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屋根裏の演奏者 第五回

  ◇

「テシガワラです」

 家政婦はそう名乗った。勅使河原と書くらしい。竜也の出身地では、聞いたことのない姓だった。家政婦派遣所のロゴが入った名刺をくれたので、名が「美架」であると知れた。

(美加、ではないんだな)

 名刺と家政婦の顔を見比べながら、ぼんやりとそう考えた覚えがある。

「カレーはお好きですか?」

「ええ、まあ」

「では夕食はカレーにいたしましょう。ナスとチキンは、食べられますか?」

「だいじょうぶです」

「タマネギとトマトだけは、回避できません。金魚鉢における、水と金魚のようなものですから」

 真顔でそう言われ、ある種のジョークであると気づくまで、数秒かかった。リアクションにこまりながら、竜也はこのあまり顔色のよくない、少々目つきの険しい、変わった名前の家政婦に、みょうな親近感を覚えた。

 失礼します、と、なぜか美架は言い、古風なロングスカートの上から、これまたクラシックなエプロンを身につけ、きゅっと結んだ。ショートヘアでなければ、外国のメイドのようである。アップライトのピアノの前に座ったまま、さっそく掃除を始めた彼女を、ぼんやりと眺めていた。

 邪魔にならないよう、部屋を出るべきかとも考えたが、無駄のないと言おうか、隙がないと言うべきか、彼女のきびきびした動きに、つい見入ってしまう。チャイムが鳴ったので、竜也は玄関へ向かった。実家と異なり、カメラつきインターフォンのような、気の効いた装置はついていない。

 何気なくドアを開けると、ひどく痩せた、髭の濃そうな、三十何歳かの男が立っていた。よれよれのスーツ。ビジネスバッグを肩からさげ、地図とおぼしい紙きれを、くしゃくしゃと握っていた。

「新聞、読みますよね」

「はあ?」

「大学生はみんな読んでますからね。ここにサインしてください。今日だけ特別に、洗剤一ケース、サービスしますから。洗剤、もう持ってきてますんで」

 契約書とおぼしい紙の束を突きつけ、男はニコリともせず、そうまくし立てた。泥酔しているように、目が据わっていた。

「要りませんよ」

「でも、大学生なんでしょう? じゃあ新聞とるべきですよ。サービスもつけると言ってんだからよ。さっさとここにサインしろ」

 かん高かった男の声が、急にくぐもった。周囲に洩れないよう、トーンは落としてあるが、ドスの利いた、いかにも人を脅すことに慣れただみ声だ。ドアを閉めようにも、すでに洗剤の箱が、隙間に差しこまれていた。

「今どきまだ、カツカンなんかやってんの?」

 それが家政婦の声だとわかるまで、また数秒を要した。押し売りもさすがに驚いた様子で、目をしばたたかせた。いつの間にか、美架の背中が、竜也の視界をふさいでいた。

「あんた、どこの団の人間? セールス章くらいつけなさいよ。新聞なら、とってあげてもいいわよ。ただし、洗剤十ケース、お米二十キロ、トイレットペーパー一年ぶん。あと、サラダ油三リットルは欲しいわね。五分以内に持ってきたら、三ヶ月だけとってあげる」

「……ぐわあ」

 蛙の断末魔に似た声を発して、男は退散したもよう。美架は何事もなかったようにドアを閉めた。

 押し売りが帰った事実よりも、竜也に背を向けていたため、彼女の表情が見えなかったことのほうが、幸いだったのではないか。呆然と、かれはそう考えた。

「失礼しました」

「カツカンって、何ですか?」

「恫喝して勧誘すること。略して喝勧です」

 ナキカンとかオキカンというのもあるらしい。後者は新聞代を置いてゆく反則技。どうしてそんな専門用語を知っているのかという質問は、けれど見事に黙殺された。

 夕食を作り終えると、彼女はエプロンを脱いで帰って行った。ナスとチキンのキーマカレーが、テーブルに残された。市販のカレールウは使わず、三種類ほどのスパイスと、塩・胡椒を用い、三十分程度で仕上げたのだ。うち、一種類は、エプロンのポケットから取り出された「秘伝のスパイス」であるらしい。

 また、米は無洗米を軽く炒ったあと、まるでパスタを茹でるように、多めの湯で茹でるという変わった炊きかた。最後に、これも彼女が持参した、秘伝の隠し味が加えられていた。

 こしひかりという銘柄が台無しに思える、ぱさついた米と、こちらもドライなルウを絡めて、口へ運ぶ。信じ難い美味しさに目を見張っていると、隣室から歌声が洩れてきた。

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