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1-14『選択』

 夢を見ている。それが夢だと、迅にははっきりわかっていた。

 いわゆる明晰夢というヤツだろう。


 明星迅にとって、人生とは《選ばないこと》の連続でしかなかった。

 諦念や厭世とは違う。それは単なる事実であって、そのことを、迅はただ自覚しているに過ぎない。

 物心ついた頃にはもう、迅は施設の中にいた。両親なんて名前さえ知らない。

 別段、それを不幸だとは思わなかった。親代わりの《せんせい》がいて、冬火がいて、楽がいた。ほかの何かが欲しいだなんて、一度だって考えたことはない。

 だから迅は何も選ばなかったのだ。欲しいモノは全て初めから持っている。だから、それを失くさないことだけを考えて生きた。

 楽がふざけたことを言い出して、冬火がそれを諌め始める。その横で、迅は笑って悪ノリして、最後には三人揃って、せんせいに怒られてまた笑う。

 迅の世界はそれだけで完結していた。

 高校に入って施設を出てからも、特段の変化なんてなかった。別に、ほかの友達を作らなかったわけじゃない。話し相手は何人かいた。ただ迅にとって、彼らは楽ではなかったし、彼女たちは冬火じゃなかった。

 一度、迅は誰かに言われたことがある。それが誰だったかはもう覚えていないけれど、でも、告げられた言葉だけは、なぜかはっきり記憶していた。


 ――明星は、誰のことも見ていないんだね。


 そのとき、迅はその誰かが、いったいどんなつもりでその台詞を零したのかまったくわからなかった。

 ただ、どうしてか、今になってそれを夢に見た。

 思い出したその言葉の意味が、今なら少しだけわかるような気がする。

 その誰かはきっと、迅のことを責めていたのだ。

 迅は何も、誰のことも選んでこなかった。迅の世界は初めから形が決まり切っていて、それ以外の全てをどうでもいいと思っていたのだから。そのどうでもいいという一点で、迅には全てが平等だった。


 その価値観を揺るがせる――白い少女と出会うまでは。



     ※



 ナナと会って、それからおよそ十日間は、特に何事もなく過ぎていった。

 というのは、このルルアートの街に事件が起こらなかったという意味であり、迅自身はかなり目まぐるしい日々を過ごしていた。

 あっという間の十日間。

 迅にとって、それが、この異世界での日常になっていた。


 あの日以来、迅はアルナから魔法の修業、及び授業――これは意外にも実技より座学の時間のほうがより長かった――を受けながら、その合間にウェアルルアの騎士たちから剣技も教えてもらっていた。

 これは迅のほうから申し出たことだ。戦う、という行為に少しでも慣れるため、立ち回りを身体に叩き込んでほしいとティグに打診していたのだ。それが必要だと考えていた。ティグはどこか驚いたような表情を見せたが、存外にあっさりと迅の頼みを引き受けてくれた。

 もっともティグ自身はかなり多忙な身分らしく、実際の手ほどきは彼ではなくアトロ=ドナートという名の若い騎士が担当することになった。アトロは迅があの魔鳥と戦った際、戦場に居合わせていた騎士のひとりであるという。「お前の勇気には感銘を受けたぜ!」と笑顔で語る若き騎士は、自ら志願して迅の教育役を引き受けてくれたらしい。

 迅にしてみれば恥ずかしい話だが、しかし渡りに船でもある。歳もほど近く、また明るく気のいい性格のアトロと、迅はすぐさま打ち解けた。アトロのほうも、今では迅の兄貴分を自称するほどだ。


 もっとも迅が彼から教わったのは、剣技というよりも、戦闘時における心構えや基本的な動き方などがほとんどだった。

 アトロに言わせれば、「ジンに剣士の才能はねえな」とのこと。迅も別段、騎士になりたかったわけではない。憧れはするが、なれはしないと諦めていた。

 迅はネイアから《騎士見習い》としての称号、というか仕事を与えられていたが、正式に騎士団へ所属しているわけではなく、肩書きとしてはあくまで食客としての立場が主だ。いずれ去る人間へ簡単に開示できるほど、騎士の剣技は安くない――そういうことなのだろう。

 だから騎士見習いとしての迅は、もっぱら事務関係の雑用などでネイアの補佐をした。相変わらず異世界後の字はまったく読めなかったが、ネイア個人の小間使いとしては、それなりに有用だという評価である。仕事に見合うだけの給料も出ていた。それが、街のために戦った迅に、与えられた褒美というわけだ。

 十日のうちに、迅の魔法技能は見違えるほど向上した。一方で、剣技のほうは見るも無残な有様だ。

 実際問題として、付け焼刃で覚えた剣技など戦場では役に立たない。これから迅が戦闘者として実力をつけていくのなら、剣を覚えるより魔法に注力したほうが遥かに手っ取り早いし、大成できる可能性も高かった。剣士よりも魔法使いに、その才能は向いている。

