表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/125

黄金の聖天 第一回

 火星クラブという名を、私に吹き込んだのは、例によって堀川秋海だった。

「なんでも、ダダを自称する連中の、集まりらしくてね」

 相変わらず堀川は、一方的に私を呼びつけ、一方的に食い、そして一方的に喋った。あれほど凄まじい勢いで、食物を詰め込みながら、どうして言葉をガトリングガンなみに連射できるのか、相変わらず理解の範疇を超えていた。

「ダダ、ですか」

 溜め息混じりに、いかにも気のない合いの手を入れた。ダダイスト。そんなものは、百年も昔に滅び去った人種ではないか。

 堀川の持ち込んだ話題は、だから私には、富士山で生きたナウマンゾウが捕獲された、といった類いの怪情報と同じくらい、信じ難いものだった。まだしも、シベリアで氷漬けのマルセル・デュシャンが発見されたと聞かされたほうが、信憑性が高い。

 デュシャンなら、それくらい、やってくれるだろう。

「そう厭な顔をしなさんな、酒井くん。きみにとびきりの、飯のタネを提供しようというのに。ひょっとするとこいつは、北鎌倉の一件以上の、大物かもしれんのだよ」

 表面が見えなくなるほど、マスタードを厚塗りにした牛肉を口へ放り込みながら、堀川はニヤリと笑う。

 北鎌倉と聞いて、私は眉をひそめずにはいられなかった。堀川の不謹慎には、今さら驚かないが、現実に、お互いの目の前で人が殺されたのだ。それを血のしたたるステーキを咀嚼しながら、アメリカンジョーク的口調で持ち出す、かれの無神経さには呆れ返る。

 それは私とあの顔色のよくない、風変わりな家政婦が、初めて顔を合わせた事件でもあった。さっそく私は、逃げを打つことにした。

「自称芸術家なんて、ごまんといますからね。ダダを名乗る連中は、たしかに昨今、あまり耳にしませんが。堀川先生の眼鏡に叶うほど、大物が釣れるとは思えません」

 だいいち、北鎌倉のときは、最初から相手は大物だったではないか。聞いたこともないマイナー芸術家のクラブが、今さらどんなパフォーマンスを弄したところで、寺山修司以上の何かが、出てくるとは思えない。血と油とマスタードで染まったナイフが、目の前で振られていた。

「ち、ち、ち、酒井くん。きみもジャーナリストの端くれなら、人の話はよく聞くものだよ。おれは一言も、かれらが芸術家だとは言ってないぜ」

「芸術家でない? 芸術家でないダダイストなんて、あり得るのですか?」

 勝手にジャーナリストにされたことへの突っ込みも忘れて、私は問い返していた。呪われたネプチューンのように、堀川はケチャップの海に浮かぶポテトを、三つながらフォークで串刺しにした。

「ダダ、ハ、ナニ、モ、イミ、シナイ。知ってのとおり、これはダダの創始者の一人、トリスタン・ツァラの名言だが、ならば、ダダが芸術である必要がどこにある?」

「しかしダダは、何よりも以前に、芸術運動ですよ。ツァラはただの飲んだくれではなく、詩人でした。デュシャンはただの変質者ではなく、造形作家でした。無意味の芸術を、かれらは渾身の力で創造したのではありませんか」

「きみはときどき、感心するほど感傷的なことを言う」

 軽く鼻であしらわれ、我知らず握りしめていた拳を、気恥ずかしい思いで、テーブルの下に隠した。なかなか陽の目を見ない、芸術家の端くれとして、かつての前衛作家たちに、感情移入しがちである。

 私の前の皿は、とっくに運び去られており、コーヒーも冷めようとしていた。本来、紅茶党なのだが、堀川と面会するときは、決まってキリマンジャロを頼んでしまう。強い酸味を、ブラックで流し込まなければ、とても正気を保っていられそうにない。胸のナプキンで口をぬぐいながら、かれは言う。

「まあ、芸術に関する議論は、ひとまず棚に上げようじゃないか。重要なのは、まずかれら七人のメンバーが、だれも劣らず、社会的に非常に高い地位にあることだ。もしもメンバーの意見が一致すれば、内閣を総辞職させられるほどにね。さらに、この火星クラブは原則として、非公開。いわば、秘密クラブというやつだよ」

 何のことはない。

 何社のカイチョウの坊ちゃんたちか知らないが、大ブルジョアが金と暇に飽かせて、怪しげな火遊びに興じているだけではないか。そんなものは、ダダでも何でもありはしない。相変わらず、もの凄い速度でプティングを口へ放り込みながら、堀川は語を継いだ。

「覗いてみたいとは思わんかね、酒井くん」

「はあ。変態趣味を否定するつもりはありませんし、川端康成のそのての小説には、胸を躍らせたものですが。どうもちょっと胃がもたれそうです」

「かん違いしていないかね。かれらが行っているのは、性の遊戯ではないよ。それこそ、あくまで『ダダ』なのさ。むしろ直接的な性行為などは、かれらが最も軽蔑するところだろうね」

 私はようやく、コーヒーに手をつけた。

「いったい、どんなことを行うのです? そもそもなぜ、閉ざされた秘密クラブの内容を、堀川先生がご存知なのですか?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