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1-10『思いの交差』

 ――夢を見ていた。

 明晰夢、というのだったか。それが夢であるということが、迅にははっきりとわかっていた。

 それは明星迅という名の人間の、過去をなぞる夢だった。

 夢の中には自分がいて、それが幼い頃の記憶であると確かにわかるのに、見える景色は俯瞰のそれだ。

 だから自力で夢から醒めることはできなかったし、幼い自分の行動を、俯瞰で見ている今の自分の意識で操ることも不可能だ。できるのは、ただそれを眺めていることだけ。

 けれど、決して不快ではなかった。


 まだ小学校にも上がらない時分、迅はとある施設にいた。

 児童養護施設。いわゆる孤児院と呼ばれる場所だ。

 親のない子どもたちが――早くに両親を亡くしたとか、虐待から親元を離されたとか――その理由は様々ながらも、身寄りのない子どもたちが肩を寄せ合って生きる最後の砦。そんなところに迅はいた。

 棄て子だった。


 物心のつく頃には、迅はすでにその施設にいた。

《迅》という名と、大量の現金。ただそれらだけと一緒に、施設の前に棄てられていたのだという。

 明星、という姓は、施設の責任者から貰ったものだ。迅を棄てた親は、命と名前と金銭以外、迅には何ひとつ遺さなかったのだ。なんの手がかりもない以上、迅はその施設で育てられる他なかった。

 金銭的な事情から遺棄されたのでないことは、遺された大量の財産から明白だ。

 要するに、ただ自分は不要だったのだろう、と迅は単純に納得した。そのことを、悲しいとも悔しいとも迅は思わない。なんの感慨もなかった。名も知らぬ両親が迅を要らないだと思ったように、迅もまた両親を必要とは思えなかったからだ。

 強がりや反骨心とは違う。施設の世界しか知らない迅にとって、親がいないことなど当たり前以外の何物でもなかったのだ。生きていくのに必要十分なだけの財産が遺されているだけ、むしろ幸運な部類であるとさえ言える。最低限の援助は国から支給されるけれど、迅だけは、初めからそれ以上のモノを持っていたのだから。助成がなくても、大学くらいまでは出られるだけのお金が迅には用意されていた。

