表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
96/125

瓶詰めの蝶々 第五十一回

 空のグラスを、小須田は見つめた。学生時代は、この方面でもずいぶん鍛えられた。容易に酔いつぶれはしないが、かといって、とくに嗜むほうでもない。なのに、ずいぶん今夜はペースが速い気がする。

「二重、ですか」

 硝子の器を眺めていると、どうしても、「あの光景」が浮かんでくる。

 瓶詰めにされた女。

 何も身につけておらず、暗い、青みがかった照明を浴びて、深海を想わせる水中に漂いながら、見開かれた目で、じっと硝子の外を見つめている……この巨大な瓶を、もうひとつの部屋に見立てて、高木は二重と言うのだろう。

「死亡推定時刻は、午前零時から二時の間。まあ死体の発見と、ほぼ同時刻だ。死因は頭部打撲による外傷性くも膜下出血。非常に硬質な、棒状のもので殴られていた。背後からの一撃だ」

「瓶の後ろから、凶器と思われる杖が発見されていますね。カッシングが愛用していたもので、かれの行方がわからなくなると同時に、杖の所在も不明だったとか。鉛の詰まったグリップに付着していた血痕もAB型、由井崎のものと一致しています。現在、DNA鑑定中ですが」

「まず凶器とみて、間違いなかろうね。殴られたのがこのへんだから、当然、“展示”された状態では傷口は見えなかった」

 そう、まるで、生きているようだった。そうして、美しかった。

 思わず小須田は、呻き声を洩らした。勃起していたのだ。いくらか酔いが廻っているとはいえ、不謹慎極まりない。高木が肩をすくめて言う。

「ホトケさんを見るのは初めてだったか?」

「はい……」

「気持ちはわかるよ。すれっからしのおれでさえ、いつ見ても気分の好いものじゃない。ましてうら若い娘が、理科室の標本みたいに裸で瓶詰めにされたんじゃあ。犯人を上げるまでは浮かばれんだろう」

「そ、そうですね。ですが、瓶そのものは、密室というわけではありませんよね」

「厳密に言えば、な」

「蓋に鍵がかかるわけじゃないし、ハンドル操作で、簡単に上下させることができた。給水も排水も、それぞれのコックをひねるだけ。おまけに瓶の側面には、梯子状の足がかりまでついていた」

「作品を管理しやすいようにという配慮だろうが、どうもね」

「ええ。まるで、この日のために、カッシングが用意したのかと思ったくらいですよ」

「つまり、死体さえあれば、展示そのものは容易だった……ここいらで、亡霊の封印を解くかい?」

「いいえ、まだです」

 また訪れた沈黙の中で、酒を運んできたのは、まだ二十歳前と思われる垢抜けない娘だった。無愛想らしく、黙々とグラスを取り替え、会釈もせずに出て行った。それでも、どこか顔立ちに狐らしいの面影があり、女将の娘かもしれないと小須田は考えた。

 使い捨てライターで、高木は煙草にようやく火をつけた。

「なんで近頃のライターは、こうも身持ちが固えんだ」

「ガスが切れかけているんですよ」

「さて、亡霊にお出まし願うのは、お預けとしてだ。一撃で殺されていたことから、当初、被疑者は男だという説が、有力だったな」

「女には無理でしょうか」

「あのステッキは凶器としてこの上ない。きっちり急所を狙えば、不可能じゃない。コケの一念何とやら。よほど怨念が籠もっていれば、女の細腕だって、岩をも打ち砕けるんじゃないか」

「恨みによる犯行、なのでしょうか」

「難しいところだね。いや、どんなに単純な激情による殺人だって、実際に人が人を意志に従って殺すんだ。殺人までに至るには、そう簡単明瞭には割りきれない背景がある。まして、このたびの事件は表も裏も、摩訶不思議なことだらけだろう」

「外見が摩訶不思議なだけに、内実は単純なのかもしれませんよ。憎しみのあまり、殺害した上で晒しものにした」

「いい意見だが、例えば、きみはきみの最愛の人を惨殺されたとする。怨讐の果てに、きみはそいつを殺害したとしてだ。果たして、あんなふうに美しく展示したいと思うかね」

「いいえ、まったく」

「理解できないだろう。理解できないんだよ」

 かなり短くなった煙草を指に挟んだまま、頬杖をついた。ぽとりと灰が落ちると同時に、高木はつぶやいた。

「リチャード・カッシングの亡霊を蘇らせれば、すべて辻褄が合うんだがなあ」

 ぼんぼんと不気味な音が響き、小須田は危うくグラスを引っくり返すところ。そういえば、カウンターの奥に、古めかしい柱時計がかかっていたのを見た記憶がある。

「まず、鍵だ。文字通り、そいつが事件の鍵だと言っていい。井澤絵莉子のほかに、もう一つの鍵を所有していたのが、カッシング。かれなら、鏡の家への行き来は自由。そして凶器は、画家ご愛用のステッキときている」

「あまりにも、芝居がかっていませんか」

「なぜそう思う?」

「なるほど、高木さんは、こう仰言りたいのでしょう。カッシングなら動機の面でも、充分犯人の資格を兼ね揃えている、と。まだ英国に問い合わせ中ですが、殺人未遂で投獄された事実があるようですし、いわゆるDVであったことも、世間に知られています」

「ステッキは、その未遂事件でも用いられたとの噂もある」

「まさに変態ですよ。そんなやつならば……」

「生身の女を殺し、芸術作品として展示したいと、考えついても不思議ではない」

「ええ。二人の男子大学生の証言を合わせると、重い杖をつくような音を二度、聴いたそうですし、また小瓶に詰められた蝶が、未知の何者かによって、部屋の中に置かれてもいたといいます」

「その家は、男子大学生の父親の名義なんだってね。藤本といったか。約三年前からカッシングの財産の管理者、すなわち井澤絵莉子に貸与されており、使用人の住まいとして使われている。どうもね、そこらへんも含めて……」

 ついに一口しか吸わないまま、フィルターまで焦がし始めた煙草を、高木は「あちっ」と叫びながら揉み消した。

「まるで芝居がかってるよ。何もかもが」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