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黄金の聖天 第十八回(解答篇ノ一)

 ツァラは心底、呆れ果てた様子。

 小間使い探偵と、見えない怪盗との対決。多少なりとも興を添えてくれるものと、期待して呼び寄せたのに、愚にもつかない女だ。と、おそらく考えているのだろう。彼女はけれど、静かに首をふった。

「そうではございません。わたくしはあくまで、可能性について述べただけです。むしろマン・レイさまは、風蘭坊ではないと思われます」

「ほほう」

 片眼鏡の後ろで、ツァラの目が金属的な光をおびた。かん高い笑い声が響きわたったのは、そのときだ。エルンストが好んで描いた怪鳥が、鳴き声を発すれば、こうもあろうかという。声のしたほうへ目を遣ると、マルセル・デュシャンの席の前に、見知らぬ女が立っていた。

 毛皮のコートを、ぞろりと身にまとい、黒い帽子から、カールした金髪が溢れていた。帽子の帯は広く、金色で、幾何学的かつプリミティブな模様が、織りこまれていた。第八の会員……それが何者であるか、私はようやく理解した。

 ローズ・セラヴィ!

 彼女はマルセル・デュシャンの分身といわれる。実際には女装したデュシャンなのだが、彼女は個別の存在として表現された。マン・レイが撮影した肖像写真が有名であり、またデュシャンの手による、言葉遊びの格言集が、ローズ・セラヴィの書名で出版されたりした。

 またしても、私は平衡感覚を失いかけた。

 八角形の部屋が、ぐるぐると回り出すような気がした。一九一六年のチューリッヒから、二十年代に入ったニューヨークへと、時空が移ろったように感じられた。頭蓋の中で鳴っているような、「女」の笑い声はまだ続いていた。

「だれが風蘭坊かですって? 物理学だが坊主の説教だか存じませんが、そんなことは、どうだってよろしいではありませんか。だれもが風蘭坊であり、そして風蘭坊はどこにもいないのです。トリスタン、あなたのお好きな物理学によれば、そういう結論になるのではなくて?」

 ローズ・セラヴィは、コートの衿を優雅に掻き合わせながら、踊るような足取りで進み出た。したたかに酔った千鳥足なのだろうけど、男が演じている不自然さはまったく感じられず、一挙手一投足に「女」が乗り移っているようだった。

 彼女は空のワイングラスを手にして、美架に流し目を送った。酒が注がれる間も、ローズはこのあまり顔色のよくない「小間使い」を見つめたまま。

「あなたの中に、風蘭坊はいるのでしょう。あなたという、密室の中に」

「そうかもしれません、セラヴィさま」

 再び女の高笑いが響いた。

 美架が注いだワイングラスに、緋色の口紅の跡を残すと、ローズはそのまま高々と放り投げた。床で砕け散るガラスの音が、みょうに大きく響きわたった。その上へ、彼女は毛皮のコートを脱ぎ捨てた。クリムトが描くようなデザインの、緋色のドレスがあらわれた。

「踊りましょうよ。もう一度。ダダの踊りを。ダダの神、虚無の神への供物として!」

 ツァラが素早くリモコンを取り出し、狂おしい音楽を響かせた。マン・レイのピンスポットが、ハレーション気味の、円形の光の輪の中に彼ローズ・セラヴィを浮き上がらせると、周囲の照明が落とされた。

 ゾフィーと異なり、ローズが最初に踊りの相手に選んだのは、もう一人の「小間使い」、イズミだった。いかにも当惑したふうの彼女を、ローズは思うさま翻弄した。エプロンごと、スカートが翻るのもかまわず、くるくる回したかと思うと、自身に引き寄せて、吸血鬼のように耳を噛んだ。

 イズミが悲鳴を上げ、哄笑が部屋を満たした。

「鏡なのですね」

「えっ?」

 いつの間にか、美架が私に身を寄せるようにして立っており、たしかにそう囁いた。ポケットから、何かが抜きとられるのを感じた。

 床に放り出されたまま、イズミは両手で顔を覆って、しゃくり上げていた。挑むようなステップを踏みながら、ローズは美架に近づいた。手が差し伸べられると、美架はスカートをちょっとつまんで、受諾の意志をあらわした。

 二人のダンスが始まった。

 圧倒的な腕力の差で、彼女も翻弄されずにはいられなかったが、まったく動じないところが、イズミと異なっていた。ほとんど放り投げるように扱われながら、逃げようとせず、音楽の節目では優雅なポーズすら決めた。そうしてまた吸血鬼のように、ぐっと引き寄せられたところで、二人の動きがぴたりと止まった。

 ローズ・セラヴィの咽もとには、マイナスドライバーが突きつけられていた。飛び出しナイフのように、金属部分が柄に仕込まれていたとおぼしい。

「そこまでです。ローズ・セラヴィさま、あなたが風蘭坊ですね」

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