1-06『異世界の夜』
「――それで。ネイア、今日はいったいなんの用でここに?」
ひとしきり会話が済んだところで、冬火が訊ねた。
床にへたり込んでいた迅も、その言葉を聞いてゆっくりと起き上がる。
確かに、それは迅も気になっていた部分だ。貴族の位にあるというネイアが、まさか雑談をするためだけにやって来たということもないだろう。果たして、何をしに来たのか。
冬火の問いに、ネイアは「うん」と頷いて切り出す。
「そうだね。挨拶は切り上げて、そろそろ本題に入ろうか。ジンともだいぶ仲よくなれたことだし」
「あれで挨拶のつもりかよ。お貴族様は常識ってモノが欠けてらっしゃるんじゃないの?」
小声で茶々を入れる迅。貴族、という存在に対する経緯など、すでにあっさりと捨てていた。もともと身分制には馴染みのない日本人だ。初めから、地位を敬うような意識は持っていなかったのかもしれない。
そんな迅の脇腹に、冬火の肘鉄が軽く刺さる。場の空気を弁えろ、といった意味合いの突っ込みだ。
うっ、と大袈裟に呻く迅を、ネイアはさも愉快げに眺めながら言う。
「わたしも、そのうちトウカの突っ込みを喰らってみたいものだね」
「そりゃいいや。なんなら今度、代わりに俺がやってやるよ」
「うん、それはいいね。期待しておくよ」
迅の皮肉などまったく通じず、ネイアは嬉しそうに微笑んだ。
迅は憮然と黙り込み、その代わりに冬火が再度、言う。
「それで。ご用件は」
「うん。それなんだけど……まあ、言ってみれば事情聴取みたいなものかな」
「事情聴取……?」
首を傾げる冬火に、ネイアは頷いて言葉を続ける。
「別に大したことじゃないさ。ただ、君たちを襲ったという魔法使い。その話を聞きたくてね」
ネイアの口調に、先程までと変わるところはない。ただどこかに真剣みのある色を感じた迅は、もう茶化すことはせず訊ね返した。
「ああ……。そういえば、あの男は結局、逃げ切ったのか?」
「あの男……ということは、逃げた魔法使いは男だったのかい?」
そう訊ねた迅に対し、ネイアは逆に質問を返してきた。
迅は素直に頷いて答える。
「まあ、たぶん。顔は隠れてて見えなかったけど、声は男だったよ」
「なるほど。他に、何か気づいたことは?」
「……いや、特には何も。そもそも俺は、冬火が突き飛ばされたのを見たから追っただけだし」
それに結局、逃げられてしまっている。迅はそもそも、ローブの男がどうしてあんな真似に及んだのかさえ知らないのだ。
ネイア自身、大して期待もしていなかったのだろう。あっさりと頷いて言葉を続ける。
「そうか。騎士団のほうでも捜索してはみたのだけれど、なにぶん素性も何もわからなくてね。あっさりと逃げられてしまった」
「ふうん……。騎士団ってのは?」
ふと気になった単語を訊ねた迅に、答えたのは冬火だった。
「この街の、まあ、憲兵団みたいなものよ。ウェアルルア家の私兵なんだけど」
「一応、ルルアートの街を預かっている家だからね。治安維持のため、多少の兵力は必要なのさ」
冬火の言葉を、補足するようにネイアも頷く。
「はあ。なるほど」
スケールの大きな話に、迅はただそう呟く他なかった。
要はネイアの家が所有している兵力で、警察じみた活動もしているということなのだろう。迅はそう、簡単に納得した。
「というか、そもそもあの男はいったいなんだったんだ? なんで逃げ出したんだよ?」
記憶を辿りながら、迅はそう訊ねた。主に冬火へ向けて。
迅がローブの男を追った理由は、ひとえに冬火が突き飛ばされたという一点に尽きる。だが逆を言えばそれだけだ。
泥棒、と冬火は叫んだのは、方便だったと聞いている。事実そう言われても納得してしまいかねないほど不審な輩ではあったが、逃げ出す前は何をしていたのだろう。
「それが、よくわからないのよね」
迅の問いに、冬火はそう首を傾げながら答えた。
「わからないって?」
「店の前に座り込んで、何かしていたのは間違いないんだけど。それが実際、何をしていたのかまではわからないのよ」
「……まあ、明らかに不審者っぽくはあったけど」
「声をかけたら急に逃げ出すし、何か後ろ暗いところはあったんだと思うけどね」
「いずれにせよ」
と、冬火の言葉を引き継ぐようにネイアが言う。
硬い口調で。その様は確かに、貴族というだけの威厳があるよう迅には思えた。
「ルルアート市街での攻性魔法使用は違法だ。ウェアルルアの一員として、見過ごすわけにはいかない」
