瓶詰めの蝶々 第十四回
「もしかしてその家政婦さん、ちょっと背は高めで、おかっぱみたいなショートヘアで、顔色がよくなくて、無愛想な人ではなかったですか?」
まずあり得ないと頭では理解しつつ、尋ねずにはいられなかった。彩子はちょっと上目づかいで、考える仕草。
「たしかに、少し背は高めね。まあ、私からすれば、今の若い女性は、みんなそう見えるんだけど。うん。髪はショートよ。でも、おかっぱには見えなかったかな。顔色は、どうなのかしら。昼なお鬱蒼と暗い所で行き逢ったから、何とも言えないわね。決して愛想が好いほうではないけれど、無愛想というほどでもなかった」
おそらく別人だろう。そうに決まっているけれど、勅使河原美架が「昼なお鬱蒼と暗い」木立の間に立っている姿は、おそろしく絵になりそうだ。
吸血鬼に雇われた家政婦として。
「これからどうする?」
悟の声は、すでに泣き声に近かった。
「行ってみるしかないだろう。荷物もそっちに送ってあるんだから」
「うへえ」
寶珠寺の影の濃い境内を、左手に見ながら通り過ぎた。
坂が急にきつくなり、道はかろうじて舗装されているものの、両側から木立がせまり、鬱蒼と濃い影に包まれた。
「いったい、どこまで登るんだ?」悟の顔にはすでに死相が出ていた。
「山頂まで」
「うへえ」
「と、言いたいところだが、心配しなくても、あと少しだよ」
「なあ、おまえが前に別荘に来たのは、いつの話なんだ?」
「中三の夏」
「四年前だと!」
やがて大学講師の彩子が言ったとおり、民家の前に野菜を並べた台が左手にあらわれた。梅干しもちゃんとあり、一パック二百円。
そこを過ぎると、急に人の入り込まない土地に、足を踏み入れたか気がした。
すぅっと日が陰るように、人間が生活する気配が、薄れてゆくのがわかった。
ここから先は人の領域ではない。人外魔境というものが、必ずしも人跡未踏のジャングルにあるとは限らない。自然、と呼べば美しく響くが、その暗がりの中には、人の存在を拒む、何か不可解でおぞましいものがいる……そんな領域に、足を踏み入れた気がした。
左側に浅瀬があり、やがて錆びた鉄板を敷いただけの、簡単な橋があらわれた。大型の四駆がやっと通れるくらいか。そこから、鬱蒼と茂る杉木立の間を、玉砂利を敷いた道が奥へ続いていた。
目を凝らせば切妻の急な、いわゆる三角屋根が白く覗いた。
◇
今日になって、玄関がノックされたのは二度めだった。
メデューサの首に擬された銅製のノッカーは、緑青に覆われ、日頃、来客が皆無に近いことを示している筈だ。それなのに今日に限って、蛇の取っ手を樫の扉に打ちつける訪問者が、二度も来るとは。
もちろん、二度めの来訪は予期されたことだ。荷物が届いた以上、この日であるかどうかは別としても、送り主が来なければならない。それはわかっているのだが、
(ついに、四年間の封印が破られる日が来たのだろうか?)
玄関へ向かいながら、櫻井晃子はそう感じずにはいられなかった。