 だから迅が叩き込まれたのは最低限、剣を振るっても自らを傷つけずに済むだけの技術くらいのものだ。毎朝のように剣を掲げて、アトロに向かっていっては返り討ちにされる。その繰り返しで得たものが、体力と打たれ強さ以外にあったのかは迅にもわからない部分なのだが。


 そうしてアトロにしばき回される朝が終わると、今度はアルナからどつき回される昼に続く。

 魔法の技術や知識は向上した。アルナの教えは厳しかったが、その指導は正確で、迅は急速に、それでいて着実に実力を身に着けて行ったのだ。

 彼女の指導は時に食事にまで及ぶ。「秘伝の薬です」と無表情のままアルナが渡してきた粉薬の服用には正直、かなりの抵抗を覚えた迅だったが、かといって拒否できる勇気もなかった。漢方薬のように、おそろしく苦いその薬は、体内の魔力を鎮静化させる働きがあるのだという。実際、迅が魔法の使用後、すぐに気絶することはなくなっていった。


 属性魔法の修業は、段階を踏んで行われていく。

 第一段階が《統御》、第二段階が《強化》、第三段階が《変化》と、進むごとに難易度は上がるのだ。

 地属性の統御――すなわち土や砂、石やある種の金属といった類の物質に魔力を通し、その形を変えて動きを統御すること――に関しては、迅はもうほぼ完璧にこなせるようになっていた。

 魔法の第二段階、統御の次のレベルに当たる強化に至っては、すでに凡百の魔術師を超えるほどの威力を出せるまでに至っている。

 今は第三段階の変化――魔力それ自体を地属性の物質に変えること――の修業が主体だったが、こちらの成功率はまだ一割にも満たない程度だ。魔力それ自体を操る感覚センスに関して、迅は才能を持っていないらしい。もっとも、それでも迅の成長は目覚ましい速度であるが。


 一方、冬火はすでに第四段階の修業に入ったと聞く。

 ただ迅が直接、それを目の当たりにする機会はなかった。基本的に迅と冬火の魔法訓練は時間を分けて行われていたし、修業のあとは疲労で動けない。それもまた、理由のひとつではあるのだろう。

 だが本当の理由は違うものだ。会いに行こうと思えば会えただろう。

 ただ、迅がそれをしなかっただけで。

 彼には何より優先して、考えることがあったから。



     ※



 屋敷での生活にも、そろそろ慣れ始めてきていた。

 すでに使い慣れたベッドに身体を預け、迅は見るともなく天井を眺めている。

 朝だった。いや、まだ夜と言ったほうがいいかもしれない。

 おそらく地平線から、そろそろ陽が顔を覗かせる頃だとは思う。最近は早起きの習慣が――主に起こしに来る無表情メイドのせいで――定着していたが、それでもここまでの早起きは初めてだった。その日見る最初のものがアルナの顔ではない、という経験に、なにやら新鮮な感覚さえあった。

 それくらい、今の生活に順応しているということだ。

 人間は適応する生き物だ、と言っていたのは誰だっただろう。知らないけれど、実際その通りなのだろうと迅は思う。異世界に来てさえ、結局はその環境に慣れてしまうのだから。

 この世界の服装にも慣れた。異世界の食事も慣れている。気づけば、魔力の流れで周囲を判断するようになっていた。

 それがいいことなのか、それとも悪いことなのか、迅には見当もつかない。

 もっとも、考えようとは思っていない。

 考えるべきことは、ほかにある。


「…………」

 明るみ始めた窓の外を、漫然と眺めながら迅は回想する。

 虹雲亭におけるナナとの邂逅ののち、どうやってウェアルルアの屋敷まで戻ったのか。

 正直なところ、迅はそれをまったく覚えていなかった。

 流れのままに別れて、ふらふらと屋敷まで歩いては行ったのだろう。付き合いの長い冬火はともかく、ネイアにまで「どうしたんだ、ジン。目が死んでいるぞ……?」と心配されたことまでは覚えている。

 あとはとかく呆然としていた。

 それでも次の日には、普段通りの自分じんに戻った。戻ったと、そう周囲を騙すことができた。騙せなかったのは、それこそ冬火くらいのものである。

 だから彼女を避けていたのかもしれない。


 このところの迅が考えていたのは、当然、ナナに告げられた言葉の意味についてだ。

 ――この街から、逃げ出しておいてほしい。

 ナナはそう言っていた。迅は結局それを聞き入れなかったわけだったが、それは別段、残ることを決めたからではない。

 むしろ逆だ。何も決められなかったから、流されるままに日々を過ごしてしまっただけ。

 迅は未だ、何も選択していなかった。何も決意していない。

 だから、あるいは、考えてさえいなかったのだろう。

 この世界に来たことの意味も、ナナに告げられた言葉の意味も。

 迅は、思考を止めていた。


 ――その怠慢は、清算されねばならない。


「――迅っ! 起きてっ!!」

 唐突に、部屋の扉がノックされた。飛び込んできた声は冬火のものだ。

 迅はベッドから起き上がり、部屋の外へと向けて叫ぶ。

「開いてるよ、冬火」

 鍵など閉めようが、朝になればアルナが開けてしまうからだ。許可もなく侵入してくるアルナは、果たしてメイドとして真っ当なのだろうか。迅としては強く疑問だったが、心境的には諦めの境地だ。

