1-07『魔法講座初級編』
微睡みから、ゆっくりと浮上するように迅は目覚めた。
薄く開いた目に飛び込んだのは、狭く仄暗い木造の部屋。見覚えのない光景に戸惑う迅だったが、すぐ自分が、異世界へと来ていたことを思い出して納得した。
――そうか。夢じゃなかったのか、と。
首を横に向ければ、折り重なるような形で眠っている冬火の姿がある。
あのあと、二人揃っていつの間にか落ちてしまっていたらしい。すうすうと寝息を立てる冬火の、安心しきった寝顔が見えた。
迅にとっては、見慣れたものであるはずの冬火の表情。
けれどどうしてか。その顔は、とても久し振りに見たもののように感じられた。
「ふ――ああ」
と溜息を零しながら、迅は大きく伸びをする。
隣で眠る冬火を起こさないよう、気を払いながら迅はベッドから身体を起こす。そして壁際に向かい、光を呼び込もうと部屋の窓を開けた。
木戸が開放された途端、全身を貫くような陽の光が、一斉に部屋の中へと飛び込んでくる。
思っていたよりも眩しい日差しから、目を庇うように腕をかざす迅。その背後から、
「う……んっ」
と、少し艶めかしい吐息の音。
どうやら陽射しのせいで、冬火を起こしてしまったらしい。
「ん、ぅ……?」
目をこすりながら、冬火は迅へと視線を投げた。まだ寝惚けているからか、焦点が合っていないようだ。
にわかに苦笑を零しかけた迅。それをどうにか堪えながら、寝起きの冬火に声をかける。
「おはよ、冬火。いい朝だね」
「んー……、じんー……?」
「あはは……何、冬火?」
寝ぼけの酷い冬火の声に、堪えきれず迅は吹き出してしまう。寝起きの悪さは、冬火の数少ない弱点なのだ。
やっぱり冬火は冬火じゃないか。なんて、そんな安堵を感じていた。
「いま、なんじー……?」
冬火が問うた。だが迅にも正確な時間はわからない。
窓から覗ける陽の高さを鑑みるに、おそらくはもう、そこそこいい時間だとは思うのだが。
「たぶん十時くらいかなあ。まあ、地球基準で、だけど」
「……じゅうじ? じゅうじ……十時!?」
迅の答えを聞いた冬火は、いきなり跳ね起きるように身体を起こした。
お、ロードが終わったみたいだ。と迅は思う。
寝起きの悪い冬火だが、覚醒するときは一気だった。迅と楽は、それを指して「ロードが終わる」と表現している。
「嘘っ、本当に!?」
「いやわかんないけど……」
「うわもう陽が出てる! 寝坊した……っ!!」
うがー、と頭を押さえて喚く冬火。彼女にしては珍しい醜態だ。
「遅刻って、何か予定でもあったの?」
訊ねる迅に、冬火は「うぅ」と呻きながらも答える。
「予定っていうか、店の準備が……。ああもう、これ朝市終わってるわよね……しまったあ……」
「なんだそれ? ……って、ああ。肉屋のバイトの話か」
「うん。朝がいちばん大事なのに……ああ、おじさんになんて言えば」
「その心配はない!」
「うわあ!?」
驚きの声を発したのは、迅も冬火も同時だった。突然飛び込んできた声に、思いっ切り意表を突かれたのだ。
声の方向に視線を投げると、そこにはこの家の主、アラムの姿があった。
いつの間に現れて扉を開けたのやら。まったく気配に気づかなかった。
「お、おじさん?」「どうも。おはようございます」
口々に別のことを言った二人に、アラムは「やあ。いい朝だね」と微笑んだ。
相変らず胡散臭い笑顔だ。意図的な表情なのだろうかと、迅は少し疑問に思った。
そんなアラムの言葉に、冬火は首を傾げて疑問を返す。
「心配はない、ってどういう意味ですか?」
「うん。実を言えば、トウカは今日、仕事をお休みにしてあるんだ」
「き、聞いてませんよ?」
「言ってないからね。だから今言いに来たのさ」
「おじさん……」
呆れる冬火だったが、実際に寝坊している以上は何も言えない。
アラムは実に楽しげに続ける。
「もっとも、まさかジンくんの部屋にいるとは思っていなかったけれどね」
「――あ。う……」
「昨夜はお楽しみだったのかい?」
「そ、そんなわけないじゃないですかっ!」
「うん? 僕は久々に会った友達と、楽しく久闊を叙したようだね、と言ったつもりだけど。なんだ、違ったのかい」
