黄金の聖天 第六回
拍手が起きた。どこか投げやりな、ばかにしたような拍手。それでもツァラは、得意げに片眼鏡の位置を修正すると、ガラクタの山の中から、漆黒の布に包まれたものを、さも大事そうに持ち上げた。中身は、円筒形か、それに近い形で、大きさのわりに、かなり重いようだった。
「何だと思われますか?」
布ごと両手でかざしたまま、もったいぶってツァラは尋ねた。三日月に腰かけて、煙草をふかしている男のシルエットを背に、タルホが口を開いた。
「仏像ではありますまいか。諸行無常。一切は無。これぞ究極の無意味というやつで」
「ははあ、惜しいですね。しかし、そこまで悟りきっては、もはや遊べなくなってしまいます。火星クラブが求めるのは、高尚な哲学ではなく、無意味な乱痴気騒ぎに過ぎませんからね。では、お見せしましょう」
白い手袋が宙で踊り、奇術師の鮮やかさで、黒布が取り除かれた。闇の中から突然生じたように、黄金の物体があらわれた。
「あ……」
私は思わず目を逸らした。本能的な反応である。何か禁忌に触れるもの。見てはいけないものを恐れる潜在意識が、咄嗟に顔をそむけさせた。だから、布が取り払われたとき、白い紙片のようなものが床に落ちたことに、私だけが気づいた。
視線を戻すと、ツァラはその物体を手に、挑発するような薄笑いを浮かべていた。他のメンバーは無言のまま、ある者は、ほうと溜め息を洩らし、ある者は椅子から身を乗り出した。ゾフィーも気のなさそうな姿勢のまま、目だけは見開かれていた。
それは、肥った男女が、古代インドふうの薄衣をまとい、相撲でもとるように、ひしと抱き合う姿をあらわした、金色の彫像である。男女とも、体は人だが、頭部は象なのだった。
「歓喜天かね……」
そうつぶやいたのは、最も近くで眺めていた堀川秋海である。
歓喜天。またの名を聖天。インドにおけるヒンドゥー教の神、ガネーシャに由来する。象頭人身。日本では障碍神、すなわち、極めて祟りやすい神とみなされ、またそれゆえに、この神の力を得れば、何でも願いが叶うと信じられた。
男女が抱き合う姿であるわけは、もともと魔王であった聖天が、十一面観音に教化されて、仏法の守護神となったゆえに、観音の化身である女性と抱き合っているという。男神単体の像もあるが、さらに扱いが難しいとされ、抱き合っているものが一般的。それも秘仏中の秘仏であり、人目にさらされることは、まずない。
「純金製です。出所に関しては、第三者の目もあることですし、ノーコメントとさせていただきます。さほど古いものではありませんが、十八世紀より新しくはないでしょう」
勝ち誇ったように、ツァラが付け足した。メンバーの反応から察するに、私が持っている程度の知識は皆、あるのだろう。ようやく、ピカビアが反撃に出た。
「これのどこかダダなのか、理解に苦しむね」
「たしかに。モノは素晴らしいが、無意味というコンセプトからは、最もかけ離れている気がしますねえ」
タルホがそう言うと、ツァラは済ました顔で聞き流し、彫像をテーブルにのせた。照明を浴びて、このあくまで異形の神像は、暗い情念のような輝きを帯びた。知らぬ間に、私の背筋を戦慄が貫いていた。ツァラは言う。
「かけ離れているがゆえに、また無意味なのです。おそらくこの神像は、永きにわたって祭壇に秘められ、多くの人々に恐れられ、かつ願われてきました。タルホくんの仰言るとおり、いわば意味の塊であります。ですがそれゆえに、ダダの神としての資格を、これほど備えたものは、ないのではありますまいか」
「神だって?」マン・レイがうめいた。
「詭弁だわ」ゾフィーの声は、震えを帯びていた。
「きみは我々が所詮、日本人であることを、風刺しているに過ぎないのではないか。日本人としての潜在意識の底に、そういったどうしようもない怪物が横たわっている。それを抉り出してみせようと、たくらんだのだろう? けれど風刺は意味を求める行為であって、ダダとは言えない」
エルンストの反論を、音楽でもあるかのように、半ば目を閉じて聞き終えると、ツァラは白い手袋を嵌めた指で、聖天の像を軽くなぞった。
「あるいはそうかもしれません。これだけ物議を醸しただけでも、ぼくは満足ですよ。お気に召さなければ、入札しなければよいだけの話。入札者なしということで、この件は終了させていただきましょう」
「いや、三千万で」
声のしたほうを、皆が一斉に見た。デュシャンが席を立ち、『階段を降りる裸婦』の前で、ほくそ笑んでいた。場内が騒然とする中、私は立っているのがつらくなり、ついにしゃがみ込んでしまった。
目の前に、例の紙片が落ちていた。厚手の和紙を二つに折ったものだった。何気なく手にとり、広げてみたところで、墨による達筆で書かれた、次のような文字が、目に飛び込んできた。
『次の火曜日の深夜、聖天像を頂きに参上。風蘭坊』