「……街の中で、魔法を使っちゃいけないのか?」
ネイアの言葉を聞いて、迅はおそるおそるそう訊ねた。
だって思いっ切り使っていたのだから。結界林の件もあって、異世界の法律には敏感になっている迅だった。
ただその辺りの事情は、あらかじめ聞いてあったのだろう。苦笑交じりにネイアは言った。
「違法なのは攻性魔法――つまり直接的な攻撃力のある魔法だよ。だから身体強化程度は違法じゃない。安心していいよ、ジン」
「……なるほど。そらよかった」
「まあ、そもそも身体に魔力を通すだけでは、魔法とは呼ばないんだ。――トウカ、逃げた男は、確か火属性の魔法を使っていたという話だったね? 位階はわかるかい?」
――イカイってなんだろう……。
異世界的語句の意味がわからず、迅は話についていけない。とはいえ水を差すのも憚られるので、ここは聞きに徹することにした。わからない単語の意味など、あとで冬火にでも訊けばいい。
一方、ネイアに水を向けられた冬火は、指を唇の辺りに寄せると、慎重に考え込みながら答える。
「……火属性の魔法を無媒介で使えるってことは、最低でも第三位階ですよね。でも、魔法の練度や戦闘の技術を鑑みると、たぶん最低でも第五位階か、それ以上だと思います」
そう、零すように告げた冬火は、最後に「私見ですが」とつけ加えた。
ネイアは微苦笑を浮かべて、
「トウカ」
「……えっと。もしかして見当違いでした……?」
「敬語」
「――う。はい、じゃなかった。うん、ごめん、ネイア。……これでいい?」
「うん」
冬火の敬語を直させて、満足そうに頷くネイア。
微笑ましい光景ではあった。だがそもそも、この二人はいったいどうして知り合いなのだろう。迅にはそれが疑問だった。
一都市を統べる大貴族と、身許不確かな肉屋の店員。
実際のところ、ネイアの身分がどの程度の高さなのか、迅には今ひとつわからない。だがいずれにせよ、冬火とネイアの間に、何か接点ができるようには思えなかった。
が、そんな疑問を挟み込める空気ではない。
「トウカの見立ては信用してるよ。かなり腕のいい魔法使いみたいだね」
「その点は、間違いないと思う」
ネイアの確認に、断言して冬火は首肯を返した。
ルルアートの長である大貴族の娘は、複雑な表情で腕を組む。
「《十字祭》が近いからね。うちの騎士も魔法使いも、あちこちに出払ってしまっている。残っているのは事務方だけさ。だから毎年、この時期は街の警備が手薄にはなるんだ。もちろん直前までには警備も万全にするけれど、まだ時間が足りないね」
「遠方からわざわざ訪れる観光客も多いって聞くし。人の出入りも激しくから、それに乗じて、何かよくないことを考えている誰かが来ているのかも」
「トウカは、十字祭は初めてだったね」
「ええ」
「十字祭は《聖一教》の祭典だ。それを妨害に来るとなれば――」
「……《オルズ教》、ね」
「可能性はある。何か、気づくことはないかな?」
「……いえ、何も思いつかない。ごめんね、ネイア。あんまり、役に立たないね」
「気にすることはないさ。ただの旅人だったという可能性もある。いずれにせよ、警戒を怠るべきではないだろうけれどね」
「そうだね」
「場合によっては、教会に護衛を要請することも視野に入れたほうが――」
何事かを考え込みながら、考察を続けていく冬火とネイア。
迅は完全に放置されていた。二人がいったい何を話しているのか、迅にはちっともわからない。
――というか俺もう、ここにいる意味ないよなあ……。
別に不貞腐れたわけではなく、単純に事実としてそう認識した迅は、もはや二人の会話などほとんど聞いていなかった。重要な話なら、あとで冬火が何か言うだろう。そう信頼していたというか、丸投げだ。
けれど、だからだろうか。
廊下から聞こえてくる足音。それに、初めに気づいたのが迅だった。
「……?」
どたどたどたっ、と物凄い勢いで外の廊下を駆ける足音が聞こえてくる。
迅でなくても、おそらく誰でも気づいただろう。だんだんと近づいてくる音は、薄い壁を軽く貫通して、響き渡るように届いてくるのだから。
「なんだ?」と、迅は知らず呟いていた。
それを聞いていたのか。ネイアがその表情を、困ったように変えて言う。
「残念。どうやら時間切れのようだ」
「……あー」
何かを納得したように頷く冬火。だが迅は意味もわからず、ただ首を傾げるだけだ。
そうこうしている間に、足音はこの部屋の前まで到達、停止した。
そして、次の瞬間。
――どかん!