「それは違いませんけど……ていうかおじさん、わかった上で言ってますよね!?」
「あっはっは」
胡散臭く笑ってみせるアラムと、からかわれて頭を抱える冬火。
そんな二人を、というか主にアラムのほうを、迅は茫然と眺めていた。
「まあ、そういうわけで、今日は一日お休みだからさ。ジンくんに、街を案内でもしてあげるといい」
アラムが言う。その言葉に、冬火はきょとんと目を見開いて、
「そのために、わざわざ休みにしてくれたんですか……?」
「いや。からかうと面白そうだったからだけど」
「そっちがメインの理由なんですか!?」
突っ込む冬火と、笑うアラム。
――なんというか、ずいぶん愉快な人らしい……。
そんなことを迅は思った。けれど同時に、とても気の回る人なのだろう、とも。
そこまで含めて、楽に似ている。
「じゃあ、僕は仕事に戻るよ」とアラム。「朝食は下の階に置いてある。二人で食べるといい」
「それを言いに来てくれたんですか? すみません、わざわざ……」
人のいい商人の気遣いに、迅はただただ頭を下げた。
ヘンな人だが、これは頭が上がらなくなる。それは冬火も同じなのだろう。
そんな迅に、アラムは笑いながら――ただしその色合いを少し変えて――告げる。
「子どもが、あまりそんなことを気にするものじゃないぜ、ジンくん」
「…………」
「トウカもそうだけど、君たちはどうやら、大人に甘えるのが下手みたいだね」
「アラム……さん?」
「何、別に説教をしようなんて思ってないさ。ただの老婆心だよ。聞き流してくれて構わない。君たちの事情を、なにせ僕はほとんど知らないわけだから。無理に訊こうとも思わないけれどね」
豹変、と表現してもいいほどに普段と違うアラムの様子。
それは冬火にとっても驚きだったらしく、彼女もまた目を丸くして、アラムの言葉を聞いていた。
「じきにきっと、一人ではどうしようもない事態に直面することもあるだろう。そのときにどう切り抜けるのか、きちんと考えられているかな?」
「……それは、どういう……?」
「別に深い意味はないさ。もうひとりの友達が、早く見つかることを祈っている。――じゃあ、僕は仕事に戻るよ」
最後に最初と同じことを言って、アラムは部屋を去っていった。
おそらく本当に忙しい時間なのだろう。その合間を縫って、わざわざこうして戻ってきてくれたのだ。
「……なんつーか。大人だよな、あの人」
なんと言うべきなのかわからず、迅はぽつりと、そんな感想を零していた。
こんな風に子ども扱いされた経験など、この頃はもうほとんどない。かといって大人扱いされていたこともないのだが、ただ、どうしていいのかわからなかったのだ。
そしてそれは、冬火も大差なかったらしい。
「そうだね」
ぽつりと、それだけを呟いていた。
※
それぞれに身支度を整えたのち、二人は一階の居間へと降りた。そこに備えられた机には、迅と冬火、二人分の朝食が並べてある。
パンやサラダといった地球と似たような料理に、あとはよくわからない素材の、炒めものっぽい異世界料理。ともあれその見た目は、地球の料理と大した違いはないように思える。
忙しい中、わざわざアラムさんが作ってくれたのだろうか。
そう考えた迅の疑問を、表情から読み取ったのだろう。冬火が言う。
「……感動を壊して悪いけど、買ったものだと思うよ。おじさん、料理できないし」
「いや、別に感動はしてないけど。そうなのか。……というか、それはそれで悪いな……」
「おばさん――アラムさんの奥さんは、すごく料理が上手なんだけどね。生憎と、今は街にいないのよ」
「じゃあ、帰ってきたら挨拶しないとね」
「しばらくは帰ってこないと思うわよ」慣れた様子で、食卓を整えながら冬火は言う。「どこまで仕入れに行ったか知らないけどね。まあ、おばさんのことだし、そのうちふらっと帰ってくるでしょ」
「……なるほど。あの人の奥さんだけあって、そっちもなかなか、愉快な人なわけだ」
「また失礼なこと言うわね、迅」
そういう冬火も否定はしていない辺り、覚悟しておいたほうがいいな、と迅は考える。
ともあれ、二人は椅子について朝食に手をつけた。
食事自体の味は別段、地球のものとそう変わりはない。