 言葉に、冬火が部屋へと入ってくる。その表情は珍しくも焦燥に溢れていて、にもかかわらず、迅はとても落ち着いていた。

 こんな日が来ることを、きっと迅は悟っていたからだ。これまでの怠慢が、一気に迅へとのしかかってくる。

 冬火は少し息を切らせながら、けれど早口に迅へと告げた。

「迅。今すぐ着替えて、私と一緒にこの街を出て」

「……何があったんだ?」

 結論ではなく、その過程を迅は訊ねる。

「魔物が出たの」冬火は答えた。「結界林の内側に、魔物が大量発生してる。自然にはあり得ないことだから、たぶん誰かが、街を襲わせるために魔物を呼び寄せたんだと思う」

「この前の、魔鳥騒ぎの延長だな。犯人はわかってるのか?」

「そこまでは聞いてないけど」

「なるほど。それで?」

「森の結界が、もう持ちそうにない」

「…………」

「このままだと、あと数時間もしない内に結界が破られて、街に魔物が侵入してくるって」

 魔物とは、ただヒトを害するためだけに存在する殺戮のシステムだ。

 ひとたび街へ放たれれば、ルルアートの街は文字通りの地獄に変わるだろう。

「だからそうなる前に、ウェアルルアが騎士団を結界林に派遣して、掃討作戦に出る。でも、時間が足りなすぎる。討ち漏らしが街に入る可能性があるから――」

「住民は避難させる、ってことか。これから街は大騒ぎになるな」

「私も迅も、街の人たちと一緒に避難しろって。ネイアに言われた」

「ああ。よくわかった」

 迅は答えた。つまりはこれが、ナナの言っていた《よくないこと》なのだろう、と。

 わかったと言ったのはそのことだ。


 これは奇襲だった。結界林内部の魔物は、騎士団の見張りに気づかれないほど爆発的に勢力を増し、数時間後には結界から溢れるほどの規模に膨れ上がるという。

 本来、それが人の手に因るものだとは考えづらい。なぜなら魔物を生み出す魔法など、この世には存在しないはずなのだから。

 だが同時に自然現象でもあり得ない以上、何者かの意志が介在していることは否定できないだろう。

 これは間違いなく、ルルアートの街へ対する襲撃である。


「……ああ」と迅は小さく、自嘲するように零していた。

 この期に及んで、今回の襲撃がナナとは無関係であるなどとは、さすがに考えられなかった。

 怪しさで言えば百点満点とさえ言っていい。なにせ彼女は結界林の内部で、何事かの《仕事》に従事していたのだから。あまつさえ街では変装し、人目を逃れるように行動していた。

 ナナは、今回の件と、なんらかの関わりを持っている。

 それもおそらく、かなりよくない(、、、、)形でだ。


 ――どうして気づかなかったのだろう。

 そう考えてから、けれど迅は違うとかぶりを振った。

 違う。迅は気づいていなかったわけじゃない。そんな言葉は嘘だった。

 迅は気づいていた。少なくとも、可能性には思い至っていた。

 ナナが、なんらかの悪事に関わっていると。思いもしなかったなんて絶対に言えない。

 ただそれが今回の襲撃に相当するほど重大な悪事だと、迅は考えたくなかったのだ。どうしても認められなかったから、思い至っていた可能性を無意識に無視していた。

 自分を助けてくれた命の恩人が、凶悪な犯罪者だなんてあり得ない。そうやって、知らない内に思考を凍らせ、可能性から目を背けていた。

 もっと早く迅が気がついていれば。ナナの存在を、ネイアやアルナに伝えていれば。

 こんな襲撃は、未然に防げていたかもしれない。街の人たちを、気のいい騎士たちを、危険に晒したりせずに済んだかもしれない。

 全てが迅の責任だとさえ言える。

 それくらい、ナナは明らかに、あからさますぎるほどに怪しかった――。


「――――あ」


 と、そこで。迅は、ある別の新しい可能性に気がついた。そして一度気がついた思考は、連鎖的にどんどんと次の発想を生み出していく。

 そう、ナナは怪しかった。あからさまに、あからさますぎる(、、)ほどに怪しかった。

 ――それは、けれど矛盾しているのではないだろうか。

 迅は考える。自分がこれから、いったいどんな行動を選択するべきなのかを。

 選択から逃避し続けてきたこれまでの人生に、ここで終わりを告げなければならない。たぶん、ナナと初めて会ったときから、その未来に気がついていたのだ。

 だから彼は冬火に――幼馴染みの少女に告げる。

 この世界において、いや、迅の人生にとってさえ初めての選択を。


「――冬火。悪いけど、俺は避難できない。先にひとりで逃げてくれ」

「……なに、言ってるの」

「だから、残ると言ってる」

「だめ」冬火の声音は透明だった。「そんなの、ぜったい許さない」

 まるで感情を押し殺しているかのような声音。表情からも色が消えている。

 だが迅にも、冬火がそう答えることくらいわかっていた。

 なにせ長い付き合いだ。迅の人生に、冬火がいなかった時期など存在しないというくらいに。

 彼女の言葉は正論だ。迅の意志がどうだという以前に、迅には避難する責任があるとさえ言えた。素人が下手に手を出して、事態を悪化させてはならない。それがわかるくらいには、迅は異世界で戦場に慣れていた。