 当たり前のことである以上、そのことに幸不幸を感じたりはしない。

 迅はむしろ恵まれている部類であるとさえ言えた。

 施設の職員は優しいし、親がいないからと学校で浮くことも特になかった。施設には仲間も多くいたし、だから寂しさなんて、迅はちっとも感じなかった。


 ただ、ひとつ。迅は重大な問題を抱えていた。

 正確には迅ではなく、施設の大人たちが抱えていた問題なのかもしれなかったが。

 ともあれ、それが迅にとっても大きな問題であったことは事実だ。

 というのも、迅のいた施設でただ二人の同年代だった子ども。

 青山冬火と結崎楽。

 そこに迅を加えた三人が、施設において目下のところ、最大の問題児だったということだ。

 その評価は、迅にとってあまり嬉しいものではなかった。自分を引き取ってくれた施設の《せんせい》たちに、迷惑をかけることなど迅の望みではなかったからだ。

 実際、三人が個々でいる内には問題がない。それぞれ年の割に聞き分けのある、物わかりのいい子どもたちだというのが施設の職員から見た評価だった。

 ただ、ひとたび三人揃うと、途端に最悪の問題児に変わってしまう。

 なぜなら。


 ――三人は、途轍もなく仲が悪かったのだ。



     ※



「――――、っ」

 閉じた瞼の向こうから滲むような光を感じて、明星迅は目を覚ました。

 途端、全身を強い痛みに襲われ、思わず迅は呻きを上げる。

「ぐ……ぅ」

 鈍く、それでいて激しい痛みの波。

 それを抑え込むようにして、迅は仰向けに寝転んでいた自分の上体を起こす。

 そこは白い部屋だった。

 といっても、あの異世の転移のときに見た、ただ真っ白なだけの不思議空間というわけではない。

 たとえるなら、それは病室といった風情の部屋だ。

 地球の病院にあるような、リノリウムの無機質な病室とは違う。板敷きの床と白い壁。清潔感に溢れていながら、どこか暖かみを感じるような。そんな、落ち着きのある空間だ。

「ここは……?」

 見慣れない空間に、周囲へ視線を這わせる迅。

 そんな彼の耳に、ふと少女の声が届いた。

「――ん。ようやくお目覚めかい、ジン」

「ネイア……?」

「そうだよ。どうした、まだ寝惚けているのかい?」

 声の方向へゆっくりと首を向けた迅。その目に映る、柔らかな笑みの少女。

 水色の髪をなびかせる、ルルアートの姫の姿がそこにはあった。


「……ああ、そっか。倒れたんだっけ、俺」

 思い出すのは、あの魔鳥との戦いの記憶だった。

 自分が倒れた原因はわかっている。慣れない魔法の反動で、肉体に強い負荷が掛かったのだ。

 おそらくは、そこをネイアに助けてもらったということなのだろう。

「ごめん、ネイア。迷惑かけたみたいだ」

 頭を下げる迅。助けるつもりが、逆に助けられていては世話がない。

 そんな迅の反応にネイアは苦笑し、

「ジンは、どうやら背負い込むタイプみたいだね」

「……なんだよ、いきなり。精神分析でもするつもりか?」

「そんなつもりはないけれど。うん、でも、そうだね。ここはできれば、謝罪よりも感謝が欲しいところだとは思うよ」

「……わかったよ。ありがとう」

 お手上げだ、とばかりに迅は諸手を挙げた。

 そして、そこで気づく。

「……あれ。腕……」

 折れたはずの右腕が、違和感なく動かせる。

 首を傾げる迅に、その答えをネイアが返した。

「治ってるよ」

「……これも魔法で?」

「ああ。本来、私は攻撃よりも治癒の魔法が本領でね」

「ネイアが治してくれたんだ?」

「心配しなくても治療費なんて取らないよ。名誉の負傷だ。騎士ならば、誇るところだよ」

「……生憎だけど、俺は騎士って柄じゃないさ」

 そんな風に嘯いてから、迅は改めて周囲の様子を窺った。

 白い、医務室じみた狭い部屋。周囲の棚には包帯や薬品らしきものが置かれていて、どうやらここが病院に準ずる場所であることは察することができる。


「さて。あれからどうなったのか、よければ私が説明しようか」

 と、ネイアが言った。

 それは迅も気になっていた部分だ。聞けるというなら、断る理由はない。

 お願いするよ、と頭を下げた迅に、うん、とネイアが頷いて答える。

「まず現状。日付で言うと、あれから二日が経っている」

「二日!? 俺、そんなに寝てたの?」

 驚く迅に、ネイアは淡々と首肯する。

「ああ。身体の傷はともかく、魔力の暴走が酷かった。本当に、一時期は生死の境すら彷徨ったレベルだったからね」

「……そこまでだったのか……」