二人は黙々と食べ続けた。別段、無言が苦になるような間柄でもないのだが、それなりに珍しい事態でもある。
やがて食事を終え、片づけもひと段落ついたところで、二人はまた向き合って座った。机の上には、水の注がれたカップがふたつ並んでいる。
――こんなこと、そういえば昨日もあったな。
そう思い出して微笑しながら、迅はカップに口をつける。
それを見ていた冬火は、『なんで笑ってるの?』と迅に視線で訊ねた。
迅もまた視線だけで、『いや、なんでもない』と、そう答える。加えて、『それよりそろそろ話をしよう』とも。
何か言葉を交わすまでもなく。
お互いに、これからのことを話し合う必要があると理解していた。
「さて、どうしよっか。おじさんが言ってたみたいに、街の案内でもしてあげようか?」
切り出したのは冬火だった。
その提案に、けれど迅は首を振って答える。
「いや、それはいいや」
「言うと思った」と冬火は呆れ顔だ。「迅なら絶対、自分で探検したい、とか言い出すだろうなって」
「言ってないだろ」
「なら、しないわけ?」
「…………」
「するんじゃないの」
ぐうの音も出なかった。その通りだったからだ。
ごほん、と迅はわざとらしく咳払い。その程度で誤魔化される冬火ではないが、それでも誤魔化すように話題を変える。
「――俺は、魔法を覚えたいと思ってる」
「ふうん。なんで?」
あっさりと首を傾げる冬火。
それが少し意外で、だから思わず迅は訊ねた。
「……止めないのか?」
「どうして?」
「いや、危ないかもしれないし?」
「別に止めないわよ」冬火は肩を竦めて言う。「魔法を覚えるだけなら、そこまで大した危険はないもの」
「…………」魔法を二度も暴発させかけたことは黙っておこう。
そう決めて黙り込む迅に、冬火は続ける。
「それに、覚えたい理由があるんでしょ? 単に『使ってみたい』とかじゃなくて」
「……まあ、そうだな。理由はもちろん、ある」
「それは?」
「元の世界に戻るため……いや、その方法を探すため、かな。この世界に来てしまったのは、たぶん魔法のせいだろう?」
「そうでしょうね。あの光を見るに」
「なら元の世界に帰るためにも、魔法については勉強しておく必要があると思ったんだよ」
無論、魔法という超常現象に対する興味が迅にないとは言えなかった。ただやはり、興味と同等に恐怖もある。身を守るのに魔法は有用だろうが、それ以上の危険には関わりたくない。
魔法を学ぼうと考えた最大の理由は、あくまで元の世界に帰るためだった。
「それに関しては、私も同じことを考えてた」
迅の意見に、同意の頷きを返す冬火。止められたらどうしよう、と若干の不安を抱いていた迅はとりあえず安堵する。
だが、次の冬火の言葉には、迅も驚きを隠せなかった。
「実は私も、魔法を勉強してるところだから」
「え――そうなのか?」
意外だ、と驚き迅は目を丸くする。
その手のことに、冬火は憧れを抱くような性格ではないと思っていたのだ。
そして実際、冬火は何も憧れから魔法を学んでいたわけではない。
「うん。ていうか、昨日の私とネイアの話、聞いてなかったの?」
「聞いてないことはなかったけど……正直ほとんど意味わかんなかったし」
「私は、ネイアから魔法を習ってたのよ」
「マジで!? 一国の姫から!?」
「うん。って、ネイアはだから、別に《一国の姫》じゃないけどさ」
「似たようなもんだろ……」
「否定はしないわ」
「にしても、じゃあ、冬火は魔法が使えるのか?」
若干の期待と羨望を籠めて訊ねる迅。
果たして、冬火は「うん」と頷いて答える。
「少しだけどね。――見てて」
言うと、冬火はおもむろに右手を前に伸ばした。掌を下向きに、ちょうど机の上のカップの、真上に当たる位置で止めている。
その右の掌から、迅はわずかに魔力の気配を感じ取った。魔力の感覚を察知することに、すっかり慣れていたのだ。
そして、冬火は小さく唱える。
魔法を紡ぐ呪文を。
「――――水よ」
瞬間、カップに注がれていた水が、うねるような形で飛び出してきた。
それは螺旋型に渦を描いて、鞭のように中空をうねっている。流動する水は生き物のような活力を持って、冬火の魔力に従っていた。
