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屋根裏の演奏者 第二十三回(解答篇ノ一)

  ◇

 二人ぶんの紅茶が、すでに用意されていた。

 竜也はアップライトピアノの前に、紅葉は床に座って、カップを手にしていた。紅葉に悲鳴を上げさせた、天井裏の目について、家政婦は聞き終えたところ。いつもどおり、ニコリともせず突っ立ったまま、思い出したように、紅葉に会釈している。

「申し遅れましたが、勅使河原です」

「家政婦さんですね。藤本くんから、聞いています」

 紅葉の眼差しは、まだどこか虚ろで、衝撃から覚めやらぬ呈。竜也が言う。

「真相って、何もかもわかったんですか?」

「はい」と、よどみなく答えるのだ。

「ヴァイオリンを弾いていたのが、だれなのかも?」

「それは最初から、ほかに考えようがありませんでした。もともと選択肢は、一つだったのです」

 彼女が換気のために開けたのだろう。沈黙の中、少し開いた窓から、薔薇の香りが漂ってきた。さっきまで「黒い部屋」にいた影響か、竜也にはその匂いが、忌むべきものに思えた。魔術の祭壇に供えられた、花の香りのように。

「いったいだれが?」

「林晴明くんです」

 また沈黙。

 竜也の当惑を嘲るように、花の香りは悪魔的な舞踏を演じるのだ。強いて笑おうとしたが成功せず、引きつった表情のまま、乾いた声が出た。

「あり得ないよ」

「はい。ですが、ほかのケースである可能性の低さを考慮すれば、あらかじめ、この結論は外せませんでした」

「だって林は……」

「第一に、決して、他人を部屋に入れない。第二に、ヴァイオリンを本気で弾いても、シェーンベルクのノコギリになってしまう」

「そうですよ」

「第一の問題に、例外があり得ることは、否定できません。それは林くんの気持ちしだいですから。昔馴染みですとか、親族ですとか、招き入れる可能性はあるでしょう。ただ、どうしてもヴァイオリンが絡んでくると、第三者の存在は極めて希薄になります。それに藤本さまは、今夜、私のノックの音に、すぐ反応してくださいましたね」

「ええ」

「でも、林くんの部屋のドアが開け閉めされる音は、聴かれていないのでしょう?」

 たしかに、あれほど小さな音も聞き分けられたのだから、隣の隣とはいえ、訪問者があれば、すぐに感づいただろう。これまでも、一〇三号室へ訪ねて来る者を見たことがないし、音も聴かなかった。一〇二号室の紅葉も、同様だという。

「じゃあ、北村さんが見た天井裏の目は? さっきも話したけど、屋根裏で弾いていた可能性も、考慮すべきじゃないですか。駅前の演奏と今夜の演奏が、よく似ていることは、勅使河原さんも認めるでしょう?」

「はい。よく似ていました」

「だったら……」

 彼女は軽く手を挙げて、竜也の反論を留めた。その掌を返し、みずからの下唇を、すっとなぞった。

「よく似ていると感じたのは、あれが古楽器だったからです。とくにバッハの無伴奏曲は、古楽器で演奏すると、独特なポリフォニーが生じると聞きました。もともと単旋律を奏でるのが、ヴァイオリンという楽器ですが、まるでいくつかの旋律を同時に弾いているような、複雑な響きがもたらされるのですね」

 バッハの曲はポリフォニー、複旋律の効果が威力を発揮する。竜也が中西の超絶技巧に見蕩れた、『六声のリチェルカーレ』などは、その極といえる。この作曲家はまた、ヴァイオリンやチェロといった、単一の声部を奏でる楽器にさえ、ポリフォニックな効果を要求した。

 そうしてその効果が遺憾なく発揮されるのは、バロック・ヴァイオリンにおいてである。瞠目している竜也に向かって、美架は語を継いだ。

「ですから、林晴明くんは、教室と部屋とでは、まったく別の楽器を弾いていたことになります。現代ヴァイオリンと、バロック・ヴァイオリンという……まったく異なる楽器でしたから、演奏技術に著しい差が出てしまったのです」

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