 だがそれでも、譲れないことは存在する。

 迅にできることは、言葉を尽くして、冬火を説得することだけだ。

「ごめん、冬火」

「謝る必要なんてない。だって一緒に行くんだから」

「一緒には行けない。どうしても、やらなきゃいけないことができたんだ」

「――やらなきゃいけないことって、なに?」

 冬火の声は、もはやはっきりと冷たく、苛烈だった。

 その名が示す通り――まるで冬の火のように。


「私たちがやらなきゃいけないことは、楽を捜して、三人で地球に帰ることだよね?」

「――――」

「ねえ、迅。それを忘れてない? 魔法が使えるようになって舞い上がってたの? この世界に慣れて、元の世界に帰ることなんて、諦めちゃった? 楽のことなんて――忘れたの?」

「……厳しいこと言うね、冬火。そう見えるかな」

「見えるとは言わない。でも、違うなら態度でそう教えてほしい」

 冬火の言葉は、迅に対する痛烈な批判だった。迅には返す言葉もない。

 けれど、だからと言って言葉を尽くさないのは、冬火に対する甘えだろう。

 迅にとって、冬火と楽は家族だ。迅がその枠に入れるのは、二人を除けば施設の先生ただ一人くらいだ。

 だがいくら家族でも、言葉にしなければ伝わらないことはある。何も言わなくても気持ちが通じ合うなんて、そんな言葉はおためごかしの幻想だ。それは相手のことなどまるで斟酌していない、単なる甘えでしかないのだから。

 感情論で訴えても、冬火の気持ちを動かすことなんてできない。

 迅は冬火を知っている。誰より知っているという自信がある。冬火を動かす言葉があるのなら、それはあくまで理屈によるものだけだと、迅には初めからわかっていた。

 だから、迅は言う。

「――地球に帰る方法のヒントが、あの森の中にあるとしたら、どうだろう」

「……どういうこと?」

 首を傾げる冬火に、迅は脳をフル回転させて返答を練り続けていた。

 迅の中に、何か明確な考えがあるわけではないのだ。必死に頭を働かせて、理屈を見出していく。

 ヒントは持っているはずだった。

 ならば、あとは推論を組み立てていくだけ。

「あの森に、いきなり魔物が現れたって言ってたよね」

「言ったけど。それが?」

「これまでいなかったはずの魔物が、どこからともなく現れた」

「…………」

「今までいなかったのなら、それはどこか別の場所から来たと考えるのが自然だと思う。でも普通に移動して来たんなら、誰かがそれに気づかないはずがない。森の魔物はほとんど一晩のうちに増えたんだ。それって――」

 それがどういうことなのか。

 迅には、もう、わかるはずだった。


「――それってさ。まるで、瞬間移動でもしてきたみたいじゃないか?」


「……まさか」

 息を呑む冬火に、迅は重ねるように推論を続けた。

「最初に俺、アルナに訊いたんだよ。どこか遠くに一瞬で移動するような魔法はないのか、って」

「それは、私もネイアに訊いたことがある。だから知ってるけど――」

「そう。ない(、、)んだよね、そんな魔法は。この世界に瞬間移動の魔法なんて、存在していない。少なくとも有色ゆうしき魔法には」

 有色魔法――すなわち属性魔法では、人間を瞬間移動させることなど基本的にはまず不可能だ。

 ならばその効果は、有色ぞくせい魔法とは異なるもうひとつの魔法技術――すなわち無色むしき魔法にこそ求められるものだ。


 そもそも魔法使いが属性に頼るのは、魔力という架空元素を魔力のまま外界へ放出することが極端に難しいからである。自然の魔力がヒトにとって毒であるように、ヒトの持つ魔力は世界にとって毒なのだ。だから世界はまるで代謝をするように、ヒトの魔力を消し去ってしまう。魔力に自然の属性いろを籠めるのは、少しでも長く外界に魔力が存在できるようにするための、いわば苦肉の策と言えた。

 だが世界には魔力を無色のまま、つまり属性に当て嵌めることなく存在させる技術も存在している。

 それが無色魔法だ。

 この場合、無色魔法は理論上あらゆる不可思議を可能にするとされる。とはいえそれはあくまでも理論上であり、実際には難易度が高すぎたり、そもそも術式が不明だったりと万能には程遠い。

 遥かふるい時代には、さまざまな効果の無色魔法が存在していたという。現代の魔法とは比べ物にならない奇跡が、当然のように行使されていた自体があると。だが、その技術は今や大半が喪われていた。