「おお……!」
と迅は素直に感嘆。その目線の先では、渦を描いた水が、冬火の右の手首を円状に巡っていた。
透き通るような円環。それはまるで、水から作られた腕輪のようだ。
「うわ。すげえ。マジか。かっけえ。うわあ」
ほとんど小学生みたいな、しょうもない感想を重ねる迅。
それに冬火は苦笑。呆れたように、「もうちょっと上手いこと言えないわけ?」と迅をからかう。
迅は少しだけ憮然としながら、
「なんだよ。せっかく褒めたのに。それこそ感動が台なしだぜ」
「ま、褒められて悪い気はしないけどね」
微笑む冬火。その笑顔には、確かにどこか誇るような色があった。
彼女は知っていたからだ。本当に感動したときの迅が、上手い言葉を作れるほど器用ではないということを。
まだまだ自慢できるほどの魔法は使えない冬火だったけれど、それでも、迅に褒められて嬉しくないとは言えなかった。
「……こんなとこかな」
言って、ふう、と冬火は吐息を零す。同時、水を宙に留めていた冬火の魔力が霧散する。水は弾けて形を崩し、そのまま真下のカップへと落ちた。
綺麗にカップへと収まった水を、冬火はこくりと飲んで微笑む。
「どーよ?」
「……お見事」
素直にぱちぱちと拍手する迅。
冬火は「どうもどうも」とちょっとだけ乗ってから、
「ま、この程度ならすぐにできるようになると思うけど」
「ふうん……やっぱり、異世界人はみんな魔法使いなのか?」
「違うよ。その辺、簡単に説明しとこっか?」
その提案に、「お願いします」と頭を下げる迅。
冬火は「迅に何かを教えるの、すごく久し振りな気がする」と微笑んだ。
地球での迅は、よく冬火に勉強を見てもらっていたのだ。
「さて――」
こほん、と咳払いの真似をして冬火が言う。
出来の悪い弟の面倒を見る姉のような。左手を右肘に、右手は口許に、ちょっと気取ったポーズの冬火。
そういえば、ナナも似たようなことをしてたっけ、と迅はなんとなく思い出していた。彼女は、あれからどうしているのだろう。元気にしていればいいのだが。
「――まず《魔法使い》っていう言葉の意味から説明するね」
「んん?」
別のことを考えていたせいで、少し反応が遅れた迅だ。
そんな迅に冬火は責めるようなジト目を向けたが、しかし聞いていたとしても答えられたかどうか。
「魔法使いは魔法使いだろ? 魔法が使える人、って意味じゃないのか?」
「違う」迅の言葉に、冬火は首を横に振る。「迅は勘違いしてるみたいだけど、魔法使いっていうのは職業であって、技術や能力からくる肩書きじゃないのよ」
「……どういう意味、それ?」
「《魔法使い》っていうのは、魔法で戦う仕事の人のことを指す言葉なのよ。魔法をで戦う、兵士と言い換えてもいいかもしれない。だから、ただ魔法が使えるだけの人は別に、魔法使いとは呼ばれないのよ」
「……へえ、そうなのか」
「ええ。ただ魔法を使うだけなら誰でもできる。人は誰でも魔力を持っているから。ただ習熟して、戦闘を生業にできるほどの実力を持つ魔法使いとなると、その数は限られてくるわ」
「なるほどな……まあ、そんなもんか」
と迅は納得する。道理で、魔法使いになりたいと言ったとき、ナナが驚いていたわけだ。
今さらながらに把握した迅だが、冬火の説明はさらに続く。
「そして魔法には、《有色魔法》と《無色魔法》、つまり色のある魔法とない魔法がある」
「色……? いや、意味がわっかんないんだけど」
「《有色魔法》――色のある魔法っていうのは、言い換えれば《属性魔法》ってことね」
「属性。属性……か。やっぱりあるんだ、そういうの」
感心したような呆れたような、微妙な口調で迅はそう零していた。
魔法、という要素のある漫画やゲームなどではよく見る設定だ。その意味では、馴染みがあると言っていいだろう。
だが実際こうして、現実に遭遇しては当惑してしまう。イメージとしては理解できるのだが、そのせいで逆に実感が沸きにくかった。
とはいえ、覚えがないわけではない。
「属性っていうと、風とか、水とか……そういうのだよね?」
迅は問う。思い出していたのは、ナナや冬火が見せてくれた魔法だった。