という音とともに、壁ごと破らんばかりの勢いで、部屋の扉が盛大に開かれた。
「――ここにおられましたか、ネイアリア様!」
現れた人影が、開口一番、そんな風に叫んだ。
迅と同年代くらいの青年だった。
輝くような金の短髪に、ブルーの瞳。身に纏う赤の衣服は、騎士装束というものだろうか。二対の剣と思しき意匠が、金の刺繍で施されている。その手には、これまた赤い鞘に仕舞われた一本の剣。なんだか、それこそファンタジー作品の主人公みたいな恰好をした青年である。
――あ、イケメンだ。
などと迅は適当な感想を抱いていた。異世界には、顔の造形が整った人間が多いなあ、と。
「お前の部屋、来客が多いな、冬火」
「そういう日なんでしょ……はあ」
そんな会話を、小声で交わす迅と冬火。
その視線の先では、ネイアが片手を挙げながら、突然の闖入者に声をかけていた。
「やあ、ティグ。今日も元気だね」
「元気だね、ではありません! 周りに何も知らせずに、独りでいなくならないでくださいと何度言ったらわかるのですか!」
「でもこうして、君はわたしを見つけ出してくれるじゃないか。ほら、何も問題はないだろう?」
「そういう問題ではありません!」
ぎゃーぎゃーと大声で唸る金髪の青年。
ネイアは悪びれもせず、適当な言葉を繰り返しては、いちいち青年を怒らせている。
「……あれだね。まさにお転婆なお姫様と、それに振り回されるお付きの図って感じ」
迅は小声で言った。その言葉に冬火は苦笑を返し、
「まあ、実際その通りよね」
「さすが異世界ファンタジー。お約束を外さないなあ」
「いや、たまたまでしょ。ネイアみたいのが、そんな何人もいるわけないし」
「なるほど、納得できる言葉だ。……んで、彼は誰?」
「ティグエルくん。苗字は……なんだったかな。忘れたわ」
「酷いな」
「うるさい。覚えにくいのよ、カタカナっぽい名前は」
「ああ、それわかる。俺もまだネイアのフルネーム覚えてない」
「アンタのほうがよっぽど酷いわ……」
「仕方ないだろう。覚える単語が多すぎるんだよ」
「……わかるけど」
「それで、えっと、ティグエルだっけ? 彼がネイアの、いわゆるお付き的なアレなのか」
「ま、そうね。騎士候補ってヤツ」
「……なんだそりゃ?」
「あー。あとで教えるわ」
「そりゃどうも」
勝手な会話を、勝手に続ける迅と冬火。
一方、お姫さまはお付きにしこたま怒られて、部屋の外へと引きずり出されていた。
「さあ帰りますよ、ネイアリア様。こんな汚い部屋に、いつまで引き籠っているつもりですか!」
「わかった。わかったから少し静かにしてくれ、ティグ。君は声が大きすぎる。君が街でなんと呼ばれているか知っているか? 人間拡声器だぞ」
「貴女がすぐにいなくなるから、叫んで探すしかないんです! 僕だって好き好んで叫んでるわけじゃありません!!」
ぎゃあぎゃあと喚き続ける主従二人。
置いてきぼりの幼馴染み二人は、
「汚い部屋だってよ、冬火」「失礼ね。ちゃんと掃除してるわよ」「今の聞いた? 人間拡声器だってさ。面白いこと言うよね」「ていうか、こっちの世界にも拡声器ってあるんだ……」「あるんじゃない? なんか、魔法の道具とかで」「ああ、なるほどねー」
特に気にしてもいなかった。
「く――。無念、今日はここまでのようだ、トウカ。ジン。またいずれ会おう」
ネイアが言った。本当に、心底無念そうな表情……ではなく、普通に笑顔だった。
こりゃまた同じこと繰り返すだろうな、と迅は普通に思う。というかおそらく、今まで何度も繰り返されてきたやり取りなのだろう。
迅はひらひらと手を振って答えた。
「またなー、ネイア」
「貴様!」
途端、叫んだのはティグだった。
端整な顔を鬼のように歪め、迅を睨んで叫び出す。
「ネイアリア様を呼び捨てなど何様のつもりだ! 不敬だぞ!!」
ずんずんと、肩を怒らせながらティグは迅に近づいてくる。
だが迅は、これが普通の反応なのか、とむしろ新鮮に思うくらいの感想だった。確かに普通に考えれば、貴族にため口など論外だろう。それくらいは迅でも察しがつく。
従者が気分を害するのも、だから無理からぬ話だと思う。
「貴様、この街の者じゃないな。誰だ。名前を言え」