 現存する無色魔法はごくわずかだ。そして空間転移は、無色魔法の中でも《喪失術式》――すなわち現代では失われた、不可能魔法のひとつに数えられている。

 とはいえ。魔法は、あくまで魔法だ。すなわち個人の資質に左右される。

 不可能とされていた喪失術式を、ある一人の天才が再現する――という例は、少ないが確かに存在しているのだ。


「今回の事件の犯人は、何かそういった、空間に関係する無色魔法の技術を持っている可能性がある。それは俺たちが地球へ戻るために、必要な情報じゃないか?」

 迅は言った。言い切ってからようやく、そんな可能性があるのか、と気づいたようなものだった。

 口からでまかせを述べたわけではなかったが、口から出るに任せていたのは事実だ。それが、意外な形で推論を完成させたと迅は思った。

 だが冬火は言う。

「話はわかった」

「なら――」

「でもそれだけなら、あとでネイアにでも話を聞けば済むことでしょ」

 にべもない、というか取りつく島もない。

 だが正論ではあった。冬火は続ける。

「はっきり言ってよ、ジン。何か他に、理由があるんでしょ。街に残りたいっていう、理由が」

「嘘はついてないけどね」

「でも、本当のことも言ってない」

「……なんだ。やっぱり、ばれてたのか」

「当たり前。何年の付き合いだと思ってんの」

「確かに」

 迅は苦笑して、冬火は笑わなかった。

 ただ、まっすぐに迅へ言う。

「あの森で会ったっていう、《親切なヒト》とやらが関係してるの?」

「……な、なんでそう思うんだ?」

「勘よ」

「勘て」

「女の勘」

「……そりゃ怖い」

「どうなのよ」

「そうだよ」

 そう言って迅は肩を揺らした。

 ここまで筒抜けとは、いささか間抜けすぎると自嘲しながら。

「あの森で、俺は命を助けてもらった。その恩を返したい」

「……そもそも、この時期にあの森の中にヒトがいた、って事実が胡散臭すぎるんだけど。そこんとこどうなの」

「いや、同感。今回の事件に、なんらかの形で関わってるんだろうとは思う」

「怪しすぎでしょ。ていうか十中八九、犯人じゃない。それでも、恩を返すっていうの?」

「ああ。俺が助けてもらったことと、そのことは何も関係がない」

 それに――それ以上に。

 迅は思う。

「前言を撤回するようだけど、俺はアイツが犯人だとはどうしても思えないんだ」

「……思いたくないだけじゃないの?」

「いや」迅は首を振った。「根拠はあるさ」

「それは?」

「今、俺がこうして生きてることだよ」

 自信満々に断言したそう迅へ、冬火は怪訝な表情を浮かべた。

 だが実際、それは重大な要素のひとつだ。無視することはできない。

「だって、今回の事件は奇襲(、、)だろ。要するに秘密じゃないと意味がない。もし仮にあの森をウェアルルアに調べられたら、その時点でこの襲撃は実行前に頓挫していた。犯人がどうして魔物なんて呼び出したのかは見当もつかないけど、少なくとも、あの森に人がいるという事実は、犯人なら絶対に隠さなきゃいけないことのはずなんだ。もし犯人が森で俺を見つけたら、いったいどうするはずだと思う?」

「……殺されてた、って言いたいの?」

「状況的には、魔法も使えないガキが独り、自分から迷い込んで来たってところだろ。向こうからすれば、そんな奴は殺してしまうのがいちばん手っ取り早いはずだと思う。まさか街に魔物の大群を解き放とうなんて考える連中が、俺一人殺す程度のことに躊躇するとは思えないし。まして周りは魔物だらけの結界林だ。普通なら、魔物に襲われたと考えるだろうし。俺が森で死んだところで、誰も気づくはずがないんだ」

 それは――その事実は、ナナの行動と矛盾する。

 彼女は自らの命を危険に晒してまで、迅を助けてくれたのだから。

 何より、そもそも迅にウェアルルア家を頼るよう言ったのは、ほかならぬナナ本人だ。一応の口止めはされていたにせよ、そんな軽い口約束がどこまで効力を持つかは怪しいものだ。迅の口から、ウェアルルアに情報が伝わる可能性は多分にあった。

 それは、襲撃犯の視点から見れば、なんとしてでも避けたいことのはずだ。


「正直に言うよ」

 迅は薄く微笑んで言う。照れ隠しのようなものだった。

 誰より冬火にそのことを告げるのが、なんだかとても気恥ずかしい。

 それでも、伝えないわけには、いかなかった。

「俺は、あいつが何をしているのか知りたい。もし犯人なら止めたいと思うし、そうじゃないなら……たとえば何かの事情があって、犯人に無理やり協力を迫られているなら、助けたいと思う」