「まあ幸い、我がルルアートの騎士たちは医療班も優秀だ。峠はすぐに越したけれどね」

「……ご迷惑をお掛けしまして」

「本当だよ」ネイアはまっすぐ、迅の瞳を見据えて言う。「本当に――心配した」

「……ごめん」

「謝ってもらう必要はない。私たちの不甲斐なさが招いた事態だからね。謝罪すべきは、むしろこちらだ」

 重苦しくネイアが視線を落とす。だが迅としては背中が痒くなるような思いだ。

 勝手に首を突っ込んで、結果これだけの迷惑をかけてしまったのだから。

 本当に、なんと謝ればいいのかわからない。


「だが本当に、どうしてこんな暴走をしたんだ、ジンは?」

 ネイアが訊ねてくる。

 その問いの意味が瞬時にわからず、首を傾げる迅にネイアは重ねる。

「普通、魔法を使ったくらいで、このような暴走は起こさない。迅が倒れたときは、だから本当に驚いたんだ」

「……そう言われてもなあ」

「なら迅も、わかっていて魔法を使ったわけじゃないのか?」

「いや、さすがにこうなるとわかってたら、魔法なんて絶対に使わないよ……」

 首を振る迅だったが、ネイアはまったく信用していない様子だった。

 なんだか違う方向の信頼を得てしまったと思う迅だが、今は弁解している暇もない。

 代わりに訊ねた。

「ネイアにも、俺がどうして倒れたのかわからないの?」

「倒れた理由自体はわかる。簡単に言えば、魔力の枯渇と反動が原因だな」

「……ごめん。ちょっと詳しく説明してくれると助かる」

「…………」

 迅の言葉に、ネイアは不審そうな視線を向けてきたが、結局は何も言わずに説明を続けた。

「まず魔力の枯渇だが、これは言うまでもないだろう。体内の魔力を使い過ぎたんだ」

「使い過ぎると、やっぱりまずいのか?」

「当然だろう。魔力とは生命の根源を為すエネルギーだ。それがなくなれば当然、生命の維持にも影響が出る」

「うわ……危な」

「とはいえ」と、そこでネイアは一度言葉を切り。「それだけで、吐血するほど身体を壊したりはしない」

「…………」

「魔力というものは厄介でね。生命の根源エネルギーでありながら、同時にヒトには毒でもあるんだ」

「毒……」

 それは確か、ナナからも聞いた言葉だった。

「強力な魔法は、その行使者にも大きな反動をもたらす。ましてあの魔鳥の驚異的な防御力を貫くほどの出力となると……下手な魔法を使っては、精神にも肉体にも大きな影響があるだろう。――君は、魔法を覚えてどれくらいになる?」

「数日くらいだけど……」

 その返答にネイアは大きく目を見開いたが、すぐ「なるほど」と小さく首肯した。

 迅は視線だけでその意味を問う。ナナは口を開き、

「原因は、おそらくそこだろう。普通、覚えたての魔法は出力が低い。出力は練度とともに上げるものだ」

 だが、とネイアは小さく呟く。

「だが君の出力は大きすぎた。覚えたての、制御のなってない魔法を、ただ出力の大きさに任せて発したことが、君自身を傷つけた原因だろうな」

「出力が……大きすぎる」

「はっきり言ってこれは異常だ。おそらくは生まれつきの体質なのだろうが、普通はこうはならない。――たとえ話をしよう。水の張られた桶を思い浮かべてくれ」

 言われ、迅は木桶を想像した。

 風呂場で使うような、水の張られた小さな桶だ。

「桶は魔力の容量で、貯められた水が魔力だ。普通の魔法使いは、その水を必要な分、手で掬うようにして魔法を使う」

 最低限、必要なだけの魔力みずだけを出す。

 それが本来、当たり前の使い方だ。

「だが君は違う。たとえるなら、君は桶の底に大きな穴を開けて、それを手で押さえているようなものだ。魔力を使うときは手をどかして、桶から零れ出た魔力を魔法に変えている。なるほど、ならば確かに出力は出せるだろう。だが、それではすぐに魔力が空になってしまう」

 それは両刃の剣だった。

 手で掬えるだけの水では、あの魔物の防御力を突破できなかっただろう。

 だが鋭すぎる刃は自らをも傷つける。鞘もなく、下手な練度で魔力つるぎを振り回したことが、迅の気絶の原因だったというわけだ。


「……要するに、俺には魔法の才能がない、ってことか?」

「そうは言わないさ」ネイアは首を振る。「実際、君は覚えたての魔法をすぐに使うことができた。少なくとも、魔力を扱う感覚には鋭敏なものがあると言っていい」

「なら――」

「だが大きすぎる出力を絞るのは、これは並大抵ではいかないだろうな。もし君がそのすべを覚えることができるのなら、君はひとかどの魔法使いになれる。だが、もし出力を絞ることができない体質なら――」

