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黄金の聖天 第四回

「ふん。フリーメイソンへの入会式のパロディか。トルストイの小説にも、こんな場面が出てきたっけか」

 薄闇の中で、にたりと笑いながら堀川が言う。間もなく、ノックの音が響き、入ってきたのとは、反対側のドアが開いた。あらわれたのは、ひょろりと背の高い男で、顔の上半分を、鋲の打たれた、黒革の仮面で覆っていた。

 まだ三十代だろうか。高価そうなスーツ姿。左手に、古めかしい鋳物のランプを提げ、軽く上げた右手に、奇妙な意匠の指輪を、幾つもつけていた。痩せた細長い顔や、薄い唇を眺めていると、かれが「誰」なのか、わかる気がした。

「マルセル・デュシャンです。ここでは、あなたがたを、左眼氏、右眼氏と呼ばせていただきます。これをおつけください」

 どうやら私は「右眼」であるらしい。ポケットから取り出された仮面は、プリミティブで解体的な、いかにもダダらしいデザインで、大きな一つ目があしらわれていた。堀川のものとは、微妙に形や色が違うようだ。

 私たちが着用するのを見届けて、「では」と、デュシャンは背を向けた。

 ドアの向こうは、細長い廊下だった。

 窓はなく、灯りも全くないので、案内人が手にしたランプの、揺れる炎だけが、鬼火めいて、辺りを照らした。床は磨き上げられた市松模様で、靴音が異様に反響した。そこはまさに「画廊」であるらしく、壁には大小の額がかけられ、あるいは展示台の上に、立体作品がのっていた。

 暗くてよく見えなかったが、無機質な絵や彫刻、フォトモンタージュなど、いずれもダダの作品で、おそらく真作。コレクターなら、涎を垂らして転げ回りそうなシロモノだ。

 しかし、これほど一直線に長い廊下を有するのは、どんな酔狂な建築物だろう。優に三、四十メートルは歩いたかと思われるところで、ようやく次のドアにたどり着いた。デュシャンが右手でノックすると、重々しい音が響いた。

「入りたまえ」

 みょうにかん高い、細々とした声が中で応じ、ドアが開かれた。小男、という言葉がまっ先に浮かんだほど、背の低い、まだ若い男が私たちを出迎えた。

「火星クラブへようこそ!」

 大仰なポーズ。握手を求めてきた手には、白い薄手の手袋が嵌められていた。かれは、顔の左半分を覆う、異形の仮面をつけ、右目にはモノクル、すなわち、挿絵のアルセーヌ・ルパンがつけているような、片眼鏡をかけていた。かれこそがクラブの主催者、トリスタン・ツァラに違いなかった。

 奇妙な形の部屋だ。

 真上から見れば、正しく八角形をしているだろう。入り口をのぞいた、七つの壁際には、肘掛け椅子が一脚ずつ置かれ、そこに七人のダダイストたちが、中央を向いて座るという趣向。椅子の後ろの壁には、かれらが名のる芸術家の手による作品が、象徴的にかかげられていた。

 例えば、デュシャンが座る椅子の後ろにかけられているのは、有名な『階段を降りる裸婦』だが、これはさすがに複製だろう。また、ツァラの椅子の後ろには、「dada」の文字が、異なる活字体で、大きく書かれているばかり。指さす手のシンボルマークが、文字に添えられていた。

 クラブのメンバーは、それぞれ異なる仮面をつけていたが、飲食の便のためであろう、顔の下半分は覆われていなかった。ツァラとデュシャン以外は、席を立たずに、軽く会釈した。ざっと見わたしたところ、メンバーはせいぜい三十代か四十代。主催者のツァラに至っては、二十歳そこそこの若さである。

「椅子の上から、失礼しますよ。じつは我々は、メンバーだけによる閉ざされた会合に、少々もの足りなさを覚えておりまして。そこで第三の『眼』を欲した次第です」

 カムや歯車、その他、得体の知れない装置を組み合わせた絵の前から、でっぷりと肥えた、最年長らしい男が声をかけた。フランシス・ピカビアとおぼしい。

「それはやはり、マスコミという『眼』である必要があったのですがね」

 と、言葉を受けたのは、稲垣足穂。こちらは異様に痩せており、この作家の代表作、『弥勒』を彷彿させた。そういえば、キュービックな仮面もどこか、仏像をおもわせるた。次に、顔の四角いマン・レイが言った。

「下手なジャーナリストに入りこまれて、無粋に洗いざらい暴露されても、面白くない。そこでデュシャンくんのお友達でもある、左眼氏なら、という話になりまして」

「我々の席は?」

 そう言った堀川の声には、いかにも愉快そうな響きがあった。七人のダダイストたちも、それぞれの方法で、笑い声を洩らした。片眼鏡のツァラが言う。

「ございません。あなたがたお二人は、どこからともなく注がれる、視線なのです。視線が椅子を必要としますか?」

「ふん。面白いわい」

 私にだけ聞こえるように、左眼氏こと、堀川がつぶやいた。私はけれど、目が回るような思い。

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