「……それは」冬火は言う。「楽を捜すより優先してやるべきことなの?」

「どちらが優先か、なんて話じゃないよ」迅は答えた。「俺にとっては、どっちも大事なことだから」

 告げて、そして迅は口を閉じた。費やすべき言葉は、もう費やしたと考えていた。

 これで駄目なら、そのときは――もう言葉ではどうしようもない。

 やがて、冬火が小さく溜息を零した。

 その相貌に浮かんでいるのは、呆れを色濃く浮かべた表情だ。

「選んだんだ、迅。ようやく、今になって」

「……ああ。選んだよ。遅いとは俺も思うけど、まあ、まだ取り返しはつくと思う」

 気恥ずかしさに苦笑する迅を、冬火は冷めた視線でめる。

「……その恩人ってさ」

「ん……?」

「女の子でしょ」

 思わず両目を見開いた。

「――――。それも、女の勘ってヤツで?」

「勘じゃなくてもわかるわよ」冬火はわずかに肩を揺らした。「迅のことで、私にわからないことなんてない」

「それは……むしろ勘より怖いな」

「で、どうなの」

 淡々と訊ねる冬火だった。本当に恐ろしい。

 迅は、それまで冬火へまっすぐ向けていた視線を、ふっと横に逸らして答える。

「……まあ、そうだけど」

 小声だった。冬火の追及は続く。

「可愛いの?」

「……そう思うけど。いやでも、だから助」けに行くわけじゃない、

 と続けようとした迅を、遮って冬火はさらに言う。


「要するに、それ、惚れた女の子を助けに行きたいってことなんでしょ?」


「……いや違うよ。そんなんじゃない」

「どうだか。てか、なに今さら一丁前に照れてるのよ。好きなら好きって言えばいいでしょ、男らしく」

「待て。なんでもそうやって、俗っぽい理由に繋げるなよ。俺は、そう、なんていうか……つまり悪を許せないという正義の心でだな」

「もういいうるさい聞きたくない黙れ気持ち悪い」

「……………………」

 棒読みで早口な冬火の罵倒は、迅の心をそれなりに抉っていた。

 思わず黙り込む迅に、冬火がふっと、肩の力を抜いて言う。

「……別に、助けに行っちゃ駄目なんて、最初から言ってないんだけどな」

「え?」思わず目を点にする迅だ。「いや、さっきはぜったい許さないって……」

「ひとりで行くとか言うから怒ったの。この世界に慣れすぎて、そんなこともわからなくなったの?」

 冬火の口調は、もう普段のそれに戻っていた。

 つまり、出来の悪い弟をたしなめる、姉のそれに似た口調だ。

「行くなら私も一緒に行く。それなら別に、どこ行こうが構いやしないわよ。勝手についてくだけだから」

「……そ、」

「それは駄目とか言ったら本気で殴る」

 迅は一瞬で黙った。殴られては堪らない。

 冬火は続ける。

「まったく、どうして迅は『手伝って』って言わないかな。初めから素直にそう言ってれば、こんなに長い話する必要なんてなかったのに」

「いやでも、」

「私だってネイアたちを手伝いたいとは思ってる。お世話になった街を見捨てて、自分だけ逃げたいなんて思ってない。でも迅が逃げるほうを選ぶなら、それについて行くのが私の仕事だと思っただけ」

「だからって、」

「だいたい、私のほうが迅よりずっと強いし。私だってこの二か月、ずっと魔法の訓練はしてたんだから。半月かそこらの迅より、遥かにネイアたちの役に立てるから」

「そうだけど、」

「言っておくけど、迅がずっと黙ってたのが悪いんだからね。恩を返す相手は、なにもその――誰だっけ」

「……ナナ」

「そのナナさんだけじゃないでしょ。ネイアにも、ティグエルさんにも、おじさんにも、アルナさんにも――この街のみんなに、私たちはずっと助けてもらってきた。なら、その恩くらい、ここで返しておかなくてどうするの」

「それは、まあ、そうだけど……」

「ああもう、うるさいな! いちいち私に口答えすんな、このバカ迅!」

 ついに冬火が吠えた。というより爆発した。

 彼女は迅の目の前まで歩み寄ると、その服を掴んで捻り上げるようにして顔を近づける。

「残るのか逃げるのか、どっち!」

「の、残ります」

「そう決めたんなら、さっさとネイアのとこ行って残るって伝えてこい、このバカ迅!」

 言うなり、冬火は迅を突き飛ばし、その上で部屋の外へと向けて迅の尻を蹴り飛ばした。

 まるでガラの悪いヤンキーにでも捕まったかのように、迅は「ひい!?」と悲鳴を上げながら、部屋の外へとふらふら向かう。

「ど、どうしたんすか、冬火さん。なんかいつになく怖いんですけど」

「ああ?」

「いやなんでもないですごめんなさい伝えてきます」

「いいからはよ行けバカ!」

「はい今すぐにっ!」

 迅はほとんど逃げ出すように、部屋を出て廊下を走っていく。

 その姿を見送って、足音が遠ざかるのを確認してから。冬火は小さく、か細く、言葉を漏らす。


「――迅の、ばーか」


 そして冬火も、迅を追って部屋を飛び出した。



     ※



 追いついてきた冬火と一緒に、迅はウェアルルアの屋敷を駆け下りた。

 周囲はざわついている。何度か見かけた騎士たちが、慌ただしく屋敷中を行き交っていた。

 それが戦争の前準備だとわかるから、迅の緊張を否応なく高まっていく。

 ――残ると言ったはいいものの、その選択は本当に正しいのだろうか。

 あれだけのことを冬火に言っておきながら、それでもまだ不安に思う自分の心が、迅にはもはや憎らしいくらいだ。自分はこんなにも優柔不断な性格だっただろうか。

 異世界に来る前の自分は、冬火と楽以外の存在を、ほとんどどうでもいいとさえ考えていた。

 彼の世界は三人だけで完結していた。あの養護施設の関係者がギリギリ含まれるくらいで、ほかの世界を迅は知ろうとさえしていなかった。狭い殻に閉じ籠った、排他的なクソガキだ。