 魔法を、自爆技としてしか扱えないのなら。


「――ジンは決して、魔法使いにはなれないだろう」



     ※



 その言葉を、果たしてどう受け止めるべきなのか。それを考える暇は、しかし存在していなかった。

 突如として、勢いよく部屋の扉が開けられる。

 その奥から姿を現したのは、


「――迅! 大丈夫なの!?」


 焦りを色濃く表情に浮かべた幼馴染み――青山冬火だった。

 なぜここに、と慌てる暇もなく。

 硬直した迅の身体に、冬火が思いっ切り突進してきた。

「迅!」

「ぐ、は……っ!?」

 ベッドで上体を起こす迅に、勢いよく突撃してきた冬火。

 その衝撃は迅の腹部から全身に伝わり、まだ癒えきっていない彼の肉体を震わせる。

 迅の身体を抱き留めて、その傷を探る冬火の腕。

 それが全身の痛覚を刺激してやまない。

「うあ……」

「迅! 魔物と戦ったって本当なの!?」

「ぎえ……」

「どうしてそう無茶苦茶なことばっかりするかな、いつもいつも! ちょっと、聞いてるわけ?」

「…………」

 もはや答える気力すら消し飛んだ迅。

 それを見かねて、さすがにネイアが口を開いた。

「……トウカ。トウカ?」

「え? あ、ネイア。ありがと、連絡してくれて」

「いや、それは構わないのだが……」

「うん……?」

「……そのままだと、ジンが死んでしまう」

「あ」

 と呟いた冬火からようやく解放され、迅はひと心地をついた。

 締め付けられていた体が自由を取り戻し、どこか晴れ晴れしい気分ですらある。


「……冬火。殺す気か……」

「ああ、ごめんごめん。ついね」

「……つい、で怪我人を攻撃するのはやめてくれ……」

「でも迅が悪い」

「あ――?」

 悪びれない冬火の言葉に、迅はその顔を彼女に向けた。

 そして、

「――――…………」

 不覚にも、言葉に詰まった。

 見てしまったからだ。

 彼女の瞳に、うっすらと涙が浮かんでいることを。

 途端、罰の悪い思いが迅を苛んだ。


「心配した」

 まっすぐに、冬火が言う。

「……うん」

「魔物と戦って、しかも倒れたって聞いて。慌てて来てみればぜんぜん目を覚まさないし」

「うん」

「本当に、死んじゃったかと思った」

「……ごめん」

「嫌。許さない」

 未だに、楽がどこにいるのかはわからない。

 そんな中で、迅を失うかもしれない、という想像がどれだけ冬火を苦しめただろう。

 それがわからないほど、迅も鈍感ではいられなかった。

「馬鹿。死にたがり。カッコつけ」

 迅の胸に顔を埋めて、子どものように冬火は罵倒を繰り返す。

 その反応の由来を知っている迅には、ただ謝り続けることしかできない。

 ――ネイアめ。だから、冬火には知らせないでくれと言ったのに。

 そんな反発もあったのだが、さすがに言葉にはできなかった。

 今の迅にできるのは、ただ頭を下げ続けることだけだ。


「……悪かったよ」

「鈍感。考えなし。独り善がり」

「悪かったって。もうしないから」

「犯罪者。鬼畜。人殺し」

「そこまで言われる筋合いはないよ!?」

 さすがに叫んだ。

 ――冬火め、反論できないからって罵倒し放題か。

 思わずジトっとした目を向けた迅に、冬火はようやく顔を起こした。

 ただ、その表情に安堵の笑顔が浮かんでいた。

 それを確認できたのなら、まあ、罵倒された甲斐もあるものだ。

 そう迅は思った。

 ただそれを態度には出さず、代わりに冬火を起き上がらせるように押して、

「ほら、そろそろ離れろ。恥ずかしいだろ、ネイアも見てるんだから」

「え? ――あ」

