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屋根裏の演奏者 第八回

「大家さんとは、よく話すの?」

「話すというか、アパートの前で、しょっちゅう草むしりとか、しているでしょう」

 竜也は首をかしげた。ほぼ一日じゅう、母屋にいるらしいのは確かだが、雑用をまめにこなしているイメージはない。白髪混じりの髪を、ぴたりと七三に分け、神経質そうな目をしていた。腹が見事に出ているのはともかく、常に知的な雰囲気を放っていた。大家の姓を、長峯という。

 母屋は、緑館の窓側ぎりぎりに、並んで建つかっこう。最近リフォームされた形跡があるが、樹木に囲まれ、どっしりと建つ二階家は、やはり「西洋館」と呼びたくなる。裏手には、玉川上水がせまっていた。

「クラシック通なんだって?」

「学生時代はオケに入っていたみたい。でも、ジャズやオールディーズにも造詣が深そうよ」

「親切な人だよね」

「そのうちカメラつきインターフォンを、つけてくれるんだとか。女の子が一階に住むのは、物騒だからって。たしかにこの辺り、変な勧誘が多いものね」

 あやうく竜也は、紅茶をこぼすところ。

 緑館の二階の三部屋は、四年生の女子二名と、三年生の男子が一名が占めていた。元家庭教師も言っていたが、居心地が好いのか、四年間住みつく学生がほとんど。一階が一年生揃いなのも、卒業生と入れ替わったかたちだ。学年が飛んでいることもあり、残念ながら、竜也はまだ上の三人とは没交渉。

「ところで、えーと」

「藤本竜也、タツヤと書いてリュウヤ」

「藤本くんはおかしいと思わない?」

「おかしい?」

「このアパートのつくり。ちょっと変だよね」

 母屋を含めた敷地は、いかつい煉瓦塀で囲まれている。入り口は西側にあり、立派な門とは別に、塀の切れめから、緑館へ出入りできる。石畳の小路をわたり終えると、すぐアパートの階段がある。一階の通路を進めば、一〇三、一〇二、一〇一の順で、南側にドアが並んでいるが、「塔」は、建物の東の端にくっついていた。

 いかにも、とってつけたような塔である。円錐形の屋根が、絵本のキノコのように、二階の屋根から飛び出している。一階の通路をふさいでいる塔の根もとに、錆びた鉄の扉がついている。もちろん竜也は、扉に手をかけてみたが、開かなかった。

「もともと、時計塔だったんじゃないかな。だって、南側の屋根の下に、小さな円い穴が空いているだろう」

「そうなの?」

「下からじゃわからないけど、玉川上水の土手から、なんとか見えるよ」

 おかしいといえば、緑館の窓が北を向いており、南を向いた母屋の窓と、顔をつき合わせている点も、不自然だ。採光に工夫が凝らされているので、思うほど暗さは感じないし、ほとんどの入居者は、常にカーテンを閉めきっているのだが。

(もともと別の場所に建っていたものを、移築したのではないでしょうか)

 家政婦も、そんな意見を述べていた。

「あー、もうこんな時間か。せっかくバイトが休みになったのに、あっという間に過ぎちゃうんだから」

 カーペットの上で足を崩して、紅葉はうんと伸びをした。黒いカーディガン越しに、華奢だけれど、張りのある胸のラインが浮き出した。あまりにも白い太腿を目の当たりにしたとき、初めて紅葉がストッキングではなく、オーバーニーソックスを履いていることに気づいた。

 反射的に置時計に目を遣ると、ちょうど十二時になるところだった。三つの針が重なったところで、それは始まった。

「ヴァイオリン……だれかしら」

 紅葉は不安げに首をめぐらせた。これまで、緑館のどこかから、ヴァイオリンの音が聴こえてきたことは、一度もなかった。上階の上級生たちも含めて、弦楽器専攻者は一人もいない。

 時計塔の中で、だれかが弾いているように感じられた。

 せつせつと、嘆くような、暗い旋律が夜気を震わせた。

 プロの演奏としか思えないほど巧みだが、スピーカーから流れるのでは、決してない。バッハの曲……無伴奏ヴァイオリンのための、シャコンヌ……

 十分間を超える演奏が、ふっつりと止んだ。のしかかるように、急におとずれた静寂が、辺りを覆った。

 目を見交わした。紅葉の唇は、震えていた。

「いったい、だれが……?」

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