 それがこの世界に飛ばされて、認識できる範囲が大いに広がってしまった。

 その変化に迅は戸惑っていたのだ。

 手の届く範囲が広がって、迅の選択肢は数を増した。だが、届くからといって手を伸ばすのが本当に正しいことなのか。今まで何もかもを無視し続けてきた自分が、正しい選択肢に辿り着けているのか。

 それが、迅にはわからないのだ。

 自分が強くなったのか、それとも弱くなったのか。それが迅にはわからない。

 だがだからこそ、その答えを、迅は自分を変えた張本人である、あの白髪の少女に求めているのかもしれない。

 元より、半ば勢いのままという部分は否めないにせよ、迅は初めて違う世界へと――冬火と楽に関わらない世界へと手を伸ばしたのだ。その道を、もう選択してしまっている。

 立ち止まるわけには、いかなかった。

 この十日間、ずっと止めてきた自分の思考を、今になってようやく再起動させながら迅は走る。

 その先で、迅は二人の人影と遭遇した。


「――ジン様」その片方が言う。

 この街で、迅に敬称をつける人間はただひとり。無表情メイドのアルナだけだった。

 こんな状況にもかかわらず、彼女は普段通りの無表情で迅に問う。

「そんなに血相を変えて、いったいどうされたんですか」

 普段と変わりない彼女に迅は苦笑する。

 と、アルナの隣に立っていた、ひとりの男が口を開く。

 見覚えのない男だった。

「こいつらか?」

 言葉のほとんどを省略したその問いに、アルナが恭しく首肯して答える。

「はい、レイリ様。ジン様とトウカ様です」

「――なるほどな」男は頷くと、その視線を迅と冬火に向けた。

 この異世界では、珍しい風貌の男だった。

 黒い髪に、黒い瞳――地球では珍しくもない色だが、この異世界で見るのは初めてだ。

 細身で、目つきの悪い男だった。かけている眼鏡はその印象を和らげる効果を持っておらず、むしろより冷淡な印象を強めていた。

 年齢は、迅たちよりも少し上――二十歳前後といったところか。いかにも魔法使い然としたローブを着込んでいる。その飾りは意匠に凝っていて、おそらくだが、かなり高価な装いだろうと迅は判断した。

 黒髪の男は言う。

「逃げるなら早く準備をしておいたほうがいい。誘導に割ける人員も少ないからな」

「……えっと」

「アルナに魔法を習っているんだったな。話は聞いてる。最低限、自分の身くらいは守れるだろう。悪いが、逃げるなら自力で頼む」

「ちょ――ちょっと待ってください!」

「ん、なんだ?」

 話のいちいちが端的な男だった。ただ言葉遣いの割に、口調はどこか柔らかだ。

 異世界人には変わり者が多い、などと迅は思いつつも言う。

「えっと、ネイアがどこにいるか知ってますか?」

 黒髪の男というよりは、むしろアルナに向けた問いだった。

 だが答えたのは男のほうが。

「姫は忙しい。言わなくてもわかると思うが。何か伝言があるなら聞くが?」

 先に、伝えるべきことを言ったほうがいいと思った。

 迅は言う。

「あの森の中には、金狼がいます」

「……何?」

「しかも、たぶん複数です。普通に行ったんじゃ返り討ちに、」

「――なぜそんなことを知っている?」

 男の細い目が、さらにすっと細まった。口調が纏う、冷気にも似た雰囲気が増している。

 だが、その程度で躊躇っていられる場合じゃない。これくらいなら、まだ、冬火のほうが恐ろしい。

「中に入ったからです。俺は無色の迷子で、初めに気がついたとき、森の中に――」

「――そうか。状況が変わったな」男はやはり端的だった。「ちっ。アイツ(、、、)を先行させたのは失敗だったかもしれない。どう思う、アルナ」

()なら問題はないでしょう。少なくとも、自分から金狼に向かっていくほど間抜けではないと思いますが」

「そうか。ならアルナ、巫女と騎士殿のところに行くぞ。お前らもついて来てくれ。説明してもらう」

「――いや、その必要はないよ」

 と、そのとき通路の奥側から、タイミングよく姿を現した少女がいた。

 ネイアリア=ウェアルルアである。


「……姫。いいんですか、こんなところで油を売っていて」

 訊ねた男に、ネイアは肩を揺らして笑う。

「ジンとトウカを捜していてね。まあ、今のところ私がすることもないさ」

 ――それより。

 と、ネイアは迅に顔を向ける。

「話は聞いていた。ジン、その話は確かだね?」

「あ――ああ。黙っていて悪かった」

「いや、仕方ないさ。君はその情報が持つ価値を知らなかった。むしろありがたい。いきなり行って金狼に出くわしては、最悪の事態も考えられたからね。千金に値する情報だよ。君には助けられてばかりだね、ジン」

