屋根裏の演奏者 第九回
◇
「続きがあるんだろう?」
ドルマの茹で加減をみるために、席を立った彼女に、私は言葉を投げた。背中を向けたまま、彼女がうなずくのがわかった。蓋がとられると、異国的な香りがたちのぼる。
勅使河原美架は、エキゾチックな料理が好みらしい。
異国ふうの、というより、辺境的なと呼んだほうが、ふさわしいかもしれない。たとえば、中国料理やフランス料理のような「王道」は、ふつう避けられる。『随園食単』を読み、ブリア=サヴァランも読んだというから、関心はあるのだろうが、例えば同じ中国でも、何とか族の家庭料理のレシピなどと聞けば、俄然、目の色を変える。
トルコ料理はというと、中国、フランスと並び立つ、世界三大料理のひとつなのだとか。それでも美架にとっては、「辺境」に近い位置づけなのだろう。豚肉を決して使わないのは、トルコがイスラム圏だから。彼女のカレーがチキンばかりなのは、インドではヒンドゥー教徒に次いで、ムスリムが多いためである。
言うまでもなく、イスラム教は豚を不浄の動物として忌み、ヒンドゥー教徒は神聖な牛を食わない。
茹で汁の味見をしたあと、いささか満足げに、彼女はガスコンロの火を消した。
「このままにしておきますので、食べる前に、軽く沸騰させてください。電子レンジの使用は、あまりお勧めできません」
「了解した。今日はこれであがり?」
「はい」
「じゃあ、まだ少し話せるね」
紅茶のおかわりを持って、彼女が席につくのを見届けてから、私は切りだした。
「その藤本竜也という青年は、ヴァイオリンの音が、時計塔から聴こえてきたというんだね」
「初めて聴いたときは、そう感じられたというのです。ちょうど紅葉さんとの会話で、時計塔が話題にのぼっていましたから、心理的な影響があったと考えられます。ちなみにこの出来事は、四月の終わり頃の話です」
今は五月なかばだ。彼女は語を継いだ。
「ヴァイオリンの音は、次の週の、同じ時刻にも聴こえてきました」
◇
それが始まる少し前に、紅葉が帰宅したらしい。
五月に入っていた。
先週の会話から推測するに、アルバイトから帰ったものと思われた。立川駅北口近くの「ケンタ」こと、ケンタッキーフライドチキンで働いているらしい。水曜日は二時間めで授業が終わるので、午後から夜中まで詰めて、一気に稼ごうというハラか。
ちなみに、通常の大学生と音大生との大きな違いは、空き時間が空き時間でない点にある。練習こそが命。練習しなければ、まともに授業も受けられない。いざ休講ともなれば、ほとんどの学生がカフェにしけこんだりせず、レッスン棟へ殺到する。
これはピアノが一台ずつ置かれている、小さな個室がぎっしり詰まった教棟で、空調、防音完備。なかなか競争率が高く、入り口には、時間割表をもった受付のおばちゃんが陣取って、三十分券やら一時間券やらを発行している。
かといって、ただでさえ学費の高額な音大である。富家の子女でなければ、アルバイトの有無は死活問題にかかわる。緑館なんぞに入居している時点で、紅葉の実家がさほど富んでいるとは思えない。よもや、竜也のような酔狂を起こして、ここへ来たわけでもあるまいし……
「不思議ですね」
いつもどおり、午後にあらわれた家政婦に、先週の出来事を話すと、第一声がそれだった。少しも感情の籠もらない口調に、興奮気味に話した自分が、少々恥ずかしく省みられたほど。
古風なはたきを片手に立ったまま、彼女はなかば目を閉じた。それから、そのはたきを指揮棒のように軽く振りながら、歌うような調子で、こう言ったのだ。
きっぱりいいきろう。
不思議はつねに美しい、
どのような不思議も美しい、
それどころか不思議のほかに美しいものはない。
詩、なのだろうか。自作か、それとも有名な作品の引用か。いずれにせよ、普段はほとんど必要なことしか喋らない、ある意味、合理主義的な彼女とは別人のような仕草に、竜也はしばし、呆気にとられたものだった。