風による攻撃魔法。迅の命を救ったそれだ。
質問に、冬火は頷いて答えを返す。
「そ。そもそも魔法っていうのは、体内の魔力を自分の身体の外側で保持する技術を指して言うのよ」
「……ああ。だから魔力制御で身体能力を上げることは『魔法じゃない』って言われたのか」
「そういうこと。でも、魔力を身体の外で操るのは、身体の中で操ることと比べて格段に難しいの。だから魔法を使うとき、魔法使いは自然物を媒介にする。そうした自然の要素を扱った魔法を総称して有色魔法、ないし属性魔法って呼ぶわけ」
「じゃあ、無色魔法ってのは? 属性とは違うわけか」
「そうね。まあ、その辺りはまた難しい話になるんだけど……」
「なるほど……んじゃ、今はいいや。それより、水属性の人は、水属性の魔法しか使えないのか?」
難しい話はうっちゃって、わかりやすいところから確認していく迅。
そんな迅の反応を聞く前からわかっていたように、冬火もあっさりと話を戻した。
「そういうわけじゃないわね。魔法使いの属性は、あくまで得意な属性、って意味だから。得意属性に比べれば効率は落ちるけど、他の属性の魔法が絶対に使えないってわけじゃないわね」
「なるほど。じゃあ水属性の冬火が、たとえば風属性の魔法を使うこともできる、と」
「うん。ただ言った通り効率は著しく落ちるし、精度も下がる。たとえば私が水を操作するのに使う魔力を一とするのなら、風を操るのには五から十近い量の魔力を消費することになるかな。いや、属性の相性が合わないと難易度自体が劇的に上がるから。私の実力じゃそもそも失敗して、無駄に魔力だけ消費するのがオチってところでしょうね」
「そんなに変わるのか……」
「そう。基本的には、だから自分に適した属性以外の有色魔法を覚える人間は、まずいない。別の属性の魔法は、もはや完全に別の技術といってもいいくらいだから。まあ、稀に複数の属性を持っている魔法使いもいるらしいんだけど」
「なるほど。んで、その属性ってのはどうやって調べるんだ?」
「判別できる石があるの。今はないけど、ネイアなら持ってるし。貸してもらったら?」
「そうだね……」
とは言うものの、実際のところ貴族相手に平民の――あるいは身許不確かなため、それ以下の――身分でしかない自分が、そうそう簡単にコンタクトも取れないだろうと迅は考えていたが。
それよりは、まだ冬火から頼んでもらったほうがいいような気がする。彼女は、ネイアから魔法を習っているという話だし。
どうしてそんな事態になったのやら。強く疑問を抱く迅だったが、訊ねることはしないでおいた。
「なんなら、私からネイアに、迅にも魔法を教えてもらえるよう頼んでおこうか?」
「うーん……そこまでは」
なんとなく、断ってしまう迅だった。
あまりネイアと――というより権力と――関わりすぎてしまうのは危険なのではという危惧もあったが、何より迅が考えたのはナナのことだった。
彼女以外の師匠を見繕うことに、なんとなく抵抗を感じてしまう。もし可能ならば、迅は彼女に魔法を習いたいと思っていたのだ。
魔法使いとしてのイメージを、迅の中で最も強く持っているのが彼女だということもある。だがあるいはそれ以外にも、迅は何かの引っかかりを感じているのかもしれなかった。
自覚のあるなしは、別の問題として。
「ともあれ、魔法についてはだいたいわかったよ」迅は言った。「サンキュ、冬火」
感謝を告げた迅に、冬火は苦笑して首を振る。
「ほとんど受け売りだけどね。ネイアやおじさんたちから聞いたことを、そのまま伝えただけ」
「アラムさんも魔法使いなのか?」
ふと疑問に思って訊ねた迅に、
「おじさんは商人。魔法使いじゃない」
あえてずれた返答をする冬火。そこには、教えたことをきちんと覚えているのかという確認の意味が込められている。
それに気づいて迅は苦笑し、訂正する、と首を振って続けた。
「アラムさんは、魔法を使える人なのか?」
「多少は使えるみたいよ? 見たことはないけどね」
「そっか」
「まあ、さっき言ったくらいのことは、この世界の人ならだれでも知ってる程度の常識みたいだけど」
「あー……こっちの常識がないのはつらいよなあ」