ティグは迅の前に立つと、剣に手をかけて高圧的にそう言った。
心底お怒りのご様子だ。下手な返答をしたら、本当に斬って捨てられかねない。
だから、迅は端的に答えた。
「――逃げたぞ、お姫様」
「ああっ!?」
驚いて、扉の方向を振り返るティグ。その視線の先には、ネイアの姿がすでにない。
早業だった。彼女は、ティグの注意が迅に向いた瞬間、さっと廊下へ音もなく姿を消したのだ。最後に迅と冬火へ向けて、手を振る余裕まで見せて。完全に慣れた逃亡劇だった。
「く――覚えていろ貴様!」
なぜか負け犬じみた台詞を吐くティグ。ジンは吹き出さないように必死で堪える。
そんな迅の様子には気づかず、ティグは「お待ちください!」と叫んで部屋を出ていった。どたどたという足音が遠ざかっていき、やがて何も聞こえなくなる。
部屋の中には、冬火と楽だけが残されていた。
しばらくして迅が問う。
「あ、そうだ。今日、ここに泊めてもらっていい?」
「……それはおじさんに聞いて」
こめかみを押さえて冬火は答えた。
窓の外は、いつの間にかすっかり暗くなっている。街の喧騒はすっかりしじまに沈んでいて、通りの人影もほとんどなくなっていた。街灯の普及していない異世界で、夜の世界は人が歩く場所ではない。
迅にとって、異世界で初めての夜が訪れていた。
※
濡れた頭を乾かすために、窓を開いて夜風を誘う。
時刻は、異世界基準で午後十時過ぎといったところ。借りた寝間着を着込んだ迅は、異世界で初めての夜を味わっている。
あのあと、迅はアラムに頼んで、この家に部屋を借りていた。冬火と友達なら構わない、とアラムは笑顔で受け入れてくれたのだ。確かに変わった男だが、冬火を助けてくれた恩人でもある。悪い人間ではないのだろう。むしろ、驚くほど人が好い。
迅は、冬火の部屋の隣を借りた。「部屋は余っていてね」というアラムの言葉に甘える形だ。
食事を貰い、風呂を借りて、迅は一日の疲れを癒した。
この世界へと来て以来、いろんな人に助けられてばかりいる。いつかその恩を返すことが、迅にはできるのだろうか。
密度の高い一日だった。これほどいろいろな経験が集約された一日など、迅の人生では初めてのことだ。
「……まあ、異世界まで来たんだ。当たり前の話か」
そう、誰にともなく迅は零す。言葉は夜の静寂に融け、どこへともなく消えていく。
空へと視線を移してみれば、目に映るのは二対の月。右が《ニア》で、左が《リーレ》。共にこの世界の天使の名を冠した衛星だということを、迅は冬火から聞いていた。
だから正確には、それを《月》とは呼ばないのだろう。なぜかこの世界では、月という単語も通じてしまうのだが。
「異世界……か。こんなことになるなんて、本当に、考えもしなかったけど」
果たして自分たちはこれから、いったいどうなってしまうのだろう。
元の世界へ帰る方法を、見つけ出すことはできるのだろうか。
そんな疑問が、心の中に止め処なく湧いてくる。だがそう思う一方で、迅はどこかで、考えたって仕方がないとも思っているのだ。
いや、正確には違う。それはいつか考えなければならないことだ。
――帰れないかもしれない。
という、そんな想像まで含めて、いつしか直面する問題だった。そんなことはわかっている。
ただ、今日はもう考えなくてもいいはずだ。と、迅はそう思うのだった。
いろいろなことがありすぎた。疲れてしまって仕方がない。
「……もう寝よう。明日のことは、明日考えればいいや……」
そう呟いて、迅は窓の戸を閉めた。
途端、部屋が暗くなる。机に備えられた魔法のランプの、仄かに柔らかい灯りだけが、部屋を照らす唯一の光源だ。ナントカ鉱石とかいう、光を貯め込む石で造られているらしい。それも、冬火から聞いた。
「それにしても。これ、どうやって消すんだろう?」
寝るときは真っ暗なほうが好ましい、というポリシーを持つ迅。だが生憎と、このランプの使い方を迅は誰にも聞いていない。
どうしようかと迅は迷う。隣室の冬火へ訊きにいこうか、いや、もう寝てるのなら邪魔するのも悪い気がした。
家主のアラムは、夕食のあとにどこかへ出かけてしまっている。身許不明の迅を置いて外出とは、信頼されているのか、どうなのか。いずれにせよ、いないのだから訊きようがない。
