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黄金の聖天 第十五回

 Ready Made。直訳すれば既製品だが、マルセル・デュシャンが考案した、極めてダダ的な表現方法の名称でもある。

 かれは、椅子の上に自転車の車輪をくっつけて、「作品」として出品した。また、市役所のバザーでワイン・ラックを購入し、これもそのまま展示した。作品とは何か? という根本問題の咽もとに、鋭利な疑問を突きつける、ラディカルな発想だった。しかし極めつけは、ニューヨークを騒動の渦中に突き落とした、『泉』であろう。

 一九一七年。すでに有名人だったデュシャンは、独立芸術協会の委員の一人であった。この協会は、あらゆる作品の展示を拒否しないと宣言していた。あるとき、協会にリチャード・マット名義で、ひとつの「作品」が送られてきた。

『泉』と題されたその作品は、既製の男性用小便器にほかならなかった。

 協会はまんまとデュシャンの策に引っかかり、『泉』の展示を拒んだ。デュシャンはただちに、辞表を叩きつけた。

「そう、カタカナにすれば、同じというわけか。Ready Madeも、Lady Maidも、レディ・メイドだ」

 マックス・エルンストが呆れたように手を広げた。ツァラはしきりに面白がって、白い手袋を嵌めた両手を揉んだ。

「すべての外国語を平板にしてしまうカタカナも、使いようというわけですな。カタカナのダダ的性質には、日本人も当初から着目していたようです、ねえイナガキ先生」

「ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム」

 顔のある三日月の前で、タルホは呪文のようにつぶやいた。美架の意向などお構いなしに興ずるメンバーを尻目に、ツァラは片眼鏡をずり上げた。

「それではあらためて皆様に、今宵の主賓、いえ、ここは素直に日本人らしく、ご本尊と呼ぶべきでしょうか。歓喜天をご紹介いたしましょう」

 挑発的な間のあとに、漆黒の天鵞絨が取り払われた。闇から生じたような暗い金塊に、私はやはり、眉をひそめずにはいられなかった。純金というものは、なんと暗い光を放つのだろう。

 美架に目を遣れば、一瞬であったけれど、片手を縦にして神像を拝む姿がみとめられた。よもや聖天信者だとは思えないが。

「そして最後に、風蘭坊氏をご紹介したいのですが、これは私の手に余ります」

 ツァラはそう言って、片眼鏡越しに、意味ありげな視線を美架に送った。これを機に、彼女とイズミはワインの瓶をとり、会員たちの椅子から椅子へと、給仕して巡った。私の手にも、イズミがグラスを持たせた。全員のグラスが満たされたところで、ツァラが乾杯の音頭をとった。

 こうして、ダダの宴が始まった。

 とはいえ、会員たちが顔を隠していることをのぞけば、ありふれた立食パーティーと変わらない。ただ、得てして日本人の宴席が他人の中傷に始終するのに対し、かれらは意識的に、話題を無意味な方向へ向かわせているように思えた。

「税金は、何のためにあると思われます?」ツァラが話題を振れば。

「鼠をとるためですかな」したり顔で、タルホが答える。

「猫ではなくて?」ゾフィーが赤い唇を歪めると、

「そう。国家とは、宮殿ほども大きな、錆びついた鼠捕りといえる。実際には鼠どころか、シラミ一匹入っちゃいないがね」

 デュシャンが言えば、他の六人は大ウケなのだ。もちろん、私には禅問答にしか聞こえない。

 会員たちはすでに皆、席を立ち、料理の周りに集まっていた。コース料理でこそないが、サラダ、シーフード、肉料理、スナック、フルーツ、デザートなどが巧み配され、配色も鮮やか。味も一流ホテルなみ。どこかで星が三つ並んでいるような有名店に、オーダーしたものか。

 そしてこの鮮やかな料理の中に立つ歓喜天の姿は、いかにも妖しく映えた。背徳的な供物に囲まれて、ますます暗い輝きを帯びてくる、黒魔術の偶像のように。

 無意味な会話は、さながら奇怪な呪文のように、魔術的な雰囲気を増大させる。

「踊りましょう。この世で最も無意味で美しいもの。それは音楽とダンスなのですから」

 かん高い、澄んだ声でゾフィー・トイバーが叫んだ。図らずも私は、官能の震えを覚えた。薄手の服に身を包んだ肢体は、彼女が金と権力を手中にしているという事実によって、いっそう艶めかしい輝きを帯びるようだった。

「マン・レイ。トリスタンも、ぐずぐずしないで。光を! 音楽を!」

 毎度のことなのだろう。直訳すれば「光線男」であるマン・レイは、自身の椅子のかたわらから、キャスターつきのピン・スポットを押してきた。ツァラがポケットからリモコンを取り出し、幾つかのボタンを押すと、部屋の照明が落とされた。

 音楽が始まった。

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