「私も、来たばっかりの頃は苦労したわ。よく変な顔で見られたし」
「……ま、おいおい覚えていくとするよ」
考えるのも億劫になり、先延ばしにして迅は言った。
そんな迅の怠惰を見抜いていた冬火は、悪戯っぽく微笑んでこんなことを言う。
「――なんなら、私が一日で叩き込んであげるけど?」
「……いや、結構だよ」
と、頬を引き攣らせて答える迅に対し。
冬火は両手でお腹を抱えて、大きな笑顔を見せるのだった。
※
昼前の街を、迅はひとりで歩いていた。
陽気な喧騒が包む通りは、雑多な人いきれとそれらが生み出す活気で溢れて明るい。騒がしい場所をそう好まない迅だったが、この街の空気は嫌いになれなかった。地球の人混みとは違う、暖かな気配を纏った街だからだろう。
道行く客に声をかける、恰幅のいい酒場の店主。露店を冷やかす赤髪の女性は、露出の多い扇情的な服装で人目を惹いていた。すれ違った緑の髪の青年は、そんな女性にちらちらと視線を送っている。
ヴァルシュ連合国がシュルツ州、そのの中心都市である州都ルルアート。
山間の国《ヴァーミリオン》、海沿いの国家《ルールズポート》、そしてその両国家に挟まれる形で存在していた《シュルツ》の三国。それらが合併する形で成立したこのヴァルシュ連合国は、大陸でも二番目に大きい国であり、王制国家ではない貴族共和制の国としては、世界最大の領土を誇っているのだという。
このルルアートは、元の三国がちょうど一点で重なる位置にあるヴァルシュ連合の首都《ミルツ》から、馬車で南方におよそ七日ほど進んだ土地にある。旧シュルツ国の首都でもあったルルアートは、大陸の南方ではほぼ最大の都市であり、現在は世界最大にして唯一とされる宗教、《聖一教》の祭りをひと月後に控えているところだ。
――と、いうような話を、迅は冬火から聞いていた。
いたのだが、いかんせんまったく覚えられない。そもそも覚える気にすらなれなかった。
ヴァルシュ連合という国のシュルツ州にあるいちばん大きな街がルルアートで、もうすぐお祭りが大きなあるらしい――という程度のことが、迅が記憶した全てだと言っていい。
街を統べるネイアが知れば、きっと憤慨ものの理解だろう。
今、迅がひとりで街を歩いているのは、ひとえに街を散策するためだった。
本来なら、もう二か月もこの街で暮らしている冬火に、案内や説明を頼んだほうが効率はいいだろう。
だが迅は結局、自分ひとりで街を歩くことに決めていた。
冬火の言った通り、迅は案外、単独行動が好きだ。それも理由のひとつではある。
ただいちばん大きな理由としては――
「……どこかで、ナナに会えるかもしれないからな」
迅は、そんな目的とも呼べないような、淡い期待を抱いて歩いていた。
彼女の存在を、どうして冬火に秘密にしたのか。それを実のところ、迅は自分でもわかっていなかった。
なんとなく、以外に表現のしようがない。なぜか伝える気にならなかったのだ。
あるいは、そうすれば会えると思ったのかもしれない。ちょっとした願掛けのようなものだ。
「それにしても。これから、どうしたらいいんだろうなあ……」
歩きながら考えている、というより、迷いながら歩いている迅。
最大の優先目標は、もちろん楽との合流である。だがこの広い異世界を、なんの手がかりもなく捜し回るなど不可能を通り越して自殺行為だ。こんな世界を、無防備に歩き回れるわけがない。
しばらくは、この街に留まるのがいいだろうと迅は考えている。
大した根拠はない。どちらかといえば願望に近いだろう。
ただ、同じ魔法で異世界に飛ばされたのだ。魔法のことなどほとんど知らない迅でも、近い位置に出たと考えるほうが自然だとは思う。
そしてもうひとつ考えるべきは、楽を見つけて地球に帰還するまでの、生活基盤の確保である。
一応、アラムの好意に甘える形でいれば、暮らしていくことはできるだろう。だが一方的に恩を受け続けるのが健全ではないことくらい迅にもわかる。何かしらの仕事は見つけるべきだった。
しかし、そのときに問題となるのは、仮に楽が見つからなかったときの場合のことだ。そのときは、
楽を捜すために、この異世界を旅する必要がある。