 考えていなかったのか、ぱっと冬火は迅から離れた。

 恨めしげな視線を迅に向けてから、ゆっくりと彼女は後ろへ振り向く。

 そこには、にやにやと意地悪く微笑む水色の姫の姿があった。

「……見てた、ネイア?」

 おずおずと訊ねる冬火に、ネイアは苦笑して言う。

「そんなわかりきったことを訊くなんて、普段のトウカらしくないな」

「う、ううう……っ」

 咄嗟に顔を覆う冬火。

 まさしく火が出たように顔を赤らめて、何やら言い訳を始めている。

「ち、違うからね? そういうんじゃないからっ」

「恥ずかしがらなくてもいいだろう? 恋人の無事を喜ぶのは普通だ」

「恋人じゃないからっ!」

「うん? なんだ、違うのかい?」

「そういうんじゃないから。なんていうか、きょうだいみたいなものよ。そう、これは弟の無事を喜んでいる姉の気持ち。わかる?」

「俺が弟なの?」

 迅の突っ込みは黙殺された。

 ネイアはネイアで、からかうでもなく驚いたように、

「なんだ。私はてっきり、二人はそういう関係なのかと」

「……まあ、家族みたいに近い関係なんだけどね。そういうのとは、ちょっと違う」

「そうか。いいことを聞いた」

「へ?」

「私にも、まだチャンスはあるのかな」

「なっ――!?」

 その言葉に両目を見開く冬火。

 だが驚いたのは迅も一緒だ。言葉もなくただ口を開けてしまう。

「いや、私もそろそろいい年だろう? 結婚相手を見つけないといけなくてね」

「ネイア、まだ十七でしょ、確か……」

「十七ならもう、結婚相手を探す時期じゃないか」

「――――」

 冬火は絶句。迅もまた、その文化の違いに驚いていた。

 そのズレがわからないネイアは言葉を重ねて、

「とはいえ私も立場のある身だ。あまり適当に相手を選ぶわけにもいかなくてね」

「な、なら――」

「その点、迅は街を守った誇りある男だ。父も納得させられる」

「な、な――なあ!?」

「……はは」

 もはや鯉のように口をぱくぱくとさせる冬火に、ネイアはふっと微笑を返す。

 そして言った。

「冗談だよ」

「――――な」

 そうして、迅と冬火を慌てさせるだけ慌てさせたネイアは、とても楽しげに微笑みながら言う。

「さて、そろそろ私は戻るとするよ。これでも仕事の多い身なんだ」

「……からかった、のか?」

「さあね」訊ねる迅に、ネイアは艶笑。「嘘をついたつもりはないよ」

「…………」

「好きな相手に嫁げばいい、というほど単純な地位ではなくてね。貴族の腹黒い政略に使われるくらいならば、ジンを選んでみたいと思うさ」

 そう言うネイアの笑みには、どこか陰のようなものが差していた。

 迅は改めて、目の前の少女が本物の貴族であるということを自覚させられた気分になる。

「ネイア……」

「それじゃあ、ジン。養生してくれ。言い忘れていたが、ここはウェアルルアの屋敷だ。今回の事件の功労者たる君のために一室を開放している。好きなだけ逗留してくれ」

「……それ逆に使いづらいんだけど」

「はは。まあゆっくりと体を癒してくれ。何か用があれば、担当をひとりつけるから、言ってくれれば用意する」

 待遇がよすぎる。

 それが逆に迅を不安にさせるのだが、ネイアは気に留める様子もない。

「じゃあ、トウカ。ジンのことを見てやっていてくれ」

 それだけを言って、彼女は廊下に出てしまった。

 残された二人は、呆然と顔を見合わせて言う。


「……貴族って、怖いな……」

「そうだね……」



     ※



 ネイアが廊下に出ると、そこにはひとりの女性が立っていた。

 エプロンドレスを身に纏った、メイド姿の茶髪の少女。年齢はおそらく、十五歳前後と言ったところか。

