黄金の聖天 第十回
ゆで卵をサラダに添えながら、彼女は、あからさまな溜め息をついた。
「家政婦の仕事とは思えませんが」
とまあ、予想どおりの反応。私も気が進まなかったけれど、とりあえず、説得をこころみる。
「話したとおり、堀川さんが絡んでいてね。きみのことを、デュシャン氏に、あれこれ吹聴したらしいんだ。主催者のツァラ氏も、おおいに興味を示したようで。さっそく次の火曜日(予告の日だね)に、例の黄金の聖天をテーブルに添えて、宴を催したいと言う」
「そうですか」と、また溜め息。
「それにあながち、家政婦の仕事と、かけ離れているわけでもないよ。八角形の部屋へ続く廊下から先は、メンバー以外、入れないことになっているから。一昨夜のぼくたちは、例外中の例外としても。いざ宴会となると、給仕の手が必要になる。これまでは、ツァラ氏が一人で切り盛りしていたようだけど、料理が多くなれば手に負えない」
「酒井さんたちも、同席なさるのですか?」
「堀川さんは来ない。あれで、ものすごく多忙だからね。代わりに暇なぼくを、情報源としてクラブに潜入させようという腹だ。だから、メンバー以外では、ぼくときみと、それからもう一人、ツァラ氏の家政婦がつくと言っていたな。そうそう、肝心なことを忘れていたけど、報酬は一晩で五十万。もし、きみのはたらきで盗みが阻止されたら、倍出すそうだ」
「百万円ですか」
目の色を変えるかと思いきや、どこか淋しげに美架はつぶやいた。
「多いのか少ないのか、よくわかりませんね。もちろん、私にとっては大金ですけれど。だいいち、この事件には、不思議な要素がまったくございません」
「うーん。ダダはシュールレアリスムのように、夢や神秘を受け入れないからね。ただ、一種の密室と言えなくもないんだよ」
包丁の水を切って、彼女は振り返った。相変わらず、顔色がよくない。三白眼ぎみの瞳に、はっきりと興味の色が宿るのを見た。ここぞとばかりに、私は押しをかけた。
「鉛筆をくり抜いたような、八角形の部屋への入り口は一つ。それも、母屋から長い廊下で隔てられている。また基本的に、窓はない。屋根まで吹き抜けだけど、ずっと上のほうにある、ステンドグラスや天窓も、嵌め殺しという話さ。あんなものを割って入ってきたら、一瞬で気づかれるだろう」
「つまり、メンバーのうち一人が、風蘭坊でなければならない、のですね」
人さし指で、下唇を軽くなぞった。勅使河原美架の頭脳に、スイッチが入ったときの仕草だ。
「風蘭坊は、変装が巧みだと聞いている。まさか怪人二十面相みたいには、ゆかないだろうけど。メンバーが皆、半分顔を隠しているのだから、入れ替わる可能性はあるだろう。限りなく不可能に近いにせよ、ゼロではないわけだ」
「メンバーは、お互いの素顔を知らないのでしょう」
「主催者のツァラを除いてね。さすがに次の会合では、ツァラ氏が控え室で、一人ずつチェックするという話さ。控え室の先が、窓のない長い廊下で、その先が八角形の部屋だから。もしあやしげな人物がいたら、そこでシャットアウトされる」
「密室、なのですね……」
湯が沸いたようだ。美架は料理にラップをかけ、紅茶を淹れはじめた。ゆうべキリマンジャロをがぶ飲みして、ちょっと胃の調子がおかしかったので、柔らかな香りが、なんだか懐かしく感じられた。私の前にカップを置くと、美架は言う。
「ツァラ氏がどなたか存じませんし、一介の家政婦に過ぎない私に、盗難を阻止する義務もございません。けれど、酒井さんの個人的な依頼として、給仕のお仕事でしたら、引き受けさせていただきますわ」
ここにおいて、家政婦探偵・勅使河原美架と怪盗・風蘭坊との風変わりな対決は、必至となった。
◇
風蘭坊。
本名不詳。三十歳代の背の高い男だと言われるが、それもあやしい限り。達筆の墨書による予告状があらわれ、次にモノやカネが消えるばかりで、泥棒その人を、まともに見た者がいないからだ。
一匹狼なのか、一種の盗賊団なのかもわからない。予告状の筆跡は同じようだが、あまりにも神出鬼没なため、組織で動いているとしか考えられないという意見もある。
今回のケース同様、出所のいかがわしい美術品を狙ってくるため、大々的に警察沙汰にはなりにくい。けれど同時に、裏側の人間たちを敵に回すことになるので、下手をすれば、かえっておのれの首を絞めかねない。ときに裏組織のほうが、警察以上の情報網を有するからだ。
いわば風蘭坊は、裏社会にとっても「裏切り者」なのだった。




