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瓶詰めの蝶々 第二回

 かれの目の前で、絵本を切り抜いたような童顔が、目をしばたたかせた。

「だって、おまえ。軽井沢に別荘があるって、言ってなかったか?」

「それは言った。たしかにあるよ。あるにはあるけど、今の時期は確実に塞がっている」

「貸し別荘なのか?」

 面倒臭そうにうなずきながら、竜也は溜め息を洩らした。それが限りなくゴムに近いカツに対してか、それともほかの何かへ向けられたものなのか、わからないけれど。

「あんな金づるを、親父が遊ばせておくわけがない。空いているのは、高尾山だけだよ。さすがの山師も、アテが外れたみたいでね。まったく借り手がつかないから、近々売り払う気らしい。でも、いい所だよ。一度泊まったことがあるけど、景色もいいし、空気は奇麗。同じ東京都とは思えないくらいさ」

「この辺りだって、東京とは思えないけどな」

 ふてくされたような声を出した。それでいて、旺盛な食欲を発揮し、しょうが焼き定食を間断なく口へ運ぶ。グランドピアノと取っ組み合うには、やはりこれくらいのバイタリティーというか、食欲が必要なのか。竜也は、また密かに溜め息をついた。

 岡田悟の自宅は、中野だと聞いている。下宿しておらず、中央線で立川まで下り、それからモノレールで玉川上水へ。ちょうど朝夕の人の流れと逆行する恰好だから、ともすれば電車に座れてしまう。あの巨体で満員電車に揉まれては、やりきれないだろうし、好都合だと思うのだが、本人に言わせれば、

(ちょっと虚しい)

 音大、美大のみならず、一般の私大も含めて、大半は郊外に建てられている。敷地は広大で、外観も美しいが、竜也みたいに地方から「東京の大学」に出てきて、まず感じるのは、

(ここが、東京か?)

 ずっと名古屋の市街地に住んでいたかれは、カーテン一枚買うのにさえ不便を感じる環境に、さすがに唖然とした。最も近いコンビニエンスストアまで、徒歩二十分。スーパーまで買出しとなると、自転車を用いるか、モノレールに二駅ぶん乗っている必要がある。悟は語を継いだ。

「せっかくの夏休みだぞ。修行僧じゃあるまいし、なんでわざわざ、何にもない山奥に?」

「心配しなくても、ピアノならあるよ。あそこなら、思う存分弾きまくれる。かなり集中できるんじゃないかな」

「そんな心配はだれも、まったくしていない。おれが言ってるのは、何が悲しくて野郎二人で、高尾山なんかに籠もらなくちゃいけないのかと……」

「じゃあ、林も呼ぼうか?」

 あやうく、めいっぱい頬張られたしょうが焼き定食が、吐き出されるところ。悟は慌てて水で流し込み、おもいきり噎せた。林晴明は、「三人めの」クラスメイトである。

 もともと竜也と晴明は、同じアパート「緑館」に住んでいた。晩春から初夏にかけて、そこを舞台に、とある事件が起こり、晴明がおおいに関与していた。その後、竜也は緑館を出たが、かれのほうは、現在もまだ住んでいる。当初より、多少は打ち解けたものの、林晴明は相変わらず孤独癖が強く、無口で頑固。最もつきあい難い人物の一人と言えた。

「今のがジョークでなかったら、もしかすると、おれは怒るよ」

 真っ赤な顔のまま、悟はふと思い出したように言う。

「そういえば、家政婦さんも来るのかな。何といったっけ、珍しい苗字の、あまり顔色のよくない……」

「勅使河原さんかい?」

 週に一度通ってくる「家政婦さん」は、一人暮らしを始めるにあたって、父親にむりやり押しつけられたものだ。悟も部屋に遊びに来ていて、二、三回、顔を合わせている。二十何歳かわからない。かれの言うとおり、顔色のよくない、口数も少なく、笑顔をめったに見せない、風変わりな家政婦だった。

 そうして、緑館で起きた事件を解決したのも、この風変わりな家政婦にほかならなかった。

「どうかな。あんな山の上まで来てもらうのは気の毒だから、その間は断ったほうがいいだろう」

 かなりの労力で、ひときれめのカツを呑みくだしながら、竜也は答えた。すでに、奇麗に平らげられた食器の前で、悟はじつに残念そうな表情。

「ずっと居てもらえばいいじゃないか。それならいちいち、登ったり下りたりしなくてすむし。飯の心配もせず、練習に打ち込めるってもんだ」

「へえ、おまえ、彼女みたいな人が好みだったの?」

「そういうわけじゃないけど、絵になるだろう。あの人、けっこう背が高くて、古風な恰好をしているし、洋画に出てくるメイドみたいでさ。舞台はいきなり、ミステリアスな様相を帯びてくるじゃないか。山荘、ピアノ、家政婦」

「そして殺人」

 驚いて、声のしたほうを見上げると、黒づくめの美少女が、妖しげに微笑んでいた。

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