瓶詰めの蝶々 第三十七回
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その部屋もたいそう暗かったから、まるで時空を超えて、中世の食卓に招かれた気がした。シャーロック・ホームズの時代にはまだ残っていた、ウェールズ地方の片田舎の、大きな古い農家のような。
食卓は楕円形である。年代ものの胡桃材が、赤みがかった光沢を帯びている。最も奥まった、楕円形のカーブを挟んで、若い二人の女の姿が、薄明りに浮かび上がる。一人は座ったまま。向かって右側のもう一人は、ちょうど立ち上がったところらしい。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。桜井からお聞きになったかと存じますが、体調を崩しておりまして。ほんの目と鼻の先でさえ、容易に出かけられない身でございます。わたくしが、藤本さまの別荘を借用させていただいております、井澤絵莉子でございます。どうぞ、お見知り置きを」
言葉遣いや仕草が、どこか櫻井を想わせる。躾、という漢字が脳裏をよぎる。
彼女が家政婦を「躾」けたのか。
あるいはその逆か。
(おれは何を考えている?)
「どうぞおかけになってください。何もございませんが、心ばかりの夕食をご用意いたしましたので」
主人側の二人と三人の客との間には、楕円形の長辺が横たわっている。十人は掛けらそうなテーブルの大きさ以上に、二人の女との距離は遠く感じられる。
テーブルの向こう端、二人の女の間の一脚の椅子に、どうしても目が引き寄せられる。不在の椅子。そればかりが、他の椅子と異なり、異様に背もたれが高いのだ。
狂王の玉座のように。
椅子の前には、ナプキンが綺麗に折り畳まれ、ワイングラスが虚ろな光沢を浮かべている。
表情に疑問が浮かぶのを予期していたように、井澤絵莉子が言う。
「“夫”の席でございます。すでにご存じかと思いますが、行方をくらましておりますもので。いつ帰って参りましても、間に合いますように」
(夫だって?)
テーブルの形のせいか。あるいは部屋の四隅を覆う闇も原因なのだろうけれど、壁が円形に曲がって見える。二階の筈なのに、地下室の雰囲気が濃厚に漂う。
あるいは、井戸の底のような。
「私は止めたのよ。お客様がある晩くらい、変なおまじないはやめにしてちょうだいと」
左側の女が言う。
紫がかったイブニングドレス。剥き出しの肩にレースをかけているのは、右肩の、蝶の翅のタトゥーを隠すためか。それともわざと透けさせて、微妙な、悪意ある効果を狙ったのか。
由井崎怜子は、背中で髪を一つにまとめている。光の加減か、日中、リビングにあらわれたときと違って、髪の色は黒く沈んで見える。そのせいか、タイプは真反対であるにもかかわらず、“玉座”を挟んで並ぶ絵莉子とは、一対の絵のような印象を与えた。
もしどちらか一方が欠ければ、不完全な作品となるだろう。
「ささやかな余興として、受けとっていただける筈ですわ。ねえ、そちらのかたは、夫の絵にご興味がおありだとか」
絵莉子の視線は、まっすぐ紅葉に向けられていた。つられて、由井崎怜子もまた、紅葉のほうを見た。
その眼差しが、猫科の肉食獣を想わせる、貪婪な輝きを帯びるのがわかった。




