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黄金の聖天 第八回

  ◇

 勅使河原美架は、マイナスドライバーを常備していた。

 それでカレー粉の缶をこじ開けるのを見たことがあるし、アイスピック代わりに用いているのも知っている。問題は、いったいどこから出てくるのか、である。

 ポケットに入れておくには、少々かさばる。鞄などから、いちいち取り出してくるわけでもない。にもかかわらず、目にもとまらぬ早業で、彼女の手中に現れ、また忽然と消え失せる。

「不思議ですか?」

 疑問を口にしたところ、そう言ってごまかされた。


 きっぱりいいきろう。

 不思議はつねに美しい、

 どのような不思議も美しい、

 それどころか不思議のほかに美しいものはない。


 彼女がよく口にする、このフレーズは、アンドレ・ブルトンの『シュールレアリスム宣言』からの引用である。

「きみは、シュールレアリストなのかい?」

「一介の家政婦に過ぎませんが」

 偏見かもしれないが、ブルトンを好んで読む家政婦というのも、なかなかシュールではあるまいか。

 勅使河原美架は週に一度、木曜日の午後に、私の部屋に来ることになっている。私とて一介の貧乏文士。家政婦を雇える身分ではないのだが、彼女の体験談は、執筆のための素材を、豊富に提供してくれる。いわば、設備投資のようなものだ。

 彼女には、際だった二つの才能があった。ひとつは、奇怪な事件に巻き込まれる才能で、もうひとつは、事件の謎を解く才能である。もっとも、彼女自身は、探偵呼ばわりされることを、極端に嫌うのだけど。

 それでも、堀川秋海の口から美架の名が(かれは思い出せなかったにせよ)出された、その日の午後に、ちょうど彼女が私の部屋にあらわれたのは、運命的な何かを感じる。明日、急な仕事が入ったため、訪問を一日繰り上げてほしいとの申し出だった。

 奇怪な事件に巻き込まれるという、彼女の才能が発動したとしか思えない。

「ゴーヤが安かったのです。まだ梅雨も明けないのに、もう出回っているのですね」

 エスニック狂の彼女であるが、今日は珍しく、和食に挑むつもりか。そういえば、前に来たときに、茹で卵と豆腐に刷毛で何かをまぶし、それぞれを密封して、冷蔵庫に入れていた。捨てるべからず、食うべからずと張り紙をつけて。豆腐にいたっては、すでに二週間前の、半分の大きさになっていた。

 まさか、本日これを私は食わされるのだろうか。

「ダダ、ですか」

 ゴーヤを縦に割り、綿と種を取り出すときに、また彼女に手に、マイナスドライバーが握られているのを見た。通常のそれより幅広い、磨き上げられた先端を指でなぞり、ちょっと放心気味に、彼女はそうつぶやいたのだ。

「うん。メンバー全員が、有名なダダイストを名のっていてね。まあ中には、ちょっとあやしげな人物も混じっているけど」

「アンドレ・ブルトンは?」

「さすがに入ってなかったな。裏切り者として、ダダイストから最も嫌われる人物の一人じゃないか。殴り合いまでやってるくらい、トリスタン・ツァラとは、ウマが合わなかったようだし」

「できれば私に、ダダについて簡単に解説していただけますか」

 ゴーヤが瞬く間に薄切りにされた。半分に縮んだ豆腐は、さいの目に切られた。マイナスドライバーはというと、すでに跡形もない。私はダイニングテーブルに頬づえをついて、少々頭の中を整理しなければならなかった。

 ちなみに彼女は、私をわたくしと発音する。

「あらためて解説を求められると、難しいもんだね。ときに、一九一六年といえば、第一次世界大戦の最中だ。中立国、スイスはチューリヒのキャバレー・ヴォルテールという文芸カフェに、戦争を厭って流れてきた、無名の芸術家たちがたむろしていた。ルーマニア人で詩人のトリスタン・ツァラもその一人だった……」

 ダダという語をだれが最初に思いついたか、諸説あるようだ。ふつう、ツァラが辞典から適当に選び出したといわれる。この無意味な音の連なりが示すように、権威的な既成の芸術を否定し、徹底的に無化しようとする、反逆の運動だった。

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