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瓶詰めの蝶々 第三十三回

 なんとなく肩を並べたまま、土砂降りの中、マンションとは逆方向へ歩き始めた。ガードをくぐり、通りをわたる。私につきあう義理も義務も、彼女にはないのだが、黙々とついてくる。

(もしかして、何かネタを握っている?)

 これも才能の一つだと思うが、感嘆するほど、美架はよく「事件」に巻き込まれる。そういったネタを私は聞き出したいのだし、彼女自身、私に話すことで「一種のカウンセリング」になると言っていた。

 時として「事件」は、あの北鎌倉の場合のように、最も悲惨な経緯を辿ることがある。独りで胸に閉まっておくのは、彼女もまたつらいのだろう。

 そう思い当たり、マクドナルドの入り口で、彼女の横顔を盗み見た。が、彼女は相変わらずの無表情で、奇態な「期間限定」新メニューの垂れ幕を、じっと睨んでいた。

「食べて行く?」

「そうですね。料理の参考になるかもしれません」

 腹が減っていたのだろう。

 エーゲ海ふう何とかバーガーを彼女は注文した。ヤンキーのジャンキーな食い物と、オリュンポスの息吹きとがどう結びつくのか、はかり知れないが。

「ポテトは?」

 彼女は首を振り、会計は私が受け持った。部屋に戻れば夕食が用意されているので、自身はホットコーヒーのみに留めた。それになぜか私は、このチェーン店の匂いを嗅いだだけで、食欲をなくす体質を有していた。

 店の中は、いつも以上に込んでいた。夕立特需である。フロアの壁際の二人がけの席に、どうにか割り込めた。

 隣席を占めている六人ほどのグループは、劇団員とおぼしく、台本を片手に、セリフの読み合わせをしていた。最初は遠慮がちな小声だったのが、しだいに熱を帯びてくる。稽古のための場所代も、ばかにならないと見える。

 店内の喧騒を一瞬呑みこむほど、虚ろな雨音が響いた。読み合わせの声が途切れ、多くの不安そうな目が、ガラス扉の向こうの闇へ注がれた。

「今年の天気はどうかしている。これは夕立なんてレベルじゃない」

 どうにも開けにくいカップの蓋を排除しつつ、私はつぶやいた。美架は早くも、無言でハンバーガーに挑んでいた。

 薄いチーズを間に挟んだ二つの薄いハンバーガーの上に、大粒の豆だとかトマトだとかピクルスだとか、エビやゲソの切れ端まで覗いている。厚さ八センチ五ミリはあるであろうミノタウロス的怪物を、一応男である私の前で、レディの威厳を失わずにかぶりつけるかどうか。

 見物であったが、美架は英国式にあっさりとクリアしてしまう。少々失望しつつ、私は語を継いだ。

「きっとエルニーニョとかいうやつだ。ペルー沖にそいつが南海の大怪獣エビラみたいに出現すると、世界各地で異常気象を引き起こすんだってね」

 紙ナプキンで唇をさっと拭い、少々ぎょっとさせられたほど、彼女は鋭い目を向けた。

 そういえば、彼女が「推理」するとき、よく下唇に指を当てているので、思考回路と直結しているのかもしれない。

「近年、異常気象でなかった年なんて、ございましたでしょうか?」

「ないね」視線に臆しつつ、コーヒーをすすった。

「そもそも何を指して正常というのでしょう」

「観測データだろう。何十年ぶんか知らないが。その平均値だ」

「けれども、一年一年が正常でなければ、データにはどんどん『異常』の要素が流れ込んでゆきます。ですが、ナウマンゾウは」

「ナウマンゾウ!?」

 突如マクドナルドの店内に出現した太古の化石生物に驚いて、思わず声を上げた。隣から、劇団員たちの視線が注がれる。芝居の台本より、我々の会話のほうが、はるかに奇抜である。

 彼女は、オレンジジュースの入った紙コップを、静かに口へ運んだ。

「ええ。かつて、日本の上を巨象がのし歩いている時代がありました。かれらも、かれらの住んでいた環境も、わたくしたちの世界から見れば異常でしょう。ですがかれらは、日めくりカレンダーをめくるように、ある日突然あらわれて、ある日突然去って行ったわけではない、ということです」

 セリフの少ない劇団員が、まだちらちらとこちらを見ていた。私はあえて、これ以上議論しないことにした。氷河から戻ってくると、ようやく雨足が落ち始めていることに気づいた。

「じつは、藤本さまからメールが届いたのです」

 勅使河原美架は、唐突に切り出した。

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