屋根裏の演奏者 第六回
モーツァルトのオペラ、『ドン・ジョヴァンニ』の有名なアリア、『ぶってよマゼット』とおぼしい。掃除でもしながら歌っているのか、歌詞もあやしいし、所々、伴奏を歌い込んだりしている。それでも、なんて奇麗な声だろうと、毎度聴き入ってしまうのだ。
緑館一〇二号室の住人は、名を北村紅葉という。クレハと読むらしい。
声楽科の一年生で、よくまあこれで声楽科に合格したなと驚くほど、ほっそりとした体つき。そしてたいへんな美人である。
声楽家と相撲とりは、どうしても体重がものをいう。それはアップライトより、響板の大きなグランドピアノのほうが、はるかによく響くのと似ている。巷の女性たちが、血の滲むようなダイエットに悶え苦しむなか、声楽科の女の子たちは、目を白黒させて食べまくる。
紅葉の合格は、天性の声質によるところが、大きいのだろう。月並みな表現だが、天使の歌声というやつ。おそらく入学以来、先生たちから「もりもり食べろ、食べろ」と呪文をかけられているはずだが、いまだ効果は見受けられない。
廊下で顔を合わせれば、挨拶くらいはするが、まともな会話はない。異性であり、専攻が違うことも理由になるが、なんというか、とっつきにくいのである。
とっつきにくいといえば、例の個性的な家政婦もそうなのだが、美架の場合、ニコリともしない中にも、人を安堵させる要素がある。けれども紅葉には、どこか不安を掻きたてられる。
まっすぐに切り揃えた前髪。つややかな漆黒で、ストレートのセミロング。肌は抜けるように白く、ビスクドールのように整った顔だち。そしてなぜか、いつ会っても彼女は黒い服を着ていたから、まっ先にイメージされるのは、吸血鬼以外の何ものでもない。
そして吸血鬼の常として、情欲に妖しくうったえかけてくるような、色気がある。
ぶって(バティ)
ぶってよ(バティ)
いとおしいマゼット(オ、ベル、マゼット)
歌声は続いていた。
声楽曲は、あまり聴くほうではないが、『ドン・ジョヴァンニ』は、かれが全曲版を所持している、数少ない歌劇の一つだ。女蕩しの貴族が、悪の限りを尽くした挙げ句、地獄に堕とされるという、いろいろとひどい物語なのに、音楽は鬼気迫る。
たとえばドン・ジョヴァンニが、いま歌っている田舎娘、チェルリーナを誘惑しようとするとき、なんと美しい歌を歌うのか。そして彼女が、傷ついた恋人、マゼットを慰めるときの、旋律の甘美さ。可哀そうな私を、ぶってちょうだいという。仔羊のようにおとなしく、どんな仕打ちにも耐えますから。
目をえぐられても、髪を引き抜かれてもいいわ。私に鞭を、鞭を与えてちょうだい……感情が籠もってきたのか、北村紅葉の歌声は、煩悶するように震えた。
竜也は罪悪感と驚きをもって、勃起している事実に気づいた。
◇
緑館一〇三号室の住人は、名を林晴明といった。竜也と同じピアノ科の一年生で、クラスきっての変人だった。
音楽に限らず、そもそも芸術系の学部には、奇人変人が多い。ただ、昨今の学生は、ずいぶん小奇麗になったので、下駄履きで登校するようなことは、やらかさないが。たとえば、黒い服でとおしている北村紅葉なんかも、変人の一人に数えられるだろう。
林晴明は韓国籍の二世であるらしい。一八〇センチを超える長身。骨太い体つきは、フットボール選手と見紛うばかりだが、ひとたびピアノの前に座れば、繊細極まりないタッチで、指を滑らせる。声楽家に限らず、見た目は「ごつい」演奏家が、意外に多いものだ。
一浪しているが、どこを受けて失敗したのか、黙して語ろうとしない。藝大ではないか、というのが、もっぱらの噂だ。
無口で、ハリネズミのように、周囲を拒絶している雰囲気が、強く漂う。音楽だけがあればよく、人間どうしの無駄なコミュニケーションは、不必要と考えているのが、ありありとうかがえる。
それでも、コミュニケーションを求めて、家政婦をつける条件まで呑んで、緑館を選んだ竜也としては、接触をこころみずにはいられない。入学後のどたばたが少し落ち着いた頃、訪ねてみたところ、
「二度と、ぼくの部屋をノックしないでくれ」
チャイムの電池は、とっくに抜いてあり、鳴らなかったのである。
もちろん、ひどく傷つけられた。技量において、はるかに劣る自分が、ばかにされているように感じ、憤ってもみた。けれど、教室で晴明を観察するうちに、かれの態度が、だれに対しても平等であることを理解した。教官であれ、学生であれ、平等に心を閉ざす。それもありきたりのドアではなく、鋲の打たれた、大名屋敷の巨大な門のように、がっちりと。
ただ音楽にだけ、かれは身をゆだねているようだった。
捨てる神あれば何とやらの例えではないが、ノックの一件からほどなくして、竜也と隣室の吸血鬼、北村紅葉との新密度が急速に高まった。