もう諦めて寝てしまおう。
そう考えたところで、ふと迅は、微かなノックの音を耳にした。
こつこつと、どこか控えめに叩かれる扉。
誰であるのかは問うまでもなかった。今この家にいる人間は、迅を除けばひとりだけなのだから。
「いいよ」
と、迅はノックの主に声を掛けた。
無音になる。だが迅は何も言葉を作らず、静かに反応を待っていた。
やがて、きい、と木が軋む音がして、ゆっくりと扉が開かれる。
青山冬火が、そこにいた。
「……や」
冬火が言った。片手を挙げて、謎の挨拶を迅に飛ばす。
「何を遠慮してんだよ」
迅は苦笑だ。今さら、そんな微妙な空気になるような間柄でもないだろうに。何年一緒だったと思っているのか。
「ん……いや、久し振りだからさ。よくわかんなくなっちゃった」
あはは、と困ったように笑む冬火。
「ああ。俺にとっては数時間振りでも、冬火にとっては二か月ぶりだもんな」
「そういうこと。ヘンだよね、ずっと一緒だったのにさ。二か月空いたら、これまでどうしてたのか、わかんなくなっちゃうんだから」
「別に。どうもしなくていいんじゃないか」
どこか適当な迅の言葉に、きょとんと冬火は首を傾げる。
「え……?」
「自然にしてりゃいいんだよ。今までそうしてたように。これからも、そうしてればいいんだ」
「そう、かな……。そっか。そうだよね?」
「そうだよ。――ほら、入ってこいよ」
「……ん」
珍しく――あくまで迅の主観でだが――殊勝に頷いて、冬火が部屋に入ってきた。
ぱたり、と閉められる扉の音が、静かな部屋の空気を揺らす。
迅は、ベッドの脇に腰を下ろした。その隣を手でぽんぽんと叩き、冬火が来るように促した。
冬火は誘われるままに、迅の隣に座り込んだ。
肩が触れ合うほどの距離。
でも、今さら緊張するような関係じゃない。幼い頃から何度となく、楽も含めた三人で、川の字を作った間柄だ。
しばらくの間、二人は何も言葉にしなかった。
黙ったまま、迅は虚空を見つめている。冬火もまた無言のままで、床の模様を眺めていた。
「……不安か、冬火?」
やがて、迅がそう、小さく訊ねた。
その言葉に、冬火がやはり小さく頷く。
「かもしれない。わかんないけど」
「そっか……」
「たぶん、気が抜けちゃったんだと思う。安心したんだよ、迅と会って。独りじゃなかったってこと、久し振りに思い出したんだ」
「……そっか」
と、迅はふと、肩に何かが触れるような感触を感じた。
柔らかい香りが鼻孔をくすぐる。けれど、それは慣れた冬火の香りとは違う。
そのことが、時間の経過を迅に教えていた。
たった二か月。
されど二か月。
その変化を、迅は初めて自覚したような気がしていた。
「早く、楽が見つかるといいね」
冬火が言って、
「……おう」
迅が頷く。
それだけの確認を繰り返すことが、今の二人には必要だった。
「そしたら、三人で帰れるといいね」
「おう」
「帰ったら、もう一回、迅の誕生パーティしよっか」
「もうだいぶ前だぜ、誕生日」
「そうだけどさ」
「せっかくなら、異世界を冒険した記念のパーティってのはどうだ。だいたいこういうのは、あとから振り返れば貴重な経験だったって笑えるものだろ」
「……ん。それもいいね」
「ああ。いやでも、土鍋は壊れちゃったんだけどな」
「いいよ、鍋じゃなくても。私、こっちに来てから料理覚えたし。振る舞ってあげる」
「……ああ。そりゃ楽しみだ」
「でしょ?」
「驚くぜ、楽の奴も。『冬火の手料理? 驚いた、こりゃ異世界転移よりレアだぜ』とかなんとか言って」
「あはは、言いそう。似てないけど」
「うっせーよ」
迅は冬火を睨みつけて、それを受けた冬火が愉快に笑う。
そして、そんな冬火を見て、今度は迅が笑うのだ。
そんな繰り返しと伴いながら、夜の時間はゆっくりと過ぎる。時間なんて、もう覚えてさえいなかった。
いつか帰る日のことを夢見て、二人はいろいろな願望を話した。
三人で過ごした、穏やかで温かい日のことを思って。二人の会話は深夜まで続いた。
――まるで。
それが二度と返らない日々であると、気がついていたかのように。