「やはり別動隊を組む必要がありそうですね」

 と、これは黒髪が言った。ネイアは頷き、

「うん。神獣級に当たるなら質より量だ。だが金狼と戦える人間となると、我が家には今、ティグと私くらいしかいない」

「ですが、姫と騎士殿を本隊から外すわけにはいかないでしょう。――俺とアルナで当たります」

「悪いね。頼めるかな」

「これも契約の内ですからね。報酬分の働きくらいは」

 とんとん拍子に進んでいく話。迅が入り込める隙がなかった。

 と、背後から迅に耳打ちする声がある。冬火だ。

「……話、わかってる?」

「いや、あんまり」

「要するに、魔物を討伐する本隊とは別に、首謀者を捜す別動隊を組むってことでしょ。魔物を抑えるだけじゃ対症療法にしかならない。元を叩かないと」

「なるほどね。さすが冬火、わかりやすい」

「そういうのいいから。それより――」

「わかってる」

 頷き、迅は目の前の三人に向かって告げる。

 ある意味で、ここが正念場だった。

「あの。俺たちも同行させてください」

「な――何を言ってる、ジン」ネイアが目を見開いて言う。「そんな危険な真似をさせるわけには――」

 だが、その言葉を遮るように口を開く人間がいた。

 黒髪の青年――レイリと呼ばれていた男だ。

「それ、意味がわかって言ってるのか? 悪いが金狼相手に、お前らを気遣っている余裕はない」

「……わかってるつもりです。足手纏いにはなりません。でも、どうしても行かなきゃいけない理由があるんです」

「アルナ」と、レイリは顔を向けずにメイドへ問う。「使えるのかね、こいつらは」

「経験が絶対的に足りていません」アルナは淡々と、ただ事実だけを答えた。「ですが、才能には見るところがあると思います。少なくとも、ほかの魔法使いを連れて行くよりは、出力の面で役に立つでしょう。彼らの《扉》は、かなり大きいですから」

「ならいい」

 レイリはあっさりと頷いて言った。

 迅は少し驚きながらも、

「いいんですか、ついて行っても」

「人手が足りなくてな。役に立つなら、それでいいさ」

「――ま、待ってくれレイリさん。彼らは――」

 早々に結論づけたレイリを、それでもネイアは止めようとする。

 だがレイリは取り合わず、ただ端的にこう告げた。

「意思と実力はある。なら問題ないでしょう。命の責任を負うのは、あくまで本人だけです、巫女姫」

「…………わかった」

 言葉に、何かを思い出したのか。ネイアは目を閉じて、それからゆっくりと頷いた。

「二人をお願いする」

「仕方ありませんからね。ウェアルルアは今、そういう時期(、、、、、、)です」

「言い訳にはならないよ」

「その通りです。だから、俺たちが呼ばれた」

 それだけ言うと、レイリは迅へと振り返った。

 意志の強そうな瞳が、迅の顔をまっすぐに見据えている。

「レイリ=ペインフォート。歴史家だ」

「れ、歴史家……? 魔法使いじゃなくて、ですか」

「歴史家だよ。ああ、それとも、アルナの主人だ、と言ったほうが伝わりやすかったか?」

「……いえ。ジン=アケホシです」

 名乗り、迅は頭を下げた。冬火も続けて「トウカ=アオヤマです」と名乗る。

 レイリは無感動に――どこかアルナに似て、けれど確実に違う雰囲気で――頷いて、それからふと口角を歪めて言った。

「知っている。お前たちが思うより、よほどな」

「は……?」

「いや、今は関係のない話だ。それより時間がない。話は移動しながらだな」

 告げると同時、レイリは踵を返して歩いていく。すぐ後ろにはアルナが付き従っていて、迅は反応が遅れていた。

 慌ててついて行こうとする迅に、ふと、横合いからネイアが声をかけた。

「……ジン、トウカ。ありがとう」

「いや、俺にもまあ、都合があってさ」

「それでも。君たち二人が、街のために戦ってくれることに変わりはない」

「…………」

「死なないでほしい。どうか――それだけは」

 迅は答えず、レイリのあとを追って走った。

 背中に感じるネイアの視線を、進む原動力に変えながら。

 その背を見送るネイアが、ぽつりと小さく、言葉を漏らしていた。


「――やはり、彼らがそう(、、)なのかな」


 その言葉は屋敷の慌ただしさに融けて、誰の耳にも届かない。

 ともあれ、こうして明星迅と青山冬火は、この世界に訪れて初めて、自らの意志で戦場へと足を進めていく。

 彼らは、戦う道を選んだのだった。

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