 廊下に出てきたネイアを見ると、少女がゆっくり口を開く。

「――彼の容体はどうでしょう」

「うん。もう心配はないだろうね。魔法を使わなければ、だが」

「そうですか」

「ああ。済まないが、あとのことは任せたよ。私はティグエルのところへ行ってくる」

「畏まりました」

「……申し訳ないね。本来なら君の職責ではないというのに」

「いえ。レイリ様の指示ですから」

「そうか。――君の主人にも、よろしく伝えておいてくれ」

「はい」

 丁寧に頭を下げる少女。

 それからふと思いついたように頭を上げて、

「……ネイアリア様。ひとつ、お訊ねしてよろしいでしょうか」

 その言葉に、ネイアはわずかながら驚きの感情を覚えた。

 彼女はこのウェアルルア家に仕える従者、ではない(、、、、)

 だが、だからこそ自身の立場を理解し、必要最低限以外の言葉を発さない。従者としての心得を、誰よりも弁えているからだ。

 だから、そんな彼女が問いを発したことは、少なからずネイアを驚かせていた。

 その変化をどこか嬉しく思いつつ、ネイアは口を開く。

「なんだろう?」

「では僭越ながら。――先程のお言葉は、本気ですか?」

 先程の言葉、とは。

 この場合、迅を婿に向かえるといったネイアの言葉だろう。

「聞いていたのか」

「僭越ながら。故意にお聞かせになったものと判断いたしました」

「……本当に優秀だね、君は。どうだい、ウチで働いてみないか?」

「申し訳ございませんが」

「だろうね。聞いてみただけさ」

 肩を揺らしてネイアは苦笑する。

 この優秀なメイドは、いつだって自身の主に利となる行動しか選ばない。

 そのために使われていることを自覚しながら、ネイアはただ問いに答えることを選んだ。

「……半分、本気かな。もちろん、ジンがそれを是とするのなら、だが」

「それは彼がこの先、有用(、、)であると判断したからですか」

 問いではなく、断定の言葉だった。

 だからこそ、ネイアは否定も肯定もしない。

 ただ、言った。

「ひとつ、考えていることがあってね」

「……それは、彼をウェアルルア家で迎える、ということですか」

 先回りの言葉。本当に、恐ろしいほど察しのいいメイドだ。

 だから否定しない。

「私はね――」

 ネイアは、騎士が好きだった。その高潔な精神に、いつだって憧れを抱いていた。

 そして、それに通ずる何かを、迅が持っていると思ったのだ。

 貴族としての汚れを知る、自分とは違う《何か》を。

 もしも迅が持っているのなら、それはきっと、この街が(、、、、)今、必要としているモノだ。

 だから、


「――ジンを、私の騎士候補として迎えようと思っている」


 メイドは何も言わず、ただ小さく肯んずるだけだ。

 そこにどんな意図が込められているのか。

 考えてもわからないことを、それでも考えるのが貴族ネイアの役目だろう。

「……ところで、レイリ氏は今どこに?」

「今は外出しています」

「ひとりでかい?」

「いえ、助手が一名。後ほど報告を持って戻るでしょう」

「……それは」

「はい」

 メイドは首肯する。

 あるいは、それを告げるためにネイアを引き留めたかのように。


「《オルズ教》との戦争(、、)は、避けられない事態になるとのことです」


 ――事態は進む。誰もの知らない裏側で、それぞれの思惑が交差して。

 ひっそりと、しかし着実に。戦火が、この異世界の街へと近づいていた。

 そのことを迅と冬火が知るのは、もう少し先のことになる。

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