黄金の聖天 第二回
堀川秋海。
別号、蒐怪。またの名を、文壇の妖怪。稀代の山師にして、老獪な古狸。といっても、たしかまだ、五十幾つの筈だが。すでに老大家面して、業界をのし歩き、また、作家のタマゴだの芸術家のヒヨコだのといった、無数の子分を従えて、一大勢力を成していた。
文壇を根城にしながらも、堀川の活動範囲は、際限がなかった。テレビ出演はもちろんのこと、芸能プロダクションまがいのこともやっているし、投資家として金儲けに余念がない。そうして財界人や政界人に、呆れるほど顔が利いた。
私としては、最も避けて通りたい人種なのだけれど、何の因果か気に入られ、まんまと子分にされてしまった。こちらとて、吹けば飛ぶような三文作家。即座に売れなければ、たちまち干されるこの業界。仕事を回してもらっている弱みから、堀川の一声で、こんな夜中に引っ張り出される情けなさ。
ともあれ、そんな麻布の狸が、ダダを気取った酔狂な「大物」の一人くらい、知っていても不思議はない。狸は、わざとらしく声をひそめた。
「もちろん、きみの想像どおりだよ。メンバーの一人と、ちょっとした顔見知りでね」
「だれなのです?」
何気なく尋ねた。大臣を辞職へ追い込めるほどの実力者なら、そのての事情に疎い私でも、名前くらいは知っているかと考えて。
ウェイターがデザートの皿を下げる間、いかにももったいぶった沈黙が守られた。それからブルーマウンテンの入ったカップが、口の前で留められると、戯画的に不敵な笑みとともに、平然と言ってのけた。
「マルセル・デュシャン氏さ」
自転車の車輪で後頭部を殴られたような気がした。ならばかの有名なダダイストは、一九六八年にアメリカで死んだのではなく、やはり氷漬けのままシベリアで発掘され、復活を遂げたというのか。そうして東京くんだりに出没し、大臣の座をおびやかしつつ、秘密クラブに顔を出しているのか。
私は、後頭部をさすりながら、咳払いした。
「ご冗談を」
「まあ、そう思うだろうな。じつは火星クラブのメンバーは、主催者をのぞいて、お互いの素性を知らない。気づいても、知らぬふりをすることになっている。会が開かれるときは、だから仮面で顔を隠しているのだよ」
「ますます怪しげですね。すると、マルセル・デュシャンというのは」
「仮名ということになる。七人のメンバーはそれぞれ、ダダに関係の深い人物の名を、名乗っているのさ」
「ちなみに、ほかの六名は?」
ずるずると音をたてて、かれはコーヒーを流しこんだ。せっかくのブルーマウンテンも、これでは番茶と変わらない。
「主催者のニックネームなら、予想できるだろう。伝説では、ダダという語は、かれが発見したといわれる」
「ツァラですか。トリスタン・ツァラ」
「うむ。それから、先程のデュシャン氏。かれにはもう一つの仮名があるが、今は伏せておこう。次に、フランシス・ピカビア。ダダの後方支援者として、その名は欠かせないだろうな。それから、ゾフィー・トイバー」
「女性?」
「火星クラブの紅一点だ。さらに、マン・レイ。および、マックス・エルンスト。まあ、この二人をダダのカテゴリーに押しこめるのは、いささか無理があるが。とくにエルンストは、シュールレアリスムのイメージのほうが強いからね。しかし、ダダの重要な担い手ではあったよ。ツァラやデュシャンに劣らず、名も売れておるし」
「あとの一人は?」
「タルホ・イナガキ」
口をついて出かけた反論を、寸でのところで呑みこんだ。ダダイストを日本人から選ぶとすれば、高橋新吉や、村山知義を挙げるべきではあるまいか。稲垣足穂も、無関係ではないものの、一般的な評価にかんがみれば、異色過ぎる。
「予備知識は、これくらいでよいだろう。そろそろ出かけようか」
「出かける、ですって?」
反射的に時計に目を遣ると、十一時を回ったところ。もうすぐ、水曜日になろうとしていた。食事を終えれば、堀川の機銃掃射から解放されるものと、タカをくくっていたので、今度は鉄のワインラックでぶん殴られた思い。
呆然自失の呈を、愉快そうに笑い飛ばしながら、けれども声はひそめたまま、堀川秋海は言うのだ。
「決まってるじゃないか、酒井くん。これから、火星クラブへ乗り込むのさ」