そのためにも魔法は必要だろうし、ならばやはり、ある程度はそちらに避ける時間が欲しい。
だから可能ならば、時間に融通の利く仕事だと都合がいい。そうは考えているのだが――、
「現状、なんの技能もない俺が、そんな都合のいい仕事を見つけられるわけないからなあ」
現実はそう甘くない。
身許不確かで無能なガキが、簡単にこなせる仕事など、地球にも異世界にも存在してはいないだろう。
――と、
「おう、昨日の坊主じゃねえか。生きてたのか」
ふと横合いから、そんな声が迅に向けられた。粗暴な口調の男の声だ。
振り向けば、目に映るのは禿頭の親父の無骨な顔。
昨日、冬火と再会したときに会った、露店の店主がそこにいた。
「あ、こりゃどうも」
頭を下げる迅。
男はなぜか苦虫を噛み潰したような顔になり、
「ヘンな話し方すんじゃねえよ。普通に話せ、坊主」
「……んじゃ、お言葉に甘えて言うけど。いきなり『生きてたのか』はご挨拶だね?」
もともと人見知りしない迅は、あっさり男に対応する
禿頭の親父は、ふん、と鼻息荒く肩を竦めて、
「お前、トウカの嬢ちゃんを怒らせたみたいだったからな。何があったから知らねえが、女は怒らせるもんじゃねえぜ」
「そりゃ含蓄ある言葉をどうも。……おっちゃん、冬火の知り合い?」
「この街で商いやってる奴に、嬢ちゃんを知らねえ奴ぁいねえよ」
「何? 有名人なの、冬火は」
「ま、そこそこな。そういう坊主、お前ぇこそ嬢ちゃんのなんなんだ?」
「何って……友達? っていうか家族? みたいな、まあそんな感じ」
「……なるほどな」意を得たように頷く禿頭。「じゃあやっぱり、坊主が嬢ちゃんの《捜し人》だったってわけか。なるほどな」
冬火が人を捜している、という話は、この界隈ではそこそこ知れていたらしい。
冬火も有名になってるんだなあ、と適当な納得を覚えていた迅に、ふと親父が声をかけてくる。
「坊主。――おらよ」
「……っと」
言葉と同時、ゆるやかに投げて寄越された何かを、迅は咄嗟に手でキャッチする。
それは赤い果物だった。見たところ林檎に似ている、というか、むしろ林檎にしか見えない。
異世界の林檎、とでも言うべきだろうか。
「これは?」
そう訊ねた迅へ、禿頭の親父はぶっきらぼうに答える。
「まあ、昨日は世話んなったからな。礼みたいなもんだ」
「……そりゃどうも」
迅はそっと頭を下げる。
いきなりの好意に、思うところがないわけではなかった。
ただ、断るほうが失礼に当たると考えて、迅はそれを素直に受け取ることにしたのだ。
「……おっちゃん、名前は?」
ふと思い至って訊ねる迅。親父は相変わらずの口調で、
「――ノガルだよ。それがどうした」
「いや別に。そっか。ちなみに俺は迅っていう」
「……お前なんか、坊主で充分だ」
相変らずぶっきらぼうな男――ノガルの言葉に、迅は思わず苦笑した。
ノガルは不愉快そうに眉を顰めたが、結局は触れずに、ただ別の言葉を作って言う。
「んじゃ、俺ぁ仕事に戻るぜ」
「……サボってたの?」
「馬鹿言うな。ちょっと野暮用があっただけだ。んなことより――」
と、ノガルが何かを言いかけた――そのときだった。
突如として、通りの先から爆発音に似た音が轟いてきた。
「……あん? なんだあ!?」
ごつい顔に乗っている目を、驚いたように丸くしてノガルが言う。
迅は「さあ……?」と首を傾げながら、ノガルに続いて通りの先へと視線をやる。
だが事態は把握できなかった。人が多く、先まで見通すことができないのだ。
通りを行き交う人々も同じ様子で、何事かと疑問の視線を音の方向へ向けてはいるが、何が起こったかまではわからないらしい。
街の喧騒が、その趣きを変えていた。困惑と疑念が混じった空気に、迅も徐々に不審な色を感じ取る。
大通りの先――街の入口の門の方角からは、何か怒号や焦燥らしき気配が風に乗って届いていた。言葉としては聞き取れないそれが、街の人々の不安を煽っている。
やがて近づいてきた焦りの気配が、ついに意味のあると音として迅にまで届いた。
それは男の声で、街の人々に――迅に事態を伝えたのだ。
「――ま、魔物だっ! 街の中に、魔物が侵入したぞ――!!」