歴然とした才能差に左右されてしまう。数多の凡人たちが、どう足掻いても越えられないひとつの壁。それを超えられるひと握りの存在だけを天才と呼び、そのひとりがティグエル=ホズミという騎士だったというだけだ。

 だがティグには及ばないにせよ、アトロも、他のどの騎士だって、魔物の一体や二体程度に後れを取るような鍛え方はしていない。

 ならばなぜ、彼らにはギャバ鳥を倒すことができないのか。

 それは単純な話――出力が足りないからだった。

 ギャバ鳥は魔力抵抗、つまり防御力が恐ろしく高かった。それこそ神獣クラスの魔物に迫ろうかというほどの抵抗力。それを貫くには、経験や技能では覆すことのできない、魔法の力が必要になる。

 攻撃は躱せる。隙を見て剣を当てることも可能だ。

 だが、その攻撃が意味を持ってくれない。赤子がいくら鋼鉄を叩いたところで、傷ひとつつけることができないのと同じように。出力の足りない騎士たちでは、この魔物に傷を負わせることができなかった。


「……それでも――!」


 アトロは――騎士たる彼は、諦めるわけにはいかなかった。

 街を守ると、神に、ウェアルルアに、何よりルルアートで暮らす全ての人間に誓ったのだから。

 確かに、魔物の討伐はアトロの専門ではなかった。魔物の生息地といえば、普通はせいぜい、結界林のような高密度の魔力源か、あるいは古代の遺跡とかその程度の場所だ。人が住むような土地に魔物が出ることはほとんどない。ごくごく稀に迷い出る個体がないわけではないが、その場合は接近される前に見張りが気づく。こんな風に、街の近くに突如として現れることなど、どう考えたってあり得なかった。

 けれど、そんなことは関係ない。どんな外敵からも、街を守ると決めたのだから。

 そんな騎士の誓いを、どうして嘘にできようか。

 最悪、身を犠牲にしたって構わない。時間さえ稼げば、ティグか、あるいは主人たるネイアリア――壁を超える二人の天才、そのいずれかが必ず糸口を見つけてくれると信じている。

 ウェアルルアに仕える人間のひとりとして、主人たるネイアリアに頼るのは申し訳がなさすぎる。だが、そんなプライドに意味はない。それを捨てることで街を守れるなら、アトロが他に望むものなどなかった。


「まずい、片方が再生しきったぞ!」

 そのとき、同僚の騎士のひとりが叫んだ。

 ネイアリアの魔法攻撃で二体に別れた魔物だったが、片方は翼だけになったのに対し、もう片方はほとんど全身を遺していた。当然、その再生速度には大きな違いが出ているということだ。

 ――くそ……っ!

 アトロは心中で毒づいた。魔物は再生を待たずしてこちらに攻撃を加えてくるが、その動きは鈍く、何より移動までは行わない。だが完全に再生しきった一体は先程のようにまた空へと飛び出してしまうだろう。

 そうなってはもう、両方を留めおくことなど不可能だ。

 ――どうする!?

 焦りとともに考えるアトロ。こうなってはもう、本当に身を挺するくらいでしか時間を稼ぐことができそうにない。

 捨て石になるか。そう考えたアトロの目の前で、


「――!?」


 刹那、ギャバ鳥が大きくよろめくのが見えた。

 なんだ――!? そう迷うのも束の間、アトロは咄嗟に再生したギャバ鳥に駆け寄ると、その腹を剣で思い切り薙いだ。まるで野球選手がバットを振るうかのように。斬りつけるというよりも、ほとんど殴り飛ばすかのような勢いだった。

 重い手応えが手に返る。石造でも斬りつけたかのような反動を、歯を食いしばることでアトロは耐えた。それはギャバ鳥を傷つけるには至らなかったが、巨体をわずかに押し戻すくらいのことはできた。

 ――投石……?

 アトロは寸前の光景に首を傾げる。

 先程、アトロは確かに見ていた。何か瓦礫の欠片のようなものが、ギャバ鳥の横顔に直撃した光景を。

 彼はその視線を、石が飛んできた方向へと向ける。

 そして。


 その先から、ひとりの青年が駆け寄ってくる光景を見て、驚きに目を見開いた。


「――君は!?」

 思わず飛び出した誰何に、しかし青年は答えない。というより聞こえていないようだった。そんな余裕さえなさそうだ。

 アトロの見知った人間ではない。とはいえ彼とてこのルルアートに住む全ての人間を知っているわけではないのだから、それ自体は驚くことではない。

 問題は、彼が明らかに騎士でも魔法使いでもない、ただの一般人だということのほうだ。

 それなりに鍛えられた身体のようには思える。だが武器もなく、強い魔力を感じさせることもない。

 この街に住む、無辜の住民のひとりだとしか思えなかった。

「こんなところで何をしている! 危ないぞ、下がっていなさい!」

 叫んだアトロの声は、ようやく青年に届いたらしい。

 青年は一瞬だけ視線をアトロへ向けたが、しかしすぐに正面のギャバ鳥へと戻して言う。

「そうしたいのはやまやまですけど。約束したので」

「何を――!?」

 言っている、と続けようとしたアトロの言葉は、けれど唐突に中断された。

 突然の奇襲に猛り狂ったギャバ鳥が、つんざくような鳴き声とともに空へ舞いあがったからだ。

 周囲の屋根より、少し高い位置に飛び上がったギャバ鳥。その視線は、突然現れた青年へと真っ直ぐに注がれている。

 ――まずい。狙いが、私たちから青年のほうに変わった。

 瞬時に察したアトロだったが、それを言葉にして伝える時間などなかった。

 ギャバ鳥が、青年へと真っ直ぐに突進していく。ほとんど矢のような速度での急降下だ。喰らえば青年の身体など、ひとたまりもなく吹き飛んでしまうだろう。

 予想される惨劇に目を覆いたくなるアトロ。だが目を離すわけにもいかない。

 そんな彼の視界の前で――、


「な……!?」


 突如としてそびえ立つ、一枚の分厚い石の壁。

 それは地面が隆起、変形することで、青年とギャバ鳥の間を遮るように完成していた。

 一瞬で形成された石の壁――石の盾に、ギャバ鳥は反応さえできず真正面から激突した。

 その巨大な衝撃に、けれど石壁は小揺るぎさえしない。

 驚きに言葉を失うアトロ。

 その目前には、激突した壁に嘴を砕かれ、泣き喚くように呻くギャバ鳥の巨躯が横たわっている。


 青年が何をしたのかは、アトロの知識でも判断がついた。

 魔法だ。騎士たるアトロでは扱えない、剣とは異なるもうひとつの戦闘手段。

 そう。ならば彼は――


「――地属性の、魔法使いか……!」

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