黄金の聖天 第一回
火星クラブという名を、私に吹き込んだのは、例によって堀川秋海だった。
「なんでも、ダダを自称する連中の、集まりらしくてね」
相変わらず堀川は、一方的に私を呼びつけ、一方的に食い、そして一方的に喋った。あれほど凄まじい勢いで、食物を詰め込みながら、どうして言葉をガトリングガンなみに連射できるのか、相変わらず理解の範疇を超えていた。
「ダダ、ですか」
溜め息混じりに、いかにも気のない合いの手を入れた。ダダイスト。そんなものは、百年も昔に滅び去った人種ではないか。
堀川の持ち込んだ話題は、だから私には、富士山で生きたナウマンゾウが捕獲された、といった類いの怪情報と同じくらい、信じ難いものだった。まだしも、シベリアで氷漬けのマルセル・デュシャンが発見されたと聞かされたほうが、信憑性が高い。
デュシャンなら、それくらい、やってくれるだろう。
「そう厭な顔をしなさんな、酒井くん。きみにとびきりの、飯のタネを提供しようというのに。ひょっとするとこいつは、北鎌倉の一件以上の、大物かもしれんのだよ」
表面が見えなくなるほど、マスタードを厚塗りにした牛肉を口へ放り込みながら、堀川はニヤリと笑う。
北鎌倉と聞いて、私は眉をひそめずにはいられなかった。堀川の不謹慎には、今さら驚かないが、現実に、お互いの目の前で人が殺されたのだ。それを血のしたたるステーキを咀嚼しながら、アメリカンジョーク的口調で持ち出す、かれの無神経さには呆れ返る。
それは私とあの顔色のよくない、風変わりな家政婦が、初めて顔を合わせた事件でもあった。さっそく私は、逃げを打つことにした。
「自称芸術家なんて、ごまんといますからね。ダダを名乗る連中は、たしかに昨今、あまり耳にしませんが。堀川先生の眼鏡に叶うほど、大物が釣れるとは思えません」
だいいち、北鎌倉のときは、最初から相手は大物だったではないか。聞いたこともないマイナー芸術家のクラブが、今さらどんなパフォーマンスを弄したところで、寺山修司以上の何かが、出てくるとは思えない。血と油とマスタードで染まったナイフが、目の前で振られていた。
「ち、ち、ち、酒井くん。きみもジャーナリストの端くれなら、人の話はよく聞くものだよ。おれは一言も、かれらが芸術家だとは言ってないぜ」
「芸術家でない? 芸術家でないダダイストなんて、あり得るのですか?」
勝手にジャーナリストにされたことへの突っ込みも忘れて、私は問い返していた。呪われたネプチューンのように、堀川はケチャップの海に浮かぶポテトを、三つながらフォークで串刺しにした。
「ダダ、ハ、ナニ、モ、イミ、シナイ。知ってのとおり、これはダダの創始者の一人、トリスタン・ツァラの名言だが、ならば、ダダが芸術である必要がどこにある?」
「しかしダダは、何よりも以前に、芸術運動ですよ。ツァラはただの飲んだくれではなく、詩人でした。デュシャンはただの変質者ではなく、造形作家でした。無意味の芸術を、かれらは渾身の力で創造したのではありませんか」
「きみはときどき、感心するほど感傷的なことを言う」
軽く鼻であしらわれ、我知らず握りしめていた拳を、気恥ずかしい思いで、テーブルの下に隠した。なかなか陽の目を見ない、芸術家の端くれとして、かつての前衛作家たちに、感情移入しがちである。
私の前の皿は、とっくに運び去られており、コーヒーも冷めようとしていた。本来、紅茶党なのだが、堀川と面会するときは、決まってキリマンジャロを頼んでしまう。強い酸味を、ブラックで流し込まなければ、とても正気を保っていられそうにない。胸のナプキンで口をぬぐいながら、かれは言う。
「まあ、芸術に関する議論は、ひとまず棚に上げようじゃないか。重要なのは、まずかれら七人のメンバーが、だれも劣らず、社会的に非常に高い地位にあることだ。もしもメンバーの意見が一致すれば、内閣を総辞職させられるほどにね。さらに、この火星クラブは原則として、非公開。いわば、秘密クラブというやつだよ」
何のことはない。
何社のカイチョウの坊ちゃんたちか知らないが、大ブルジョアが金と暇に飽かせて、怪しげな火遊びに興じているだけではないか。そんなものは、ダダでも何でもありはしない。相変わらず、もの凄い速度でプティングを口へ放り込みながら、堀川は語を継いだ。
「覗いてみたいとは思わんかね、酒井くん」
「はあ。変態趣味を否定するつもりはありませんし、川端康成のそのての小説には、胸を躍らせたものですが。どうもちょっと胃がもたれそうです」
「かん違いしていないかね。かれらが行っているのは、性の遊戯ではないよ。それこそ、あくまで『ダダ』なのさ。むしろ直接的な性行為などは、かれらが最も軽蔑するところだろうね」
私はようやく、コーヒーに手をつけた。
「いったい、どんなことを行うのです? そもそもなぜ、閉ざされた秘密クラブの内容を、堀川先生がご存知なのですか?」




